2-3 「おい姪馬鹿、それサラッと言う事じゃないぞ?」
「……今も仕事中ですよ、外に居たのも掲示板を直していたからですし。アンリはまだジャンヌさんと電話していますので」
「えっまだ電話してるの? ジャンヌさん、やっぱり何かあったの? 昨日の日曜礼拝、珍しく休んでたし……」
ユスティンに会ったからと言って、イヴェットを置いてダッシュで帰るわけにもいかない。その場に居て2人の話を聞いていた。
「さあ。アンリの話を繋げると、飼い犬を外に繋いでたら何者かに殺された、って事があったらしいですが」
世間話のように言うので思わず突っ込んでしまった。
「おい姪馬鹿、それサラッと言う事じゃないぞ?」
この牧師にとってはイヴェット以外床の埃なのかもしれないが、それは許すまじき動物虐待だ。
「えっそれってココちゃんの事でしょ!? うわ、酷い……」
「な」
口に手を当てて驚き悲しむイヴェットに頷く。
「それはさておきイヴェットさん、とりあえず戻りません? 外は冷えますからね。ノアさんもさっさと帰ったらどうです? 夜は雨が降るそうです、別に良いんですけど濡れたら風邪引きますよ」
ムッとしかけたが、確かに風邪を引いたら大変なので「そーだな」と大人しく引き下がる。「さようなら」とユスティンの声がした。
「折角会えたのに残念……でも一人暮らしで風邪引いたら大変だもんね。引き止めてごめん、会えて嬉しかったよ! またね!」
「僕も久々に会えて嬉しかった。じゃあまたな」
逆にイヴェットには気遣って貰えたのが嬉しくて目元を和らげる。タイミングを見計らってまたこの前を通るのも楽しそうだ。
イヴェットに手を振って教会から離れ、通りを慎重に歩いていく。
霧が出ていると、幾ら歩道と馬車道が別とはいえ歩いている方だって怖い。
──飼い犬を外に繋いでたら何者かに殺された。
そんな嫌な話を聞いたから余計慎重になる。万が一にも犬猫を蹴りたくない。
母子とすれ違った際、キュッキュッと小気味良く鳴ってはピカピカ光るキッズ用シューズの音が耳に入った。
(そういえば)
同時に、ある事を思い出す。
ただの家出だろうが今、ミトズロッド高校で先輩の男子生徒が行方不明中なのだ。優等生で有名な人物が家出をした事に、校内は少しざわついている。
だからなのか。
普段は愛らしいキュッキュッという音が、今日はほんの少しだけ薄気味悪く聞こえたのは。
***
その死体は切り傷だらけなのに綺麗だった。
久し振りに霧が晴れ、早朝散歩中の人に発見された他殺体。
雨に降られたからか、血が綺麗に流れている。
クルト・ダンフィードは今、水溜りが出来ている早朝の路地裏の一角で惨殺死体を見下ろしていた。
「……」
臨場1発目の死体は思っていたよりもずっと凄惨だった。
座って壁にもたれ掛かっている、まだ高校生だろう少年だ。
制服姿のまま判別出来ぬ程顔面を切り刻まれ、裂かれた腹部からはみ出した腸が首にかけられており、喉も裂かれている。雨が降らなかったら現場は一面赤色だっただろう。
改名前のこの国で逃げおおせた19世紀のシリアルキラー、切り裂きジャック。
その怨念が再び血を求めたかのような死体だった。
きっとこの死体を、自分はふと思い出しこっそり唇を噛むのだろう。今だって動けないくらいなのだから。
他人の目から見たら自分は、人の多い現場でただ死体を見下ろしているだけ。きっとまた署内で悪く言われる。規制線の外に居る野次馬も何を思っているか。
「クルト、大丈夫か?」
その時。
後ろから声を掛けてきたのは、自分の相棒である眼鏡の先輩リチェだった。
「気分悪くなったら隅で吐いて良いぞ、ここまで酷い死体初めて見るだろ? 悪いな、せっかくの初現場なのに……雨が降った後である意味良かった」
普段は軽薄な青年であるリチェも今は真剣だ。
自分の横に立った先輩は一緒になって死体を見下ろしだす。その際リチェのプラチナブロンドの髪が、朝日を受け綿飴のようにきらめいた。
小さく首を横に振る。警察学校に行くのが早かったので18で警官になれた自分は、警官としてはまだまだひよっこだ。
しかしついこの前──連続連れ去り事件の時──切断遺体を見たばかりだ。凄惨さで言えばあっちも酷かった。
「ん……? どっかで見た事あるのか? まあ大丈夫なら良いか、けど無理するなよ」
一瞬不思議そうに呟いた先輩は、ゴム手袋をした指で死体を指差す。
「詳しい事は現段階じゃ分からないが、これだけ切り裂かれてたらひとまず怨恨の線で捜査する事になるだろうな。まだ若いのに何したんだか」
少し呆れた声はけれど落ち着いていて、こんな他殺体を見ても顔色1つ変わらない。
女好きで不真面目なこの先輩も一応刑事なんだな……と失礼な事を思ってしまった事は言わないでおく。
「制服で死んでるのは身元特定に役立つが、特徴の無い制服だな。所持品も無いし、面倒臭いスタートかもなあ」
今日も家には帰れないかなー……とボヤく先輩の横、遺体を良く見るべくしゃがみ込む。死体との距離が近付き、異臭が風に乗って漂ってきた。
リチェが言っていた通り、少年の服装はただのホワイトシャツに、無地の黒スラックス。制服に合わせる定番のベージュカーディガンを着ていなかったら、どこかの喫茶店の制服かとも思っただろう。
けれど。
これはツータックパンツ──パンツのウエストから裾までに入っているヒダが2本のタイプ──だ。
ツータックの制服は、黒の無地であるならエルキルスには1つしかない。
「家、きっと帰れるよ」
顔を上げ、今日初めてリチェとまともに目を合わせた。
「この人が、エルキルスの人だったら……これは、ミトズロッド高校の制服だから」
茶色いフレームの奥、ライトブルーの瞳が不思議そうに瞬く。
「ミトズロッド? 何で?」
問いに上手く答えられる自信が無くて俯く。念の為勉強した事がある、なんて恥ずかしくて言えない。
「…………ノアの」
数秒後、代わりに口から出てきたのはたった1人の友達の名前。
連続連れ去り事件の後も個人的に付き合うようになった友達と、この前夕飯に大量の肉を一緒に食べた。
「ノアの、高校の制服だから……」




