〇九七 孟達奇談
~~~魏 上庸~~~
「へ? 蜀に寝返る? あ、アンタそれ本気で言ってんの?」
「あたしの古い友人にね、諸葛亮っていう男がいるんだ。
すごく傲慢な性格でね、行く先々で敵を作るような男なんだ。
そんな彼からある日手紙が届いた。
あたしが魏に寝返って以来、すっかり疎遠になってたからね。
なんだろな~と思って読んでみたら、一言。一言しか書いてない。
寝返れって。一言だけ。
あれ~これはなんだろな~おかしいな~って思ってね。
カサカサカサカサ!って手紙を表にして裏にして調べてみた。
でもやっぱり一言しか書かれてないんだ。寝返れって。それだけなんだな~」
「チッ。相変わらずてめえの話は長えな。要点を言えよコラ」
「もともとあたしは降伏者だから、魏の人には良く思われてないんだ。
曹丕陛下や夏侯尚さん、桓階さんなんかは良くしてくれたけど、
み~んな亡くなってしまった。バタバタバタバタ!って鬼籍に入ったんだ。
だからあたしは魏の中じゃさみし~く孤立してる。肩身が狭いんだ~。
でもそんな所に諸葛亮さんから手紙が来た。
それも寝返れって。あたしはうれしかったな~。彼はあたしを必要としてくれてるんだ。
あたしは上庸の太守を任されてるから、良い手土産も作れる。
だからあたしは蜀に寝返ると。そういうお話です……」
「ケッ。関羽を見捨てたことを恨まれて魏に降り、
今度はお友達がいなくなったから蜀に戻るって?
とんだゲス野郎だな!」
「し、しかもそんな話をあちしらにするってことは……。
あちしらも蜀に出戻れってことよね?」
「で、もし断ったらオレらを殺すつもりなんだろうよ」
「いえいえ。あたしはそんなことは考えていませんよ。
昔っから一蓮托生と言うようにですね。
生きるも死ぬもあたしたちは一緒だと、そう言いたいだけです。
だからどうか、妙~なことは考えないで欲しいと、あたしは思うんですがねえ……」
「………………」
~~~魏 上庸付近~~~
「む? そこを行く者よ止まれ!」
「怪しい奴だな。俺たちに任せろ!」
「山道で俺らから逃げられると思ったか!」
「ま、待て。私だ。怪しい者ではない」
「おお、よく見れば申耽殿ではないか。なぜこのような所におられる」
「弟の申儀から急報を受けて、道を急いでいたんだ。
それで間道を走っていたら――。
い、いやそんなことよりも徐晃将軍! ここで会えたのは大助かりです。
上庸の孟達が謀叛を企てています!」
「なんと!」
「将軍は上庸へ急行してください。私は陛下へご報告に上がります!」
「承知した。呂建殿は申耽殿を護衛し都へ急がれよ。
行くぞ!」
~~~魏 上庸~~~
「孟達殿! 貴殿に伺いたいことがある!」
「はいはい、あたしになんの御用ですかねえ」
「すでに貴殿の不埒な企みは露見しておる。
おとなしく縄目につかれよ! さもなくば――」
「ご、ごめんね徐晃! ええい!」
「ぐわあっ!」
「あ――当たっちゃったわ! どうしよ!
あちしのヘタクソな矢がこんな時に限って当たるなんて……」
「どうもこうもねえよ。大当たりー。反逆者確定おめでとさん」
「て、てめえらよくも大将を! くそっ。
まずは大将の手当てが先決だ。退却するぞ!」
「思っていたより早く徐晃が来ましたねえ。
でもこれで一安心だ。あたしらの謀叛の報告が都へ上って、それから討伐軍が来る。
だいたい一月以上はかかるんじゃないかな~。その頃にはあたしらはもう蜀の人だ。
それにしても変だな~おかしいな~。どうして徐晃がこんなに早く来たのかな~。
まさかとは思うけども、誰かが裏切って密告したのかなあ~。
ええ。あたしはそう思いましたね……」
「め、滅相もないわ! あ、あちしが徐晃を討ち取るところ見たでしょ?」
「オレも知りませーん」
「………………」
~~~魏 上庸 翌日~~~
「ももももも孟達様!
すすすすすみませんが城門を開けてくださいませんか!」
「……そんな声が表から聞こえてくるんだ。
あたしは驚いて飛び起きた。外を見てみるとまだ暗い。
日も出てないうちにいったい誰が来たんだろうと不思議に思いましてね。
城壁の上から見てみると、司馬懿がいるんだ。
あれ~どうしたんだろうなあと思いながらあたしは声を掛けた。
お~い、こんな早朝にどうしたんだい?」
「お、おやすみのところすみません!
朝から大変恐縮なのですが、もしよろしければ城門を開けてくださいませんか……?」
「……なんてことを司馬懿は言うんだ。あたしはピンと来た。
これはあたしを捕まえに来たんだとね。
でも変だな~おかしいな~。だってそんなことはありえないんだ。
昨日、徐晃が捕まえに来たばっかりなんだ。
こんなに早く次の討伐軍が来るわけがない。
あたしは夢でも見てるのかな~寝ぼけてるのかな~と思いながら、
ふと後ろを振り返ると」
「すでに城は包囲されている。観念して降伏なされよ!」
「なんと徐晃がいるんだ! 昨日死んだはずの徐晃が!
あたしはウワァァッ!って叫んで腰を抜かした。
すると今度はどこからか妙~な音がするんだ。
ギギギギギ。ギギギギギ……って重たい何かを動かすような音が。
ギギギギギ。ギギギギギ……。
どうも城壁の下の方からしているようなんだ。それで下を覗きこんでみると」
「い、今よ! 城門を開けなさい! あ、あちしは降伏するわ!
謀叛は孟達が一人で企んだことなのよ! あちしはこの通り魏の味方よ!」
「城門がひとりでに開いてるんだ!
なんだなんだなんだ。いったい何が起こっているんだ。
ナンマンダブナンマンダブって、あたしは頭を抱えて震えていた。
すると……誰かがあたしの肩を叩いた。
トントントン。トントントントン!って。
嫌だな~怖いな怖いな~と思った。
でも誰が叩いたのかを確認しなくちゃと思って、
おそるおそる目を開いた。そうしたら」
「こういうのなんつーか、年貢の納め時ってヤツ?
ま、オレもアンタじゃなくて魏の味方ってことで、ひとつヨロシク」
「そう言って申儀はあたしを剣で刺した。冷たい刃がスーッと身体の中に入っていく。
痛いな~熱いな~と思いながら、あたしは死んだんだ。そういうお話です……」
~~~魏 上庸~~~
「じ、徐晃将軍! 無事で良かったわ……。き、昨日はごめんなさい!
孟達に命じられてしかたなくあんなことを――」
「かすっただけで大した傷は負っていない。
完全に回避できなかった拙者が修行不足だっただけのこと。気にされるな」
「それにしてもアンタも司馬懿サンも、やたらと来るのが早かったな」
「都へ報告に上がろうとしたら、
すでに孟達の謀叛を察知し、司馬懿殿の討伐軍が出ていたのだ」
「わ、私はただ劉曄様に命じられて、万が一の事態に備えて出てきただけです。
でももし万が一が万が一起こってしまったらと思うと気が気じゃなくて、
不眠不休で全速力で駆けつけたのです……」
「アンタの兵にとっちゃ気の毒な話だな」
「しかし司馬懿殿の機転のおかげで、謀叛を未然に防ぐことができた。礼を言おう」
「めめめめめ滅相もありません! 私のようなダメ人間の見本のようなものは、
身を粉にして働いてようやく皆々様方の千分の一の働きができ……
いや! 私が千倍になったところで皆々様方の億分の一にもなりません!
大それたことを申し上げました!!」
「こいつ超うぜえ……」
「ともあれこれで蜀軍の策の一つを封じた。
司馬懿殿は蜀軍の侵攻に備え関中へ向かわれるのだろう?
上庸にはまだ孟達の息のかかった者が潜んでいるやもしれぬが、
その処置は拙者が引き受けた。さあ、関中へと急がれよ」
「ご高名な徐晃将軍に後始末を押し付けてしまうなんて恐縮至極です!
無事に蜀軍を撃退した暁には、私を煮るなり焼くなりして
うっぷんをお晴らしくださいませ!」
~~~蜀 漢中~~~
「フン。孟達はしくじったか。
まあよい。余は手紙を一通送るだけの労しか払っておらぬからな」
「その手紙も私が書いたです」
「たったの三文字ではないか。
そんなことよりも前線の状況を報告しろ」
「はい。先鋒の趙雲軍は、迎撃に出てきた夏侯楙軍と激突しています。
副将の西涼太守・韓徳の武芸に秀でた四人の息子を秒殺し、
優勢に戦いを進めているようです」
「おお! さすがは趙雲将軍だ!」
「なるほど。ならば趙雲に援軍を送れ」
「先鋒部隊を増やし、さらに敵陣を切り崩させるのですな」
「馬鹿め。余は趙雲が敗れるから救援してやれと言っているのだ」
「や、敗れる? 失礼ながら丞相、趙雲将軍ほどの方が
夏侯楙ごときに遅れを取るとは思えませぬが――」
「貴様が思うならばそうなのだろう。貴様の中ではな」
「う…………」
「趙雲が死ぬことはないが、周りの将や兵は死ぬ。
その損害をできるだけ抑えろ。さっさと行け」
~~~魏 鳳鳴山~~~
「く、くそっ! な、なんという腕だ!」
「息子さん四人がかりでも勝てなかったのに、
アンタ一人だけじゃ自分に勝つのは無理ッスよ。それ!」
「ぐわあっ!!」
「ああっ! 韓徳ちゃんがやられちゃったよ……。
ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼくちゃんどうしよう!」
「こ、ここはいったん退却するしかありません!」
「わ、わかった。逃げるよみんな!」
「逃がすか! 待つッスよ!」
「功を急がれるな将軍!
敵の数は圧倒的に多い。深追いしては危険でござろう」
「何を言っとるんや!
数の多い敵に勝つには、総崩れになっとるとこを攻めるのが一番やろ。
鄧芝はんもそう思うやろ?」
「わわわわ私はですね! 陳到殿の意見に賛成の反対の賛成と申しますかその」
「うおおおおっ! 自分から逃げ切れると思ったら大間違いッスよ!!」
「……おかしい。趙雲将軍は明らかに焦っている。
いつもならばもっと慎重に事を進めるはずだが……」
(あんた…………)
「ひいいいいいっ!! ち、趙雲が! 趙雲がもう目の前まで!!」
「……頃合いや良し。
夏侯楙様、恐れることはない! 趙雲は罠にはまりましたぞ!」
「!? これは…………」
「あわわわわわ! し、四方八方から敵の伏兵が現れましたよ!」
「くっ! 深追いは危険だとは思ったが、まさか策を用意していたとは!」
「さあ董禧! 薛則! 趙雲の首を挙げよ!」
「す、すごいや潘遂ちゃん! いつの間にこんな策を!?」
「俺ではありません。
これは楊阜殿にこんなこともあろうかと授けられていた策です。
さすがは関中で長年戦われた楊阜殿、地形を巧妙に利用した伏兵だ!」
「あんた! さすがにこの兵力差はどうしようもあらへんで!」
「自分が血路を切り開くッス! みんなついてくるッスよ!」
~~~鳳鳴山 山中~~~
「どうにか敵兵を振り切れましたな……」
「でも鄧芝先輩とはぐれちまったッス。
多くの兵も失って、丞相に合わす顔が無いッスよ……」
「……将軍、あなたは何を焦っておられるのか。
こたびの戦はあなたらしくもない。将軍はまるで生き急いでいるようだ」
「……自分には時間が無いッスよ。
限られた時間で、できるだけ多くの武功を立てなきゃいけないッス」
「あんた…………」
「失礼ながら年齢のことをおっしゃられているのか?
だが拙者の見るところ将軍はまだまだ壮健でおられる。
関羽将軍や張飛将軍の亡き今、この中原にあなたに並ぶ武士はおるまい」
「そういうことじゃ無いッス。それに――もうじき、それも終わるッス」
「将軍…………?」
「! あんた、敵軍が動き出したで!」
「どうやらここも嗅ぎつけられたようッスね。さあ、早くここを脱出――」
「無事ですか趙雲さん!」
「………………」
「よかった! 間に合ったのね!」
「張苞!? 助けに来てくれたんか!」
「ええ、丞相の命で急ぎ駆けつけました。間に合ったようで良かったぜ!
――あ、そうそう。これ見てくださいよ。敵将の薛則を討ち取ったんです!」
「………………」
「関興は董禧を討ち取ったのよね。董禧のほうが薛則より強そうだったわ」
「お前、趙雲さんが見てないからって勝手なこと言うなよ!」
「ししししし将軍! ご無事でしたか!
私は助け殿に星彩られました! …………あれ?」
「おお、鄧芝先輩も星彩に助けられたんスね!
よし、張苞たちが来てくれたら百人力ッスよ! いざ逆襲に転じるッス!!」
~~~~~~~~~
かくして趙雲は若武者の活躍で窮地を脱した。
北伐はまだ始まったばかり。
蜀軍は南安・安定・天水の三郡攻略を目指してさらに北上する。
次回 〇九八 夏侯楙の智略




