秋山蒼衣
1
秋山蒼衣が帰ってきた。
夏。
七月。つんざめく蝉の音。雲一つない夏の空。照りつける陽射しが肌を焦がす。
埼玉県狭山市。高校から下校する途中、校舎裏の駐輪場で自転車にスクールバックを載せた。
高校三年生。変わらない毎日があの空のように永延と続いていた。季節が変わり忘れられていくように、今日もまた過ぎ去っていくほんの一瞬――、そう思っていた。
そんな時、秋山蒼衣は僕の前に現れた。
「おっす! 陽太!」
後ろから名前を呼ばれた時、忘れてしまった昨日が波になって押し寄せてきた。
「……蒼衣、ちゃん?」
振り返ると夏の香りがした。甘い風が通り抜けて、彼女の艶やかな黒い髪が揺れた。
どこかの高校の制服を着た彼女は、僕が知っているあの子よりも少し、背が高くて、ちょっと大人っぽくて、だけど空みたいに澄みきったその瞳は、あのころと何も変わらなかった。
「蒼衣、ちゃん?」
「そだよ。まだ私のこと忘れてなかった?」
「忘れるわけ、ないだろ」
秋山蒼衣。
小学校の六年間、同級生だった友達。小学校卒業と同時に愛知県に引っ越してしまって、それから五年以上のあいだ、一度も会っていなかった。
蒼衣とは仲がよくて、よく一緒に遊んだ。同じ少年野球チームに所属して、週末は六年間、野球をやっていた。
そんな蒼衣が急に帰ってきたのである。
「忘れたら怒られそうだからな」
「にしし、言うようになったじゃんか、陽太のくせに!」
蒼衣はパシンと僕の背中を叩いた。その手は柔らかくて、どこか懐かしかった。
「い、痛いなぁ。やめてよ、蒼衣ちゃん」
「えへへ」
蒼衣は屈託のない少女の笑顔で笑った。小さいころから目鼻立ちが整っていて、アイドルみたいに可愛かった。
久しぶりに会ったが、変わらず、美人。夏のように純粋で晴れやか、だけど時々、儚げで、野原に咲いた一輪の花みたいに優美。
「変わらないなぁ」
そんな蒼衣を見て思わず呟いた。見た目は美少女だが、すぐに人を叩いたりするがさつな性格はあのころと同じに見えた。
「変わったよ、色々」
「そう?」
「うん! 陽太は変わった?」
「さあ? どうだろう」
五年の月日に思いを巡らせる。喜怒哀楽の思い出が走馬燈のように駆けていく。
「陽太」
「ん?」
「背、おっきくなったね!」
蒼衣は跳んだり跳ねたりして僕と身長を比べる。僕の身長は一八二センチ。蒼衣と比べると頭二つも三つも大きい。
「わー、高ーい。おっきいー」
蒼衣は目を丸くして感嘆の声をあげる。その驚き方は純粋無垢で子供みたいだった。
「何㎝?」
「一八二」
「わー、おっきーい」
小さいころは背が低かった。クラスで整列する時はいつも一番前だったし、筋肉もあまりなかった。
一方で蒼衣は発育がよくて、男子と比べても背が高く、運動も得意だった。
「成長期だねー」
蒼衣とは六年間、少年野球チーム《王川ヤンキース》で一緒にプレーした。
蒼衣は運動センスが抜群で、女の子だけどエースで三番バッターだった。活発で明るい性格。仲間思いで裏表もない彼女はみんなに慕われ、キャプテンも任されていた。
一方で運動音痴な僕は、野球が下手で、みんなの後ろから着いていくだけで精一杯だった。
「蒼衣ちゃん……、どうしたの? 急にこんなとこに来て」
直接会うのは小学校卒業以来である。離ればなれになっても、しばらくのあいだはLINEを続けていたが、いつの間にかLINEも繋がらなくなって、疎遠になった。
「えへへ、陽太に会いたかったから」
「……!」
「会いたくて、ここまで来ちゃった」
なんて照れたように笑った蒼衣の笑顔が、嘘なのか本当なのか僕にはわからなかった。
思えばそれが全てだったのかもしれない。
「なーんて、ドキってした?」
「……あ、蒼衣ちゃん!」
「ん? その顔は私にハートを射貫かれた顔だな?」
「ち、違うよ!」
「ははーん、嘘はついたらいけないんだぞ、少年よ」
「子供あつかいするな」
あのころのことを思い出さずにはいられない。
小さかった僕は、気が弱くて、いじめられっこだった。だけど、よくからかわれてしまう僕を守ってくれていたのが蒼衣だった。
男勝りな蒼衣は、冬でも短パンで林に入っていくような元気な女の子だった。
髪が今よりもずっと短くて、小麦色に日焼けした背中をよく覚えてる。
僕なんかよりも、よっぽど、蒼衣は少年だった。
男子ともよく喧嘩をして、そして大抵、勝っていた。
「ね、陽太の家に行ってもいい?」
蒼衣は甘い声を出す。
可憐な花のような匂い。
よく手入れされた白い肌に照りつける陽射し。汗がじわっと噴き出して、黒く艶やかな髪を少しかき上げる。
まるで青春映画のヒロインみたいな、そんな仕草。
「え? なんで?」
「い、いやぁ……私、陽太の家に泊まりたいの」
「え? だからなんで?」
「うるさいな! いいから泊めなさいよ」
「……?」
「女の子の頼みごとは二つ返事で聞いてあげるのが男の子でしょ。常識でしょ」
「いや、それどこの世界の常識ですか」
「日本だよ!」
「パラレルワールドの話しですね」
「あー、もうそんなだから陽太はモテないんだよ! 相変わらず陽太は子供だね!」
蒼衣はまた、ぱしんと僕の肩を叩いた。
変わらないものはどこかにあるのだろうか。季節が移動する速度が年々早く感じる。過ぎ去っていく時間は一方的で、あっという間に先に行ってしまう。
僕は置いてきぼりにされないように、必死にしがみつくだけで精一杯だ。
でも、たまに思い出すんだ。
空を背負ったあの女の子のことを。




