〇三二 関羽千里行
~~~白馬城 南~~~
「父上と二人旅は初めてです。
こんな時になんですが、うれしく思います」
「…………」
「曹操は劉備様への帰参を許してくれましたが、
ここはまだ敵地です。
劉備様がおられる汝南への道も遠いですし、
用心して参りましょう」
「…………」
「さすが父上!
お前などに言われるまでもないということですね。
差し出がましいことを申しました」
「!」
「む! 怪しい一団がこちらに向かって来ます。
止まれ! 何者だ!?」
「誓って怪しい者じゃありやせん。
それがし姓を周、名を倉と申すしがない黄巾賊あがりでございやす。
後ろに控えたるは同じくかつての賊仲間。
一同お願いあって参りやした」
「我々は高名なる関羽将軍に仕えたく、ここに参った次第である!
関羽将軍に会えて俺は感動している!」
「劉備んとこへ帰るんだろ? 俺たちも連れてってくれよ」
「……父に仕えたいとは殊勝な心掛けであるが、
見れば怪しい風体の者ばかり。
おいそれと信用するわけにはいかんな。そうですよね父上?」
「…………」
「これは私の考えがあさはかでした!
黄巾賊風情がなにを企もうと、
この関羽に危害を加えることは不可能だと言いたいのですね!
――おい、お前たち。同行を許すが、
もしくだらない考えを抱いてみろ。父の手をわずらわすまでもない。
この関羽が一子・関平の槍のサビにしてくれるからな!」
「我ら一同ただただ関羽将軍を慕うのみ。
お天道様が西から上がろうとも裏切ることはございやせん」
「もし怪しい素振りを見せたら即座に斬り捨てるがいい!」
「でも馬泥棒くらいは見逃してくれんだろ?
っていうかこの馬も盗んできたものなんだけど」
「…………」
「お前たちがこの関羽を信頼するならば、
関羽もまたお前たちを信頼しよう!
……と父はそう思っている。父の度量の深さに感謝するがいい!」
「…………」
~~~東嶺関~~~
「関所が見えてきやした。
あれは東嶺関と言いやして、汝南へ行くには
必ず通らなくてはならない五つの関所の一つ目でさあ」
「なるほど。だが父は曹操から許可を得ている。
すんなり通れるはずだが――」
「待て! 俺は東嶺関の守将・孔秀だ。
貴様ら通行手形は持っているか?
手形の無い者を通すわけにはいかん」
「これは異なことを申す!
我が父・関羽は曹操より劉備様への帰参を許されている。
帰参は許しても関所の通行を許さないとは何事だ!」
「通行手形の無い者は誰であろうと通すわけにはいかん」
「やいやい門番さんよ!
この御方はどこからどう見ても関羽将軍じゃねえか。
将軍の顔が手形代わりだ。おとなしく道を空けな!」
「規則は規則である。通りたくば手形をもらってくるんだな!」
「なんと聞き分けの悪い……!
かくなる上は力ずくでも押し通るのみ!」
「!」
「父上お待ちを!
こんな小者相手に父上が腕をふるうまでもありません。
この関平が引き受けました!」
「たったの五人で関所を破るだと? 血迷ったか貴様ら!」
「周りの雑魚は我々が引き受けやす。
関平殿はあいつに集中してくんなせえ」
「ありがたい! 行くぞッ!」
「ははははは! そんなか細い槍でこの鉄壁の守りは貫けんわ!」
「まだまだぁ!」
「何度やっても無駄だ!」
「まだまだまだまだぁッ!」
「う、うおおっ!?
こ、これは盾の一点に集中して刺突を加えているのか!?」
「まだまだまだまだまだまだまだまだぁぁッッ!」
「た、盾が集中攻撃を受けた一点から砕けて――ぎゃあああ!!」
「見たか! 虚仮の一念、岩をも通す!
関平が槍が盾を貫いたぞ!」
「敵は門を開いて中に逃げてるぞ! 今のうちに通るんだ!」
「…………」
~~~洛陽の関所~~~
「第二の関所が見えてきた。
すでに我々が東嶺関を破った知らせは届いているだろう」
「ってことは、俺たちはお尋ね者ってことだな。
すんなり通してくれそうにねえな」
「元はと言えば融通の利かない孔秀とやらが悪いのだ。
今度の門番もぐずぐず言うようなら、関所破りするまでだ!」
「ほっほっほっ。これはこれは関羽様とその御一行様。
ようこそいらっしゃいました。私がここの守将です。
聞けば先の東嶺関では無礼を働いたとのこと。
お詫び申し上げましょう」
「これは丁寧なご挨拶いたみいる。
それではこの洛陽の関所は通してもらえるのだな?」
「それはもちろんでございます。ささ、お早くお通りください。
…………今です、射ちなさいッ!!」
「くっ! 騙し討ちとは卑怯な!」
「ほっほっほっ。関所破りに遠慮はいたしません。
いかな関羽様でもこの矢の雨は避けられますまい」
「…………ッ!」
「ま、そんなことだと思ってやしたよ」
「な!? い、いつの間に背後に!?」
「最初からでさあ。
それがし作り笑顔のお人は信用しないことにしていやす」
「うぎゃあああ!!」
「守将が討たれて矢の雨もやんだぞ。
今のうちに通過しましょう父上!」
~~~沂水関~~~
「これで二つの関所を破っちまったな。
もうこの先の関所では必ず襲われると思ったほうがいいだろうよ」
「早速、次の門番が出てきたな。
有無を言わさず斬り捨てましょうか?」
「あいや、待たれよ。
私は沂水関の守将だが、この通り丸腰だ。兵も連れてきていない」
「……たしかに付近に兵の気配はないようだ」
(! こ、こいつらよく見れば黄巾賊の連中ではないか!)
「おや? 失礼だがあんたさん、どこぞで会ったような……」
「い、いえいえ他人の空似でしょう。
そんなことより夜も近くなりました。
どうぞ今夜は我が関所にお泊りください」
「それは助かる。これまでの関所の連中も
お前くらい分別があれば、殺さずに済んだんだがな」
「…………」
~~~沂水関 夜~~~
「関羽が寝ているところを襲う計画だったが、
まさかかつての黄巾賊の連中が同行しているとはな。
し、しかし私は黄巾賊にいた頃は常に仮面を着けていた。
正体がばれることはあるまい……」
「守将殿」
「は、はい!?」
「父が厠をお探しだ。どちらにあるのかな?」
「そ、それでしたら、庭を通ってあちら側の小屋でございます」
「わかった」
(これは好機だ!
いかに関羽といえども便所では無防備なはず!
先回りして待ち構えてやる!)
~~~沂水関 厠~~~
(さあ来い、いま来い、早く来い……。
来たな! 死ね関羽!)
「うおおっ!? 何しやがんだてめえ!」
「な、お前は裴元紹!
くそ、関羽の背丈で首を狙ったから外してしまった!
関羽はどうした! 便所を探していたのではないのか!?」
「将軍は便所に行くのが面倒で中庭で用を済ませたぜ」
「なん……だと」
「っていうかお前、なんで俺の名前を知ってるんだ?
……んん? その細い目は見覚えがあるぞ。
さては卞喜だなお前!」
「ぐうっ! ばれたか!」
「はっはっはっ。卞喜が便器の真似とは笑い話だな!
将軍を騙し討ちするつもりだったんだろうが、そうは行かねえぜ」
「こうなったらお前を口封じして計画を練り直すしかない。
行くぞ、卞喜バトルフォーム!」
「どうしたどうした便器野郎!
門番に鞍替えして腕がなまったんじゃねえか?」
「く、くそ! たしかに腕力が落ちている。斧が重い……」
「隙ありィ!!」
「あぎゃああああ!
せ、せっかく地道に出世したのに……」
「ケッ。便器野郎の墓場には便所がお似合いだぜ」
「…………」
「おお将軍! 安心してくんな、
敵は一足先に片付けといたぜ!」
「…………」
~~~滎陽の関所~~~
「お手柄だったな裴元紹!」
「いやいや、相手が元・黄巾賊の雑魚だったからな。
運が良かったぜ」
「…………」
「どうされましたか父上?
さては我々の活躍を喜んでいらっしゃるのですな。
我々がいるからには、父上に指一本触れさせません!」
「四つ目の関所に差し掛かりやしたが……
早速、門番が出てきてやすな」
「俺の名は滎陽の守将・王植!
修行により鋼鉄の肉体を手に入れた男だ!
武器なんて捨ててかかってこいよ関羽!」
「…………!」
「おおっ! なんという鍛え上げられた美しい肉体……。
これは負けてはいられん! 王植とやら! 我が筋肉も見よ!」
「なんと! こんな強靭な筋肉の鎧をまとう男が他にもいるとは!
まるで鏡を見ているようだ……」
「強靭なのは見た目だけではないぞ!
それを今から思い知らせてやる!」
「望むところだ! お前たち、手を出すなよ。
これは俺の筋肉と奴の筋肉の戦いだ!」
「うおおりゃあああああっ!!」
「ぬううううううううんっ!!」
「…………」
「敵は廖化と王植の戦いに見とれています!
この隙に関所を突破しましょう!」
~~~黄河の関所~~~
「いやはや、素晴らしい戦いだった!
こんなにいい汗をかいたのは久しぶりだ!」
「で、勝負には勝ったのか?」
「そんなことはどうでもいいことだ!
我々は磨き上げた肉体美を競い合った、
それだけでよいのだからな!」
「廖化と王植の謎の友情はともかく、
いよいよ最後の関所が見えて来やしたな」
「今度も敵軍は関所の外に布陣しているようです。
――おや、父上?」
「…………」
「ついに父上自ら戦われるのですか!
し、しかし父上が出るほどの相手では――」
「おや? 待たれよ皆の衆。様子が何か変じゃねえかい」
「ば、馬鹿な……黄河の関所を任されたこの俺が……
関羽ではなく、こんな浪人ごときに……」
「またつまらぬ物を斬ってしまった……」
「ぐはぁっ!」
「おいおい、関所の兵がみんな逃げ出しちまったぜ。
あいつは何者だ?」
「む? そのヒゲ、その出で立ち……
そちらに見えるは関羽将軍でござるか」
「…………」
「何者だお前は?」
「拙者は陳到と申す旅の者。
この関所を通ろうとしたが、通行手形があるにも関わらず、
もうすぐ関羽が来るから関所を通すわけには行かぬと、
理不尽に止められ申した。
いささか腹に据えかね、門番を斬り捨てた次第にござる」
「それにしても遠目に見ただけだが、
すさまじい腕前であったな!」
「拙者いまだ修行中の身。
見苦しきものをお目にかけた非礼、許されよ」
「いやさ、この関平、正直言って恐れいった!
どうだ陳到殿、よければ我々と同道願えんか?
それほどの腕を浪人のままにしておくのは惜しい」
「天下にその名の轟く関羽将軍に誘われては、否とは申せますまい。
この半人前の剣であれば、いくらでもお貸し致そう」
「こいつは心強い味方ができやしたな!
劉備殿も喜ばれるでやしょう」
「…………」
~~~汝南 北部~~~
「…………」
(か、関平さんよ、関羽将軍はどうしたんだ?
さっきからすげえ不機嫌そうだぞ)
(そうか? 私にはいつもの父上に見えるが……)
(たしかにどこか近寄りがたい雰囲気が漂っていやすな)
(わかったぞ!
父上は五つの関所を越えてもなお油断していないのだ。
勝って兜の緒を締めよの言葉どおり、
気を引き締め直しているのだろう)
(なるほど! さすが関羽将軍だ! 俺は感動したぞ!)
「! 皆の者、誰か近づいてくるぞ」
「関羽! そこで止まってもらおうか」
「お前は夏侯惇!」
「まずは非礼を詫びるとしよう。
お前ほどの男を、五つの関所ごときで
止められると思ったのが間違いだった。
あんな雑魚どもでは、関羽を討つことなど、どだい無理な話だ」
「そりゃそうだ。
関羽将軍どころか我々だけで片付きやしたもんな」
「はじめから他人任せにせず、俺が出張ってくるべきだった。
関羽! お前を劉備のもとへ行かせては大きな災いとなる。
ここで――」
「!!」
「おお! 皆まで言わせず将軍のほうから飛びかかったぞ!」
「関羽てめえ! 話は途中だぞ!」
「ッッ!!」
「問答無用ってわけか! 面白え!!」
「あんなに鬼気迫る父上は初めて見る……。
まるでうっぷんが溜まりに溜まっていたようだ。
だが父上はここまでわずらわしい戦いを回避してきたのに、
いったいなにがご不満なのだ?」
「……戦えなかったのがご不満だったのではござらぬか」
「え」
「たしかに水を得た魚のように暴れまわっているな……」
「ッッッ!!!」
「これが関羽の実力か! 強すぎてうれしくなって来るぜ!」
「待て夏侯惇の旦那! 戦いをやめろ!」
「!!!」
「うわっと! 早とちりすんなよ関羽の旦那!
オレは加勢に来たんじゃねえ。止めに来たんだ」
「止めるだと?」
「程昱のジジイに吐いてもらったぜ。
アンタらの陰謀はここまでだ。
関羽の旦那が関所破りをしたのは、曹操の旦那も承知だ。
だが通行手形を渡し忘れたんだから、関所破りは咎めねえとよ。
関羽の旦那は無事に通行させろっつー命令だ」
「曹操め、余計な真似を……」
「もしこれ以上、戦おうってんなら、
夏侯惇の旦那がお尋ね者になっちまうぜ」
「……フン。曹操の命令には逆らわねえよ」
「つーことで関羽の旦那、安心して通ってく――」
「!!!!」
「うおおっ!? ど、どうしたんだよ旦那!
オレたちは戦わねえって――」
「ッッッッッ!!!!!」
「チッ! 聞く耳持たずか!」
「ず、ずらかるぞ夏侯惇の旦那!」
「!!!!!!!!!!」
「父上…………」
~~~~~~~~~
かくして関羽は五つの関と千里の道を越えた。
一方、劉備と張飛は汝南の地で孤独な戦いを続けていた。
はたして流浪の主従を待ち受ける次なる運命とは?
次回 〇三三 皇帝への道




