〇七八 軍神・関羽
~~~襄陽~~~
「くそおっ! 潘濬ーーッ!!」
「俺のことはいいから逃げろ!
俺はともかくアンタは捕まったら殺されるんだ!」
「すまぬ……。退却だ!!」
「身をていして主の子息を守ったか。見事な覚悟だ。
悪いようにはしない。我々に降られよ」
「…………クソが」
「なんだと?」
「クソが!!
横からしゃしゃり出てきて俺と関羽のゲームを邪魔しやがって!
関羽に呼応して中原に沸き起こった反乱の渦が見えないのか?
アンタらもそれに続けて魏を攻めたら、
あの曹操を倒すこともできたんだ!!」
「お前の思惑など知らぬ。我々は孫権艦長の意志に従うだけだ」
「で、てめえはどうしたいんだ? 戦うのか? 降るのか?」
「……もうどうでもよくなった。
横からひっくり返された盤面になんて興味ないよ。
殺すなり捕らえるなり好きにしろ」
「それなら一度、孫権艦長に会ってみないか。
あたら若い命を散らすこともあるまい」
「…………好きにしろよ」
「あ、あのー」
「お、お取り込み中ちょっといいですか?」
「ん? なんだてめえらは」
「襄陽を守っていた魏の荊州刺史と将だよ。
俺たちに降ってすぐ、孫権軍に俺たちがやられちゃったから、
自分たちの処遇がどうなるのか気にしてんじゃないの?」
「そ、そうなんですよ! いやあ話が早くて助かるなあ!」
「そ、それで……あの、俺たちはどうなる、んでしようか……?」
「……それでは劉備軍の捕虜になっていた
魏の兵でも率いてもらおうか。関羽を追撃するのを手伝ってくれ」
「かしこまった!!」
「そういうことなら俺たちにお任せください!!」
「……こいつらは殺しちまえばよかったんじゃねえか?」
~~~零陵~~~
「孫権ちゃんが遊びに来たの? わーい! いらっしゃーい!」
「違う! 孫権軍が裏切ってこの零陵に攻め込んできたんだ!
私が治めていた武陵もすでに落とされた。
えらいことになってしまった……。
いったい関羽は何をしているんだ!」
「関羽の本隊は撃破された。じきに首を取られるだろう。
お前らも観念して降伏しろ」
「降れ」
「ええー。ぼくは劉備ちゃんにこの零陵を任されたんだよ。
そう簡単に降伏なんてできないよ」
「……お前は益州刺史から零陵太守に左遷されただけだろ。
刺史だったお前が都に残っていたら
あとあと面倒だから、外地に出されたんだ。
なぜ劉備に義理立てする必要がある?」
「劉備ちゃんはそんな人じゃないやい!
それに僕に零陵に行けって言ったのは
劉備ちゃんじゃなくて諸葛亮ちゃんだもん!」
「だったら諸葛亮に左遷されたんだ」
「左遷だ」
「…………本当に?」
「本当だ」
「本当だ」
「本当だ」
「本当の本当に?」
「本当の本当にだ。わかったら降伏しろ。悪いようにはせん」
「…………劉備ちゃん」
~~~樊城~~~
「曹仁将軍! 助けに参ったぞ!」
「関羽の本隊は孫権軍に撃破された! 俺たちの勝利だ!」
「待ってました! 城門を開け!
俺たちも突撃するぞ! うおおおおおお!!」
「樊城の部隊も出撃したか。
ならば我々が無理をすることもあるまい。
抵抗する相手は魏軍に任せ、逃げようとする敵だけを追え!」
「おのれ孫権! 不意打ちとはなんと卑怯な!
もはや関羽将軍の生死もわからん。かくなる上は――」
「だからお前は阿呆なのだああああっ!!」
「し、師匠!? い、いや呂常!!」
「筋肉は多少ついたようだが、
オツムの方はまるっきり成長していないようだな。
廖化よ、そんな傷だらけの身体でどこへ行くつもりだ?」
「知れたことを。
誇り高き関羽将軍の配下として華々しく討ち死にするまでだ!」
「この馬鹿弟子がああああっ!!」
「うあああああっ!!」
「阿呆め! お前が討ち死にしたとて誰が喜ぶ?
一時の屈辱にだけ囚われ、
たった一つの命を投げ出すなど言語道断!
そんなにも関羽を慕うならば、関羽のためにも――――んん?」
「………………」
「しまった。やりすぎたか。
気絶してワシの説教を聞いておらんではないか」
「………………」
「まあちょうどいい。このまま孫権軍に突き出してくれる。
お前のその目で! 耳で! 皮膚で! 心で!
孫権軍を内から覗き見聞を広めるのだ。
世界は広い! 命を捨てるには早すぎるぞ廖化よ……」
~~~麦城~~~
「別働隊を率いていたお前が来てくれなければ危ういところだった。
父も感謝しているぞ、蘇飛よ」
「いや、急でこんな古城しか確保できなかった。
兵糧も武器も足りない。長居はできないぜ」
「襄陽や樊城を包囲していた関興殿、廖化も撃破されたそうだ。
我々は四方を敵に囲まれている。
じきにこの麦城にも魏・孫権の連合軍が迫ってくるだろう」
「その前にどこかへ逃げ出さなければ……。
末弟の関索はこんな時にどこをほっつき歩いてるのだ!」
「関索殿はずっと前から旅に出ていた。
それに関索殿一人がいても状況は変わるまい。
落ち着くんだ若将軍。関羽将軍を見られよ」
「………………」
「おお……。父上はいつもと全く変わらぬ平常心を保っておられる。
父上! その不動心を学ばせて頂きます!」
「……荊州に展開していた部隊は残らず撃破されただろう。
俺の手勢はまだ余力がある。
上庸の劉封・孟達に援軍を求めてこよう」
「劉封らにはすでに一度断られている! 奴らを頼る必要などない!
関羽は独力でこの窮地を覆せる!」
「じゃあ何もせず坐したまま死を待てってのか? 俺はごめんだね。
やるだけのことはやってみる。期待せず待ってな」
「蘇飛殿の言うとおりだ。
脱出の機をうかがいつつ劉封殿らの援軍を待とう」
「くっ…………」
~~~上庸~~~
「関羽将軍の救援に行くなだと?」
「ええ。ここ上庸の周りには不穏な空気が漂ってるんだ。
なんせずっと魏の領域だったところだからね。
劉備軍なんかには従わないぞ。ここは曹操の土地だぞって。
そう思ってる輩がたくさんいる。た~くさんいるんだ。
だからここを離れたら危ない。
もし兵を減らしたりなんかしたら――わっ!
と残党が蜂起してしまう。そういうお話です……」
「たしかにそう言って一度は援軍を断った。だが前とは状況が違う。
孫権軍が裏切り、荊州は陥落した。
このまま放っておけば関羽将軍は殺されてしまう!」
「……でもあちしたちが行ったからってどうにかなるのかしら?
魏軍も孫権軍もいっぱいいるのよ。
それに孟達が言った通り、あちしらが上庸の守備を手薄にしたら、
そこにいる申耽とかが反乱するわよ」
「い、いや。そんなつもりはない」
「申耽は反乱しなくても、
上庸から逃げてった敵兵はまだ近くに残ってるのよ。
そいつらが攻撃してきたらどうすんのよ?」
「あたしの古い友達の霍峻が一月前から寝込んでましてね。
これまで風邪一つ引いたことのない男なのに、
この上庸に越してきてから急に倒れたんだ。
それで見舞いに行ったら彼が
「孟ちゃん俺はもう駄目だ」なんて言うんだ。
よせや~い何を弱気になってんだよって。
風邪も引いたことない男だから、変に弱気になってんだよと。
あたしはそう言ったんですけどね。
彼は真剣な顔で「だってさあ。影が見えるんだよ」なんてことを言う。
影? 影ってなんのことだいって聞いたら――」
「長い長い長い!
要するに霍峻が心配だ、
霍峻が戦えないのに城を空けられるかと言いたいのか?
だったら俺が一人で援軍に行く! お前らには頼らん!!」
「り、劉封殿は行ってしまいましたぞ。
止められなくてよいのですか?」
「劉封の手勢だけじゃ、どうせすぐ撃退されて戻ってくるわよ」
「さ、さようですか……」
~~~麦城 南 孫権・魏連合軍~~~
「麦城に関羽を追い詰めました。ここで関羽の首を獲ります」
「包囲の輪は何重にも築いたんで、
いくら関羽でも逃げられないよね」
「関羽にはさんざっぱら煮え湯を飲まされた!
俺たちもお返しさせてもらうぜ!」
「そいつは頼もしい申し出ですが……
しかし今回は我々に任せていただけませんかね」
「なんだと? 我ら魏軍の力はいらぬと申されるのか?」
「ぶっちゃけると戦後の領土問題とか
ややこしくなっちゃいますんで。
ほら、麦城って魏と孫家の国境のちょうど境目あたりにありますし。
ま、今回は我々だけで関羽を討ち取りますよ」
「それでは気が済まん! 荊州方面の全権は俺に任されている!
麦城はくれてやるから兵は出させろ! 関羽は魏の手で打つ!」
「ですが――――」
「ここまで言ってくれてるのに断っちゃ悪いですよ。
せっかくだから手伝ってもらいましょうよ」
「……この戦の指揮官は陸遜だ。思うように任せますよ」
「それじゃあ万が一のことがあったらまずいんで、
曹仁さんは後方に控えててもらいます?
何部隊か出してもらえればいいんで。
あ、だからって最前線でこき使ったりはしませんよ」
「曹仁将軍、ここはこらえられよ。
我々も長い籠城戦で消耗しています。
援軍に来た殷署、朱蓋の部隊に任せましょう」
「フン! 勝手にしろ!」
「……どうにか妥協してくれましたね」
「でもあんなに頑なに断らなくてもよかったんじゃないですか?
兵なんていくらあっても困らないでしょ」
「陸遜には悪いですが、これはあっしのわがままですよ。
関羽を討ち、荊州を奪取するのはあっしの悲願でした。
関羽はあっしらの手で討つ。魏の助けはいりません」
「ボクが指揮官だって持ち上げときながら、
ちゃっかりしてるんだから……」
「あっはは。すいませんね。
何年経ってもあっしは、若い頃の無鉄砲な阿蒙のままなんだ。
人生最期の戦いくらい、思うようにやらせてくださいよ」
「………………呂蒙さん」
~~~麦城 西~~~
「…………どけよ。アンタとは戦いたくねえし」
「敵を見逃すと言うのか? 甘くなったな甘寧」
「昔、オレは命がけでアンタの命を救ったんだぜ?
なのになんでアンタの首をオレが獲らなきゃいけねえんだよ!
チキショー……。体調が悪いからって麦城の攻撃を外れて、
周辺警戒になんて回らなきゃ良かったぜ」
「これも天命だ。来い、甘寧。来なければ俺がお前を殺す」
「そんなボロボロの身体でどうやってオレを殺すってんデスカ?
麦城から援軍を求めて抜け出したんだろ?
でも包囲を突破できなくてボロボロにされたんだろ?」
「無駄口叩いてる暇があったら来いよ。
鈴の甘寧も落ちたものだな!」
「クソがああああああっ!!」
「…………そうだ。それで、いい…………」
「クソ野郎が……。黄祖も、アンタも……。チキショー……」
~~~麦城~~~
「蘇飛も戻らなかった。
おおかた包囲を突破できずに討たれたのだろう。
このまま籠城していても飢え死にするだけだ。
かくなる上は華々しく打って出るまで!
関羽の最期の戦を見せてやろうぞ!」
「……関羽将軍、よろしいのですか?」
「………………」
「この関羽が心も関平と同じ。
いざ出陣だ! と父の心は震えている!」
「……関羽将軍の武勇ならば、
単騎であれば千に一つは包囲も突破できるであろう。
若将軍、我々は――」
「黙れ黙れ! 関羽は将兵を犠牲にして逃げたりなどしない!
そんな生き恥をさらすくらいならば死を選ぶ! 行くぞ!!」
「………………」
「………………」
~~~麦城 南~~~
「関羽にはうかつに近づくな!
遠巻きにして矢を射かけるんだ!」
「関羽がいくら勇猛だろうが矢の雨には勝てぬ!
撃って撃って撃ちまくれ!!」
「ぐわああっ!!
か、関羽将軍……。お先に、失礼いたす……。ぐぶっ」
「………………」
「関羽にはぜんぜん矢が当たってないよ。
青龍偃月刀でぜ~んぶ弾いちゃってます」
「これじゃらちが明かねえ! 俺が直接ぶった斬ってやる!」
「やめろ潘璋さん!
関羽は個々の武勇でどうにかなる相手ではありません」
「ならば……そっちの息子から血祭りに上げるでごわす!」
「この関平が父に遅れを取ると思うてか!」
「………………」
「ち、父上! いけません!
この程度の相手、関羽の手をわずらわせることはない!」
「関羽の弱点は息子だ! 息子を狙えば隙ができるぞ!」
「くっ!! お、俺が父上の足手まといになるわけには――」
「息子さんに矢を集中させちゃいましょう!
みなさーん。関羽の息子が的ですよ!」
「来るなら来い!! もっと撃ってこいよ!!」
「チッ! 息子のほうも意外とやるぜ! 矢が効かねえ!」
「どけ。矢が駄目なら石だ。むううううううううん!!」
「なっ!? 鉄槌で岩を砕き破片を飛ばしてくるだと!?」
「………………」
「駄目だ父上! 石を弾いたら青龍偃月刀が――」
「!?」
「関羽の得物が折れたぞ! 矢を放て!!」
「………………ッ!!」
「父上ーーーーーーッッ!!!」
「関羽はハリネズミでごわす!
お前もすぐに後を追わせてやるでごわす! どすこいっ!!」
「ぐわあっ!! ふ、不覚…………。
も、申し訳ありません……。
俺は、父上の……関羽の足手まといにしか、ならなかった……」
(………………関平)
「!?」
(胸を張れ。お前は吾の誇りだ)
「ち、父上……? 父上の心が……伝わってくる……」
「な!? こ、これだけ矢が刺さってるのに
関羽はまだ動けるでごわすか!?」
(お前には父親らしいことを何もしてやれなかった。
ならば最期に、関羽らしいところを、
お前が誇りに思ってくれる関羽の力を見せてやろう)
「ち、父上…………?」
「へ? あ、あれ……。なんか体がおかしい……で、ごわ……す?」
「し、し、蒋欽が真っ二つに……!?
なんだ! いったい何が起こった!?」
(行くぞ。これが関羽の最期の力だ)
「な、なんだってんだよ。
死にかけの関羽なんか怖くねえだろ!
俺が首をとってやらあ!!」
「ああ! 俺たちの手柄だあああっ!!」
(退け)
「あ、あ、あべし!!」
「ひ、ひ、ひでぶ!!」
「なにィ!?」
「ど、どうなっている!? 関羽は一歩も動いていないぞ!
何かがおかしい! 関羽に近づくな!」
(ならば吾の方から行って進ぜよう)
「な――――!?」
「か、関羽が一瞬で背後に回った!? 孫皎がやられたぞ!」
「ああ……父上……。これが関羽の……本当の力……」
「相手がなんであろうと退くわけにはいかぬ!」
「我々を送り出してくれた北の人々のためにも!」
「よせ!! 今の関羽に近づくな!!」
「ぎゃあああああああ!!」
「あがああああああ!!」
(恐れよ。これが関羽だ)
「や、矢だ! 矢で動きを止めろ!!」
「石もくれてやる。そらあああああああっ!!」
(無駄だ)
「わあ……。矢も石も近づくそばから粉々に吹っ飛んでるよ。
どうやってんだろあれ」
「………………」
「り、呂蒙さん?
な、なんか変なこと考えてない? やめときなって。
いくら呂蒙さんでもあんなバケモノに敵うわけないよ!」
「いや。関羽も人間だ。殺せないわけがない。
――関羽!」
「………………」
「一騎打ちだ。俺が相手してやる」
「死ぬ気か呂蒙!?」
「放っといても1年もたない命だ。好きに使わせてください」
(参る)
「見える!」
「………………」
「見える。見えるぜ関羽! あんたは生と死の境を越えた!
命を捨て、ただ関羽であろうとだけしている。だから強い。
今のアンタは現し世にいながらにして神にも等しい!」
「………………」
「しかしあっしも命はとうに捨てた! ならば条件は対等だ!!」
(否)
「ぐああっ!!」
「呂蒙さん!!」
(吾は関羽。吾には誰も並び立てぬ)
「へっ……。こいつが関羽と、呂蒙の差か……」
「や、やべえ! 関羽がこっちに来るぞ!」
「ひいいいいいいいっ!! ま、待て関羽! は、話せばわかる!
お、お前の息子ももう死んだんだぞ!
それでも誰のために戦うんだ!?」
「!」
「……………」
(そうか…………。逝ったか関平…………)
「……………」
(ならば関羽も、ここまでだ……)
「や、やめてくれ!! 殺さないでくれ!!
ひいいいいいいいい!!」
「……………………」
「な、なんだか様子が変じゃねえか? 関羽が動かねえぞ……」
「ぐっ……。どけ。どいてくれ。関羽……」
「……………………」
「これって……。立ったまま……」
「これが…………関羽、か」
~~~~~~~~~
かくして軍神は最期の戦いを終えた。
一方その頃、もう一人の巨星も長い戦いの人生を終えようとしていた。
その名は曹操。乱世の奸雄と呼ばれた男であった。
次回 〇七九 奸雄の死




