〇一九 献帝脱出
~~~長安 宮廷~~~
「董卓は死んだ。だが跡を継いだ李傕、郭汜らは
董卓の頃と変わらぬ暴政を布いている。
いや、董卓にはまだしも彼なりの理念があったように朕は思う。
李傕、郭汜らはただ董卓の真似をしているだけだ。
董卓の上っ面をなぞり、暴虐の限りを尽くしている……」
「このままでは彼奴らの魔の手が、陛下にも及ぶやも知れません。
陛下、どうか長安から脱出することをご決断下さい」
「しかし皇后や女官、朕に従う老臣らの足は遅く馬にも乗れぬ。
朕もそうだ。李傕らの大軍から逃げ切れるのか?」
「夜陰に乗じて長安を抜け出します。
少し南下すれば、援軍が駆けつける手はずを整えてあります。
陛下が李傕の下から離れたと知れば、
その他にも続々と救援者が現れましょう」
「まずは動かなければ、何も始まらぬか……。
よし董承、準備を整えてくれ。朕は長安を出る」
~~~長安 宴会場~~~
「ぎゃあああああああああ!!!」
「きゃはははは。やっぱり釜茹でって面白いね李傕!」
「そうですなあ、まるで魚のようにのた打ち回ってますぞ」
「くっくっくっ。
我々の暗殺を企てるとは愚かだったな、朱儁よ」
「た、大変だ! 陛下が都から脱出したぞ!」
「そうか。あの小僧は何の役にも立たんから
ちょうど良かったじゃないか」
「……これは正気の沙汰とは思えませんな。
貴殿らが好き勝手に振舞っていられるのは、
あくまでも陛下を擁立しているからだ。
陛下を失えば、我々はただの逆賊になってしまうのだぞ」
「……マジでか? い、急いで陛下を追うぞ!」
「わーい。陛下と鬼ごっこだー!」
~~~長安 南部~~~
「董承! 李傕らはもう追手を差し向けたそうだ!
逃げ切れるのか?」
「ご安心を。もう少しで張楊と合流できます」
「董卓追討軍にも名を連ねていた張楊か。
忠誠心の厚い男と聞いている。早く会いたいな」
(……残念ながら、あなたが張楊に会うことはない。
あなたは間もなく黄巾賊の残党に討たれるのだ。
そしてあなたよりももっと従順な、
我々の息のかかった者が、次の皇帝になるのです……)
「陛下ぁっ! 待っていやしたぞ」
「お、お前は誰だ」
「元・黄巾党の楊奉という者です。
改心し、陛下をお守りするために駆けつけやした」
「こ、黄巾賊だと。董承、この者は信用できるのか」
「はい。張楊の他に私が手配していた援軍です」
「そ、そうか。楊奉とやら、頼りにするぞ」
(まだ早い。もう少し供の者から離れた所で殺せ)
(へっへっへっ。わかりやした)
「陛下! ご無事でしたか!」
「な!? お、お前は士孫瑞!」
「李傕らに都を追われて以来、
こんなこともあろうかと、兵を集めて機を窺っていました。
ご苦労であったな董承。これからは私たちが陛下をお守りする」
「士孫瑞、お前こそ無事で良かったぞ。
ところで隣にいる異人は何者だ?」
「オレ、ヘイカ、マモル」
「北の異民族の王で、於夫羅という者です。
なんでも王位争いに敗れ、各地を放浪しているとか。
しかし誠実な男です。部下とともに我々への
助力を申し出てくれました」
「マモル、オレイニ、キコク、テツダエ」
「お礼にお前が帰国する手伝いをすればよいのだな?
わかった、まずは朕らを逃がす手助けをしてくれ」
(お、おい。どうすんだよ董承さんよ)
(……少し殺す相手が増えただけだ。しばらく機会を待て)
~~~長安 南部 李傕・郭汜軍~~~
「お、おい。献帝の方から一軍が向かってくるぞ!」
「なんだと! 我々と戦える兵力があったのか?」
「どうやら援軍と合流したようですな。
これは一筋縄では行きますまい」
「リカク、カクシ、コロス!」
「野郎ども手加減してかかれー」
「参る!」
「なんの。まだ我々の方が兵力でははるかに上回っておる。
押しつぶせ!」
「兵の多寡など問題ではござらん。
とくと見よ! 我が白焔斧の冴えを!」
「な、なんだあの大斧使いは! むちゃくちゃ強いぞ!」
「というかあれは斧なのか?
剣のような握りが付いておるぞ」
「じ、徐晃の馬鹿め。糞真面目に奮戦しおって。
李傕殿らを倒したらどうするのだ。
もう十分だ。退け! 退けーい!」
「む? なんだあいつらめ、優勢なのに逃げ出し始めたぞ。
さては我々に恐れをなしたな。追撃しろ!」
「待て! 横からさらに援軍が現れたぞ!」
「陛下、遅れて申し訳ありません。
陛下を想うとこの胸は何かを叫んでいます。
風に踊る枯葉のように逆賊を討ち果たしてみせましょう」
「ふむ、張楊まで現れおったか。どうやらここまでのようだな。
張済殿、我々は引き上げよう」
「な、何? 李傕らを見捨てるのか?」
「彼らはもうおしまいだ。
楊奉の部下すら制御できないようでは、
陛下のもとに潜伏させておいた董承にも期待はできまい。
李傕らと共倒れする前に、我々は独立するのだ。
胡車児を派遣して南の宛城を押さえてある。
そこに向かうぞ」
「何を言ってるのかよくわからんが、お前の言葉はいつも正しい。
よし、退却だ!」
「ねえねえ、張済の軍が離れてくよー」
「張済が戦線離脱した?
いったい何がどうなっているのだ……」
~~~洛陽~~~
「張楊、よくぞ来てくれた!
お前のおかげで洛陽までたどり着くことができたぞ」
「いいえ陛下、私には瞳を閉じて我が君を想うことしかできません。
失くしたものを超える強さを我が君がくれたのです。
お礼など不要です」
「よ、よくわからないがとにかく礼を言おう。
士孫瑞、李傕らの様子はどうだ?」
「洛陽は董卓によって焼け野原にされましたが、
孫堅が補修したおかげで、多少の防備は整っています。
外には於夫羅、楊奉らが駐屯していますし、
敵は張済の裏切りに動揺しているようで、攻撃の構えは見えません」
「そうか。ようやく一息つけそうだな……」
「しかし陛下、李傕らが本腰を入れて攻め寄せたら
とても防ぎ切れません。今のうちにもっと遠くへ逃げるべきです」
「……お前の言うことはもっともだ。
だが朕は、もうこの洛陽から離れたくない。
洛陽は朕が生まれ育った、先祖代々から続く、本当の都なのだ。
朕はここにいたい」
「ならば我々は全力で陛下をお守りし、
洛陽に我が君をもっと夢中にさせてあげます。
――董昭!」
「はい。そのためにはさらに援軍が必要です。
各地に使者を派遣しましょう」
「しかし、わざわざ不利な戦いに
身を投じてくれる忠臣がいるだろうか」
「この洛陽に近く、そして李傕らを破れるだけの
力を持った諸侯といえば、やはり曹操でしょう。
彼は忠臣ではありませんが、利益があれば動く人間です。
私が曹操のもとに向かい、利を説いてきます」
~~~洛陽 郊外~~~
「董承さんよ、いったいどうなっているのだ!
陛下を殺す機会がないぞ」
「わかっている。だが焦って殺しては、
我々が即座に張楊らに討たれてしまう。
賈詡とも連絡が取れなくなったから、
李傕らと協力することもできん。
くそっ。士孫瑞さえ現れなければこんなことには……」
「それならまず士孫瑞を殺そう。そんで――」
「楊奉殿」
「な! じ、徐晃、貴様いつからそこにおった!」
「いま来たところである。
張楊殿が守備の配置について相談したいと言っておる」
「わ、わかった。すぐに向かおう。
――徐晃、我々の話を盗み聞きしていないだろうな」
「盗み聞き? 武人の誇りにかけてそんなことはせぬ!」
「そ、そうか。疑って悪かったな。
重要な話をしておったから、つい聞いただけだ」
(これでは楊奉も当てにならん……。
李傕らは我々が内応者だと知らぬし、いったいどうすれば……)
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かくして献帝はかつての都・洛陽に帰還した。
だが外には李傕が迫り、内では董承が虎視眈々と隙を窺っていた。
はたして曹操は献帝の救世主となるのか? それとも……?
次回 〇二〇 曹操の帰還




