〇七九 奸雄の死
~~~合肥~~~
「……………………本当か?」
「は、はい。間違いありません。確証を得ています。
戦中のため華美な葬儀は慎み、
各戦線の将兵は持ち場を離れないようにとの厳命です」
「曹操のダンナらしい遺言だぜ……」
「そうか……。
殺しても死なないような奴だと思っていたが、
あいつも人間だったんだな……」
「夏侯惇のダンナ、何をぼやぼやしてんだよ。
早く会いに行ってやれよ」
「……持ち場を離れるなという厳命だ」
「こんな時に限って堅物になってんじゃねーよ。
ダンナが会いに行きてーか行きたくねーかって話だろーが」
「…………すまぬ。行ってくる」
「おう。留守はオレと温恢に任しとけよ」
「孫権は奪ったばかりの荊州の統治に手一杯です。
合肥までは手が回らないでしょう」
「ああ。すぐに戻る」
~~~漢中~~~
「関さんと曹さんが、死ん、だ……?
わっはは。そ、そんな馬鹿な話があるもんか。
ど、どっちかが、それとも両方が間違いじゃろう!」
「多数の間者を放ち確認しました。……間違いありません」
「そ、そんな……。わしは信じぬぞ!
わしは誰よりも関さんのバケモノじみた強さを知っとるんじゃ!
曹さんだってそうじゃ! あの二人が簡単に死ぬもんか!」
「劉備、しっかりなさい。
仮にも大将のアンタが動揺したら、全員が動揺すんのよ」
「ち、張さんは信じるんか?
関さんが、あの関さんが死んだなんて、そんなことを――」
「アタイだって関羽のバケモノさは知ってるわよ!
でも荊州は孫権の手に落ちたわ。それは確実なことよ。
だったら関羽が死んだっておかしくないわ」
「………………」
「いいこと、劉備。大将ってのはね、常に冷静に構えんのよ。
どんなに最悪の事態が起こったって、
平気な顔して笑ってりゃいいのよ。
関羽だってここにいたらアタイと同じことを言うわ」
「……いや、関さんは何もしゃべらんじゃろ」
「そ、そうね。あの無口バカがしゃべるわけないわ。
やっぱりアタイも動揺してるみたい……」
「……わかったよ張さん。
どうせわしにできることは何もないんじゃ。
じゃったら笑っとく。関さんもその方が喜ぶじゃろ……」
「傷の舐め合いは済んだか? それなら余の話を聞け」
「諸葛亮! まったくアンタは……。いったい何よ?」
「曹操が死んだ。この機を逃す手はない。魏を攻めるぞ」
「……たしかに曹操を失った魏は激しく動揺してるに違いないッス。
でもこんな時に――」
「いったいどんな時だ?
荊州を失ったからには別の土地を奪い取らねばならん。
その絶好の機会ではないか」
「……いや、それは駄目じゃ亮さん。わしは魏を攻めとうない」
「なんだと?」
「わしは権さんと、いや孫権と戦う。
やるなら関さんの仇討ちじゃ!」
「孫権軍は荊州に戦力のほとんどを集中させている。
それを打ち破るのは容易ではない。その点、魏ならば――」
「漢中王の命令じゃ! わしは孫権を討つ!」
「劉備…………」
「ほう。初めて王らしい言葉を発したな。
黄月英、史書に記しておいてやれ」
「はいです。219年某日。
劉備、偉そうに怒鳴る。メモメモです」
「……や、やっぱり怒っとるかのう、亮さん?」
「貴様の好きにしろ。この国は貴様の国だ。
事を決めるのは余ではない」
「すまんな亮さん……。これだけはわがままを言わせとくれ。
桃園の誓いを裏切るわけにはいかないんじゃ」
「好きにしろと言ったはずだ」
「劉備、アタイはもう何も言わないわ。
やるからには勝つ。関羽の弔い合戦よ!!」
~~~南郡~~~
「さすが呂蒙だぜ。関羽を殺して荊州を奪い取っただけじゃねェ。
曹操まで道連れにしやがった」
「有言実行の男だった。
いや、与えられた以上の仕事を必ずしてのける野郎だった」
「まあ曹操が死んだのは偶然だけどよ。
あのジジイもいい年だったからな。
だがオレは呂蒙がやってくれたんだと思うぜ。
厄介なヤローどもをみーんな片付けてくれた」
「……でも、呂蒙さんにはもっと生きていて欲しかったな。
もっといろんなことを教えてもらいたかった」
「頼りねェこと言ってんじゃねェよ陸遜。呂蒙の後任はおめェだ。
呂蒙ほどじゃなくていい。おめェにできることをやれ」
「がんばります!」
「……ったく、どいつもこいつも一仕事終えたら
さっさとくたばりやがってよォ。
呂蒙にも同じこと言った気がすんが、おめェは長生きしろよな」
「当たり前じゃないですか。ボク、孫権艦長より若いんですよ。
艦長の方こそ気を付けてくださいよね。お酒好きなんですし」
「ははっ。違ェねェや」
「……ところで艦長。ちょっとお聞きしたいんでゲスが」
「あぁん?」
「どうして降将どもが雁首そろえてやがるんでゲスかね?
寝返ったヤツから関羽の捕虜だったヤツまで、
目障りでしょうがないんでゲスが」
「………………」
「へ、へへ……」
「チッ……」
「フン」
「き、気まずいアルね……」
「あ、ああ……」
「おう、忘れるとこだったぜ。
集まってもらったのは他でもねェ。てめェらどうしてェんだ?」
「ど、どうしたい……と言うアルと?」
「だから、オレらに降りてェのか、
それとも国に帰りてェのか。望みを言えよ」
「か、帰してくれるのですか!?」
「オレんとこは曹操みたく景気が良くねェんだよ。
捕虜を飼っとく余裕なんてねェんだ。
おとなしく降伏してオレらを手伝うか、
国に帰ってまた戦うか、好きな方を選べよ」
「そ、それなら俺は……ど、どうするかな。
きっと俺や糜芳は、劉備様に会ったら
関羽の仇だって殺されちまうよな……」
「おれっちは帰るぜ。
曹操のダンナが死んだってのに、こんなところにゃいられねえ」
「なら、俺も于禁将軍に従おう」
「…………じ、じゃあ私も帰ります。帰してください!
(于禁と東里袞が口添えしてくれれば罪に問われないかも!)」
「わ、ワタシは孫権様に降るアル!
帰っても絶対殺されるアル……」
「そ、それなら俺もそうしよう!」
「あ、あとできれば徐州方面に回して欲しいアル。
出身地だから土地勘もあるし、きっとお役に立てるアル!」
「ず、ずるいぞ糜芳! お前ばっかり!」
「ええい! 見苦しい連中でゲスね!
こんな奴らみんな殺してしまえばいいでゲス!」
「贅沢なこと言うな。オレらは人手も足りてねェんだよ。
使える人材なら喜んで迎え入れるぜ。
――んん? そういやあてめェはまだなんも言ってねェな。
潘濬とかいったか。どうすんだよ」
「…………オレは、アンタに降るよ。
アンタも面白そうだ。ゲームをやり直したくなった」
「げえむ? よくわかんねェけど、
関羽の下でいろいろやってたそうだな。
使えそうじゃねェか。じゃあ陸遜を手伝ってやってくんな」
「荊州のことでわからないことがあったら教えてくださいね!」
「…………フン」
「あと重傷で寝込んでる廖化とかって拳法家もいるんだろ?
どれ、そいつのツラでも見に行くかな。
拳法家たァ珍しいぜ。仲間になってくんねェかな……」
~~~許昌の都~~~
「オヤジの印綬はどこだ!?」
「……やぶから棒になんですか殿下。
魏王が亡くなられ都が、いや国中が大騒ぎをしている時に、
印綬をどうなさるおつもりですか」
「誤解すんじゃねえよ。
僕様が曹丕のアニキに取って代わろうと考えてるとでも思ったか?
あのおっかねえアニキに逆らうわきゃねえだろ!」
(ほう……。曹彰殿下でも曹丕様は怖いのか)
「国中が大騒ぎしてんだから、
この隙にどっかの誰かが馬鹿なことを企むかも知んねえだろ?
だから僕様がしっかりと印綬を守ってやるって言ってんだよ」
「……なるほど。殊勝なお心がけです。
しかしご心配いただくまでもなく、都の守りは万全ですし、
曹丕様から今は誰も入れるなとの命令を受けています」
「なんだと? 僕様にオヤジの顔も見せねえってのか?」
「いいえ。もちろん殿下は話が別です。
曹丕様はあちらにいらっしゃいますので、
ぜひお会いになってください」
「おう!」
「殿下! やはりここにいらしたか。
勝手に先走らないでいただきたい」
「やっと来たか田豫。ちょうどいい、
連れてきた兵はアニキに預けてくからよ、
お前は都の守備を手伝ってやれ」
「まったく殿下は……」
~~~上庸 葭萌関~~~
「関羽は討たれた!
もはや貴殿らに勝機はない! おとなしく降伏されよ!」
「……上庸を奪回したらきっとたくさん褒美をもらえるよ。
そうしたらお前にも何か買ってあげるからね。
まあ楽しみだわ! あなた愛してる!(夏侯尚裏声)」
「どどどどうすんのよ!?
劉封様は関羽を助けに行ったきり帰ってこないし、
徐晃の大軍に囲まれちゃったわよ!」
「魏軍に夏侯尚という男がいましてね。
よく仕事のできる男なんだが、ひとつ変わった趣味を持っている。
大~きな人形をいつも持ち歩いてるんだ。
女性の等身大の人形で、本物の服をまとってるよくできた人形なんだ。
でもそれがよく見るとおかしいんだ。なんだろな~。
何がおかしいんだろな~ってよくよく考えて――」
「いまさら夏侯尚の紹介なんてどうでもいいわよ!
あれは妻のミイラなんでしょ! みんな知ってるわよ!」
「成都に援軍を要請しましたが、いつ到着するものか……。
それに……」
「それに……何よ?」
「はたして関羽将軍を見殺しにした我々に、
援軍は来るのでしょうか?」
「う…………。そ、そうね。
劉備様はあちしらに激怒してるでしょうし……」
「……援軍が来ないから、だからどうしたと言うのだ」
「か、霍峻。ダメよ寝てないと」
「援軍など関係ない。
我々の責務はこの葭萌関を守るこ――ゴホッ! ゲホッ!」
「病み上がりなんですから無理しちゃいけませんよ。
あたしの古い友人にもね。長いこと患ってた人がいるんですが、
ある日、急に手紙をくれたんだ。
手紙なんてくれるのは初めてでしたからね。
あれ~どうしたんだろうな~と思いながら読んでみると――」
「お、お待ちください! 徐晃軍の様子が妙です」
「どけ! この葭萌関は渡さん!」
「劉封のヤローが戻ってきたぜ!」
「くそっ! 背後を襲われた!」
「り、劉封様よ! 戻ってきてくれたわ! 早く助けないと!」
「孟達! 城門を開けてくれ!」
「……いや、開けられません」
「へ?」
「いまさら劉封さんが戻ったからと言ってね。
状況はな~んにも変わらないんだ。
劉封さんが来たら勝てますか? それは無理だ。無理なんだ~。
それに万が一勝てたとしても、あたしらは処罰されます。
なんせ関羽将軍を見殺しにしたんですからねえ。
関羽将軍は夜な夜な劉備様の枕元に立って、
憎い憎い、孟達や劉封が憎いって言ってるんだ。
どう転んでもあたしらは助からないでしょう。
だったらあたしらのやることは一つです。
この上庸を魏に明け渡す。そういうお話です……」
「孟達! 貴様――ゲホッ! ゴボッ!!
ぐっ……孟達……なんということを……」
「孟達……アンタ……本気なのね?」
「………………」
「孟達ーーッ! 何をしている!? 門を開けろーーッ!!」
~~~許昌の都~~~
「――――ここは」
「お目覚めかね。薬が効いたのじゃろう。よく眠っておられた」
「……面白い夢を見た。
僕がもう死んでしまって、その後の様子を空から見ていたんだ」
「ほほう。麻沸散にそのような副作用はなかったはずじゃが」
「このところ僕が死んだ後のことをよく考えている。
きっとそのせいだろう」
「おやおや。位、人臣を極めた魏王様が弱気なことじゃ」
「別に弱気になったわけではないさ。
僕もいい歳だからね。そろそろ死ぬだろう。
死んだらいろいろと面倒事が起きる。
その面倒をできるだけ減らしたいから、思い悩んでいるだけだよ。
――いや、後に残る人々に気を遣っているわけでもない。
ただ僕は全力を尽くしたいだけさ。
死ぬまでにやれることがたくさんあるのに、
それをやらずにいるのは気持ち悪いだろう?」
「ほうほう。それで魏王の死後に職にあぶれる、
宮女の仕事の世話まで、いちいち書き遺したのじゃな」
「……なぜ君が僕の遺書の内容を知っているんだい」
「はてさて」
「そうか。やっと思い出したよ。全てが不合理な話だ。
僕はもう死んでいるんだ。
だって僕が君と話せるわけがないじゃないか。
君ももうとっくに死んでいるんだからね。なんせ、僕が殺したんだ」
「………………」
「君は医師だとばかり思っていたけど、妖術師だったのかな?
まあいい、これ以上君と話すことはないよ。
さっさとあの世かどこかへ案内してくれたまえ」
~~~許昌の都~~~
「………………ここは」
「ぁ、曹操っちぉきた?
ぃくらロ乎んでもぉきなぃから死んぢゃったと思ったょ」
「…………僕も死んだと思っていたよ」
「曹操っちが冗言炎ぃぅの珍しぃね。
デモぜんぜんぉもしろくなぃょ?」
「冗談を言ったつもりはないけどね。
まあいい、せっかく戻れたんだ。久しぶりに歌ってくれないか」
「ぇぇ~?
またアタシの哥欠言司がヘンだって笑ぅっもりでしょ??」
「笑わないさ」
「曹操っち、ぃっぱぃ言寺ぉ書ぃてるんダカラ、
アタシの哥欠にも書ぃてくれればぃぃのに」
「僕が作ったんじゃない、君の歌が聞きたいんだよ」
「もぅ。。。ぢゃぁ哥欠ぅネ。
♪ぁぃたくて震ぇて ぁぇなくて震ぇなくて
ぁなたのそばにぃたくて デモぃなくて」
「………………」
「♪ゃっとぁぇたケド 震ぇてて――ホラ!
また曹操っち笑ってる!」
「………………」
「ダカラ曹操っちが哥欠言司ぉ書ぃてって――。
ぁれ? 曹操っち?」
「………………」
「曹操っち。。。。。。??」
~~~~~~~~~
かくして覇王はその生涯を閉じた。
関羽が死に、曹操が死に、それでも航路は進む。
そして覇王の子は己の覇道を歩み、一つの世を終わらせようとしていた。
次回 〇八〇 天に二日あり




