〇九〇 南蛮王・孟獲
~~~蜀 永昌~~~
「よく来たな丞相! むさ苦しいところだが、まあ上がってくれや!
茶の一杯くらいおごってやるぜ!」
「ここで結構だ。それよりもその臭い口を閉じろ」
「じ、丞相……。呂凱は雍闓らの反乱に同調せず、
孤立しながらも永昌郡を守り切ったのです。
す、少しはねぎらいの言葉をお掛けください」
「ねぎらう? 余が? なにゆえに?」
「ぶはははは! 城を包囲されて攻撃されっぱなしでよ!
ひとっ風呂浴びる暇もなかったんだ!
身体も鎧も汗臭いのは勘弁してくれや!」
「汗臭いのではない。口が臭いのだと言っている」
「こりゃすまねえ! でも口は縫い閉じるわけにもいかねえからよ!
それより、この後は南中の奥地へと攻め込むんだろ?
だったら良い物があるぜ。南中のありとあらゆる地理を記した地図だ!」
「そうか。ならばそれをさっさと寄越せ。さすれば貴様に用は無くなる。
懸念無くその口を縫い閉じるがいい」
「ぶわっはっはっはっ! 丞相ってのは面白い人だな!
でもすまねえが、その地図ならもうアンタの目の前にあるぜ。
そうさ、地図は俺の頭ん中にあるんだよ!
今後は俺が道案内を務めるからよろしく頼むぜ!」
「李恢。至急、馬鈞を呼んで呂凱の口臭対策の発明をさせろ」
「は、はあ……」
「呂凱殿! 急報が入ったぜ!」
「なんだ? ――ああ、丞相。こいつは王伉と言って、俺の副官をやってる男だ。
こいつのおかげで俺たちは永昌を守り切れたと言っても過言じゃないぜ!」
「李恢。この者の体臭対策も急務だ」
「………………」
「はっはっはっ! この程度の臭いに参ってたら南中になんか攻め込めないぜ!
なんせあそこには毒ガスから毒泉まで――おっと、話が脱線しちまった。
そうそう、急報なんだけどよ。
南蛮王の孟獲が、十万の兵を引き連れて出撃したそうだぜ!」
~~~五渓峰~~~
「蜀の遠征軍が高定らを蹴散らして、さらに南進しているそうだ。
うぷ。うぷぷぷぷぷ。こ、高定のヤツは、降伏してすぐに、ぷぷぷ。
じ、事故死したそうだぜ。あ、あいつ。
事故死とか……。わっはっはっはっはっ!!」
「孟獲大王を裏切って蜀軍なぞに屈するから天罰が下ったのだろう!」
「ゲハハハハ! しょせん奴らは我々の前座に過ぎぬ。
蜀の遠征軍どもには南中の本当の恐ろしさを教えてやろう!」
「ワタシたちが行く前に、
ジャングルのコブラやタイガーの餌食にならなければイイデスネー!」
「お、お前ら……ぷぷっ。ま、まるで噛ませ犬みたいなセリフだぞそれ。
ぶはははは! か、返り討ちになったらお、俺笑っちまうぞぶはははは!」
「もう笑っているではないか大王!」
「大王のやることはただ一つ、
我々が蜀軍を蹴散らした後の褒美を用意することだけだ!」
「ヒュー! キンカンサンケツはただでさえリッチなのに、
もっとリッチになろうとしてマスヨー!」
「ぎゃはははは! わ、わかってんよ。ほ、褒美ならいくらでも……ひいひい。
用意しとくからぶはははは!
さっさと行って来いお前ら! あっはっはっはっはっ!!」
(……それにしてもいつも何がそんなにおかしいんだ大王は)
「さあ、稼ぎに行くぞ野郎ども!」
「ワタシたちが一番乗りデスヨー!」
~~~蜀 趙雲軍~~~
「おっ。敵軍の姿が見えてきたッスよ。
大将が三人いるらしいッスが、その誰ッスかね」
「それにしても趙雲将軍が抜け駆けに賛成するとは思わなかったぞ」
「自分もたまには抜け駆けでもして強引に手柄を立てて、
若いところを見せないと、後輩に追い越されてしまうッスからね!」
「趙雲はそう見えて92歳だそうだネ。
今度ちょっとでいいから細胞のサンプルを提供してくれないかネ?
不老不死の研究に使えそうだヨ」
「別にいいッスけど、自分の場合は
あんまり参考にならないと思うッスよ。だって――」
「は、博士! 敵軍が先に仕掛けてきました!
早く後方にお下がりください!」
「この金環三結様の不意をつけると思うなよ!
敵将はどこだ。かかってくるがいい!」
「望むところッスよ!」
「正面から向かってくるとは愚かな!
さあ、この俺様の全身を飾る宝石の輝きを浴びるがいい!」
「うっ!? ほ、宝石がむちゃくちゃ光り輝いてるッスよ!
な、なんにも見えないッス!!」
「ぎゃあああああああ!!!」
「……見えていないのに的確に喉元を貫いている。
目くらまししただけでは将軍にはなんのハンデにもならないのだな」
「いやあ、やみくもに突いたらたまたま当たっただけッスよ」
「とにかくこれで手柄は十分だな。我々の一番手柄は疑いない。
フッフッフッ。帰って丞相に研究費の上積みを申請するぞ!」
~~~蜀 遠征軍本陣~~~
「丞相が指定した地点で待ち伏せしていたところ、
阿会喃が通りがかったため、不意をついてたやすく捕らえることができました!」
「面目ないデース……」
「捕縛」
「く、くそ。俺様としたことがこんな奴らに捕らえられるとは……」
「これで三洞の王を全て片付けられたな。趙雲、張翼、張嶷はご苦労だった。
三人には平等に恩賞を与えよう」
「な……んだと?
ま、待て。張翼と張嶷は丞相の命令を受けて、敵将を捕らえたのだろう?
我々は独自の判断で動き、金環三結を討ち取ったのだ!
我々のほうが、その、すごいんだぞ!」
「……だが貴殿らは軍令違反の抜け駆けをしたではないか。
ならば罪と功でちょうど相殺だろう」
「ははは。こいつは一本取られちゃいましたね楊儀先輩!」
「ぐぬぬ……」
「雑魚は一掃した。次は親玉だ。
こ奴らと孟獲の首を並べて斬るのも一興だろう。
行け。さっさと孟獲を引っ捕らえてこい」
「がってんだ!」
「孟獲の本陣を裏から奇襲できる間道を知ってるぜ。王伉、案内してやんな!」
「おうよ!」
「ああ、臭くてたまらぬ。
馬鈞、ほっつき歩いている暇があったら早く防臭対策を進めろ」
「これはすまないネ。珍しい動植物ばかりでなかなか腰が落ち着かないんだ」
「キキッ。なんだかみんな、のん気でにぎやかだにゃ。
遠征軍っていつもこんな感じなのキャ?」
「さあ。ウチも遠征軍に加わるのはこれが初めてやから。
どうなん? 月英はん」
「…………知らないです。私は忙しいです」
「忙しいって突っ立ってるだけじゃないキ?」
「忙しいです」
(月英はんの鮑三娘はんへのつっけんどんな態度……。
単なるヒロイン争いだけやないのか?)
「何を油を売っている非実在女ども。貴様らもさっさと行け」
「そうです。演義にも登場しない想像上の連中は働くです」
「黄月英。貴様も登場せぬ」
「はいはい。南蛮編は自由だにゃあ」
「……………………」
~~~五渓峰~~~
「ぶはっ。ぶはははは!
あ、あいつらマジで全員捕まったのかよ! ぶはははははは!!
律儀な伏線回収だなおい!!」
「だ、大王様! 笑っている場合ではない!
敵軍はもう目の前まで迫っているぞ!」
「あっはっはっ! 俺様の身も危ねえってか?
ぶふぉっ! 俺様はあいつらみたく簡単にやられやしねえよ!
どれ、ちょっくら出迎えてやるか!」
「おっと、わざわざ出向いてもらう必要はねえぜ。
神妙にお縄をちょうだいしな、孟獲!」
「こ、こいつらもう来てやがるぜ! ひゃっひゃっひゃっ!
番兵は何やってんだよ! わっはっはっ!」
「く、くそ! 大王には指一本ふれさせんぞ!
この忙牙長の大斧を喰らうがいい!」
「おっ。この野郎、馬じゃなくて水牛になんか乗ってやがる!
ちょうどいい、とっ捕まえて焼き肉にしてやらあ!」
「この忙牙長と水牛のコンビネーションを甘く見るなよ!」
「ちきしょうめ! 見た目と逆に小回りの利く野郎だ!」
「ぼ、忙牙長! ぶはは! 俺様も混ぜろよおい!」
「孟獲まで加勢したらさすがに分が悪いや。ここは引き上げるぜ!」
「おのれ逃げるか! 待てえええっ!!」
「おいおい忙牙長!
大王には指一本ふれさせねえって言っといてお前、ぶはははは!
大王が置き去りだぞ! あっはっはっはっはっ!!」
「その通り。よく状況がわかっているようだな」
「間道を伝って裏から現れた王平殿はおとりだ!」
「孟獲はん、アンタ一人になってもうたな」
「孤立」
「おいおい、俺様一人にいったい何人がかりだよ。はーはっはっ!
そんなに俺様が怖いかよおい!」
「これだけいて怖いわけないッスよ!
それ、みんなで孟獲を捕らえるッス!!」
「オォォォォォォォォォォン!!」
~~~蜀 遠征軍本陣~~~
「――で、首尾よく孟獲大王を捕らえてやったッス!!」
「あたぼうよ! 俺がわざわざみっともなく逃げた甲斐があったってもんだ!」
「忙牙長は逃がしたが、奴一人では何もできないだろう」
「フン。これが蛮族の王の面か。想像以上に醜悪だな」
「ぶははははは! こ、こいつが蜀軍の総大将なのか?
お、俺様より悪人顔じゃねえか、おい! がっはっはっはっはっ!!」
「ほう。まだ憎まれ口を叩く余裕があるのか」
「当たり前だ! 俺様が斬られたところで、南中の民は痛くもかゆくもない。
俺様の代わりに新たな大王が立ち上がり、お前らを滅ぼすだろう。
だーはっはっはっ! その時のことを考えると笑いが止まらないぜ!」
「これは面白い。貴様ごときが余に勝てると言うのか」
「南中にはお前らの想像を絶する驚異の部族が星の数ほど控えてるぜ!
あんなのやこんなのが……ぶふぉふぉっ! 思い出しても笑えてくるぞ!」
「ならば帰してやるから、その驚異の部族とやらを残らず連れて来い。
余が根絶やしにしてやる」
「じ、丞相いけません! 南中における孟獲の影響力は絶大です!
彼をこのまま捕らえておけば、他の部族など恐れるに足りません!」
「恐れている? 余が? これを?
馬鹿な。南蛮の野人など十億人集まっても恐れるに足りぬ。
孟獲、そのことを余は証明してやる。
さっさと帰って蛮族どもを糾合してくるがいい」
「…………本当に解放してくれんのか?」
「先に捕らえた阿会喃と董荼那とやらもおまけに付けてやろう。
どうした? 余の偉容を間近にして笑いが止まったのか」
「あっはっはっはっはっ!! 面白い野郎だ!!
おい悪人面! お望み通りに南中の恐ろしさを骨の髄まで叩き込んでやる!
首を洗って待っていやがれ!! ぶわっはっはっはっはっ…………」
「ほ、本当に逃がしてしまった……」
「まったく獣臭くてたまらぬ。馬鈞、発明はまだか」
「はいはい。お待ちかねの品だヨ。
南中の熱帯にだけ咲く蓮華の花から抽出した
この液体をまけば、どんな悪臭もたちどころに――」
~~~~~~~~~
かくして諸葛亮は捕らえた孟獲を解放した。
孟獲は南中の総力を結集し再起の戦に臨む。
遠征軍の戦いはまだ始まったばかりであった。
次回 〇九一 二縦二擒と三縦三擒




