〇四〇 袁煕の秘策
~~~鄴~~~
「ようやく鄴を攻略できたか。手こずらせやがって」
「審配君はこんな小勢で籠城していただけじゃなく、
僕らが逃げる袁尚君を追撃できないよう、
兵を出して食い止めたんだから立派なものだ。
降伏を拒んで自害してしまったが、
ぜひ配下に迎え入れたい逸材だったよ」
「曹操殿、袁尚は袁煕と合流したようです。
奴らが勢力を盛り返す前に叩いてしまいましょう」
「いえ、鄴を落としたとはいえここはまだ敵地なのですから、
まずは足元を固めるべきです。急ぎ兵を進めて、
背後で袁紹の旧臣に蜂起されたら一転して窮地に立たされます。
これ以上の進撃は見合わせ、内政を重視し、民衆を手なずけましょう」
「荀攸の言うとおりじゃ。
袁煕は後方に控えていたから大軍を擁しておる。
攻めるにしてもじっくりと策を練ってからじゃな」
「そうだね。袁紹君の領土は広大だ。
焦らず着実に攻めていくとしよう」
(チッ。とっとと袁尚を片付けて、
袁家の後継者が俺だと示したいのによ)
「ところで袁譚君。
袁尚君は無理でも、君が弟の袁煕君を説得して、
味方につければ戦わなくても済むんだけど」
「袁煕のヤローとは気が合わないんだ。
あいつは子供の頃からヘラヘラして何を考えてるかわからない。
説得なんてできやしない」
「家庭の事情ならしかたないね。
それじゃあ袁譚君、君との同盟はここまでだ」
「……あ?」
「もう君に利用価値はない。
鄴攻略の手助けのお礼として、本拠地には返してあげるから、
僕に降伏するか、それとも抵抗するか、みんなと相談してくるといいよ」
「あ……? あ……?」
「そ、曹操殿! そ、そんなご無体な!」
「わっはっはっ。いい気味だ。
無事に逃がしてもらえるだけ感謝するのだな」
「バーカバーカwwwwww」
「 」
「許褚君、袁譚君たちは帰り道がわからないようだ。
案内してあげたまえ」
「ああ、こっちだ。とっとと帰れ」
「――殿、降伏した辛毗殿が面会を求めています」
「お初にお目にかかります」
「君の名前は聞いているよ。
剛直な男だと聞いていたが、すんなり降伏してくれてありがたい」
「審配には謀叛の濡れ衣を掛けられ、家族を殺されました。
彼と運命を共にするのは気が進まなかっただけです。
それと、一つお願いがあって生き恥をさらしています。
私はどうなっても構いません。
どうか袁紹閣下の遺族、妻妾や嫁御はお助けください」
「女性に危害を加える気はないよ。
僕はそろそろ都に戻るけど、
留守を任せる息子たちにもよく言っておこう。
――そういえば、その曹丕君はどこに行ったのかな」
~~~鄴 袁紹邸~~~
「愚かな袁譚は曹操を利用しているつもりで、逆に利用されておる。
幼稚な袁尚は自分の実力もわからずに無駄な抵抗をしておる。
そして呑気なわらわの主人は、何もせずに傍観しておる。
甲斐性のない殿方ばかりじゃ……」
「へっへっへっ。さすが若殿、お目が高い!
袁紹は北の美人ばかり集めてたと聞きます。
特にグンバツの美女として名高いのが、
袁煕の嫁の甄姫という女で――」
「うるさい。黙りたまえ」
(……どうやら曹操の息子のようじゃな)
「ややっ! その女です! その女が甄姫ですよ若殿!
ご覧ください! この抜けるように白い肌!
柳のような腰つおぶはぁぁぁっ!?」
「黙りたまえと言っている。
レディーの前で騒がしくして申し訳ない。
僕は曹操が一子、曹丕という者だ。
単刀直入に言うが、僕の物になりたまえ」
「…………え?」
「回りくどい話は嫌いなんだ。
僕の妻になるか、それとも死ぬか。二つに一つだ。早く選びたまえ」
(…チガウ…今までの男とはなにかが決定的に違う。
スピリチュアルな感覚がわらわのカラダを駆けめぐった…。
カッコイイ…!! …これって運命…?)
~~~幽州~~~
「兄ちゃん!
袁譚のヤツは曹操に同盟を破棄されて、攻撃されてるみたいだ」
「もともと曹操にとって兄上と同盟する意味はなかったからなあ。
兄上はそれがわかっていなかったようだが」
「それと……兄ちゃんには
ちょっと言いづらい報告が入ってるんだけど……」
「なんだい? 言ってごらん」
「……兄ちゃんの嫁さんの甄姫が、曹操の息子に奪われたそうだ」
「はあ。しかたないね。
敵の手に落ちたのなら、どう扱われようと文句は言えない。
甄姫が無事だったことを喜ぼう。
そんなことより袁尚や、私の策を聞いておくれ」
「うん、曹操に対抗する策かい?」
「もちろんだよ。私のもとには無傷の10万の大軍がいる。
それに心強い援軍を手に入れたんだ。
それを使い、長安を落とそう」
「そ、その援軍って誰なんだい兄ちゃん?」
「まずは西涼の馬騰だ。
彼らの精強な鉄騎兵に長安の背後を襲わせる。
そして流浪の匈奴王・於夫羅は
自慢の騎馬軍団を率いて我々に加わってくれる」
「うんうん、それからそれから?」
「背後の備えも万全だ。烏丸王・蹋頓、
そして遼東の公孫康の協力も得られた。
彼らに曹操軍を攻撃させれば、
長安へ援軍を出すことはできやしない」
「さすが兄ちゃんだ! 多国籍軍だね!」
「それに私の配下には呂布の再来と呼ばれる郭援がいる。
郭援には名将として知られる賈逵の説得も命じた。
これだけの陣容がそろって負けるわけがないよ」
「やっぱり兄ちゃんはすげえや!」
「この大軍で長安を落とし、
そして洛陽、許都へと攻め上がるんだ。
曹操とその息子と不倫女の甄姫の首を並べて、
それを眺めながらお酒を飲むのが今から楽しみだね……」
(兄ちゃん……。顔には出さないだけで激怒してるんだ……)
~~~長安~~~
「ようやく儂の出番が来たか!
待ちかねたぞ! おい李通!」
「へい」
「手はず通り、張既と杜畿を送り出せ!
それと、お前は匈奴に遣いしてくれ」
「匈奴に? 何の用だ?」
「この書状を持って匈奴の王に会い、
鍾繇からじゃと言えばわかる」
「手広く動きまわってるとは思ってたが、
匈奴にまでつながりがあんのか……」
「ほれほれ、無駄口を叩いてる暇があったらとっとと動け!
ようやく曹操様から指令が来たのだぞ!」
「へいへい」
~~~西涼~~~
「父ちゃん! 曹操に味方するって本当か!?」
「違うぞ息子よ。俺は曹操に味方するのではない、
献帝陛下に味方するのだ!」
「そのとおり、逆賊の袁煕を討つために
お父上は兵を挙げられるのです」
「さてはお前が父ちゃんをたぶらかしたんだな!
おのれ、この馬超が成敗してやる!」
「待たれよ若。妻女のご家族の仇である
曹操に味方するのを、良しとしないのはわかる。
だが、それと陛下への忠誠は別の問題だ。
陛下のために今はこらえられよ」
「龐徳、お前まで何を言うんだ!
馬超は曹操の味方などせぬぞ!」
「わかったわかった。じゃあ若は留守番しといてや。
援軍にはわてと龐徳が向かうさかい」
「俺は許都に上がり、献帝陛下を身近で守ろうと思う。
そこで曹操の真意も見極めるとしよう」
「それなら留守番などしていられない!
馬超も援軍に向かい、曹操の陰謀を暴いてやる!」
「……ほんなら、わては留守番しときましょ」
「行くぞ馬超、龐徳。我らの正義の槍は陛下とともにありだ!」
「おお! 曹操を裁くのはこの馬超の槍だ!」
(首尾よく説得はできましたが、
このノリにはまだついていけませんな……)
~~~并州~~~
「……兵ヲ引ケダト?」
「ええ。私は新たに匈奴の王となった
あなたの御子息・劉豹の妻です。
劉豹は於夫羅様の帰国を認めました。
これ以上、傭兵を続ける必要はありません」
「ソウカ……アノ小サカッタ息子ガ王ニナッタカ」
「曹操様が私を通じて働きかけてくれたのです。
於夫羅様をそれなりの地位で迎え入れる用意ができています」
「曹操ハ約束ヲ守ッタノダナ。
オレニハ帰レル所ガアルンダ。コンナニウレシイコトハナイ……」
~~~遼東~~~
「これはこれは父上、武装などなさってどうしたのです。
お身体が優れないのですから無理をなさってはいけませんよ」
「曹操と戦うのだろう? そうと聞いては寝ていられんわ!」
「ははは。さては誰かにかつがれましたな。
我々が曹操と戦うわけがないでしょう」
「戦わんのか?」
「戦いません。いったい何の得があるのです?
我々は第三者として曹操と袁熙の戦いを見守り、
漁夫の利を得れば良いのです」
「だが袁煕からの使者に援軍を出すと約束したのだろう?」
「ええ、約束しましたよ。しただけです。
もちろん兵は出しますが、すぐに帰します」
「報酬をもらっておいて、我が息子ながらあくどい奴だな!」
「これは心外な! 全て父上から学んだことです。
もらえる物はもらっておけと常々おっしゃっていたでしょう」
「ふーむ。言ったような言わんような」
「ですから父上は安心して養生なさってください」
「うむ。年寄りはおとなしく隠居しておるとしよう……。
ところで飯はまだか?」
「さっき召し上がられたでしょう……?」
~~~河東~~~
「え? 賈逵様ですか。それならあっちへ行きましたよ」
「そうか、ありがとよ! うおお! 待てえ賈逵!」
「……うまく騙されてくれましたね」
「あ、あんた顔に似合わず大胆なことするんだな。
俺は寿命が縮まったぞ」
「なあに、私は通行人Aのような地味な顔をしていますからね。
こういうことはお手のものです。
それより気づかれないうちに早く逃げましょう」
「おい! 賈逵はあっちにいないぞ。
お前はどこに行ったか知らないか?」
「賈逵様ならそっちで見かけました」
「そっちだな! 逃げるな賈逵め!」
「ほら、さっき私に聞いたことも気づいていないでしょう?」
「褒めるべきか呆れるべきか迷うな……」
~~~許昌の都~~~
「報告がたくさん入ってます。
まず於夫羅は袁煕の軍を離脱し、帰国しました。
つづいて馬騰は説得に応じて長安へ援軍を送ってくれました。
さらに公孫康が急病のため出撃を見合わせたので、
それを警戒して蹋頓は兵を動かしていません」
「賈逵君も首尾よく保護できたし、
これで袁煕君の策はほとんど封じられたかな。
なかなかうまく行ったものだ」
「あはは。さすがは殿ですな!
兵の一人も使うことなく、袁煕の軍を瓦解させるとは!」
「僕の力じゃない。説得に赴いた張既君や杜畿君、蔡文姫君。
それに彼らを登用した鍾繇君の力だよ」
「またまたご謙遜を。
――ともあれこれで残すは郭援の軍だけとなりました。
すでに馬騰が迎撃に出ていますから、
間もなく吉報がもたらされるでしょう」
「そうなるといよいよ袁譚君や袁煕君、袁尚君の
首をいただく頃合いだね。勢いに乗ってさらに攻め上がり、
公孫康君や蹋頓君にもにらみを利かせたいところだ。
郭嘉君、そのための策はできているかな?」
「………………」
「郭嘉! 吐血してるじゃないか!
これはいけない、医者を呼びましょう」
「…………大丈夫」
「そんな顔色で言われても説得力がないよ。
遠征軍には加わらず、このまま都に残って養生するといい」
「大丈夫」
「君はもともと身体が丈夫じゃないんだから無理せず――」
「大丈夫」
「……やれやれ、こうなると無口すぎて説得のしようもないね。
馬車を用意するから、それに乗って指揮をとってくれたまえ」
「御意」
「荀彧君には引き続き、都の守りを頼むよ。
今回の遠征は少しばかり長くなりそうだ。
でも、この戦で北方のことごとくを平らげてみせるつもりさ」
~~~~~~~~~
かくして袁煕の策はことごとく曹操によって破られた。
はたして名族の子らに逆転の目はあるのか?
一方、曹操の目は名族の頭上を飛び越え、はるか北の大地へと注がれていた。
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