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第102話 王都からの不穏な報告

遮断札二号の実地試験は、翌朝に予定されていた。


 だからその夜、リベル村は早めに眠るはずだった。


 旧水路下流の残滓掃除は地味だったが、思った以上に人を疲れさせた。水を濁らせないように黒い粒子だけをすくい、採取瓶に札をつけ、低濃度浄化を施し、封印保管する。


 戦いではない。

 だが、神経を削る作業だった。


 トマなどは夕食の途中で匙を持ったまま止まりかけ、ダリオさんに「寝ろ」と言われて本当に広間の壁際で寝た。本人は「目を閉じていただけ」と主張したが、寝息を立てていたことを子供に指摘され、しばらく黙った。


 水路は朝より澄んでいる。

 中央井戸も安定している。

 薬草予定地の芽も倒れていない。

 中枢室の表示も、遮断札二号の実地試験条件が成立したまま変わっていない。


 だから、少しだけ休める。


 そう思っていた。


 王都からの早馬が来たのは、夕食後の鐘が一つ鳴った頃だった。


 村の入口で犬が吠え、見張りの若者が慌ただしく走ってくる。トマは寝ぼけた顔のまま跳ね起きた。


「黒石祠か!?」


「違います。王都便です」


 ニコルが外へ出ながら答えた。


「王都?」


 ダリオさんの顔から眠気が消えた。


 王都からの連絡は、ギルド便を使うことが多い。

 それが早馬で来るということは、急ぎの文書だ。


 村長宅の広間に、俺たちは集まった。


 封蝋は行政庁。

 その上に、防衛局の確認印。

 さらに、ギルド記録官の小さな添え印もある。


 オルブライト行政官からの文書だった。


 俺は封を切り、読み上げる。


『リベル村村長ならびにレオン・アスター殿。

ローゼン侯爵家への限定調査は開始されたが、侯爵家側は全面協力を表明しつつ、対象資料の提出に遅延を生じさせている。

理由は、資料分類確認、管理責任者不在、旧式封印解除手続き未了など。

いずれも形式上は違法とまでは言えないが、明確な時間稼ぎと見られる』


 ダリオさんが低く言った。


「やっぱりな」


 俺は続きを読んだ。


『加えて、王都内および一部近郊にて、リベル村に関する不穏な噂が流布している。

内容は以下の通り。

一、リベル村は危険な古代施設を独自判断で操作している。

二、黒石祠反応上昇はリベル村側の不用意な干渉によるもの。

三、王都管理下に置かない限り、周辺村の井戸へ被害が広がる。

四、追放鑑定士と除名技師が、危険な術式を私的に扱っている』


 トマが立ち上がった。


「ふざけんな!」


 声が広間に響いた。


「俺たち、どれだけ気をつけてると思ってんだよ! 水量板だって触ってないし、祠も勝手に開けてないし、残滓だってちゃんと瓶に入れて――」


「トマ」


 セリアが静かに名前を呼んだ。


 トマは息を荒げたまま、彼女を見る。


「不安な人に怒鳴ったら、黒石祠の思う通りです」


 その言葉で、広間の空気が少し変わった。


 トマは口を開いたまま止まった。


 セリアは文書を見つめていた。


 目は怒っている。

 けれど、声は荒げていない。


「王都で噂を流している人たちが悪いとしても、それを聞いた人たち全員が悪いわけではありません。井戸が濁るかもしれないと聞いたら、怖いです。村を守りたい人ほど、不安になります」


 トマは拳を握りしめた。


「でも、こっちのせいにされるのは違うだろ」


「違います。だから、怒鳴るのではなく、分かるように見せます」


 ニコルが記録板を抱え直した。


「記録ですね」


「はい」


 セリアは頷いた。


「私たちが何をして、何をしていないのか。水をどう見て、どこで止めて、何を触らなかったのか。ちゃんと伝えるんです」


 ダリオさんが椅子にもたれた。


「セリア、すっかり紙の盾の人間になったな」


「嫌ですか?」


「いや」


 ダリオさんは少し笑った。


「かなりいい」


 リーゼさんは腕を組み、文書を見つめていた。


「これは、黒石祠への対応だけではないな」


「はい」


 俺は頷いた。


「政治的な揺さぶりです。リベル村が危険な独自管理をしている、という話にすれば、王都管理を正当化できます。ローゼン侯爵家への調査も、“リベル村側の危険行為を止めるため”という形にすり替えられる」


 村長は目を細めた。


「侯爵家は、村を崩せぬなら、村の評判を崩すつもりか」


「そう見えます」


 オルブライトの文書は、さらに続いていた。


『侯爵家側が噂を直接流している証拠は未確認。ただし、侯爵家に近い商会筋、旧技師組合関係者、王都管理派の書記官周辺で同様の言説が確認されている。

行政庁としては、リベル村および周辺村の現地対応記録が必要。

特に、井戸、水路、薬草予定地、黒石祠外縁安定化、水土見守り基点仮固定、残滓掃除の手順と結果について、整理された報告書を求める。

題名は任意だが、王都内説明資料として使用可能な形が望ましい』


 読み終えると、しばらく誰も喋らなかった。


 外では水車が回っている。


 その音が、今夜はやけに大きく聞こえた。


 トマがぼそっと言った。


「俺たち、明日森へ行く予定だよな」


「はい」


 俺は答えた。


「遮断札二号の実地試験があります」


「それも大事。でも、王都への報告も大事」


 トマは自分で言って、少し嫌そうな顔をした。


「なんか、俺まで役人みたいなこと言ってる」


 ニコルが真面目に返す。


「大事です。王都で変な噂が広がれば、周辺村にも伝わります。共同記録を始める前に、不信が広がるかもしれません」


 ダリオさんが頷いた。


「黒石祠の命令線は水だけじゃない。噂も流れに乗る」


「嫌な言い方ですね」


 セリアが言う。


「でも、その通りだ」


 ダリオさんは文書を指で叩いた。


「水路の残滓は、黒い粒として見える。だが、噂の残滓は見えない。見えないぶん厄介だ。誰が言ったか分からないまま、人の不安に混じる」


 リーゼさんが低く言う。


「なら、こちらも見えるものを出すしかない」


「記録ですね」


 俺が言うと、彼女は頷いた。


「ああ。井戸の水温、水路の濁り、触らなかった水量板、回避した外縁根、開けていない観測点。全部だ」


 トマが手を上げた。


「水量板、触ってないの、ちゃんと大きく書いてくれ」


「書きます」


 俺は即答した。


 ダリオさんも頷く。


「そこは本当に大事だ。水路を乱していない証拠だからな」


 トマは胸を張った。


「ほら、俺が触らなかったこと、王都に効くぞ」


「調子に乗るな」


「でも効くんだろ?」


「効く」


 ダリオさんは仕方なさそうに認めた。


 村長が杖を鳴らした。


「なら、報告書を作ろう」


 その一言で、広間の空気が切り替わった。


 眠るはずだった夜が、書類作成の夜に変わった。


 だが、誰も文句を言わなかった。


 ここで報告を怠れば、明日の遮断札試験の成功さえ、危険行為として扱われるかもしれない。


 守るとは、森の奥で術式を相手にすることだけではない。


 王都の紙の上でも、守らなければならない。


 ニコルが大きな紙を広げる。


「報告書の題名はどうしますか」


 全員が少し考え込んだ。


 トマが最初に言った。


「リベル村は危険じゃありません報告」


「却下だ」


 ダリオさんが即答した。


「早いな!」


「早い方がいい却下もある」


 セリアが少し考えて言った。


「黒石祠対応記録……だと、少し狭いでしょうか」


「水路や薬草も入りますからね」


 俺は王都文書に使える言葉を探した。


 オルブライトが見ても、そのまま説明資料にできる題名。


 感情的すぎず、けれどリベル村の対応力が伝わるもの。


 村長が静かに言った。


「外縁安定化と、水脈保全じゃな」


 ニコルが筆を止める。


「それを題名にしますか?」


 俺は頷いた。


「はい」


 そして、紙の上に書いた。


『黒石祠外縁安定化および地域水脈保全記録』


 広間が少し静かになった。


 トマが首を傾げる。


「長いけど、なんかちゃんとしてる」


 ダリオさんが言う。


「王都向けには、ちゃんとしてるのが大事だ」


 セリアは題名を見て、少し安心したように息を吐いた。


「危険なことをしているのではなく、安定化と保全をしているんだと伝わりますね」


「はい」


 俺は続けて章立てを作った。


 一、目的。

 二、黒石祠反応の発生状況。

 三、井戸および水路の監視体制。

 四、外縁安定化作業の経過。

 五、水土見守り基点の仮固定と本来導線保護。

 六、旧水路下流残滓掃除。

 七、禁じた行為。

 八、周辺村への影響と今後の記録計画。


 ニコルが目を丸くした。


「禁じた行為、も入れるんですか」


「入れます」


 俺は言った。


「何をしたかだけでなく、何をしなかったかが重要です。黒石祠を開けていない。観測点を開封していない。命令線を切断していない。水量板を操作していない。強い浄化をしていない。これらを明確にします」


 トマが力強く頷く。


「水量板、入った」


「入ります」


 ダリオさんは少し笑った。


「いい項目だ。王都の連中は、何をしたかばかり見る。だが今回は、何をしなかったかが安全の証拠になる」


 リーゼさんが静かに言った。


「剣を抜かなかったことも、守った証拠になる時がある」


 その言葉に、セリアが頷く。


「はい」


 報告書作りは、夜半まで続いた。


 だが、ただ長く書けばいいわけではない。


 王都で読まれる文書だ。


 噂に対抗するためには、分かりやすく、具体的でなければならない。


 まず、黒石祠反応の発生状況。


 いつ、中枢室が反応を出したか。

 旧水路下流でどの程度の黒粒子が確認されたか。

 中央井戸に濁りが出なかったこと。

 東側浅井戸に微弱低温化があったこと。

 ハルマ村、北沢集落、ミード村からの報告。


 次に、こちらが取った対応。


 黒石祠へ即時接触しなかったこと。

 井戸、水路、薬草予定地、治療所の保全を優先したこと。

 低濃度浄化水のみ使用したこと。

 強い浄化を避けたこと。


 外縁安定化作業では、二箇所成功し、一箇所は反発が強いため回避したと書いた。


 成功だけでなく、回避も書く。


 これは重要だった。


 危険な場所に無理に触れていない証拠になる。


 水土見守り基点については、黒石祠と同期していたが、観測点本来反応が残っていたため開封せず、中央井戸と薬草予定地を使った仮固定を行ったことを書く。


 ここは説明が難しかった。


 王都の役人に「薬草の芽を守ったら観測点が安定しました」とだけ書けば、笑われるかもしれない。


 だから、具体的に書く。


 薬草予定地土壌水に対し、本来反応中〜強。

 性質は水脈安定、土壌保持、微弱結界補助。

 観測点の本来導線候補として記録。

 薬草予定地の土壌保持線を安定させることで、観測点本来反応が維持された。


 トマは横から覗き込んで、眉をしかめた。


「難しいけど、これならちゃんとしてるな」


「王都向けですから」


「でも、芽が頑張ったって書かないのか?」


 セリアが少し笑った。


「それは別の記録にしましょう」


「別の記録?」


 ニコルがすでに小さな紙を出していた。


「薬草予定地観察記録ならあります」


「あるのかよ」


「あります」


 ニコルは当然のように答えた。


 村長が楽しそうに笑った。


「よい。王都へ送るものと、村で残すもの。どちらも大事じゃ」


 旧水路下流残滓掃除の項目では、トマが妙に緊張した顔になった。


 俺は読み上げる。


『旧水路下流において、黒石祠由来残滓を確認。水量板操作は行わず、底泥を乱さない方法で黒粒子のみを浅く採取。採取物は場所、時刻、採取者を記録し、低濃度浄化後、封印保管。作業前後の採水比較により、黒粒子反応の低下を確認。中枢室表示において、命令線負荷微減を確認』


 トマは真剣に聞いた後、ゆっくり頷いた。


「俺、ちゃんとしたことしてるな」


「しました」


 ダリオさんが言う。


「今日は本当にした」


「今日だけみたいに言うな」


「昨日も少しした」


「少しずつ増やすな!」


 眠気と疲れで、みんな少し笑い方が緩くなっていた。


 だが、報告書は着実に形になっていく。


 最後に「今後の計画」を書いた。


 遮断札二号の実地試験予定。

 目的は、黒石祠命令線の完全切断ではなく弱化試験。

 観測点開封、同期根切断、黒石祠本体接触は行わない。

 井戸、水路、薬草予定地の同時監視下で実施する。


 さらに、周辺村との共同記録の準備も入れた。


 ハルマ村、北沢集落、ミード村へ、井戸水温、水量、濁り、匂い、土の湿りの定時記録を提案する。

 噂ではなく記録で判断する体制を作る。


 セリアがその一文を見て、静かに言った。


「周辺村の人たちも、不安なんですよね」


「はい」


 俺は頷いた。


「だから、一緒に記録する方がいい。こちらが一方的に説明するだけではなく、向こうにも見てもらう」


 村長も頷いた。


「不安な者を黙らせるのではなく、見えるものを共に見る。それがよい」


 ダリオさんが言った。


「黒石祠の命令は、見えない不安に乗る。なら、記録で見えるようにする」


 リーゼさんは腕を組み、少しだけ口元を緩めた。


「水にも噂にも、濁りがあるのだな」


「いいですね、それ」


 ニコルが書きかけると、リーゼさんが少し慌てた。


「いや、今のは正式文書には向かない」


「村内記録にします」


「それも少し恥ずかしい」


 トマが笑った。


「リーゼが名言枠になってる」


「やめろ」


 夜半過ぎ、報告書は完成した。


 清書はニコルが行い、俺が確認し、村長が封蝋を押した。


 題名。


『黒石祠外縁安定化および地域水脈保全記録』


 厚い。


 王都へ送るには、少し重すぎるかもしれない。


 だが、軽い紙では噂に流される。


 この重さが必要だった。


 村長は封書を手にし、静かに言った。


「これを王都へ送る。だが、同じものの写しをハルマ村、北沢集落、ミード村にも送る」


 トマが驚いた顔をする。


「周辺村にも?」


「噂が届くなら、記録も届かねばならぬ」


 村長は言った。


「王都にだけ分かっても仕方ない。井戸を使う者が知る必要がある」


 セリアが頷いた。


「その方がいいと思います」


 ダリオさんも同意した。


「共同記録に入る前の土台になる」


 こうして、夜のうちに四通の写しが作られることになった。


 さすがに全員でやる必要はない。


 村長は強制的に休む者を決めた。


 トマは即座に休息組へ入れられた。本人は「俺も写す」と言ったが、ニコルに「字が乱れるので」と断られた。


「地味に傷つく断り方だな」


「すみません。でも本当なので」


「さらに傷つく」


 リーゼさんも休息組になった。

 セリアも半刻だけ休むよう言われた。


 俺とニコル、村長が清書を進める。


 ダリオさんは途中まで起きていたが、豆の椀を持ったまま寝そうになったため、リーゼさんに無言で椀を取り上げられた。


 夜明け前、王都行きと周辺村行きの文書は整った。


 空が白み始める頃、使いが出発した。


 王都へ一通。

 ハルマ村へ一通。

 北沢集落へ一通。

 ミード村へ一通。


 水車が朝の光の中で回り始める。


 旧水路下流の水は、まだ完全ではないが、昨日より少し澄んでいた。


 俺は眠気で少し重い手を動かし、個人記録を書いた。


『王都より不穏な報告。

ローゼン侯爵家は限定調査に協力姿勢を見せつつ、資料提出を遅延。

同時に、リベル村が危険な古代施設を独自管理しているとの噂が王都周辺で流れている。

侯爵家側の直接関与は未確認だが、村の管理能力を疑わせる動きと見られる。

対応として、黒石祠外縁安定化および地域水脈保全記録を作成。

内容には、行った作業だけでなく、行わなかった危険行為も明記。

黒石祠未開封、観測点未開封、同期根未切断、水量板未操作、強浄化未使用。

王都および周辺村へ送付』


 最後に書く。


『噂もまた、濁りのように流れる。

ならば、記録も流さなければならない。

水を見る者、土を見る者、井戸を使う者が、同じものを見られるように。

リベル村は、黒石祠だけでなく、噂の濁りとも戦い始めた。』


 明日は、遮断札二号の実地試験。


 森へ行く。


 だがその前に、村は紙を送り出した。


 リベル村は危険なのか。


 それとも、危険を見える形で抑えようとしているのか。


 その答えを、他人の噂ではなく、自分たちの記録で示すために。

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