藤村雄大
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週末。
七月八日。土曜日。
蒼衣が住み着いて一週間。一人暮らしなので特に困りはしないが、お腹の辺りがぞわぞわとする。
あれから結局、真島清純とは会えていない。大学受験を控えている清純は予備校に忙しく、なかなか予定が合わないのだ。
しかし蒼衣がみんなで野球したいと言っていることはLINEで連絡をはしてあり、好意的な意見はもらっている。
昨日は放課後、蒼衣とバッティングセンターに行った。
自宅から自転車で十分くらいのところにある《あずま園》というレジャーセンターだ。
バッティングだけでなくオートテニスや卓球釣り堀などもある地元の遊び場である。
小さいころはよくここで遊んだ。
蒼衣や雄大、清純たちとバッティング練習に来た。ゲージが七個くらいの小さなバッティングセンターだが、思い出がつまっている。
蒼衣は、
「見ててー! 陽太」
なんて楽しげに笑いながらバットを持って一二〇キロの速球を華麗に打ち返していた。
そのバッティングフォーム――イチロー選手の《振り子打法》を真似たスタイルは、あのころと変わらず優雅だった。
元は右投げ右打ちだった蒼衣だが、動画サイトで見たイチロー選手に影響を受けて、四年生くらいの時に左打ちに転向したのだった。
難しい打法だが、蒼衣はセンスと負けず嫌いの性格であっという間に自分のモノにしていた。
子供のころは、そういう蒼衣がかっこいいと思っていた。
「あー、また外れかー」
前方のネットの上方には《ホームラン》と書かれた的があり、蒼衣は一生懸命に狙っていたが当たらなかった。
「あー、当たんないなぁ。大ちゃんはあんなにも当ててたのになぁ-」
「あいつは……、天才だから」
高校三年生の夏。強豪大宮学院でプレーする藤村雄大はプロ注目の強打者だ。
身長一八五センチの長身で豪快なバッティングを見せるほか、ショートの守備にも定評があり、強肩で俊足でもある。
昨年出場した甲子園では《イケメン選手》として注目も集めた。目鼻立ちがハッキリした彫りの深い顔だちは子供のころから変わらない。
野球を始めたのは、僕や蒼衣と同じ、小学校一年生の時だった。
そのころから雄大は周りより頭二つくらい大きくて、運動能力がずば抜けていた。
学校の運動会では六年間リレーのアンカーだったし、市内児童マラソン大会では何回も優勝していた。
六年生の時は百メートル走で県大会に出たこともあった。
王川ヤンキースにいたころから雄大は地域では有名な選手だった。中学生の時は、雄大を調査するためにスカウトが毎日のように来ていた。
雄大は僕とは違う、正真正銘のキラキラ星なのである。
*
七月八日。
午後二時。
「いやぁー、今日も暑いね!」
「そうだね……」
「空は今日も青い!」
狭山市駅から西武新宿線に乗り、本川越駅で降りたところで、蒼衣が楽しそうに笑う。
今日は午後三時ごろから雄大と大宮学院で会う約束をしている。
野球部は夏の大会のまっただ中で、練習に日々忙しいことはわかっている。
蒼衣が会いたがっていることをLINEで連絡すると、
【練習の合間なら少し話せるぜ】
と返事をもらっていた。
古都、川越は蔵造りの街並みが残る《一番街》や、和菓子、洋菓子問わず菓子店が並ぶ《菓子屋横町》や、恋人通しで鐘の音を聞くと幸せになれるという《時の鐘》等、観光スポットが多く、海外からの観光客も多い。
「人いっぱいだねー」
「土曜日だしね」
「川越は変わらないなぁ」
西武新宿線の本川越駅から、東武東上線と川越線が乗り入れる川越駅まで《サンロード商店街》を歩いて進む。
全長一キロ程度の商店街にはデパートや飲食店等多数のお店があり、一日遊べる。
「あー陽太! 見て見て! メイドカフェだって! メイドさんいるのかな」
「そりゃいるだろ。メイドカフェだし」
「むー、陽太つまんない」
「いや、面白くする必要ないだろ」
「バッティングセンターないかなぁ」
「昨日行ったじゃん」
「でもまた行きたいんだもん」
「じゃあ明日でも行くか」
「えー、今行きたいのー」
「子供か!」
商店街で駄々をこねる蒼衣は小さな少女みたいだった。
人の群れの中を十分程度歩いて川越駅に着いたところで、蒼衣は急に歩を止める。
「陽太、はい」
「……?」
蒼衣は僕に手を差し出す。握れ、ということだ。
「はぐれないように、ちゃんと掴んでないとだめだよ」
「いや……、そんな子供じゃないから」
「でも陽太、なんか頼りないから。昔、よく迷子になったし」
「それは昔の話しだろ」
「いいからはい! 行くよ」
改札へ向かう道は混雑していた。
蒼衣は僕の手をぎゅっと握って歩き出した。
*
数十分後。
JR川越線に乗り、大宮駅で降りた。高崎線や埼京線、新幹線も乗り入れる巨大なターミナル駅である。
変わらずの人混みをかき分けて駅前のロータリーを越える。照りつける陽射しは激しくて、
「いやー、やっぱり暑い!」
なんて蒼衣は手のひらで陽射しを遮る。
着替えは持ってきてないらしく、外にいるときは毎日、高校の制服を着ている。夜は僕のTシャツを着る。その間に洗濯し、また制服を着るというローテーションだ。
デニム地のショルダーバックを肩からかける蒼衣は快活に歩き出す。
手を引かれて後を追う。
十分程度歩くと私立大宮学院に着いた。
県内随一のマンモス校であり、生徒数は一〇〇〇名を越える。部活動も盛んであり、特にサッカーや野球等の体育会系の部は、全国各地から選手を集め、多額の予算をかけて強化している。
野球部は二年連続で甲子園に出場中。今年のドラフト注目株の三年生、藤村雄大は県内ナンバーワンの野手である。
学校の敷地は広く、校舎を囲うようにサッカーや野球のグラウンドが何面も設置されている。
その中の一つで白い練習着を着た野球選手たちが大きな声をあげていた。
「わー、かっこいー!」
一〇〇名を超える大宮学院野球部の練習風景は壮観だった。
テキパキと動く選手たち。かけ声は気合いがこもっていて、強豪校の緊張感を感じた。
「あれが大ちゃん? わー! おっきいねー!」
体格のいい選手たちの中でも一際目立つ長身選手。野球部の練習を見るなり雄大のことはすぐに発見出来た。
「大ちゃーん! おーい!」
蒼衣が手を振ると雄大はこちらに気づいたのか、軽く手を上げて応えた。
「待ってて」
と言わんばかりに何度か手のひらを見せた。
「うん! 待ってるねー!」
蒼衣が甲高い声を響かせると他の選手たちもこちらに注目した。
それから二十分くらい、大宮学院の練習風景を見ていた。
バッティング練習一つとっても中だるみせず、どの選手も集中力を保っている。鋭い打球がグラウンドを駆け巡る。
少し見ていたらちょうど雄大の順番が来た。十分くらい、快音を響かせる。その打球は鋭敏で力強かった。
打撃練習を終えると軽く汗を拭きながら、雄大はグラウンドの隅にやってきた。
「おー、久しぶりだな、ヒナ。それに……、蒼衣」
堂々とした雰囲気。声は低いがよく通る。眼光鋭い目は威圧感がある。
「大ちゃーん、久しぶり―!」
蒼衣は雄大に抱きついて再会を喜ぶ。ちょっとお腹の辺りがもぞもぞする。
「おー、久しぶりだな」
「大ちゃんおっきくなったねー!」
「大して変わらねえよ」
「そんなことないよ! 昔よりもっと大きくなった! ねえねえ、陽太とどっちが大きいかな?」
「雄大」
一八五センチの雄大は僕よりも二センチ大きい。だが胸板や二の腕の厚みには大きな差がある。
「変わったのはヒナだろ。まさかそんなに背が伸びるなんてなぁ」
「ねー! びっくりだよね!」
「ヒナの努力の成果だな」
「うんうん」
「いや……、別に……」
子供のころは学年一背が小さかった。野球は好きだったけど、センスはなくて、ヤンキースのお荷物だった。
足も遅く肩も弱い。動きは鈍重で体も硬かった。
だけど野球が好きだった。好きだったから努力出来た。上手くなりたい。自分も、蒼衣や雄大みたいに活躍したい。そんな気持ちが僕を駆り立ててくれた。
中学生になってから、毎日、筋力トレーニングと二キロの早朝ランニングを始めた。
ランニングのホームコースは入間川の河川敷だった。筋トレは腕立てをしたり、ダンベルを使ったりした。
「筋肉をつけるには食事も必要だぞ」
と友達の篠ノ崎晴臣に言われて、栄養学も独学で勉強し始めた。
成長ホルモンに必要な亜鉛、タンパク質、ビタミン……、食が細くて好き嫌いも多かった僕だけど、母に聞いたりしながら成長に必要な栄養をとっていった。
「中二くらいからだったな、ヒナがでかくなったのは」
「へー、そうだったんだー」
「ああ。それで急激に身体能力も高くなったよな、お前」
中学二年生の一年間で、身長が二〇センチ伸びた。三年生になっても成長は止まらなかった。
小学校卒業時点で一四五センチだった身長は、中学校卒業時には一七八センチまで大きくなった。
王川中では雄大に次いで身体能力が高くなった。三年の時はリレーのメンバーに選ばれて、真島清純や藤村雄大と共に三年二組の優勝にも貢献した。
「みんな驚いてたよ。まあ俺はお前の努力を知ってたから、当然だって思ってたけどな」
「陽太、結構努力家だったもんね。下手なのに一回も練習休んだことなかったし!」
「ああ、そうだったな。ヒナはそういうやつだったよな。昔は」
桜ヶ丘学園に入学してからも身長は伸びた。
急激に身長が伸びても、筋力の成長が追いつかず、ただ”でかいだけ”ということにならなかったのは、毎日の筋トレと、ランニングのおかげだったのかもしれない。
ポジションはずっと内野手だった。
しかし高身長だったからか、桜ヶ丘の監督に期待してもらい、高校からは投手の練習もするようになった。
全てが夢のようだった。
「それで? 今日はなんの用?」
「あ、あぁ……、それは蒼衣ちゃんが」
「うんうん! ねえ大ちゃん! 私ね、また昔のみんなで野球がやりたいの!」
「昔のみんな?」
「そうそう! ヤンキースの……、あのころのみんなでね、青春の最後に野球がしたいって思って誘いに来たの!」
「野球か……」
雄大は昔を思い出すように空を眺める。あのころと変わらないのは空の青さだけ。
「いいじゃないか、野球。やろうぜ」
「ほんと? 大ちゃん!」
「ああ、ヒナもやるんだろ?」
「あ、あぁ……」
「みんなで気楽にやる草野球って楽しそうだし、いいと思うぜ、俺は」
「大ちゃん」
「甲子園が終われば時間もとれるだろうし」
「甲子園?」
「ああ、そうだ。今年も甲子園に出場してな。今度こそ優勝するつもりだから、俺は」
大宮学院は二年連続で甲子園に出場中だ。
昨年はベスト一六まで進んでいる。プロ注目の雄大だけでなく、他の選手も総じてレベルが高い。
「優勝して、秋のドラフトで一位で指名されてプロになる。それは目標じゃなくて、計画だ。夢を叶えるためにずっと頑張ってきたんだから」
「か、かっこいいね、大ちゃん……」
「そう?」
「うん! なんか自信たっぷりって感じ」
「まあな。それだけのことをやってきた自信はあるよ」
真っ黒に日焼けした肌。たくさんの生傷を越えてきたであろう分厚い肌。雄大の姿に自分を重ねる。
「まあ、ヒナにはわからないだろうけどな、俺の気持ちは」
「え?」
「……」
「あんなにも努力したのに、野球から逃げ出したんだからな」
「逃げ出して……ないよ」
「そうか? 俺には逃げているようにしか見えないけどな」
「逃げてない」
「へー、じゃあ今から野球部に戻って野球やれよ。今年の桜ヶ丘も強いんだろ? 俺と大会で戦えよ」
「い、いや……それは」
「なんだよ? やっぱり逃げてんじゃねえか」
「逃げてない!」
「逃げてるよ、お前は。あれからずっと」
「ふざけんなよ! お前! なんだよ、さっきから!」
「はぁ? ヤワなことを言いに来たのはお前らだろうが」
「ヤワなこと?」
「こっちは甲子園目指して必死こいてんのにさ、なんだよ。昔のみんなで野球やろうって? バカにしてんのか? 俺の努力を」
「してねえよ! 俺たちはただ、青春の最後に昔を思い出して楽しくやろうって誘いに来ただけじゃん!」
「それをバカにしてるって言うんだよ!」
「なんでそうなるんだよ!」
「ちょ、ちょっと二人とも……」
蒼衣が困惑している。あいだに入って喧嘩を止めようとするが、蒼衣には無理。
あのころとは違う。僕らはもう一八〇を越える大男だから。
「お前には才能があったじゃねえか! 神様が才能をくれたんだろ! それはお前が必死に努力したからじゃねえのか? ああ? ヒナ」
「それとこれとは関係ないだろ!」
「お前は逃げ出したんだよ。プレッシャーからも、周囲の期待からもな」
「違う……、俺は」
「違わないよ。お前は弱虫だ。そして負け犬だ」
「ッふざけんなよ! お前になにがわかんだよ! 大切な人が俺のせいでいなくなった! その辛さがお前にわかるかよ!」
「大切な……人?」
「ああ、わからないね。弱虫の気持ちなんて」
「……ッ! この……、野郎ッ!」
僕は思わず雄大の胸ぐらを掴んだ。
「んだよ! このクズがッ」
雄大は大きな声で威圧する。
「ちょ、ちょっと二人とも……、お、落ち着いてよぉ……」
蒼衣の声は耳に入らない。夏の陽射しよりも、今は胸の中が酷く熱い。
「人の痛みもわからないような奴にはな、野球の神様だって微笑まないぞ」
「ハッ、そんなもんいらねえ。俺は自分の実力で勝つんだよ」
「傲慢な奴」
「ヒナ……、勝負は運に頼ったら負けだぞ。勝つ時はいつも実力だ」
「ピー! ピー! はーい! 終了ー! 喧嘩は終了ー!」
蒼衣がおどけた様子であいだに入る。無理矢理に僕らの胸元を押して、引き離そうとするがその力が弱くて驚く。
そっか。蒼衣は女の子なんだ。
僕は大きくなった。
あのころとはもう違うんだ。
「クソが……、離せよ!」
と雄大は僕の手を無理矢理に引き離して踵を返す。
「おい! 雄大!」
「そろそろ練習に戻らないとな。お前と違って暇じゃないんで」
「このッ……野郎」
「じゃあな、蒼衣。野球……、いいと思うからまた誘ってくれや」
「え……? あ、……うん」
「誰がお前なんか誘うか」
「ちょ、ちょっと陽太! 誘うよ! ”みんな”でやるんだから」
「ハハッ、ま、とりあえず俺は甲子園行くわ。見てろ、蒼衣、ヒナ。俺の本気を」
「大ちゃん……」
そう言うと練習に戻っていった。その後ろ姿は名前の通り大きな岩のように雄大だった。




