〇八九 南中の門
~~~南中 蜀軍~~~
「ほう、これが野蛮人の頭目か。面白い顔をしている」
「………………」
「だが十秒も眺めれば飽きそうだ。……ああ、もう飽きた。
くだらぬ。このゴミをさっさと片付けろ」
「はいです。殺すです」
「お、お待ちください丞相!
あなたは戦に先立ち、文明人の叡智と矜持を示せとおっしゃられた。
ならばここは彼を捕虜として手厚く遇し、叡智と矜持を見せるべきでしょう」
「ほう。余に意見するのか。それもまた面白い。
……時に貴様、名はなんと言う。
もっとも貴様ら野蛮人に名前などという高尚なものがあればの話であるが」
「…………鄂煥だ」
「なに? 鄂煥だと?
ならば高定の副将であろう。誰だ、彼奴にこのような手荒な真似をした者は」
「え? じ、自分ら……であるッスが」
「馬鹿め。高定は南中で唯一の良識を持つ者だ。
余は高定と戦うつもりはない。急ぎ鄂煥を解き放て。
……無知な部下どもが高定の副将とも知らず、野卑な真似をしたな。
帰って主によろしく言ってくれ」
「あ、ああ……」
「…………丞相がそれほど高定を評価しているとは思いませんでしたぞ。
たしかに高定といえば越嶲の王とも知られ――」
「高定など知らぬ」
「…………え?」
「鄂煥とやらとともに捕らえた雑兵から、主が高定だと聞いただけだ。
蛮族の名など知ったものか」
「なら、どうして高定とよしみを通じようとするんでい?」
「フフン。つまり丞相は南中の心を攻めよと言っているのだ。
我々の度量を示すとともに彼奴らの内部分裂を誘い――」
「黙れ。余は楽な道を採るだけだ」
「へ?」
「蛮族と蛮族同士を殺しあわせれば最も面倒が少ない。
余はこのような不潔で不快で不愉快な土地からは一刻も早く離れたいのだ」
「………………」
~~~南中軍~~~
「なに? 高定の部下だから解放されただと?」
「あ、ああ。敵の大将は高定様のことをよく知っていたようだ。
高定様とは戦うつもりはないとのことだ」
「フシュルルルル……。
敵の大将はし、ショカ……ショカツリョウとか言ったか。
俺様はそんな奴は知らんぞ」
「…………高定。まさかとは思うが、もし蜀軍と通じていれば――」
「フシャアアアッ!! くだらんことを言うな!
これは我々の仲を裂こうという蜀軍の策略だ。奴らに踊らされるな!」
「…………フン。まあいい。今度は俺様が出てやる。
とくと俺様の戦いぶりを学ぶのだな! ブハハハハハ!」
~~~南中軍~~~
「おお……。あれは甲冑をまとわず全身に刺青を彫っているのか?
なんと奇怪な風体だ! キショい! キモい!」
「敵の外見に惑わされちゃ駄目ッスよ! 戦いの経験は自分らのほうが上ッス!」
「あたぼうよ! そんなこけおどしは俺らにゃ通用しねえ!」
「ぬうう……。都の兵など軟弱者と思っていたが、なかなかやるではないか!」
「覚悟」
「むうっ!? 左手から伏兵だと? いつの間に我らの背後に回った?」
「はぁぁ……。良い! この気候は実に良い汗がかける!
さあ、掛かってくるがいい。片っ端から西の果てまで投げ飛ばしてやる!」
「チッ! さらに背後からも伏兵か!
このままではまずい。後方の高定を救援に来させろ!」
「フシュルルル……。口ほどにもないな雍闓!」
「どけどけ! 蜀軍は俺が切り刻む!」
「むむ。高定が現れたか。よし、高定の軍に手出しは無用だ。引き上げるぞ!」
「なに? 高定が出てきた途端、蜀軍が撤退していくぞ……」
「こ、これはどうしたことだ……?」
「……………………」
「フ、フシャアアッ! だ、だから誤解するなと言っているだろう雍闓!」
「言い訳は無用だ! お前はすっこんでろ!
――引き上げるぞ野郎ども!」
「よ、雍闓…………」
~~~高定軍~~~
「フシャアアッ! いったい何がどうなっているのだ!?
俺様は蜀のクソどもと内通などしていないぞ!」
「こ、高定様! 大変だ!
さ、さっき捕まえた蜀軍の間者が吐いたんだが……」
「なに!? 雍闓が蜀軍と通じて、俺を殺そうとしているだと!?」
「雍闓の野郎……。高定様に内通の疑いをかけておいて、
その実てめえが蜀軍と通じてやがったとは!」
「フシャアアッ! こうなったら先手必勝だ!
先に雍闓をぶっ殺してやる!!」
「そ、それが高定様。先手を打たれたのは俺たちのほうなんだ。
雍闓の奴は、後方の朱褒と俺たちを交代させるつもりらしい」
「フシュルルル……。読めたぞ! 雍闓は朱褒に俺を殺させるつもりだ!
あの野郎、どこまでも自分の手は汚さないつもりか!!
かくなる上は…………」
~~~朱褒軍~~~
「やっと高定との合流地点に着いたーーーッ!!
やれやれ、なんという暑さだ。
ピテカントロプスになる日も近づくようだったぜ……」
「ご苦労だったな朱褒殿」
「おう、鄂煥か。……高定はどうした?
曇天模様の空の下、つぼみのままで揺れてるのか?」
「シャアッ! タイガーレイド!!」
「ぎゃあああああ!! い、いったい何をす、る……。
さ、さるに……なる、よ……」
「朱褒は討ち取った! おとなしく降伏すれば命は取らんぞ兵ども!」
~~~雍闓軍~~~
「……やっと来たか朱褒。遅かったではないか。
到着早々に悪いが相談がある。高定の奴が――」
「フシュルルル……。朱褒ではなくて残念だったな」
「な、お前は高定!? 朱褒と交代したはずのお前がなぜここにいる!?」
「朱褒に俺を殺させるつもりだったんだろう?
お前の浅はかな策にはまるような俺様ではない!」
「な、何を言っているのだ?
確かにお前を疑ってはいるが、そんなことは――」
「問答無用! フシャアアアッ!!」
「ぎええええええええ!!!」
「馬鹿め。俺様を殺そうとした報いだ!」
~~~蜀 遠征軍~~~
「じ、丞相! 高定が雍闓と朱褒の首を手土産に、和睦を申し出てきました!」
「和睦?」
「い、いえ。高定は和睦を望んでいますが、もちろん虫の良い話です。
私が責任持って、和睦ではなく降伏するよう説得いたします!」
「フン。好きにしろ。
――そうだ。雍闓、朱褒の兵を吸収した高定の兵力を遊ばせておくのはもったいない。
降伏させたら高定らをこの地点に越させろ。後続部隊と合流させる」
「は、はい。わかりました。必ずや高定にも兵を供出させましょう」
~~~合流地点 高定軍~~~
「フシュルルル……。
降伏は不本意だが、いくら俺様でも一人で蜀の大軍とは戦えない」
「だからと言って蜀のために兵を失うのは愚かです。
せいぜい手を貸す振りをして、お茶を濁しましょう」
「ああ、わかっている。
――それにしてもまだ蜀の使者は現れぬのか?
諸葛亮とやらはここに来れば、迎えの者が待っていると言っていたのだが」
「ガォォォォォォォン!!」
「フシャアアッ!? な、なんだ今の叫び声は?」
「こ、高定様! ば、化け物がこちらに向かってきます!」
「オォォォォォォォオ!!」
「こ、高定様には指一本触れさせぬ! タ、タイガークロウ!!」
「アァァァァァァァオ!!」
「な!? お、俺の爪が一瞬で砕かれ――あんぎゃあああああ!!!」
「が、鄂煥!! お、おのれ! フシャアアッ!!」
「グゥゥゥゥゥゥゥオ!!」
「お、俺様の毒牙が通じな――うぎゃああああああ!!!」
「オォォォォォォォン!!」
「て、停止しろギヱン! い、いったいどうしたと言うのだ?
起動するやいなや暴走するとは……」
「ふむ。気候への適応は成功したようだネ。
現地調達の部品を組み込んだのがうまく行ったようだヨ」
「そ、それよりもギヱンが誰か喰ってしまったようだが……。
身なりからして南蛮軍の頭目か? せ、責任を問われないだろうな?」
「そんなことは知らないヨ。
我々は諸葛亮の命令で、ここでギヱンの起動試験をしていただけだ。
勝手に立ち入った連中が悪いのサ。科学の発展に多少の犠牲は付き物だヨ」
「気の毒に、南蛮兵どもは頭目を殺されてすっかりおびえとるで。
なんやようわからんけど、とりあえず収容しとこか」
「それにしてもなぜギヱンはこの頭目どもに襲いかかったのでしょうな?」
「おそらくこいつのせいだヨ」
「これは……爪、ですかな?」
「これも諸葛亮の命令だヨ。
この爪の匂いがする者を襲う回路を組み込めとサ。
よくわからない命令だったが成功したようだネ。
有意義な実験だったヨ。新兵器に流用できそうだ」
「…………なんとなく事情がわかった気がするわ。
不幸な事故だったと、丞相には報告しとくで……」
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かくして反乱を起こした南部の三郡は平定された。
いよいよ遠征軍は南中の奥地へと分け入る。
待ち構えるのは南蛮王・孟獲。かつてない激戦が幕を開こうとしていた。
次回 〇九〇 南蛮王・孟獲へ
 




