〇三八 孫権の船出
~~~荊州~~~
「はあ、孫権さんがお父上と兄上の仇だとして、
黄祖さんの首を要求していると?」
「はい。断れば一戦交えることも辞さないと言っております」
「兄上の孫策さんが亡くなったばかりだというのに、
喪にも服さずに合戦とは。
孫権さんという方はずいぶんと粗暴な性格のようですね」
「それにしても妙だな。
あの黄祖が孫堅、孫策を殺したとなぜばれたのだ。
あいつが尻尾をつかまれるとは考えられん」
「黄祖さんも長年、裏の仕事をしてきてお疲れだったのでしょう。
黄祖さんはこのあたりで江夏の太守に栄転させて、
骨休めしていただきましょう」
「劉表……まさか孫権に黄祖の犯行を教えたのはお前か?
しかも黄祖を前線の江夏に出して、孫権に首を取らせ、
事を穏便に済ませるつもりか」
「はて、蔡瑁さんが何をおっしゃっているのか
私にはとんとわかりませんね」
「黄祖は知りすぎたのだ。
あとは言わぬが花というものだ、蔡瑁よ」
「劉表、恐ろしい男だよお前は……」
~~~呉~~~
「兄君の喪にも服さず合戦とは……
まったく我が殿はなにを考えておいでなのでしょうかな!」
「兄貴とオヤジの仇を取るのが、オレ流の服喪ってヤツだ。
部屋に閉じこもってウダウダしてるより、
兄貴らも喜んでくれるだろうよ」
「孫策殿も大概だったが、弟君はそれ以上じゃ!
第一、江夏を攻めている間に
曹操に背後を衝かれたらどうするのだ!」
「そのあたりは都に上がっている張紘殿や
華歆殿がうまくやってくれるだろう」
「だが軍資金はどうするのだ?
大々的な遠征は久しぶりだから、多少の蓄えはあると思うが、
反乱の鎮圧でだいぶ出費がかさんでいるのだろう?」
「フッ。それも心配ない。出資者がついてくれた」
「うちに二つある蔵の一つをあげるんでえ、それで十分っしょ。
ガチで」
「そ、そのチャラい若者は誰だ?」
「江東にその人ありと言われた魯粛だ。
このたび私の招きに応じて力を貸してくれることになった。
大富豪なだけではなく、頭も切れる男だ。頼りにしてくれていい」
「よろしくウイッシュ」
「な、名前は聞いたことがあるが……」
(また頭痛の種が増えそうじゃ……)
「そんなことよりよォ、さっさと遠征軍の陣容を決めちまおうぜ。
早くしねェと程普や韓当が抜け駆けしちまうぞ」
「先鋒は俺に任せてくれ。
先代、先々代の仇討ちと聞いて黙ってられないのは俺も同じだ」
「おめェはこの戦で引退するんだったな。
じゃあ最後の一仕事をお願いするぜ」
「息子も立派に育ってくれたから、跡継ぎの心配もいらん。
無事に仇を討ったら、故郷でのんびり余生を送るつもりだ……」
~~~江夏~~~
「うぎゃああああ!!」
「呂公は討ち取ったぞ!」
「やるな黄蓋! 俺も負けてはいられん。
孫堅艦長の仇は出てこい!」
「仇じゃなくて悪いけどよ、ジジイはすっこんでな!」
「ぐわああっ! ふ、不覚……」
「凌操!」
「さ、最後の最後に役に立てずすまぬ……。
殿に預けた、妻の形見の首飾りを、どうか息子に……」
「バカ野郎が! 仇を増やしやがって……」
「ここは危険でごわす。早く後方に下がるでごわす」
「ザコどもが泡喰って逃げてんぜ! 逃がすかよ!」
「待て、敵は大軍だ。深追いはするな。いったん陣に引き上げるぞ」
「あぁん? 退却命令だと? クソが!」
~~~江夏 黄祖軍~~~
「蘇飛サンさー、なんで引き上げるんデスカ?
勝つ気がないんデスカ?」
「そう怒るな。さっきも言ったが敵は大軍だ。
調子に乗って攻めかかっても逆襲されるのがオチだ」
「だからってさー、叩ける時に叩かないってのは意味わかんなくね?
兵が少ないってグチってるくせに、
城にこもらずに外に出てるのもわけわかんねーし。
籠城して援軍待つのがフツーじゃね?」
「どうせこの戦は……。いや、なんでもない。
次の出陣に備えて休んでおけ」
「え? なんか言いかけたんじゃね? チョー気になんですけど」
「どうせこの戦は負け戦だ」
「し、将軍」
「あ、大将チョリース。――で、負け戦ってなんなんすか?」
「我々は孫権に差し出された生贄だ。
援軍は来ない。死ぬのが我々の仕事だ」
「へ? なんなんすかそれ」
「将軍、そんなことを言われては――」
「甘寧は今までよく働いてくれた。知る権利がある。
我々は暗殺部隊として、汚れ仕事をしてきた。
だから劉表の裏の顔を知りすぎてしまい、切り捨てられたのだ」
「…………」
「……だからといって孫権に降伏することもできない。
我々は父と兄の仇なのだからな。私や蘇飛の首を差し出せば済むが、
江夏の守りを命じられたからそうもいかぬ。
我々にできることは、せいぜい兵に被害を出さないようにして、
死ぬことだけだ」
「……なんつーか、黄祖サンさー」
「なんだ。同情ならいらぬぞ」
「いや、意外とおしゃべりだったんすね。オレ驚いたわ」
「フン」
「……甘寧、お前は逃げろ。
お前はまだ若い。俺たちに付き合うことはない」
「はあ?
逃げろったって、さっき孫権んとこのジジイを殺しちまったぜ。
逃げても孫権に追われちまうじゃねーの」
「それなら孫権に降れ」
「それこそ無理じゃね?」
「……邾の県令にしてやるから赴任しろ。
県令が寝返るとなれば受け入れてくれるだろう」
「……カッコつけるわけじゃないけどさー。
アンタらを残してオレだけいい目を見るのは嫌だな」
「考えが甘いな。
仇のままで孫権に降伏したほうが、ここで死ぬよりよほど辛いぞ」
「処刑を待つだけだった江賊のお前を拾ってやった、
我々の言うことが聞けんのか」
「それ言われると返す言葉がねーな……。
でもなんつーかさ。顔に似合わずお人好しだよなアンタら」
「お前に言われたくはない」
「フン……」
~~~江夏 数年後~~~
「黄祖を討ち取ったぞ!」
「蘇飛も捕らえました!」
「よし、ついにやったぜ!」
「やれやれ、ようやく江夏が落ちたか。
こう何年も掛かるのならばもっと強く反対していたものを……。
まったく、魯粛が提供してくれた軍資金が無ければ
どうなっていたことやら」
「さっそく蘇飛の首を孫堅艦長の墓の前で刎ねて、
黄祖の首と並べて供えてやるぞ!」
「こうなってはしかたない。さっさと殺せ」
「どけどけどけどけ! 大将! 孫権の大将!」
「おう、どうした甘寧」
「一生のお願いだ! 蘇飛を助けてくれ!
蘇飛はオレの恩人なんだ!」
「な、何を言うんでゲスか! 降将ふぜいがなんということを!」
「やめろ甘寧。
せっかく孫権に仕えるようになったお前の立場が悪くなるだけだ」
「そうはいかねえし。
アンタ、死ぬより辛い目に遭えってオレに言ったし。
そう言う自分は楽な道を選ぼうなんてずりいし」
「フン……しばらく会わないうちに口ばかり達者になったようだな」
「孫権の大将!
どうしても首が欲しいってんならさ、オレの首をやるから――」
「いらねェよ、んなモン。
オレは仇でもないヤツの首を集める趣味はねェぜ。
蘇飛はおめェに預けるから好きにしろ」
「あざーっす!」
「お……親の仇をそんなにあっさりと。
孫権殿! いいのですかそれで!」
「いいっての。
甘寧が死んだり、逆ギレしてオレを殺そうとするよりマシだろ?」
「…………いや、そんなことしねーし」
「こ、この男! その手があったかという顔をしましたぞ!」
「ははは。その前に蘇飛を釈放して助かったぜ。
んじゃあそろそろ帰るか」
「では殿、江夏は誰に守らせましょうか?」
「へ? いや、守るも何も、別に江夏を占領する気はねェんだけど。
江夏を攻撃してたのは黄祖や蘇飛を殺すためだけだし」
「わ、我々はなんのために何年もかけて……ッ!?」
「だってまだオレたちにゃ、江夏まで領土を広げる余力はねェぜ?
まずは山越の連中とか、
揚州の賊どもをなんとかして、足場を固めるべきだろ。
おい、諸葛瑾」
「はいはい」
「劉表に江夏は返すからよォ、
停戦しようぜって交渉してきてくんな」
「はいはい。お任せください」
「何年間も争っていた相手と、気軽に和睦を……。
こ、これだけ苦労して何も得られず、
せっかく捕らえた蘇飛も殺さず…………ッ!!
――うーん」
「旦那様、張昭様が卒倒してしまいました」
「血管が切れてねェか医者に診せてやってくんな。
――オヤジや兄貴の仇をとらなきゃ、
前に進めねェってわけじゃねえけどよ。
まあ、これでオレなりのけじめは付いたぜ。
んじゃあ、別働隊の周瑜や呂範と合流して帰ろうぜ!」
(これが孫権か……。
孫家は、孫策の頃よりもさらに繁栄するかもしれんな……)
~~~~~~~~~
かくして孫権は仇敵・黄祖の首をあげた。
時はさかのぼり、北方では袁紹が死の床についていた。
さらに失意の名族に追い討ちをかけるように、後継者争いがくり広げられようとしていた。
次回 〇三九 名族の落日




