表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

149/173

第149話 ミード村の薬草は東を嫌う

 ミード村の薬草畑は、朝の光を受けて静かだった。


 派手な花が咲いているわけではない。

 背の低い薬草が、畝に沿って並んでいるだけだ。


 けれど、セリアにはその畑がただの畑には見えなかった。


 止血草。

 傷洗い草。

 熱下げ草。

 根を使うもの、葉を使うもの、乾かして粉にするもの。


 どれも小さく、地味で、踏めば簡単に折れてしまいそうな草ばかりだ。


 だが、黒石災害封じ祠の封印層に関わる水腐れの核に対して、最初に反応を示したのは、王都の魔術具でも、技師の金属板でもなく、薬草だった。


 葉が硬くなる。

 根元の湿りが変わる。

 東側の土を嫌がる。


 そういう小さな変化が、今では黒石祠命令核分離作戦の足場になっている。


 セリアは、畑の東側に立った。


 そこだけ、草の密度が少し薄い。


 枯れているわけではない。

 毒々しい色でもない。

 ただ、薬草たちがそこを避けているように見える。


 隣に立つハンナが、小声で言った。


「見た目には、そんなに悪い土に見えませんね」


「はい」


 セリアは頷いた。


「だから、決めつけると間違えます」


 ミラが記録板を抱えながら首をかしげた。


「嫌がっているなら、悪い土じゃないんですか?」


 その問いに、セリアはすぐ答えなかった。


 少し前の自分なら、そう思ったかもしれない。


 神殿では、穢れは避けるべきものだった。

 黒いもの、濁ったもの、反応の悪いものは、浄化すべき対象だった。


 けれど、リベル村で見てきた水と土は、そんなに単純ではなかった。


 水土見守り基点は、黒石祠に歪められていたが、本来は守るものだった。

 黒石災害封じ祠も、危険な命令核を抱えているが、本来は水腐れの核を封じる祠だった。

 ハルマ村の井戸も、北沢の石列も、怖がられるべきものではなく、支えとして残ってきたものだった。


 なら、この東側の土も、単に悪いとは限らない。


「嫌がる理由を見ます」


 セリアは、老女から言われた言葉をそのまま口にした。


「悪い土だから嫌がっているのか。守るために避けているのか。昔の誰かがそうなるよう作ったのか。それを見ないといけません」


 ミラは真剣な顔で頷き、記録板に書いた。


『嫌がる理由を見る』


 その時、背後からしわがれた声がした。


「いい顔になってきたね」


 振り返ると、薬草係の老女が杖をついて立っていた。


 相変わらず背は小さい。


 けれど、畑の中では誰より大きく見える。


 セリアは慌てて頭を下げた。


「おはようございます」


「畑でそんなにかしこまるんじゃないよ。草が肩をこらせる」


「す、すみません」


「謝るとまた肩がこる」


 ハンナが横で笑いをこらえ、ミラは真面目に記録しようとして手を止めた。


 老女はミラの記録板をちらりと見る。


「今のは書かなくていい」


「はい」


 ミラは少し残念そうに筆を下ろした。


 老女は東側の帯を杖で指した。


 土には触れない。


 杖先も、ぎりぎり空中で止まっている。


「ここは昔から種つきが悪い」


「はい。孫娘さんから聞きました」


「悪い土だと決めて、肥やしを入れた若いのもいた。水を足したのもいた。だが、良くはならなかった」


「なぜですか」


 セリアが聞くと、老女は目を細めた。


「良くしようとしたからさ」


 ハンナが思わず聞き返す。


「良くしようとしたから、駄目だったんですか?」


「草が避けている場所に、無理に根を張らせようとした。嫌がってる子の背中を押して、嫌な場所へ座らせるようなもんだ」


 ミラが小さく呟く。


「それは嫌ですね」


「そうだろう」


 老女は、東側の土を見た。


「この帯は、草が嫌がる。だが、畑全体を嫌がらせないために、ここだけが嫌われ役をしているのかもしれない」


 セリアの胸に、その言葉が落ちた。


 嫌われ役。


 悪い土ではなく、畑を守るために避けられる場所。


 セリアは膝をつき、土に手を近づけた。


「触れても?」


「表面だけだよ。掘るんじゃない」


「はい」


 指先で、ほんの少し表面の湿りを見る。


 冷たすぎるわけではない。


 重すぎるわけでもない。


 ただ、薬草の根がそこへ進む前に曲がるような、見えない流れがある。


 セリアは鑑定補助札を置いた。


 青反応は弱い。


 だが、確かに根の動きに関わる反応がある。


《ミード薬草畑東側帯》

《旧薬草緩衝帯:確認度上昇》

《水腐れ直接残留:なし》

《根系迂回誘導:微弱》

《青根系旧技法痕:あり》

《本来機能:水腐れ反応の土壌深部侵入回避》

《推奨:現状維持/薬草根反応継続観察》


 セリアは、表示を一つずつ読み上げた。


「旧薬草緩衝帯、確認度上昇。水腐れ直接残留なし。根系迂回誘導、微弱。青根系旧技法痕あり。本来機能は、水腐れ反応の土壌深部侵入回避。推奨、現状維持、薬草根反応継続観察」


 ミラが筆を走らせる。


 ハンナは東側の帯を見つめたまま、ほっと息を吐いた。


「水腐れそのものが残っているわけではないんですね」


「はい。直接残留はありません」


 セリアはゆっくり言った。


「ここは、水腐れを避けるために作られた場所かもしれません。薬草の根が、深く入ってはいけない方向を知るための帯です」


 老女は、何も言わずに聞いていた。


 ただ、口元が少しだけ緩んでいる。


「つまり、昔の薬草係さんたちが……」


 ミラが顔を上げる。


「黒石祠を守るために、この畑を使っていたんですか?」


「黒石祠を守るため、というより」


 セリアは考えながら答えた。


「水と土を守るためだと思います。その一部として、黒石災害封じ祠の封印を支えていたのかもしれません」


 老女が頷いた。


「草にとって、祠の名前なんぞどうでもいい。水が腐らず、土が根を受けられるか。それだけだ」


 セリアは、その言葉を胸の中で繰り返した。


 祠の名前より、水と土。


 王都の責任線より、根の行き先。


 それが薬草係の見方なのだ。


 ハンナが東側の帯を見ながら言った。


「リベル村で作っている薬草土壌緩衝帯と似ていますね」


「はい」


 セリアは頷いた。


「でも、私は新しいものを作っているつもりでした。神殿式の浄化ではなく、薬草と土で受け止める方法を」


「違ったんですか?」


「違ったというより……」


 セリアは東側の帯を見つめた。


 そこは華やかではない。


 草も少ない。


 畑の端で、避けられる場所。


 けれど、そこに役目があった。


「昔の誰かがしていたことを、私は思い出そうとしているだけかもしれません」


 老女がふん、と鼻を鳴らした。


「それでいい」


「いいんですか」


「新しいことばかり偉いと思うな。昔の手を拾い直すのも、立派な仕事だ」


 セリアは、目の奥が少し熱くなるのを感じた。


 神殿で教わった浄化の術。


 聖女として期待された力。


 それらを否定したいわけではない。


 けれど、自分が本当にやりたいことは、ここに近い。


 光で消すことではなく、根が耐えられる場所を作ること。


 荒れた土を落ち着かせること。


 老女は、孫娘に目を向けた。


「小屋から木札を持っておいで」


 孫娘は少し驚いた顔をした。


「本当に出すの?」


「今出さずにいつ出すんだい」


「おばあちゃん、昨日もそう言ってた」


「今日も言う」


 孫娘は笑いながら薬草小屋へ走っていった。


 しばらくして、両手で古い木札を抱えて戻ってくる。


 煤けていた。


 端が少し黒く、長い年月で表面がざらついている。


 セリアはすぐに手を伸ばさなかった。


「触れてもよろしいでしょうか」


 老女は満足そうに頷いた。


「聞けるなら、触っていい」


 セリアは両手で木札を受け取った。


 軽い。


 けれど、驚くほど重く感じた。


 表面には、古い文字が刻まれている。


《腐り水を土へ入れるな。根で受け、根で逃がせ》


 ハンナが息を呑んだ。


 ミラは言葉を失っている。


 セリアは、その文字を指でなぞらなかった。


 触れるだけで削れてしまいそうだったからだ。


「これは……」


「古い薬草小屋にあった。意味は分からなかったが、東の帯を壊すなとは言われてきた」


 老女は東側の土を見た。


「根で受け、根で逃がせ。言うのは簡単だが、草には負担がかかる。だから同じ根に何度も受けさせるな。休ませろ。使い捨ての布をけちるな。畑も、人も、働かせっぱなしにするな」


 セリアは青根布のことを思い出した。


 灰青反応を一度だけ留めた布。


 再利用不可。


 ミード村の老女は、それを「鍋を洗わずに粥を煮るようなもの」と言った。


 今なら、もっと深く分かる。


 水腐れの反応を受けたものは、休ませなければならない。


 また使いたいなら、別の場所、別の根、別の布が必要になる。


 消せば終わりではない。


 受けたものの疲れを見なければならない。


 セリアは静かに言った。


「リベル村の薬草土壌緩衝帯にも、この考えを入れます」


「名前は?」


 老女が聞く。


「まだ仮名です」


「仮名は長く使うと腐るよ」


 ハンナが思わず笑った。


 セリアも少し笑った。


「では、考えます」


「考えすぎるな。根が青く反応するなら、青根でいい」


「青根……」


「青根緩衝帯」


 老女はあっさり言った。


「分かりやすいだろう」


 セリアは胸の奥で、その言葉を繰り返した。


 青根緩衝帯。


 水腐れを消すのではない。


 青い根で受ける。

 深く入れすぎない。

 逃がす。

 休ませる。


 それは、今のセリアが作りたいものに、確かに合っていた。


「青根緩衝帯……」


 ミラが記録板に書く。


「いい名前です」


 ハンナも頷いた。


「薬草土壌緩衝帯より、ずっと覚えやすいです」


 老女が言った。


「王都の偉い紙には長い名前を書けばいい。畑で使う名は短い方がいい」


「はい」


 セリアは深く頷いた。


 その後、木札の写しを取ることになった。


 直接墨を当てて拓本を取るのは危険だ。


 削れる可能性がある。


 だから、ミラが目で見て写す。


 セリアが一字ずつ読み、老女が横で確認する。


「腐り水を」


「土へ入れるな」


「根で受け」


「根で逃がせ」


 何度も確認した。


 急がない。


 字を正しく残す。


 ただし、木札そのものはミード村から動かさない。


 老女が言った。


「これはここにあった札だ。王都にもリベルにも持っていくんじゃない。写しを持っていきな」


 セリアは頷いた。


「はい。ここにある理由があります」


「分かってるじゃないか」


 老女は少し笑った。


 昼過ぎ、セリアたちはリベル村へ戻った。


 広間には、ダリオさん、トマ、ニコル、村長、リーゼさんが集まっていた。


 北沢の石列調査の記録もすでに並んでいる。


 セリアは木札の写しを机に置いた。


 その瞬間、広間が静かになる。


《腐り水を土へ入れるな。根で受け、根で逃がせ》


 トマが小声で言った。


「また強い言葉が来たな」


 ダリオさんは腕を組んだまま、じっと見ている。


「これは……青根布の理屈そのものだな」


「はい」


 セリアは頷いた。


「ミード村の東側の帯は、水腐れそのものが残っている場所ではありませんでした。水腐れを避けるための旧薬草緩衝帯候補です。根を深く入れすぎないための、迂回誘導が残っていました」


 ニコルが記録する。


「薬草畑東側帯、旧薬草緩衝帯候補。水腐れ直接残留なし。根系迂回誘導。青根系旧技法痕」


 村長が言う。


「青根系、か」


「はい」


 セリアは少し緊張しながら続けた。


「薬草土壌緩衝帯の名称を、青根緩衝帯へ変更したいです。仮称ではなく、作戦内の正式名として」


 広間が少し静かになった。


 トマがすぐ言った。


「いいと思う。覚えやすい」


 ダリオさんも頷く。


「機能にも合ってる。根で受け、根で逃がす。青根緩衝帯でいい」


 リーゼさんが短く言う。


「呼びやすい」


 ニコルは表紙の紙を一枚めくり、新しい見出しを書いた。


『青根緩衝帯記録』


 セリアは、その文字を見て小さく息を吐いた。


 自分の中で、何かが一つ定まった気がした。


 地下工房で、木札の写しと東側帯の記録を中枢室へ登録した。


 セリアも立ち会う。


 俺が登録文を読み上げた。


『ミード村薬草畑東側帯。旧薬草緩衝帯候補。木札写し。“腐り水を土へ入れるな。根で受け、根で逃がせ”。薬草土壌緩衝帯を青根緩衝帯へ名称変更』


 中枢室の青白い光が、静かに広がった。


 黒紫は動かない。


 灰青の影も出ない。


 代わりに、足元の土に似た、柔らかい青い線が表示された。


《青根緩衝帯:旧技法照合》

《機能:水腐れ反応の土壌深部侵入抑制》

《運用:一時受容/迂回/休止》

《青根布使い捨て方針:適合》

《命令核分離時の封印層保護に有効可能性》

《必要条件:外縁杭三地点安定》


 ニコルが読み上げる。


「青根緩衝帯、旧技法照合。命令核分離時の封印層保護に有効可能性。必要条件、外縁杭三地点安定」


 セリアは、目を伏せた。


 嬉しさよりも、責任の重さが先に来た。


「昔の技法に、繋がりました」


 ダリオさんが言う。


「新発明より、ずっと頼れることもある」


「はい」


「だが、昔の技法だから安全とは限らない。使い方を間違えるな」


「はい」


 セリアは深く頷いた。


「受けた根を休ませます。布を使い回しません。土を急がせません」


 リーゼさんが言った。


「それを作戦条件に入れろ」


 ニコルがすぐに書いた。


『青根緩衝帯運用条件:一時受容後は休止。青根布再利用不可。土壌疲労確認必須』


 夕方、王都へ報告が作られた。


『ミード村薬草畑東側帯確認。

旧薬草緩衝帯候補。水腐れ直接残留なし。根系迂回誘導あり。青根系旧技法痕。

ミード村薬草小屋より古木札の写し。“腐り水を土へ入れるな。根で受け、根で逃がせ”。

薬草土壌緩衝帯を青根緩衝帯へ名称変更。中枢室登録により旧技法照合。命令核分離時の封印層保護に有効可能性。

青根布使い捨て方針は適合。外縁杭三地点安定が必要条件』


 ニコルは最後に、老女の言葉も添えた。


『ミード村薬草係発言:新しいことばかり偉いと思うな。昔の手を拾い直すのも、立派な仕事だ』


 セリアは少し恥ずかしそうにしたが、止めなかった。


 夜、俺は個人記録を書いた。


『ミード村薬草畑東側帯確認。

見た目には悪い土ではないが、薬草が避ける帯。鑑定結果、旧薬草緩衝帯候補。水腐れ直接残留なし。根系迂回誘導、青根系旧技法痕あり。本来機能は、水腐れ反応の土壌深部侵入回避。

老女の教え:草が嫌がる土を、すぐ悪い土と決めるな。嫌がる理由を見ろ。

古木札写し:“腐り水を土へ入れるな。根で受け、根で逃がせ”。

薬草土壌緩衝帯を青根緩衝帯へ改称。中枢室で旧技法照合。命令核分離時の封印層保護に有効可能性』


 最後に書く。


『セリアは、新しい技法を作っていたのではなかった。

昔の誰かが水と土を守るために使っていた手を、拾い直していた。

消すのではなく、根で受ける。

深く入れず、逃がす。

受けた根を休ませる。

青根緩衝帯は、セリアの発明であり、同時に昔の薬草係たちの記憶でもある。

水腐れの核を封じたのは、祠だけではない。

井戸、石、薬草、人の手。

その全部が、外側から支えていた。』


 地上では、水車が回っている。


 その音の向こうに、ミード村の薬草畑が思い浮かんだ。


 東を嫌う草たち。

 嫌われ役の土。

 煤けた木札。


 そこには、王都の資料には残らなかった技法が、根の中に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ