一〇五 合肥新城の戦い
~~~魏 洛陽の都~~~
「乱世も終局に近づいた……そんな感じがいたしませんか?」
「どういう意味だ」
「曹真様、曹洪様、張郃将軍、鍾繇殿、華歆殿と相次いで亡くなられました。
蜀では趙雲や李恢が、呉でも虞翻らが没したと聞きます。
まるで乱世の中心人物たちが次々と亡くなっていくようです」
「君らしくもない感傷だな。悪酔いでもしたか」
「さすがにこんな葬儀の席では飲みませんよ」
「人はいずれ死ぬ。それだけのことだ」
「……ならば、彼も本当にいつか死ぬのでしょうか」
「誰のことを言っている」
「…………諸葛亮です」
~~~呉 寿春の都~~~
「よく来てくれたな。堅苦しい挨拶は抜きにしようや。
皇帝になろうがなるまいがオレはオレだ。しゃっちょこばる必要はねェ」
「喝! 孫権陛下は劉禅陛下に遅れ皇帝に即位した方。
言うなれば劉禅陛下の後輩であろう。
敬意は払えども、もとよりへりくだるつもりはない」
「言うじゃねェか。鄧芝も面白かったがおめェも面白そうだな。
まあ駆けつけ三杯に……っと。
見たところおめェは僧侶か? だったら酒は駄目なんか」
「南無! 酒ごときに惑わされるほど我が悟りは浅くない。
それに考えてもみられよ。孫権陛下への使者が酒を飲めぬわけがなかろう」
「はっはっはっ。そりゃもっともだ!
さすが諸葛亮センセは人を見る目があるな。
どっかの下戸の丞相サンにも見習って欲しいもんだぜ。なあ、ええと。
あー。なんつったっけかなおめェの名は」
「顧雍です」
「孫権殿……。ワシをさしおいて丞相に抜擢した
顧雍の名を忘れないでいただきたいですな!」
「そうそう顧雍だ。ちょっとド忘れしただけだようるせェな。
蜀の使者の……ええと。坊さんにも紹介しとくぜ。
――ところでよ。諸葛亮センセの腹心はいまどいつが務めてんだ?」
「現在は楊儀が側近くに仕えている」
「楊儀? 発明家かなんかだったけっか。ふーん。
じゃあ戦で先鋒を任されんのはどいつだ?」
「主に魏延であろう」
「そっちは発明品のほうか。楊儀に魏延。
フン、どっちも小物みてェだが蜀は人材不足なんか?
まあ諸葛亮センセが一人いりゃあ、全てが事足りるだろうけどよ」
「……それよりも孫権陛下。
かねてより約定である魏への出兵は果たしていただけるのだろうな」
「おうおう、忘れちゃいねェよ。
陸遜に襄陽を、諸葛瑾に江夏を、そしてオレ自ら合肥を攻める作戦だぜ」
「陛下、合肥は満寵の意見で先年に放棄され、
新たに合肥新城が築かれています」
「へええ。そうだったっけか?」
「まったく! 自分で攻める城の状況くらい
把握していてもらいたいものですな!」
「とにかくその合肥ナントカを落としゃいいんだろうが。
オレらの三路侵攻作戦に連動して、諸葛亮センセが五回目の北伐に乗り出す。
これで魏の息の根を止めてやろうぜ!」
~~~魏 洛陽の都~~~
「そうか。ついに孫権君が動いたか。
それも三路同時にとは驚いたね。なんとも恐ろしいじゃないか」
「呉軍は我々と蜀との戦いを尻目に力を蓄えていま~した。
さらに呉に連動し蜀軍も再び北上を開始したと聞きま~す」
「陛下! 我々も兵を四つに分けて迎え撃たねばなりません。
合肥新城の守りは私にお任せいただきたい!」
「もちろんそのつもりだよ。
蜀軍の相手はこれまで通り司馬懿君に一任するとして……田豫君。
陸遜君は君と荊州の兵に任せよう。
かつて曹彰叔父上とともに北地を転戦した力を見せて欲しい」
「フッ……。あの頃のことを持ち出されてはかないません。
亡き曹彰様の名に恥じない戦いをお見せしましょう」
「では諸葛瑾への備えは誰に命じられますか?」
「僕が自ら行こう」
「なんと! 陛下が御自ら出陣されれば
将兵は奮い立つでしょうが……しかし危険です」
「祖父(曹操)も父(曹丕)も大戦では自ら采配をふるったものさ。
僕は名声だけの絵に描いた餅になるつもりはないよ」
「そこまで仰られては、これ以上なにも申し上げることはありませぬ。
留守は我々にお任せください」
「副将には……劉劭君、陳矯君、君たちの力を借りたい」
「この筆を 剣に替えて お供しよう」
「かつて私は曹仁様のもとで南郡の防備につきました。
その経験をお伝えしましょう!」
「僕らが呉軍を撃退すれば、蜀軍も撤退せざるを得ないだろう。
魏の存亡を賭けた一戦だ。各員の奮闘に期待するよ」
~~~呉 諸葛瑾軍~~~
「私のお相手は曹叡ですか。それは助かりましたね。
戦は不得手なものですから、名だたる豪傑が出てきたら
どうしようかと思っていましたよ」
「そんな弱気なことを言われては困ります。
それに曹叡の補佐には陳矯ら優秀な参謀がついているそうですぞ」
「陳矯程度なら、あなたとそう実力に大差はないでしょう。
恐れるに足りませんよ」
「は、はあ……」
「それよりもう一人の参謀、劉劭とやらはどういう方ですか?」
「さてさて、兄弟子の杜襲から聞いた限りでは、
文章を書くのが得意で、多くの作品を発表しているらしい」
「青二才皇帝が大将で、文士と三流軍師が副将ですか。
魏も人材不足ですね」
(諸葛瑾殿は私も三流だと思っているのか……)
「むむ? 何やら外が騒がしいな。敵襲やも知れぬ。見て参ろう」
「周魴さんも心配症ですね。魏軍がそんなに急に襲撃してくるわけが――」
「おやおや、やはり敵襲だ! 曹叡が間道を抜けて襲撃してきたぞ!」
「…………これはこれは、ちょっと過小評価していましたかね」
「曹仁将軍と南郡を守っていた時に、このあたりの地形は把握しています。
奇襲に適した間道は、両手の指に余るほど挙げられますぞ!」
「荊州には小生が書を通じて交流している友人がたくさんいます。
彼らからの情報をつなぎ合わせれば、
呉軍の動きや陣容は手に取るようにわかります。
荊州の 友人からの 贈り物」
「陳矯君の経験と、劉劭君の人脈を活かした情報収集。
この二つが合わされば怖いものは無いね。
そろそろトドメを刺しに行こうか。
――文聘君」
「かしこまった」
「江夏を数十年にわたり守り続けた君が、ついに攻撃に転じるんだ。
今までの鬱憤を存分に晴らしたまえ」
~~~呉 陸遜軍~~~
「奇襲攻撃を受けてズタボロにされたところに、文聘さんが突撃か。
それじゃあ諸葛瑾さんに勝ち目はないよ。逃げられただけ良かったんじゃない?」
「しかし諸葛瑾殿は敗走し、孫権陛下は合肥新城で苦戦中と、
三路侵攻作戦は頓挫しかけております。
我々も田豫の軍とにらみ合いの状況になっていますし――」
「じゃあ、帰ろっか」
「へ? そ、そんなにあっさりと撤退してしまうのですか?」
「だって田豫さんってば防御しか考えてないような、
固くて面倒そうな陣を布いてるじゃん。
あんなの策略でどうこうなるものじゃないよ。
諸葛瑾さんは負けちゃって、孫権陛下も頼りにならないし、
ボクらもすぐには田豫さんを蹴散らせない。これ以上の戦いは無意味だよ」
「は、はあ……」
「曹叡さんに追撃されないよう牽制しながら総退却するよ。
諸葛瑾さんや陛下にも連絡しといてね」
~~~合肥新城 呉 孫権軍~~~
「そうか。なら退却しようぜ」
「あ、あっさり決められるのですな……」
「オレより千倍は戦上手の陸遜が逃げろって言ってんだぜ。
従うに決まってんだろ」
「火火ッ。せっかく放火しがいのあるポイントをいくつか見つけたのに残念だな」
「そうなんか? だったらちィと着火してからにしようぜ」
「火火ッ。さすが陛下は話がわかるな!」
「見つけたぞ、孫権はあそこだ! 矢を射かけろ!」
「へ、陛下! 居所が魏軍にばれています!
これ以上の長居は危険ですぞ!」
「チッ。火をつける隙も与えてくんねェのか」
「風向きもあんまりよくない。またの機会にしましょうや」
「とりあえずつばは付けた。次は爪あとだ。
その次に火を掛けてやろうじゃねェか。
焦ることはねェ。一歩ずつ、この城を落としてやればいいんだよ」
「あの旗の下を狙え! 孫権はそこにいるぞ!!」
「い、今は焦っていただきたい! 私が食い止めている間に早く撤退を!」
~~~魏 曹叡軍~~~
「さすがは陸遜です。諸葛瑾の援護に向かうと見せかけ、
そのまま敗残兵を収容し総退却してしまいました」
「でももし退却に気づき追撃していたら、猛反撃にあっていただろう。
手出しせずに見送ったのは正解だよ」
「いえ、私は陸遜に手玉に取られただけです。申し訳ない」
「三路からの同時侵攻作戦とはいえ、
いずれかの部隊を破れば撤退するのは目に見えていた。
一番破りやすい諸葛瑾を退けるまで、君たちが防備に徹していたおかげで
安心して僕らは戦えたのさ。戦略的勝利というものだよ」
「この勢いに乗って、呉に攻め込み領土を切り取りますか?」
「それには及ばないよ。
蜀軍の動きも気になるし、孫権も陸遜も兵力を温存している。
僕たちも攻撃に転じるには準備不足だしね。
呉軍を撤退させただけで満足するとしよう」
「三路から 攻めても魏は 倒せない」
~~~~~~~~~
かくして呉の三路侵攻作戦は失敗した。
一方、諸葛亮は五度目の北伐に乗り出し、司馬懿と対峙する。
蜀軍が布陣した五丈原には秋風が吹こうとしていた。
次回 一〇六 秋風五丈原




