〇七二 定軍山の戦い
~~~漢中 定軍山~~~
「黄忠が兵を二手に分けただと?」
「はい。一隊は黄忠が自ら率い、張郃と戦う張飛軍の後詰めへ。
もう一隊は天蕩山へ向かっています」
「天蕩山? まずいであります!
あそこには定軍山の兵糧や軍需物資を貯蔵してあるのです!」
「天蕩山は従弟の夏侯徳が大軍で守ってるから、
ちょっとやそっとじゃ落ちないが……。
よし、ならば俺が救援に行こう」
「いけません。これも黄忠の罠です。
この定軍山を攻めあぐねているから、
我々を定軍山から前線に引きずり出そうとしているのでしょう」
「しかし黄忠軍を放っておいては、
天蕩山はともかく、張郃殿は危険であります!」
「……張郃の救援には私と夏侯尚が向かおう。
夏侯淵将軍と郭淮は、引き続き定軍山の守りを固めてくれ。
それと、南鄭の朱霊に増援を要請しよう。
間もなく魏王(曹操)の遠征軍が到着するから、
南鄭の守りはある程度は薄くできるからな」
「フン。また留守番か。
まあいい、殿が到着したら、先鋒として存分に暴れさせてもらおう」
「…………妻よ。お出かけするよ。
いっぱいおめかししていこうね…………。
まあ、楽しみ!(夏侯尚裏声)」
~~~定軍山 北部~~~
「せっかくまた馬超と戦えると楽しみにしとったのに、
相手が黄忠とは期待はずれじゃな。
しかも定軍山の留守番を手伝わされるんじゃろ? 退屈な任務じゃ」
「なあに、馬超も目と鼻の先にいるんじゃ。
いずれ戦う機会はあるじゃろう」
「こ、黄忠もおじいさんなのにとっても強いと聞いています……。
どんなおじいさんなんだろ。鬼婆みたいなのかなあ……」
「馬超との戦いが終わったら、
すっかり姜叙も元通りになってもうたな。
心配するな。わしらが守ってやるけんのう」
「こう見えて姜叙もやる時はやる男じゃけん。心配いらん」
「……あ、あれ? あれはなんでしょうか。
も、もしかして敵軍なんじゃあ……」
「…………ああっ。ほ、本当にやってきた。
な、南鄭からの援軍だ!!」
「たしかに敵兵のようじゃが……なんか逃げ腰じゃな。
どうする? 行き掛けの駄賃がわりにぶっ叩くか」
「結構、数は多いようじゃがあの様子なら大したことないじゃろ。
しかも旗を見てみい。黄忠の本隊じゃ!
やったろうやないか、あんた!」
「よし、野郎ども突撃じゃ!!」
「うわああっ!? む、向かってくる……。
に、逃げたい。でも命令だから逃げられない……。
や、やるしかないんだ。い、行くぞおおっ!」
「将軍! 南鄭から向かってきた趙昂殿らの援軍が
黄忠軍に襲われてるであります!」
「なんだと。
…………かなり数が多いな。黄忠の野郎、
まずは援軍を叩いて俺たちを孤立させる魂胆か」
「どういたしますか将軍」
「趙昂を見殺しにはできない。俺が出よう。後は任せたぞ」
「わかりました。定軍山は本官が守ります!」
「まずは軽騎兵で趙昂のもとに駆けつける。
歩兵は後からついてこい!」
~~~定軍山~~~
「黄忠のクソジジイめ……。
殿から預かった漢中を我が物顔で歩き回りやがってよ!」
(来たぜよ!)
「もらったあああ!!」
「ぐわああっ!?」
「むう、首は外したか」
「てめえ……黄忠!! げふっ!
ひ、卑怯者め! 俺を不意打ちしやがったな!」
「戦に卑怯も糞もないぞ青二才よ。
不意を打てるならば不意を打つのは当然だ。
悔しければお前も儂の不意を打てば良いだけなんだからな!」
「ちっきしょう……。この俺としたことが、なんてザマだ……」
「無理はするな。急所は外したが致命傷にはなる。
即死させてやれなくてすまなかったな」
「俺が……この夏侯淵が老いぼれに情けを掛けられるものか……。
来いよ黄忠……。俺と一騎打ちしろ……」
「良かろう。弓でやるか? それとも剣か?」
「弓だ。この傷じゃあ格闘戦はできっこない……」
「いいだろう。その闘志に免じて先に撃たせてやる。来るがいい!」
「けっ。不意打ちしときながら、偉そうに……。
おい黄忠。黙るな。
お前がどこにいるのか、もう暗くて見えねえんだからよ……」
「こっちだこっち。しっかり狙えよ。
…………惜しかったな。さらばだ、夏侯淵」
「…………ぐふっ」
「……………………」
「……嫌な役回りをさせてすまんな、黄忠殿」
「フン。老い先短い儂が、
殿のお役に立つためならなんでもやってやるわ。
この前、夏侯淵とやり合って、
正面から戦ったのでは勝ち目がないとわかった。
だが定軍山を落とすためには夏侯淵は討たねばならん。
汚い不意打ちをしてでもな」
「感謝するき」
「そんなことより夏侯淵の残兵は定軍山に逃げ込んでおる。
奴らを追って儂らも攻め込むぞ!」
~~~天蕩山~~~
「か、夏侯淵の兄ィが討たれただと?
そ、そんな馬鹿な!?」
「疑うならば定軍山をよおく見てみろ。
儂ら劉備軍の旗が翻っておるぞ!
お前らも観念して降伏するがいい!」
「言わせておけば……。
い、いや。ここは冷静にならねばいかん。
夏侯淵の兄ィがそう簡単に討たれるものか。
敵は俺を天蕩山から誘い出そうと虚言を弄しているだけだ!」
「疑り深い奴だな。ほれ、周りを見てみよ。
お前らはすっかり包囲されておるぞ」
「なっ!? し、四方に劉備軍の旗が掲げられている……。
ぬうう。かくなる上は包囲網を突破し、定軍山も奪回してやる!」
「よかろう、逃げたければこの厳顔の首を獲ってみよ!」
「どけクソジジイ!!」
「十年早いわこわっぱが!!」
「ぐわあああああっ!!!」
「夏侯徳は討ち取った!
抵抗する者は容赦せんぞ! おとなしく降伏しろ!」
「おお…………。お見事です厳顔様…………」
「陳式もご苦労であったな」
「いえ…………。
趙昂に敗れて無様な姿をさらしてしまいました…………」
「なんの、お主が黄忠殿に偽装して趙昂と戦ったから、
騙された夏侯淵をおびき出すことができたのだ。
それにしても法正の策は大当たりじゃ。
夏侯徳もわずかな兵に囲まれていたことに気づかず、
自ら飛び出してきおったぞ!」
「黄忠様も定軍山を占拠し、残っていた郭淮は
趙昂と合流して南鄭城に撤退したようです…………」
「これで漢中制圧に大きく近づいたな。
劉備様もさぞかし喜ばれよう!」
~~~漢中 魏軍~~~
「本官がついていながら夏侯淵将軍を止められませんでした……。
弁解のしようもない!!」
「お前の責任ではない。
参謀を務めていた私が責任を問われるべきだ」
「定軍山、天蕩山がこうもたやすく落とされるとはな……」
「いや、それは結果にすぎない。
敵ははじめから、夏侯淵将軍と
夏侯徳の首だけを狙って策を仕掛けたのだ。
私はそれを読めなかった……」
「ところで夏侯淵将軍が討たれたいま、
ウチらは誰を総大将に据えるんじゃ?
曹洪将軍は馬超と対峙していて動けんぞ」
「……張郃、お前に任せよう」
「俺に? だが俺は自分の身勝手な考えで張飛に敗れた。
位も低いし、杜襲殿や趙昂殿がふさわしいのではないか」
「いや、この非常時には歴戦の勇士であるお前がふさわしい。
お前が後任となれば兵の動揺も収まるだろう」
「張郃殿ならば夏侯淵将軍の代役も務まるでありましょう!」
「わしも異存は無いけんのう」
「だが今後は独断を控え、私たちの指示を聞いてもらうぞ」
「……わかった。務めさせていただこう」
「魏王の援軍も近くに迫っている。いましばらくの辛抱だ。
この漢中を劉備の手に渡すわけにはいかん!」
~~~~~~~~~
かくして魏の重鎮・夏侯淵は討たれた。
優勢に事を進める劉備軍だが、行く手には覇王・曹操が立ちはだかる。
ついに劉備と曹操、宿命の好敵手同士による総力戦の幕が開こうとしていた。
次回 〇七三 法正の戦略




