〇四二 髀肉の嘆
~~~荊州~~~
「曹操さんが袁紹さんを討伐した功績で、
丞相に昇進したそうじゃ。
景気のいい話じゃのう」
「丞相といえば皇帝陛下に継ぐ最高位ですね。
まさに『位人臣を極める』というわけですか」
「曹さんが丞相なら、
表さんは司徒くらいになってもいいのになあ」
「ははは。とんでもない、私はそんな大した人物ではありませんよ」
「いやいや、わしらを始め、
多くの優れた人材が表さんを慕って、この荊州に集まっとるんじゃ。
わしらも新野の城をもらって、もう8年近くお世話になっとる。
こんな太っ腹な人がそういるものか。謙遜しなさんな」
「曹操さんが北へ遠征している間、荊州は平和でしたからね。
ただそれだけのことですよ」
「私も、こんなしがない料理人を
拾っていただいて感謝しています……。
さあさあ、お肉が焼けましたよ。召し上がってください……」
「劉安さんは何度も奥方を亡くされて、
それでも立派に料理人を続けています。私も感謝していますよ」
「おお、これは旨そうじゃ!
それにしても安さんはなんの肉を使っとるんじゃ?
牛でもないし、馬でもない……?」
「企業秘密でございます」
「ちょっとちょっとアンタたち、大変よ!」
「なんじゃい張さん、騒がしいのう。
わしら三人は皇族会議を開いておる最中じゃぞ」
「名字が陛下と同じ劉だってだけで、なにが皇族だか……。
そんなことより大変なのよ。曹操からの使者が来たのよ!」
「ほほう、曹操さんからですか。いったいどんなご用事でしょうね」
「……降伏勧告だそうよ。おとなしく降伏しなければ、
荊州はかつて大虐殺を行った徐州の二の舞になるって」
~~~荊州 襄陽~~~
「フン、どいつもこいつもシケた面しやがって。劉表はまだか!」
「お待たせしました。荊州刺史の劉表でございます」
「やっと来たか老いぼれめ!
こんなド田舎からはさっさと引き上げたいからな。
単刀直入に用件を言ってやるから、5秒で返事しろ。
曹操丞相に降伏しやがれ!」
「ははあ。それは藪から棒に――」
「5秒経ったぞ! 能書きはいいから返事しろ!」
「待たれよ使者殿。そんな重大な案件を即答するわけには――」
「百万の大軍がこの荊州に向かっている!
断れば死、あるのみだ! わかったらさっさと答えやがれ!」
「私どもはいま、孫権さんと戦っています。
もし我々が降伏したら、孫権さんへの対処はどういたすのですか?」
「知れたことを。孫権も踏み潰すまでだ!」
「それでは江夏で孫権さんに応戦している
黄祖さんにも、その旨お知らせください」
「!」
「黄祖さんが同意されれば、私どもも降伏いたしましょう」
「フン、主人のお前が部下に頭が上がらんのか?
劉表という男は噂ほどではないな!
それならもうお前に用はない。黄祖とやらに会ってやる」
「行ったか……。
だが劉表、黄祖に会えだなんてお前、黄祖は間違いなく――」
「ええ。彼を丁重におもてなしするでしょうね」
(どうせ孫権との戦いで死んでもらう黄祖に、
とことん泥をかぶってもらうというわけか……)
~~~許昌の都~~~
「使者として荊州に赴いた禰衡は、
劉表配下の黄祖に殺されたそうです」
「ふむ。劉表君もなかなかやるものだね。
程昱君の発案で、禰衡君に挑発させて、怒った劉表君が抗戦を決意し、
荊州を主戦派と降伏派に分裂させ、
その隙をつく計略だったんだけど、うまく処理したものだ」
「ならば次は、使者を殺したことを責めてやろう」
「お詫びに使者を殺した黄祖の首を送ってきて終わりではないか?」
「いや、黄祖を処刑したいところだが
孫権と交戦中でできないと、時間を稼いでくるだろう」
「あはは。それならとるべき道は一つしかありませんね。
劉表のもとには、殿の暗殺未遂で追われている劉備がいます。
劉備を引き渡すよう迫るのです」
「それが妥当な線だろうね。ついでにもう少し脅しをかけておこう。
――曹仁君。10万の兵を率いて荊州に向かってくれるかい」
「待ってました!」
「おそらく劉備君が迎撃に出てくるだろう。
兵力は少ないが、百戦錬磨の相手だ。くれぐれも用心したまえ」
~~~荊州 襄陽~~~
「曹操から次の使者が来たそうだな。
前の使者を殺したことは不問に付してやるから、
逆賊の劉備を差し出せというわけか。それでどう返事したんだ?」
「今度の使者殿は気の長い方ですから、
返事はまだ待ってくれています」
「悠長なことを……。迷うまでもない、劉備を殺すんだ」
「おやおや。物騒なことをおっしゃいますね蔡瑁さんは。
劉備さんに危害を加えて、その後はどうします?」
「我々に曹操に抗う力はない。降伏するしかないだろうな」
「私に荊州を手放せとおっしゃるのですね?」
「俺は曹操と旧知の仲だ。
仲裁してやるから、おとなしく降れば命までは取らんだろう。
それとも曹操と戦って勝つ自信があるのか?」
「あと三年あれば、勝ち目が見えてきます」
「……本当か?」
「孫権さんは黄祖さんの首さえ取れば満足するでしょう。
そうしたら孫権さんと和睦し、曹操さんの背後を襲ってもらいます。
さらに都にいる馬騰さんは陛下に忠誠を誓っている方です。
彼や関中に残った息子の馬超さんたちに
蜂起してもらい、これも背後を脅かします。
これで我々とあわせ三方からの挟撃です。
曹操さんといえども少々お困りになるでしょうね」
「そのための手は打ってあるのだな。
相変わらず恐ろしい陰謀家だよ、お前は」
「……しかし、一つだけ問題があります。
名医に診ていただいたところ、私の寿命はもってあと一年です」
「な……ッ!?」
「とても残念ですね。曹操さんと天下を争いたかったものです。
私の亡き後、息子たちではとても曹操さんにはかないません」
「………………」
「せっかく集めた荊州の兵や人材は失いたくありません。
なんとか穏便に事を済ませたいものです。
そのためには……わかりますね?」
「ああ。やはり劉備は除かねばならんな……」
~~~荊州 襄陽~~~
「ほれほれ見てみい! この毛並み! この筋肉!
こいつはまさに名馬じゃぞ!」
「………………(´,_ゝ`)プッ」
「んん? 関さんは何か言いたそうじゃな。
そりゃ関さんの赤兎馬にはかなわんが、
それでもこれは天下にそうはいない名馬じゃぞ。
いやー王威さんはええもんを譲ってくれたのう!」
「でもせっかくもらった名馬だけどさ、今のアンタは乗れるのかしら」
「わはは。平和続きですっかりなまってしまったからのう。
馬の乗り方も忘れてしもうたかもしれん」
「本当にもうやんなっちゃうわ。
アタイもこんなに太ももにお肉が付いちゃって……」
「劉安さんに削ぎとってもらって、食べちまったらどうじゃ?」
「……ぜんぜん洒落になってないし、
だいたいこれはアタイのセリフじゃない気がするわ」
「おっ。張さんのメタ発言がまた出たぞ。
それはそうと、この馬の名前は何にしようかのう」
「……それは的盧です」
「おお伊籍さん。
なんじゃ、こいつにはテキロという名前があったんか」
「いえ、名前ではありません。
額に星のある馬を的盧と言いまして、
乗る者に災いをもたらすと言われています」
「……それホント?
王威はなんだってそんなものをくれたのかしら」
「劉備様、蔡瑁将軍がお呼びです。
至急ご相談したいことがあるとか」
「おう、また宴会の誘いじゃな。すぐ行くと伝えて――」
「待ちなさい! 話が読めたわ。これは王威からの警告よ。
アンタに的盧を贈ることで、
危機が迫っていると遠回しに教えてくれたのよ。
蔡瑁はアンタを、いえアタイたちを殺すつもりだわ!」
「またまた~。張さんはすぐに人を疑うんじゃから」
「……私も張飛殿と同じ考えです。
曹操が劉備殿を差し出すよう要求していると噂を聞きました。
それで注意をうながすためにここに来たのです」
「…………マジでか」
「先輩! 蔡瑁の手の者が屋敷を包囲しようとしてるッス!
早く逃げるッス!」
「そら、おいでなすったわよ!
ここはアタイらが食い止めるからさっさと逃げなさい!」
「え、で、でもこれは凶馬なんじゃ――」
「乗り換えてる暇はない!!」
「うひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」
~~~荊州 郊外~~~
「やれやれ、酷い目にあったわい……。
張さんが的盧の尻を思いっきりぶっ叩いたおかげで、
百里は走っちまったぞ。いったいここはどこなんじゃ?」
「ほうほう、これはグッジョブな馬じゃなあ」
「おっ、じいさん良い所に来たな。
ちと道に迷ってしもうたんじゃが、ここはどこじゃ?」
「ここは荊州の端の端、水鏡先生の庵じゃ。グッジョブ!」
「酔狂? 群青?
よくわからんが、わしは襄陽に帰りたいんじゃ。道を教えてくれ」
「襄陽に帰ったら蔡瑁に殺されるぞ、劉備よ」
「…………なんでわしが劉備じゃと知っておる」
「そのウサギのように大きな耳。サルのように長い手。
それで劉備でなかったら首をくれてやろう」
「わはは。言われてみればもっともじゃ。わしも有名になったのう。
でも、なんでわしが蔡瑁さんに追われておると知ってるんじゃ?」
「そのくらいのことは、この水鏡先生にはお見通しじゃ。
そのうち迎えの者が来るじゃろうから、一服していきなされ」
「不思議なじいさんじゃなあ。
どうせ帰り道はわからんし、せっかくだからお邪魔するわい」
~~~荊州 水鏡先生の庵~~~
「それにしても劉備、お前は逃げてばかりじゃなあ」
「わはは。痛いところを突くのう。
たしかにわしは戦に三回くらいしか勝った覚えがないぞ」
「それでも生き延びておるのはたいしたものじゃが……。
しかし劉備よ、なぜ勝てぬのかわかるか?」
「わしが無能で弱いからじゃろう」
「なぜ弱いのじゃ?
お前はぼんくらでも、関羽や張飛のような
豪傑がそろっておるではないか。兵の多寡は問題ではないぞ。
曹操は十倍近い兵を持つ袁紹を破っておる」
「そりゃあ曹さんは頭が良いし、
優秀な軍師がたくさんおるじゃないか」
「グッジョブ! わかっておるではないか。
お前に足りんのは軍師じゃ。
張飛もなかなかの切れ者じゃが、軍師と呼べるほどではない。
それなのになぜ軍師を求めん?」
「いやあ、わしとて探してはおるぞ。
しかし名の知れた者はのきなみ曹さんや表さんに取られちまって、
誰も残っとらんわ」
「この荊州は人材の宝庫。さながら汲めども尽きぬ泉のごとしじゃ。
まーだまだ人材はおるぞ。それがお前には見えておらんだけじゃ」
「そりゃ景気のいい話じゃな。ほんなら誰か紹介してくれんかのう」
「それはグッジョブとは言えんな。人材は自らの足で探すものじゃ。
だが、これも何かの縁じゃ。手がかりくらいは教えてやろう。
伏龍と鳳雛を探しなされ。
そのいずれかを迎えられれば、お前は大きく飛躍できることじゃろう」
「伏龍と鳳雛…………」
「せんぱーい! 劉備せんぱーい!」
「グッジョブ! ちょうどお迎えが来たようじゃ。行きなされ」
「おう、いろいろ世話になったのう。
――龍さん、わしはここじゃ」
「先輩! ご無事でよかったッス!
爆走する馬を手がかりに追ってきたら、
村人が先輩なら水鏡先生の庵だと教えてくれたッス」
「ご苦労じゃったな。ほんで、他のみんなはどうしとる?」
「みんな新野に逃げ込んだッス。
蔡瑁の追っ手は劉備先輩だけ狙ってたようで、
数は少なかったッスから」
「そりゃ良かった。ほんじゃ新野に戻るかのう」
「しかし……新野には曹操の大軍が迫ってるッス」
「ほう! 曹さんがついに動きよったか」
「劉表先輩は援軍を送ってくれないし、蔡瑁も処罰してません。
どうやら自分らを見殺しにするつもりッス!」
「わはは。わしらは8年も表さんにお世話になったんじゃ。
文句を言ったらバチが当たるぞ。
表さんには荊州を守る道理はあっても、
わしらを助ける義理はないんじゃしな。
どれ、表さんへの恩返しにいっちょ曹さんを撃退してやろうかのう!」
「先輩…………」
(なるほど、これがぼんくらの劉備が唯一持っている強さじゃな。
まさにグッジョブじゃ!
この男、気に入ったぞ。
伏龍か鳳雛か、いずれかを手にしてもらいたいものじゃ……)
~~~荊州 山中~~~
「御主人様、気をつけるです。誰か、いや何かがいるです」
「ほう、これは珍しい。仙人か」
「……人の子よ。近い将来、お前をある男が訪ねてくる。
その男を助ける力となるものを貸してやろう……」
「なんだこれは」
「太平要術の書……。
これを用いればあらゆる仙術が操れよう……」
「くだらん。死ね」
「はいです。殺すです」
「な!? ひ、人の子よ。何をするのだ!」
「仙術だと? そんな物が余の役に立つと思ったか。
そんな物を用いなければならぬほど、余が無能だと思ったか。
その罪、万死に値する」
「はいです。一万回殺すです」
「ぐううっ!」
「ほう、さすが仙人だ。心臓を貫いたくらいでは死なぬのか」
「それでは一万回刺してみるです」
「何回目で死ぬか興味深いな」
「ぐああああっ! じ、冗談ではない!
お、愚か者め……後悔するがいい!」
「仙人もあのような捨て台詞を吐くのだな。
なかなか面白い余興だったぞ」
「23回では死ななかったです」
「次に仙人に会ったらとりあえず24回刺してみよう」
「はいです。承知したです。
――御主人様、その本をどうされるですか?」
「忘れていったから預かってやるのだ」
「御主人様には必要なかったではないですか?」
「暇つぶしにはなるだろう」
「結局もらうならあの仙人は刺され損です。
さすが御主人様です。まさに外道です」
「黙れ。死ね」
「嫌です」
「死ね」
「嫌です」
~~~~~~~~~
かくして曹操はついに南下を開始した。
孤立無援で矢面に立たされた劉備に勝機はあるのか?
そして劉備の求める軍師は現れるのか?
次回 〇四三 名無しの軍師




