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Everything In Transit

 少し経って、空はより一層に暗くなり太陽はもうどこにも見えない。午後六時四五分。夜の花火は七時から。

 蒼衣と僕は河川敷の《狭山―川越遊歩道》のベンチに座って夏の夜空と、入間川を見ている。

 雲一つなかった空。夏の夜空には星空が輝いて見える。

「ねえ、どれが天の川なの?」

 疲れたのか、また大人しくなった蒼衣はぽつんとベンチに座って空を見てる。澄んだ大きな瞳に星が反射して漫画みたいにキラキラと光っている。

「さあ? わかんない」

 星座には詳しくない。

「つまんないなぁ」

 蒼衣は唇を尖らせて言った。

「私を元気づけるための今日じゃないの? それくらい調べといてよ」

「いや、星座までは考えてなかった」

「だめだなぁ、陽太は、相変わらず」

「そうだよ。俺はだめだよ。全然」

 夜空に輝いている星を、蒼衣はどんな気持ちで眺めているのだろうか。わからなかった。

「だめなの?」

 と振り返って僕を見る。

「いや、だめじゃない」

「え? どっち?」

「だめだけど、だめじゃないよ」

「意味わかんない」

「俺さ……、なっちゃんと付きあうことになった」

「え? そうなの?」

 と蒼衣は今日一番の驚いた顔で目をぱちくりさせる。

「うん……」

「えー! いつからー?」

「ん……一週間くらい前、から」

「わー! おめでとう!」

蒼衣は手のひらを合わせて気持ちを表現する。

その仕草は女の子らしかった。

「……ありがとう」

「……それにしては嬉しそうじゃないけど?」

「まぁ、色々あって」

「せっかく出来た彼女なんだから大事にしないとだめだよー、少年」

「それ好きだよな、蒼衣ちゃん」

「それ?」

「少年、って言い方」

 蒼衣だって少女なのに、上から目線に感じて腹が立つ。

「だって陽太は少年じゃん」

「でも、蒼衣ちゃんだって少女でしょ」

「もう大人だよ」

 蒼衣は風に吹かれて流れた前髪を耳に掛け直す。

「もう一八歳だもん。もう大人だよ」

「小さいころからしたら、そうかもなぁ」

 小学生のころは、もう遙か彼方。全てが昨日になって思い出に変わった。もう戻れない。二度と触れることが出来ない。

「うん……、そうだよぉ」

 蒼衣は悲しげな顔で下を向く。

「私、これからどうしよう……」

 声だけで悩みの大きさが伝わる。

「私、高校も行ってないしひきこもりだし……」

「行ってるじゃん」

「でも通信制だし……、スクーリングも出てないし……」

 通信制高校の事情はよくわからないが、高校は高校だと思う。

「多分、補習のレポート出せば卒業は出来るけど……、大学とか行くのも無理だし……、友達もいないし」

「こっち戻ってくれば?」

 ナイーブな蒼衣の悩みにあれやこれやと軽口は叩けないが、少なくとも近くに来てくれたら一緒に遊んだりすることは出来る。夏海はわからないが、清純やあかりたちも多分、遊んでくれる。

「俺らは友達でしょ」

「だけど……、こっちに家ないし……、お母さんにこれ以上迷惑かけられないし……」

「うーん……」

 これといった人生相談の答えを持っていない僕は、蒼衣が言うようにまだまだ子供なのだと自覚する。だけどいつまでも子供ではいられない。

 言葉に困ってスマホのロックを解除してみたりする。ホーム画面に表示された時間は六時五〇分。

「そろそろ花火……だね」

 赤や黄色、蒼や緑、色鮮やかな花火が夜空を彩って星になる。やがて虹色に染まった空を渡れるような気がしていた。

「蒼衣ちゃん……」

「あー、私の人生どうしてこうなっちゃったんだろうー」

 なんて、のけぞって足をばたつかせる。みんないろんな思いを抱えて生きている。いつまでも少年少女のままではいられない。気がつけば今日は昨日になるけれど、だけど今日がなくなるわけじゃない。ここにいた。その事実はいつまでも変わらない。

「変わらないままで、いたかったなぁ」

 蒼衣が呟いた言葉は入間川の水分をふくんだ風に乗ってどこかへ飛んでいく。

 世界は移動していく。

 声が変わって背が大きくなって、僕らは大人になっていく。校庭から見ていた晴れた空が、夕暮れになり、瞬く間に夜になる。雲一つなかった空には星が輝いて、天の川で愛する二人が出会う。

 変わらないものはどこにもない。

「どこで間違っちゃったんだろう……」

 と蒼衣は諦めたように言った。

「蒼衣ちゃん……」

 僕はさっき言いかけた言葉を言おうと思った。

「変わらないものなんてさ、なくてよかったんだよ」 

「……?」

 蒼衣は諦めたその瞳で僕を見る。

「……? どういうこと?」

「みんな変わっていくってことはさ、蒼衣ちゃんの世界だってこれから変わるってことじゃん」

 世界は僕らを置いてきぼりにして身勝手に進んでいく。それは時々、寂しい気持ちになるけれど、だけどいいことだってある。

「世界は自分勝手なんだよ。勝手に、俺たちを辛くしたり、勝手に、楽しませたりする」

「どしたの? 陽太。急に」

 と蒼衣に僕の言葉はまるで届いてないどころか、話の腰を折られそうになる。

「なんか中二病みたいなこと言い始めて……」

「変わっていくから、蒼衣ちゃんの痛みだって、いつか終わるって、そう思わない?」

 楽しかった日々が終わっていく。季節が変わって花が枯れていく。でもまた夏が来たら花が咲くように、楽しい日々もまたやってくる。

 昔、公園で遊んだ、あのシーソーみたいに行ったり来たり。

「……? なに……? 急に、疲れてるの?」

「疲れてないよ。実は最近、また野球の練習始めたんだ。ランニングしたり筋トレしたり、壁あてとか素振りとか」

「へー。なんで?」

「俺さ、……大学入ったらまた野球やろうと思ってる」

 推薦で進学予定の都内の大学は野球の強豪校ではないが、弱くもない。高校の先輩もいる。

「えー? そうなの?」

「うん。なんかさぁ、やっぱり俺には野球しかないなって思って」

「……そっか」

「うん。まあ、プロとかはもう無理だとは思うしさ、PTSDのこととかもあるけど……、でも……ね」

 蒼衣はつぶらな瞳を丸くさせて言った。ちょっと湿った声だった。

「上手くいくといいね」

 疲れたのか段々と言葉が少なくなっていくのを感じていた。

「うん」

 意味深げな蒼衣の表情を僕は観察していた。蒼衣は嘘ばかり。でも、勘が鋭くて人の嘘も見抜ける。

 だけど僕も嘘つきだ。野球を再開するのは、好きだから、だけじゃなかった。今日、雄大をここに連れてくるために、ある取引をした。

【じゃあヒナ、お前が大学からまた野球やるんだったら行ってもいい】

 それが雄大が出した条件だった。

 僕はその条件をのんだ。でも嫌々じゃない。蒼衣と一緒にまた野球に触れて、僕は自分の中にある野球の大切さに気がついたんだ。

 でも、その取引のことは蒼衣には言えない。

「ほんとシーソーだよ。行ったり来たり、俺の人生も野球も、そんな感じ」

 また野球をやることを、夏海はどう思うだろうか。友達じゃなくなった夏海は、ちょっと恐い気がする。僕のことを心配してくれるのは嬉しいが、適当なことをすると怒られそうだ。夏海は優しいけど、実は気が強くて頑固だから。

「空、もう真っ暗だね」

「そだねー。私の人生も真っ暗だ」

「でもさ、星が綺麗じゃん」

「なに? かっこつけて」

「違うよ。この星もさ、綺麗だけど、朝になったらまた見えなくなっちゃうんだよ」

「そうだね」

「でもさ、そしたら今度は朝焼けが綺麗で、それが終わったら、青空になって、夜になったら暗くなって寂しいけど、でもまたこうして星が輝いて……」

 見上げた星空の名前は僕にはわからない。

「そうやってさ、上がったり下がったり、どんどん変わっていく。人生もさ、きっとそんなもんじゃないのかなって最近思うんだ」

「ふーん」

 と蒼衣はつまらなそうな顔で言う。

「よくわかんないよ。私、バカだから」

「ま、そうだろうとは思ったけど」

「なんだとー。陽太」

「でもさ、今日は楽しかったでしょ?」

 あのころみたいに元気いっぱいにグラウンドを駆け回る蒼衣の笑顔は、今日だけは絶対に嘘じゃなかった。

「……うん」

 蒼衣は恥ずかしそうにうなづいた。

 風が甘い。

「楽しかった」

「だったら、きっと大丈夫だよ」

「大丈夫?」

「そう。嫌なことばかりじゃないよ」

「なんでそんなこと言えるの?」

「だって今日は楽しかったんだから! これからも楽しいことはたくさんあるよ!」

「……」

 蒼衣は何も言わずちょっと下を向いて、パーカの袖をまくって左手首の傷跡を触った。

「……かなぁ」 

「うん」

「だったら……いいなぁ」

 そうやって微笑した蒼衣の顔は屈託がなくて綺麗だった。

「またあの野球ゲームでもしようぜ。蒼衣ちゃんも結構、プレイしてるって聞いたよ?」

「あ、あぁ……うん?。そう。私、ひきこもりだからネット対戦ばっかりやってて、今、レート一八九〇で、日本三〇位で……」

 と蒼衣は急に早口になって言った。

「え? そうなの?」

「うん……、はは、まあ時間だけはあるから……、上手くなっちゃって」

「えーすごいじゃん」

「すごくないよ、暇だっただけ」

「そんなことないよ」

「はは……かなぁ」

「将来の夢出来たじゃん」

「え?」

「プロゲーマー」

「えー、無理だよー、そんなのー」

「やってみなきゃわからないじゃん」

「……かなぁ」

「うん。人生なんてそんなもんだよ」

 上がったり下がったり。

 行ったり来たり。

 そんな風に世界は廻っていく。

――数秒後。

 夜空に上がった花火は例年通りに華やかだった。

「わー、きれい……、花火なんて久しぶりだぁ……、ひきこもりだったから……」

「綺麗だね」

「うん……、きれい……」

 潤んだ瞳は花火が反射して輝いていた。少し眠たそうな蒼衣。

「また来年も来ようよ。みんなでさ」

「あ、うん。来たい……なぁ」

「また野球やってさ……、ああそうだ。毎年の恒例にしようよ。七夕祭りの日にみんなで野球やるってさ」

「ああ……、いいかも」

「うん。いいじゃん。楽しそうじゃん」

「うん! 楽しそう」

「一年に一回集まる俺たちはみんな織姫と彦星」

「えー、気持ち悪いよぉ」

「そうかなー?」

「全然だめー。織り姫と彦星は二人だからいいんじゃーん」

「そうかなぁ」

「うん……、やっぱり陽太はだめだね」

「だめか……」

「でも……、いっぱい、いっぱいありがとね」

 蒼衣はそう言って気恥ずかしそうに笑った。

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