〇七七 関羽の不覚
~~~樊城~~~
「がっはっはっ! すっかり囲まれちまったな!」
「城のすぐ外側は水が、
そのさらに向こうには関羽軍が包囲の輪を敷いている。
樊城は二重に取り囲まれてしまいました……」
「だが雨はやんだ。もう水が城内まで攻めてくることはない。
関羽軍も水に阻まれ城攻めできぬから、
包囲する兵だけを残し先へ進んだ。
フン、緊張感のない籠城だのう!」
「だったら資材をかき集めて船でも造り、
こっちから攻めてやろうか!」
「いや、無理をすることはありますまい。
陳矯殿をはじめ兵の多くが水攻めであるいは負傷し、
あるいは疫病に倒れている。
急ごしらえの船で包囲軍と戦うのも危険です。
我らがここで粘っていれば、関羽軍は兵を割かざるを得ない。
それで十分でしょう」
「しかし問題は……兵糧の不足ですな。
もともと樊城は長期間の籠城を想定していないから、
兵糧の蓄えが乏しいのです」
「なんだ、そんなことを心配しておったのか!
米が無いなら肉を食えばよいだろう!
どうせ籠城戦では軍馬に使い道はないのだ!
馬を殺して食ってしまえ!
そうだ、どうせなら俺の愛馬を真っ先に殺せ!
そうすりゃみんな遠慮しなくなるだろ!」
「おお……。将軍のその決意を見れば、
兵たちも奮い立つことでしょう!」
「ん? どこに行かれるのですか呂常殿?」
「戦のない籠城など退屈だからな。
ちょっと関羽軍の偵察がてら散歩してくる。
どうやってだと? わっはっはっ!
ワシにとっては水面など地面の上と同じよ!」
「うおお!? み、水の上を走っていった…………」
「がっはっはっ! 呂常か!
噂には聞いていたがとんでもない野郎だな!
どれ、退屈しのぎに俺も水面を歩く練習でもするか!」
「………………」
~~~并州~~~
「魏王から関中に援軍の要請が下りました。
しかし関中は劉備の本隊と対峙し、多くの兵は回せません。
そこで私たちの并州や雍州、幽州ら
北方に派兵の任が与えられたのです」
「だが我々とて異民族や反乱軍との戦いに明け暮れ、
それほどの余裕があるわけではない」
「北方の兵は一騎当千の強者ばかりだ。ワレワレが思うに。
諸君らは負けなかった。雪にも山にも異形の兵にも。
数の問題ではないのだ。兵の強さとは」
「ああ! 将軍らに代わり、
北方軍の名誉にかけて関羽と戦ってみせよう!」
「関羽がどれほど強かろうが、雪崩や虎や嵐ほどのものではない!」
「その意気です。吉報を待っていますよ」
「我らの兵を任せたぞ」
「信じている。諸君の勝利を。
もし負けて帰ればその時は……ヒッヒッヒッ」
~~~宛城~~~
「関羽! その名を聞き胸を震わせぬ武人はおらぬ!」
「ふーん。そのカンウってのは有名なんだ」
「俺らは曹彰殿下に従って異民族と戦ってたから、
あんまその……カンウだっけ?
よく知らないんだが、徐晃将軍がそこまで言うなら
まあまあやるんだろうな」
「将軍はカンウと戦ったことあるのか?」
「否。此度が初めての邂逅だ。故に相見えるのを待ち焦がれている」
「へえ。将軍の下に付けられてすぐ手合わせしたから、
将軍の強さは知ってるけどよ。
カンウは本当に将軍ほど強いのかねえ」
「あんま期待しないほうがよくね?」
「……成程。魏王はおそらく、
貴殿らのその怖いもの知らずさを買ったのだろう。
関羽の名に畏怖せぬ、その剛直さを! 頼もしい限りだ!」
「将軍の物言いは難しくてよくわかんねえけど、
褒めてくれてんだよな?」
「だったら将軍の期待に応えねえとな!」
「うむ。貴殿らとならば、
関羽に些かもひけを取ることはあるまい! いざ参ろうぞ!!」
~~~宛城 南 関羽軍~~~
「いったい何日、輸送が遅れたと思っているのだ!
于禁軍の捕虜を大量に受け入れた我々には
補給が必要だと何度も催促したであろう。
父上や我らが命を懸けて戦っている中、
貴様は後方で何をぐずぐずしていた!?」
「お、落ち着いてくれアル。
長雨や水計であちこちの通路が塞がれたアル。
水にやられて米も足りなくなったし、
船も調達しなきゃいけなかったアル……」
「なんだと? 父の計略にケチを付けるつもりか?
それに足りないのは米だけではない。
武器も軍馬も不足しているではないか!」
「そ、それは……その。なんというか。
か、火事が起きて、ちょっと焼失したというアルか……」
「火事だと!? 水が多いとケチを付けておいて、
なぜ火の災いを招くことができる!」
「若将軍、そのくらいにしておけ。諸将の前だぞ。
糜芳殿は漢中王の親族に連なる方だ。
いくら不始末があったとはいえ、口が過ぎるぞ」
「俺とて漢中王の親族だ!
我が父・関羽と漢中王の桃園の契りを忘れたか!
――糜芳。趙累に免じて今回だけは赦す。
だがもしまた同じ事を繰り返せば、
我らが魏軍を打ち破ったら、次はお前の番だと心得よ!」
「はいアル…………」
「………………」
「………………」
~~~荊州 江陵~~~
「関平のアホ息子め!
父の威光をかさに着て威張りくさりやがって!!」
「まあまあ落ち着け。
関平の傲慢さは今に始まったことではないだろう?」
「俺を誰だと思ってるんだ!?
殿が、漢中王が徐州を治めていた頃からの重臣だぞ!
呂布に負け曹操に負け長坂で追われ……
どれだけ命を張ってきたと思ってるんだ!
それに死んじまった妹は殿の嫁だったんだ! 王の一族様だぞ!!」
「お前ちょっと飲み過ぎだぞ。キャラを忘れてるじゃないか」
「これが飲まずにやっていられるか……アル」
「まあお前の気持ちもわかる。
関羽将軍はあの通り何を考えてるかわからねえ方だから、
関平は好き勝手に将軍の言葉を代弁して、俺たちに威張り散らしてる。
天下無双の関羽将軍に言われるならまだしも、
関平の言葉は、俺だって腹に据えかねることがあるよ」
「そうだろうそうだろう……アル。
この前、呂蒙の後任になったって言って、
わざわざ挨拶に来た孫家の将を覚えてるか? アル?」
「陸遜とか言ったっけ。馬鹿が付くくらい丁寧な男だったな。
いいとこのお坊っちゃんらしいが、
荊州方面の国境を任されたからって、普通は自ら挨拶に来ないよな」
「ちょっと頼りないけど、あのくらい温厚だったら、
部下も従いたくなるだろ。アル。
関平に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいアル……」
「イヤだなあ。そんなに褒められたらボク、照れちゃいますよ」
「ほら見ろ。この謙虚さアル。
いっそのことワタシも陸遜に寝返って――へ?」
「ええ!?」
「あ、本当に寝返ってくれちゃいます?
そうしたらボク嬉しいな~。
お二人のこと、孫権様にも取り成しますんで
ぜひそうしてください!」
「な、な、なぜここにいるアル!?」
「ど、ど、どこから入ってきた!?」
「え? この扉からですけど……いけませんでした?」
「陸遜、御二方が聞いてるのはそういうことじゃありませんよ」
「こ、今度は呂蒙アル!?
お前は引退したはず――い、いやそれはどうでもいいアル!」
「な、何しに来やがった! さ、さては奇襲か!?」
「まあ奇襲っちゃ奇襲ですが……。おっと。人を呼んでも無駄ですよ。
あっしの部下があたりの兵は全員、おさえてますんで。
で――失礼ですが、御二方の話を聞かせてもらいました。
ですから、腹を割った話をしませんかい?」
「ど、どういう意味だ……アル?」
「関平に意趣返しをするって話ですよ」
~~~宛城 南~~~
「くそ! そこをどけ!」
「へへへ。そうは行かねえよ。
カンウの話しか聞いてなかったが、
息子の方もまあまあやるじゃねえか!」
「若将軍! 関羽将軍なら大丈夫だ! 目の前の敵に集中しろ!」
「アンタこそ子守りをしながら俺の相手をしようなんて無謀だぜ?
俺に集中しろよ集中!」
「…………ッ!」
「さすがは関羽! 我が白焔斧の冴えを物ともせぬとは!
だがこれならどうだ!!」
「……!!」
「あれが音に聞く徐晃か……父上と互角の腕前とはな!」
「よそ見すんなって言っただろうが!!」
「ぐっ!!」
「若将軍! 関羽将軍はともかくも我々は一騎打ちでは分が悪い!
ここは引き上げるぞ!」
「関羽の子は敵に背を見せぬ!!」
「またそのようなことを……。
関羽将軍! 若将軍が危険だ! 急ぎ撤退を!」
「………………」
「そら、関羽将軍は矛を収めたぞ。若将軍も急がれよ!」
「くっ…………。退却だ! 退却しろ!」
「おっと、逃がしゃしねえぜ!!」
「待たれよ! 拙者らの任務は関羽を討つことではなく、
樊城・襄陽の包囲を破ることである。
敵に伏兵の備えあれば危険だ。追撃は無用なり」
「なんだよ。追わねえってのか?」
「第一、敵を背後から襲うは武人の誉れではない!」
「……まあ、大将がそう言うならやめるけどよ。
これで勝機を逃しても知らねえぜ」
「関羽軍は樊城・襄陽の包囲に、
さらに于禁軍の捕虜の確保に兵を割いている。
兵力では拙者らが上回るのだ。勝敗を急ぐ必要はない」
「へーえ。俺らにゃ兵法とやらはわからねえからな。
大将に従うよ。――引き上げるぞ野郎ども!」
~~~宛城 南 関羽軍~~~
「徐晃は追ってきやせんでしたね」
「追ってくれば周倉の伏兵で叩けたのだが……。さすがは徐晃だな。
ん? どうした若将軍。浮かない顔をしているようだが」
「……俺は自分が情けない。
関羽の子が徐晃どころかその部下と戦うのに手一杯とは……」
「だからと言って焦ったり、御自分を責める必要はありやせんよ。
若将軍は若将軍。関羽将軍じゃねえんですから。
御自分のできることをやればいいんです」
「むう…………。
しかしあそこで龐徳に射られた矢傷の
治療を受けている父を見ていると……」
「………………」
「見よ! 父は骨を削られながらも涼しい顔で碁を打っておられる!
しかもあれだけの重傷を負いながら父は徐晃と戦ったのだぞ!
不甲斐ない! 俺は自分が不甲斐ない!!」
(関羽将軍のような化け物と
自分を比べちゃいかんだろ常識的に考えて……)
「さて、これでよろしいでしょう。
後は食前か食間にこの葛根湯をお飲みくだされ」
「張仲景殿、ご苦労であった」
「いえいえ。関羽将軍のような方の治療をできて私も光栄です。
それでは将軍、碁の続きはまた次回の往診でいたしましょう」
「………………」
「関羽将軍! ご報告に参りました」
「襄陽の包囲を任せている王甫ではないか。
どうした? 何かあったのか」
「お喜びくだされ。
襄陽を守っていた傅方、胡脩が開城に応じました。
さらに劉封様が攻めていた上庸も陥落したとのことです!」
「おお! そいつはめでてえや!」
「よし! 襄陽の包囲軍や劉封様の兵もこちらに回せるな!
江陵の糜芳殿も前線に出そう。
病気で引退した呂蒙の後任の陸遜という指揮官は、惰弱な男らしい。
孫家との国境の兵を減らしても問題なかろう。
これで徐晃軍をはるかに上回る兵力を確保できる!」
「糜芳か。ちょうどいい、最前線でこき使ってやる!」
「それでは私は漢中王にも報告に上がります。
関羽将軍、御武運を!」
「………………」
~~~宛城 南 関羽軍 数日後~~~
「おっ。糜芳殿の軍が見えやしたぜ」
「ずいぶんと早かったな。襄陽の軍よりも先に現れるとは」
「襄陽は多くの降伏兵を抱えている。
軍の編成に時間が掛かっているのだろう」
「そういえば劉封と孟達は派兵を断ったそうだな。
父の、この関羽の命令を断るとは無礼な……」
「攻略したばかりの上庸が落ち着くまでは離れられないとのことだ。
その言い分はもっともであろう。
若将軍、怒りは徐晃軍にぶつけられよ」
「ああ。襄陽からの援軍を待つまでもない。
糜芳軍を先陣にすぐにでも出撃するぞ!」
「………………」
「………………」
「よくぞ来てくれた。……うん? やけに兵の数が多い気がするが。
そうか、襄陽の兵を一部、率いてきてくれたのだな」
「ブー。違います!
正解はボクたち孫権軍が加わっているから、でした!」
「な!?」
「敵は泡を食っている! 一気に関羽の首を獲れ!!」
「…………!?」
「いけねえ! 逃げるんだ関羽将軍!」
「おのれ糜芳! 裏切ったな!!」
「自業自得……アル」
「こっちだ関羽将軍! 若将軍も早く!」
「……! ……!」
「くそおおおおおお!!!」
「こっから先へは行かせやせん!」
「邪魔だ雑魚どもおおっ!!」
「覚悟するでごわす!」
「ぐわああああっ!!
か、関羽将軍……。どうか……ご無事で……」
「周倉ーーッ!!」
「関羽だ! 関羽を逃がすな! 関羽の首を獲れ!」
「みなさーん。関羽ですよ~。関羽の首を持ってきてくださ~い!」
~~~~~~~~~
かくして呂蒙の奇襲は成功し、関羽は窮地に陥った。
荊州のことごとくは孫家の手に落ちるのか?
そして関羽父子の運命は?
次回 〇七八 軍神・関羽




