七夕祭り
*
関東三大七夕祭りと言われる入間川七夕祭りは、昨日と今日の二日間で四〇万人を超える人出をカウントする巨大なイベントである。
西口公園から坂を下りて七夕通り商店街へ向かう。二〇〇を越える屋台が並び、空は竹飾りや鮮やかなくす玉で普段と違う様相を見せる。
全長一キロ程度続くこの光景をあのころも蒼衣と一緒に見た。背が高くなって、あのころみたいに人の渦で迷子になることはもうない。蒸し暑い。人の熱気。照りつける太陽。握りしめた蒼衣の体温。全てが、熱く感じる。
「ね? 陽太。的当てがあるよー」
と蒼衣はちょっとだけ楽しそうに出店を指さす。そこはカラーボールを景品に向かって投げて商品を当てたら獲得出来るゲームのお店だった。
「ね? やろうよ」
「ん……」
「スーパーエースの陽太だったら、楽勝じゃん?」
「もう引退してるから……」
「おねがい」
と蒼衣は女の子の顔で言った。
「私のために連れてきてくれたんでしょ?」
「そ、それは……」
「だったら、ちゃんと私のこと元気づけてよ」
そう言われたら、何も言いかえせない。
「わかった」
僕はお店のお兄さんに二〇〇円を渡す。ワンゲーム五球で二〇〇円。「見てろよ」
カラーボールをもらった。硬球と同じくらいの大きさで手に馴染むが、重さが軽い。
「蒼衣ちゃんはどれが欲しい?」
台に並んだ景品はクマのぬいぐるみやお菓子のセット、テレビゲームなど多数ある。
「くまちゃん」
と蒼衣はぼそっと言った。
「おっけー、任せろ」
と僕は大きく振りかぶって、一球目を投げた。
「おー?」
と蒼衣が驚いたようなバカにするような声を出して、僕の夏はより一層暑く燃えた。
*
「陽太……わたあめ」
それから一〇分後。七夕通り商店街を入間川の方へ向かって歩いている。
「食べたい」
ぼそぼそとつまらなそうに言う蒼衣だが、その手にはしっかりとクマのぬいぐるみが抱きしめられている。僕が八〇〇円かけて頑張って取った貴重品である。
「じゃあ買えばいいだろ。自分で」
僕はもうお金がないのである。
「えー、やだよ」と蒼衣はばっさりと切り捨てて綿飴屋で「大きいのふたつください」と店員に注文をする。「はーい」と店員のお兄さん。「六〇〇円でーす」
「六〇〇円だってー、陽太。よろしくね」
と蒼衣は冷めた感じで言う。
「なんでだよ!」
「えー、陽太の分も頼んであげたんだからいいじゃん」
「意味不明だ!」
と怒るが、やっぱり蒼衣を前にするとどうにも言われるがままになってしまうのである。結局、僕が全額をおごることになった。
綿飴を食べながら再び歩き始める。交差する人たちをかき分けて空を彩る笹の葉が風になびいている。
「せじゅん、いないのかな」
清純の家。カフェドルーチェの前を通る。祭りの日も営業は変わらず行われていて、清純曰く「一ヶ月分稼げる」かき入れ時でもある。
「予備校だって」
清純は大学進学を控えており受験勉強に忙しいらしい。結局、蒼衣が狭山にいたときは予定が合わず一度も会えなかった。
「へー、みんな忙しいんだね」
「俺は暇みたいな言い方するなよ」
「ん? いーじゃん。私も暇だもん」と蒼衣はニッっと笑って、「私たちやっぱり相性抜群だね」と言った。
「……、だから変な言い方するなって」
「……? 何が変?」
「う、うるさいな」
「私、わかんない。教えて、陽太」
「自分で考えろよ、変態親子め」
と僕がツッコむと、蒼衣は一息を吐いて笑った。
七夕通りを歩いていくと、七夕公園という小さな公園に着いた。他の場所に比べ、子供や中高生の比率が高い気がする。ベンチや遊具に腰掛けて、テレビゲームをしたり、スマホをいじったりする人たち。
「あ、あれって」
公園の中にある簡易的な展示ブースを見つけた蒼衣は、ちょっとだけかけ足で歩いていく。テントで日よけがされたブースの入り口には、《七夕祭り絵画コンクール》という看板が立てられている。
「わー、懐かしいなぁ」
市民が参加する絵画コンクール。小学生、中学生、高校生、一般の部に別れていて、市内の小学生に関しては全員参加だ。図工や道徳の時間を使ってコンクールの絵を描いた記憶がある。題材は七夕に関する絵であればなんでもいいので、僕はこの七夕祭りをテーマに選んだような気がする。結果はもちろん落選であったが……。
「昔描いたね……」
「蒼衣ちゃんの絵は飾られたりしてたもんね」
蒼衣は何をやっても器用だったから、時々、入選してこうして祭りの日に飾られていた。
「私、センスいいから」と勝ち誇る蒼衣は昔みたいだった。「顔もいいし」
「自分で言うな」
「え? だって事実だもん」と言われると何を言えばいいかわからなくなる。
「陽太だってそう思うでしょ?」
「……、わ、悪くはないと思うけど」
「ふふ、陽太、顔赤いよ?」
「う、うるさいな! 行くぞ、もう」
と僕は蒼衣の手を引っぱって公園の反対方向へ行った。
一〇〇メートル四方くらいの小さな公園だが、人が多い。反対側の入り口を中心として、巨大な竹のオブジェクトが空を割って立っている。七夕祭り。祭りのメインは夜の花火と縁日、そしてこの巨大な竹に願いを掛けて飾られる短冊である。音質の悪い《七夕》という童謡がどこからか聞こえる。「さーさーのはー、さーらさらー」と蒼衣が綺麗な声で歌う。「屋根まーでとーどーく」と歌う姿は子供みたいで可愛い。
「ね、織り姫と彦星って、陽太たちと私みたいだね」
「え?」
「一年に一回だけ会える。織り姫と彦星」
夏の夜空に輝く天の川。こと座のデネブとわし座のアルタイル。天の川を間に挟んで輝く二つの星から、古代の中国で生まれた物語。
働き者のアルタイルは、天の川の神様によって縁談をさせられる。その相手は、ベガ。ベガは手芸が得意だったが家にこもりがちで出会いがなかった。二人は出会ってすぐ恋に落ちて結婚する。
だが恋に溺れた二人は堕落し、働かなくなったため、神様によって引き離されてしまう。後悔した二人は神様に頼む。
「一生懸命働くので、一年に一回だけでいいので会わせて下さい」
神様はそんな一生懸命な二人をついに認めて、年に一回、七夕の日に会えるようになった。
そこから転じて、願いごとが叶う日、というイベントになった。
「んー……年に一回だけ会える、わけじゃないから違うんじゃない?」
それに愛しあってもいないし結婚もしてない。
「えー、でもそれっぽいじゃん。ずっと会ってなかったし、親の都合で引き離されたし!」
と蒼衣は妙に拘っている。
「私たち織り姫と彦星だよ!」
「まぁ……、距離って意味ではそうかも」中々会えない。
「そうだよ! 私は蒼衣姫」
「自分で言う? そういうこと?}
「え? なにが」
と蒼衣はとぼけている。
「私中学中退だからわかんないなぁ」
「高校行ってるでしょ」
「でも通信制だし……、ほとんど勉強しなくても卒業出来るところだから……」
通信制のシステムはよくわからない。諒が池袋の通信制に通っているからもっと聞いておけばよかった。
「陽太たちとは違うんだよ」
蒼衣は酷い影を公園に呼ぶ。
「私はひきこもりだから」
と蒼衣はつないだ手をそっと離す。
「そう変わんないよ」
――ブルルルと携帯のバイブレーターが振動するが、とても確認する気分じゃない。
「変わるよ。私は……もう普通の女の子じゃないし」
蒼衣が生きてきた人生は、詳しくは知らない。あの日、おばさんに聞いただけで、それ以外のことは知らない。蒼衣が不登校になってから、どういう風に生きてきたのかは、想像する以外にはない。
「でもね? 陽太たちと一緒にいると、ちょっとだけ普通になれた気がした。昔の私に戻れたような、そんな気がしたんだよ」
大きな竹に飾られたたくさんのカラフルな短冊を蒼衣は遠い目で見つめている。軽く手にとって、人の願いを見て、思いつめた顔をしてる。
「最初は……、嘘だった。陽太に会うのに……、こんな暗いひきこもりな私は見せられなかった。だから……、昔の私を演じてた」
「……今の蒼衣ちゃんも可愛いと思うよ」
「ありがとう」
と言うが何も響いてない顔。
「だけど……、ずっと一緒にいるうちにそれが普通になった。嘘じゃなく、自然にあんな風にいられた。それは陽太のおかげだよ。ありがとう」
そんなお礼は要らなかった。そんな言葉欲しくない。伏し目がちなその顔が笑って欲しかった。
「でも……、やっぱり無理だったんだ」
希望が詰め込まれた短冊を見ながら、蒼衣はそうして未来を否定する。
「無理だった。私はもう変われない。昔みたいにはなれない。あんな私を演じることは出来ても、あんな風には……生きられない」
蒼衣の言葉は難しくて、野球ばかりやってきた僕の脳味噌では処理が追いつかなかった。
照りつける太陽。青い空。竹の飾り。賑わう人の声と熱気。蒼衣と遊びに来たあのころの祭りと何も変わらないのに、でもここにはただ、キミがいない。
「みんな変わっていっちゃうんだ。何もかも」
古ぼけた公園のブランコ。ベンチ。鉄棒。シーソー。少しだけ錆びて、少しだけペンキが落ちた気がする。
「昔、遊んだね。あのシーソー」
「蒼衣ちゃんに転ばされたっけ」
「違うよ。陽太がバランス崩して勝手に転げおちたんでしょ」
「だって蒼衣ちゃんの勢いがありすぎて」
「陽太が運動能力低すぎただけだよ」
あのころ、祭りの合間にシーソーで遊んだ。アイスを食べながらシーソーに乗って、蒼衣が勢いよく動かすものだから僕はアイスもろとも転げおちた。
「使用禁止、だって」
蒼衣が諦めたように呟く。シーソーには使用禁止と書かれたテープが何重にも渡ってかけられている。
「変わらないものはどこにもないんだね」
あの日と同じ言葉が、過去を蘇らせる。あの時と同じように、深い哀しみに満ちたその声に僕は返す言葉をなくした。
「陽太も変わった。みんなも……、変わった。なーちゃんも、大ちゃんも、あかりんも……、あのころのみんなも、風景も、もうどこにもない」
蒼衣は何も書かれていない短冊を手にとって、じっと見つめる。
「願いごとか……、陽太はなんかある?」
と、ケースに入った大量のボールペンから一つとって僕に渡す。
「私は特にない……けど」
そうやって蒼衣はちょっとだけ笑った。その笑顔が言いようもなく切なくて、僕は蒼衣を抱きしめたいと思った。
「蒼衣ちゃん!」
と僕は蒼衣の手をぎゅっと握る。
「……? なに?」
とまるで動じた様子がない蒼衣は自暴的だった。
「私とチューでもしたい? はは……それが願い?」
とバカにするように言った。
「来て!」
僕は蒼衣の手をとって走り出した。




