〇八七 桃園の誓い
~~~蜀 永安~~~
「ほうか、簡ちゃんに麋竺さん、それに孫乾さんだけじゃのうて、
馬超さんまで亡くなってもうたか……」
「ええ……」
「一年、遠征してただけなのに、
ずいぶんといろんな人が亡くなったんじゃなあ……」
「彭羕の馬鹿などは謀叛を企んで殺されたんじゃぞ。
劉備陛下がいないと国は乱れ放題じゃな!」
「わはは。わしがいてもいなくても、
国の治安は変わらんよ。わしは無能じゃからなあ……。
それにしても、もう90になろうかという来敏さんはこんなに元気なのに、
なんでみんな次々と死んでまうんじゃろうな……」
「そういう陛下も今にもくたばりそうな顔色じゃぞ。
白帝城を永安だなんて平和な名前に改めたり、
手痛い敗北を喰らって弱気になったのか?」
「そうじゃな……。
関さんも張さんも、法さんもみんな亡くなって、さみしくなってもうたわ……」
「…………こんな時になんだけど、陛下。さっきの話なんですが」
「ああ、董白さんが引退して、馬超さんの墓を守って暮らしたいって話じゃな」
「あたしは曹操に復讐するため馬超を利用してきたわ。
おじい様やお父様、部下のみんなを失い、
あたしは本当は……さみしかっただけなのかもしれない。
馬超はいつだってあたしのために戦ってくれた。あたしのそばにいてくれた。
だから今度はあたしが、馬超がさみしくないよう、ずっとそばにいてあげたいの」
「こんなことを言ったらあんたや張飛さんに怒られるかもしれんが、
でもやっぱりわしは、戦場で女のあんたに無理はさせとうない。
いいことじゃと思うぞ。馬超さんも安心するじゃろう」
「……ありがとうございます」
「軍師格の董白さんが抜けてみんな困るじゃろうし、
わしもべっぴんさんがいなくなったらさみしいがな。わはは」
「…………諸葛亮、帰ってくるといいわね」
「……………………そうじゃな」
「では陛下、お元気で」
「おう。董白さんも達者でな」
「劉備先輩、ちょっといいッスか。
お耳に入れといたほうがいいと思う話があるんスが」
「おう。ちょうど董白さんとの話も終わったところじゃ。
ん? 横にいるべっぴんさんは誰じゃ?」
「ああ、これは妻の馬雲緑ッス」
「妻!? り、龍さん結婚しとったんか? いつの間に……」
「お初にお目にかかるっす。ウチは馬超の妹で趙雲の嫁や」
「そ、そのうえ馬超さんの妹なのか……。そんな縁組わしは初めて聞いたぞ。
で、どうしてここにいるんじゃ?
そりゃべっぴんさんが見舞いに来てくれるのはうれしいがのう」
「うす。馬超兄やんが死んでもうたんで、今度はウチの出番だと思ったんや。
兄やんの分もウチが戦うで!」
「妻は弓の名人ッスよ。力になれると思うッス」
「ほ、ほうか……。龍さんがそう言うなら頼もしいのう。
それにしても妻帯しとったとは驚いたぞ。龍さんも隅に置けんのう。
……そういえばわしは龍さんの年齢も知らんかったな。いくつなんじゃ?」
「93ッス」
「へ? ………………き、き、きゅうじゅうさん!? マジで!?」
「へ、陛下、お体にさわります。落ち着かれよ」
「こ、これが落ち着いていられるか……。マジか。マジでか龍さん?」
「マジッス」
「わ、わしよりずっと年上じゃったのか……。
来敏さんより上じゃないか……。その若さはどうなっとるんじゃ……」
「ウチの亭主はバケモノやから」
「……と、ところで馬雲緑さんは何歳なんかのう?」
「ウチは19やけど」
「年の差婚とか犯罪ってレベルじゃねーぞ……。もう神話か何かじゃな……」
「じ、自分の話はそれくらいでいいッスよ。
それより、陛下が寝込まれてるのを見て、南の方がきな臭くなってるッス。
一大勢力を築いてる豪族の雍闓に、越嶲王の高定、
さらに牂柯太守の朱褒らが手を結んで反乱を企んでるッスよ。
早く対処しないと大変なことになるかもしれないッス!」
「もし謀叛を起こされたら、討伐軍を送らにゃいかんのう。
……でも討伐軍を誰に任せたらいいんじゃろうか。
龍さんがやっとくれるか?」
「自分は指揮官の器じゃないッス。
……そうッスね。李恢先輩とか、あとは…………そうだ、呉懿先輩とかどうスか?」
「李恢さんじゃちと頼りないのう。
ええと、もう一人は誰じゃったか? ……ああ、呉懿さんか。
漢中やこの永安の守りも考えると、呉懿さんあたりは残しときたいのう」
「陛下、誰かお忘れではありませんか?
この蜀の未来を担う俊英・馬謖の名を!
私にお任せいただければ反乱軍はもちろんのこと、魏軍も粉砕して見せましょう!」
「…………へ?
馬謖さんや、あんたは戦はもちろん笑いのセンスもないのう。
それちぃとも面白くないぞ」
「え? あ、その。ははは。
へ、陛下に笑ってもらえるかと思ったんですが。ははは。す、すみません……」
「じゃあやっぱり先輩が早く元気になって、遠征軍を率いるのが一番ッスよ!」
「……わしはもう無理じゃよ。
こんな時こそ…………。いや、なんでもない。
いつまでもいない人のことを引きずってもしょうがないわい。
――伊籍さんや」
「は、はい」
「ちょっくら成都に戻って、劉禅さんを呼んでくれんか」
「阿斗様、い、いえ劉禅様をですね……。
か、かしこまりました!」
(劉備先輩がご長男の劉禅先輩を病床に呼ぶ……。
いよいよ後事を託すつもりみたいッスね……。
劉備先輩…………)
「……………………」
~~~蜀 成都~~~
「――は? り、劉禅様がいない……?」
「ああ。大騒ぎで探し回っているところだ。
居場所がわかるなら教えて欲しいわ!」
「父親が、皇帝陛下がこんな時に、いったいどこをほっつき歩いているのだ!」
「め、面目ない。傅役のワシがしっかりしていないからだ……」
「尹黙ばかりを責められまい。
呉への遠征や、陛下の病状のことで、我々も劉禅様まで気が回らなかったのだからな」
「ケッ。馬鹿息子の考えることなんて誰にもわかりゃしねーよ」
「おやおや李厳さん、ちょっと口が悪過ぎますよ」
「口が過ぎるぞ李厳!
陛下が倒れた今こそ、我々は一致団結して劉禅様を守り立てる時であろうが!」
「秦宓の言うとおりだ。
なんでもいい、誰か劉禅様の行き先に心当たりはないのか?」
「……心当たりはないが、ギヱンに匂いをたどらせることはできるぞ」
「――――――」
「おお、魏延将軍にはそんなこともできるのですか。
……で、でも、将軍に後を追わせたら、その……。
見つけた先で劉禅様を襲ったり、食べたりしませんか?」
「その可能性は否定できんな。なに、些細な事だ」
「どこが些細だ! とにかく探せ!
兵をいくら使っても構わん! 一刻も早く劉禅を見つけ出すのだ!」
~~~隆中 諸葛亮の草蘆~~~
「ほう、劉備がくたばりそうなのか。
わかった。これを持って行け」
「…………なんですか、この包みは?」
「香典だ。貴様は弔問に行きたいのだろう?
給料代わりにくれてやる」
「いらないです。
……御主人様は劉備の死に目に会えなくてもいいですか」
「腕長猿の死に様なら密林に行けばいくらでも見られるぞ」
「………………」
「兄上、お久しぶり――。
おやおや、夫婦喧嘩中でしたか」
「誰が夫婦だです」
「愚弟か。何の用だ」
「諸葛瑾の兄上が江陵まで遠征してきたので、会ってきたんですよ。
これ、お土産です。長江の魚を干した物」
「ちょうどいい。黄月英、香典のおまけに付けてやれ」
「香典? 誰か死んだんですか?」
「これから死ぬです。劉備です」
「ははあ、劉備ですか。
それで彼が……。なるほどなるほど」
「何の話です。一人で納得してるじゃないです」
「いえね。ここに来る時に見かけたんですよ。
でもね、まさかこんな所に彼がいるはずもないって思ったんですけど――。
ああ、来ましたよ。ほら」
「諸葛亮!!」
「!?」
「や、やっと見つけたよ……。
どんだけヘンピな所に住んでるんだよお前……。仙人かお前は。
あたりの人に道を尋ねても、お前の名前を出すだけで逃げ出されたり、
失神されたりするしさあ。魔王かお前は。
もう、本当に疲れた~~」
「劉禅…………」
「おっ。驚いてる! 驚いてるだろ諸葛亮!
お前も驚くことがあるんだな! ここまで来てやった甲斐があったぞ!」
「貴様……一人で来たのか」
「当たり前じゃん。誰かに言ったら絶対止められるよ?
尹黙じいやとか見張りの兵の隙を見てさ、はるばる来てやったわけ。
――で、わしが来たわけ、わかるよね?
お前、頭良いもんね。わかるだろこれくらい?」
「…………断る」
「おっ。迷ったな! 今度は迷っただろ一瞬! わしの目はごまかせないぞ!
迷ったってことは、ちょっとは受ける意志があるってことだよな」
「………………」
「よし、単刀直入に言うぞ。
諸葛亮、お前戻れ。わしに仕えろこの野郎」
「全知全能の余が貴様ごときに仕えるだと……?」
「おっ。出たな全知全能!
わしが現れることを予測できなかったくせに大きく出たな!」
「………………」
「知っての通り、パパが死んでわしはもうすぐ皇帝になる。
そしたらお前に全権を任せるつもりだ。
パパほどじゃないけど、わしも結構無能だからね。
すっごい甘やかされたし。槍の持ち方なんて知らないし。
兵法? 何それおいしい?」
「いばることじゃないです」
「だからさ、諸葛亮。お前に全部丸投げしちゃうよ。
蜀を。丸ごと。お前の。好きにできるんだぜ? 面白くね? 興味なくね?」
「興味がない」
「ま、そりゃそうか。パパが元気な頃から丸投げされてたもんな。
――じゃ、こういうのはどうだ?
パパが死んで、わしがあとを継いだらさ、すぐお前に帝位を譲っちゃうよ」
「………………」
「皇帝諸葛亮! 諸葛亮帝国! 余の余による余のための国家!
国名もなんか虫とか入ってる蜀なんてだせーのから変えられるよ。
なんにする? わしなら『聖』とか『神』とか入れたいなあ」
「………………」
「ってことで月英ちゃん。しばらく厄介になるね」
「…………え?」
「おっ。今度は月英ちゃんが驚いてる! かわいい! キタコレ!」
「………………」
「だってほら、諸葛亮の顔見てごらんよ。
あの極悪な顔。そう簡単には了解してくんないよ。
だけどわしも、諸葛亮が首を縦に振るまでは動かないから。
絶っっっ対に連れて帰るから」
「………………」
「もうね、嫌ならわしを殺すしかないよ? 殺す? 殺してみる?
月英ちゃんなら2秒、諸葛亮でも30秒で殺せるんじゃない?
でも殺したら大変だよ。討伐隊とか来るよ。諸葛亮討伐隊。
いちおうここにいるよって手がかりを成都に残してきたから、
殺したらそのうちバレるからね」
「………………」
「そういうことでよろしくね!
夕食はカレーがいいなあ。え? カレー知らない?
印度とかいう西の方の国で……。じゃあ作り方教えるよ。まずカレー粉をね。
ってカレー粉がないじゃんか。どうしようか。わはは」
~~~涿郡 桃園~~~
「ほれほれ張さん。盃を掲げて、ほれ。
何か宣誓せえ。なんかかっちょいいことを言うんじゃ、ほれ」
「はあ? アンタなんかと何を誓うのよ?」
「だから、わしらは今日から義兄弟だって言ったろ?
義兄弟らしい誓いの言葉じゃよ」
「だから、アタイは義兄弟だなんて認めないって言ってるでしょ!」
「張さんは意固地じゃのう……。
じゃあ関さんはどうじゃ。何か思いつかんか」
「………………」
「思いつかんか。ほんならわしが考えるしかないか。
ええと。そうじゃなあ……。
――わしら三人! 死ぬ時は一緒だ!」
「…………何それ。なんの運命共同体よ。
それを言うなら、もっとマシな言い方があるでしょ。たとえばほら、
――我ら生まれし日はたがえども、願わくば同年同日に死せん、とかなんとか」
「それじゃ!! それで行こう張さん! 関さん!
――我ら生まれた日は違うが死ぬ時は一緒だ!」
「あんまり変わってないじゃないの!」
「わはは。細かいことはどうでもいいんじゃ。
こうして義兄弟が三人で何かを誓った。それが大切なんじゃよ。
そういうことで乾杯!!」
「……ま、くれるなら酒は飲むけどさ。
でも勘違いしないでよね。義兄弟なんてアタイはまっぴらごめんなんだから!」
「………………」
~~~蜀 成都~~~
「………………ここは」
「お目覚めですか、陛下」
「馬謖さん……。それに龍さん、伊籍さん、来敏さんも。
おお、そうじゃ伊籍さん。息子を、劉禅さんを連れてきてくれたか?」
「は、はい。それが……」
「んん? なんじゃ、浮かない顔をしおって。
ま、まさか……劉禅さんに何かあったんか!?」
「何もない」
「ほ、ほうか。ほんなら良かった……。
って。え。り、亮さん…………!?」
「どうした。余の顔に何かついているか。
貴様には死神が取り憑いているようだが」
「わ、わしは夢を見ておるのか……?
い、いや。この胸糞悪い物言いは間違いなく本物じゃ……」
「えっへん。わしが連れ戻してやったんだぜ、パパ!」
「劉禅さんが亮さんを……?」
「馬鹿な。余は貴様らごときの言葉で動きなどせぬ。
この国を好きにして良いと言われ興味を覚えただけだ」
「また会えてうれしいって言ってるです」
「黙れ黄月英」
「こ、この国を好きにじゃと……?」
「うん。パパが死んだらわしが次の皇帝じゃん?
そしたら国を諸葛亮の好きにしていいよって言ったんだ」
「な、な、なんという…………」
「わはは。そりゃいい。でかしたぞ劉禅さん!
ほうか。そう言えば亮さんを連れ戻せたのか。そんな簡単なことで良かったのか……。
なあ亮さん。劉禅さんの言ったとおりじゃ。
なんなら、わしが死んだら次の皇帝に亮さんが――」
「断る。帝位になど興味が無い」
「面倒事は劉禅に押し付けるから自分は好きにやらせろって言ってるです」
「み、身勝手にも程がある……」
「だって、わしが帝位につけたのも、こうして国を持てたのも、
みーんな亮さんのおかげじゃないか。
亮さんがおらんかったら、わしは曹さんにやられてとっくにおっ死んどるぞ。
帝位や国の一つや二つくれてやっても罰は当たらんじゃろ」
「そうそう。どうせわしの代になったら、
ややこしいことは全部、諸葛亮に丸投げするしね」
「…………親子そろってまるで寄生虫だな」
「ほうか。ほうかほうか。
亮さんが戻ってくれたなら、わしはなーんも心配することありゃせん。
曹丕さんってのも相当のドSらしいが、
亮さんのほうがSっぷりは10倍は上じゃろ。怖いものなしじゃ。
じゃから、後は任せたぞ……」
「せ、先輩」
「わはは。亮さんの顔を見たら安心してもうた。ちょっと眠らせとくれ。
何かあったら亮さんに聞くんじゃ。
劉禅さんも、亮さんを父親だと思って、よく言うことを聞くんじゃぞ」
「うん。っていうか諸葛亮に全権を任せちゃうよ」
「それがいい。……それでいい。
亮さん、あんたに会えて良かった。最期の時にも来てくれて、感謝しとるぞ。
良い冥土の土産になったわい……」
「余の顔が引導代わりだ。安心して死ぬがいい」
「うんうん。
……張さんや関さんを待たせすぎた。
きっとあの桃園で、待ちくたびれておるじゃろう。わしはもう行くぞ……」
「劉備先輩!!」
「へ、陛下!!」
「じゃあねパパ。おやすみ」
「…………死ね」
~~~~~~~~~
かくして一代の巨人・劉備は没した。
諸葛亮は蜀に戻り、南中に蠢く有象無象の一掃に乗り出す。
曹操、劉備が果て、三国時代は新たな幕を開こうとしていた。
次回 〇八八 南中への道
 




