〇三九 名族の落日
~~~夢~~~
「そ、そこにおるのは曹操か?」
「やあ袁紹君。
すっかりやつれてしまったね。悪いことをしたかな」
「まったくその通りである!
よくもこの名族を破ってくれたな!
貴様は取るに足らない家柄でありながら、
いつも名族の前に立ちはだかった。
曹操、貴様はいったい何が目的で名族の邪魔をするのだ!?」
「この前も言ったけど、僕の邪魔をしているのは君の方だよ。
袁紹君が僕の進む道に立ちはだかったから、
悪いけど踏み台にさせてもらっただけさ」
「この名族を足蹴にするとは身の程知らずな!
皇帝を手中にし、名族を乗り越えてまで、
貴様はいったいどこを目指しているのだ!」
「僕は立ち止まりたくなかっただけさ。
ずっと歩き続けられる道は何かと考えたら、
それは覇道を歩むことだった。
だから僕は陛下を擁し、この国の覇者を目指すことにした」
「そ……それだけで貴様は覇道を選んだのか?
それだけの理由で、この名族の野望を砕いたというのか?」
「それじゃあ逆に聞くけど袁紹君、
君はどうして覇権を目指したんだい?
覇道を歩もうとしたのは、本当に君の意思だったのかな。
名家に生まれ、周囲に乗せられるがままに、
道を決めたんじゃないかい?」
「そ、そんなことはない! そんなことはないぞ!
わ、私は、いや名族は……」
「おや、君が一人称を『私』にするのは久しぶりだね。
いつ頃からだろうか、君が自分のことを『名族』と呼び始めたのは。
君はそうやって自分を偽り、名族たる自分が歩むべき道を、
歩かされていたんじゃないのかな?
これでわかっただろう? 他人に歩かされていた君が、
自ら歩んでいた僕に勝てる道理はないってことさ」
「め、名族を侮辱するか! わ、私は、いや、め、名族は――」
~~~鄴~~~
「閣下、お目覚めですか。うなされていたようでしたが」
「う、うむ。夢に曹操が出てきてな。
何やら生意気なことをぬかしておった。
よく覚えておらんが、嫌な夢であったぞ」
「それはお気の毒でした」
「そんなことより、田豊と沮授を呼んでくれ。
いつまでも寝てはいられん。今後のことを協議しなくてはな」
「か……閣下。し、しかしお二人は……」
「どうした、二人に何かあったのか?」
「……失礼を承知で申し上げます。
田豊殿は、閣下が処刑されました」
「は……? 処刑? 田豊を? 名族がか?」
「はい。投獄されていた田豊殿が、
閣下の敗北を喜んでいると讒言する者がありまして……。
激怒された閣下は、処刑を命じられました」
「田豊を……。そ、それはいつのことだ!?」
「三日前、官渡から撤退してすぐのことです。
閣下はそれから三日にわたり寝込まれて、先ほど目覚められたのです」
「そうだったのか……。
んん? さっきお前は、二人は、と言ったな。
沮授の身にも何かあったのか?」
「はい。
沮授殿は、官渡から撤退する我が軍の殿軍を務め、戦死されました。
少ない手勢で必死の防戦をしたと聞いております」
「そうか。沮授から兵権を奪ったのは名族であったな。
二人が死んだのを忘れてしまうとは、なんということだ……」
「閣下は敗戦の失意から、体も気力も弱まっています。
物忘れもその一環でしょう。
医者は絶対安静にするべきだと言っています、しばらくお休みください」
「わかった……」
「ですが閣下、その前に一つ決めていただきたいことが……。
閣下がお休みの間、ご子息のどちらが指揮を執るか決めてください」
「長男の袁譚か、三男の袁尚か。
二人はどうしておる?」
「お、恐れながら……たがいに兵を出しあい、
権力争いに明け暮れています。
武力衝突こそしていませんが、挑発しあっているのです。
先に手を出させて、それを落ち度にして失脚させる狙いでしょう」
「むむむむむ……」
「閣下! 早く後継者を指名していただかないと、
我が軍は崩壊いたします」
「……だが、どちらにすればよいのだ?
教えてくれ辛毗。あの曹操に、袁譚や袁尚は勝てるのか……?」
「………………」
~~~官渡~~~
「袁紹が亡くなったという情報が入りました。
間者を放って確認しましたが、たしかなようです」
「そうか。彼とは長い付き合いだった。
この前も夢のなかで楽しく語り合ったばかりさ。
敵同士とはいえ、個人的には冥福を祈りたいね」
「しかし殿、これは一気に袁家の勢力を撃滅する好機じゃ。
すぐに兵を進めよう」
「小生は反対ですな。
袁紹の小せがれどもは、後継者争いに血道を上げておる。
そこに小生らが攻め寄せれば、
逆に彼らを結束させてしまいかねない」
「いやいや、袁譚は後継者争いのため
東方面の軍を引き上げているのだぞ。
その隙に弟の曹純は袁家の東方の領地を切り崩している。
今こそ曹純と連携して攻めるべきだ!」
「主戦派と穏健派で二対一だね。荀攸君の意見はどうかな?」
「攻めましょう。袁紹は腐っても当代随一の名族です。
袁紹という屋台骨を失った動揺を突かない手はありません」
「おや、これで三対一だ。
皇族の末裔である劉曄君は穏健派だろう?」
「投石車を使い詰めでろくに整備ができていない。
私としては当面の戦は控えたいところだな。
それに議論が面白くなるし穏健派に一票を投じよう」
「気づかいありがとう。最後に郭嘉君はどう思うのかな」
「撤退」
「というわけで同点になってしまったね。
議長の僕の一存で決めていいかな。
それじゃあ――撤退しよう。
あんまり都を留守にするのも気が進まないしね」
(ふむ。曹操殿にあやつられているような軍議であったな)
「主戦派の諸君は気を悪くしないでくれたまえ。
なに、数年の辛抱さ。
賭けてもいいが袁家は数年のうちに内部分裂するよ。
攻めるのはそれからでも遅くはないさ」
(そのための手は打ってある、ということだぞ。
曹操は食えん男だぞ)
(し、しかし同盟相手とはいえ他国の使者である我々に、
あけすけに軍議を見せてしまうとは……。
曹操とはとんでもない男だ!)
~~~北海~~~
「ぎゃあああああ!」
「袁尚め! 弟の分際で親父の後継者を騙るばかりか、
俺に小ざかしい監視役を寄越すとは……。
逢紀の首を袁尚に送りつけてやれ!」
「は、はい、わかりました」
「殿、袁尚には審配をはじめ多くの重臣が肩入れしています。
正面から戦うのは得策ではありません」
「ならばどうすればいい」
「実は曹操にわたりを付けてあります。
曹操に援軍を借りて、袁尚と戦いましょう……」
~~~鄴~~~
『か、閣下! 大変です! 袁譚が攻め寄せてきました!』
「バカ兄貴が来たからってどうということはない。
返り討ちにしてやる!」
「お待ちください! 袁譚には曹操軍が加わっています!」
「なんだって!?」
「はっはっはっ。袁尚のヤツめ、泡を食っているぞ。
曹操軍の力を借りる俺の奇策に恐れいったか!」
「ヒッヒッヒッ。しっかり働けよ降将ども」
「…………」
「……皮肉なものだな。
華々しく討ち死にするつもりが生き残ってしまい、
お前の説得を受けて降伏したはいいが、
こうして袁紹閣下の子息への攻撃を命じられるとは」
「歩む道の先に何が待ち受けているか、知るものは天のみだ。
人、それを運命という。これも降将である俺たちの運命だろう」
「この道を行けば何があるのか、行けばわかるさ、か。
処刑された淳于瓊がよく言っていたな」
「何をぼさっとしているのだ! 早く兵を進めろ!」
「旧主の御子息とはいえ、今のあなたはただの同盟相手だ。
我々の今の主君は曹操であり、あなたに命令を受ける筋合いはない!」
「ぐぬぬ……」
「何をまごついているのだ。
早く兵を進めて旧主の忘れ形見の首を持って来い」
「……参るぞ高覧」
「おう」
「曹操が味方のまま終わるわけがあるまい。
自分で自分の首を絞めていると、袁譚や郭図はわからぬのか……」
「く、くそ! やってくれたなバカ兄貴め!」
「ここは私が引き受ける。
閣下は兄上の袁煕様のもとへ逃げられよ。
呂曠、呂翔。閣下を無事にお守りしろよ」
『わかりました!』
「覚えてろよバカ兄貴に曹操め!! 必ず復讐してやるからな!」
~~~~~~~~~
かくして名族は没し、遺された息子たちは醜い跡目争いを繰り広げ始める。
北方に覇を唱えた名族の栄光は、早くも陰りを見せていた。
曹操はその機に乗じ、名族の血を一気に絶やすことができるのか?
次回 〇四〇 袁煕の秘策へ




