第一話 エレナと主人のご結婚
ある世界で。
とても力のある魔術師がいた。金持ちの御曹司だった。
両親は優秀な息子が一人できたことで、貴族の義務は果たしたとそれぞれ干渉しなくなった。
彼も物心ついた時から、人間より書物の方が大事だったので、親が自分に関わってこない状況でも不満はなかった。むしろ自分のために屋敷を一つ与え、不自由なく書物に没頭できる環境を整えてくれたことを愛情ととらえて感謝している。
つまりこの家族は互いの関わりに置いて淡白であった。
家族間でさえそうなのだから、他の人間への興味や関心はほとんど無い。
さて、エレナはその家に雇われた使用人だった。
変わり者の魔術師は27歳にもなっているが、未だに書物以外への関心が無い。
加えて彼の気に入らない何か、例えば書物の並べ方が違う、といった事を起こすと使用人の配置換えをすぐに命じる。
エレナは元々は幸運な口利きにより、台所の料理手伝いとして雇われた町民だが、主人の身の回りの世話係が何度も交代になった結果、18歳のエレナにもその係が回ってきた。
エレナは真面目に誠実に役割を全うしようとした。
何のことはない、書物あふれる部屋の中にいて、主人の邪魔にならないようにものを整理したり掃除をしたり、食事を置いて知らせたり、といった簡単な内容だ。ただし、主人の気に障らないように、そして、何が気に障るのか分からない、というところが難しいのだが。
世話係は、いつかは必ず主人に怒鳴り散らされる事になるので、少しだけ給金を弾んでもらえる。
できる限り長い期間世話係でいたいと、エレナは思った。家が貧しかったからだ。
だからできる限り慎重に。少しずつ様子を見ながら。
そのうち、主人のアルフレッドもエレナに慣れてきたようで、眉をしかめるように居場所を確認して来ることも減り、静かな時間だけが過ぎるようになった。
***
「お前、名前は」
半年たったある日。主人はエレナにこう聞いた。
エレナに向かって言葉を発したのはこれが初めてで、エレナは酷く驚き、しかし反射的に礼をとって答えた。
「エレナと申します」
「そうか」
主人は首を傾げるようにしてから、手のひらをクィと曲げるようにして、エレナに近くに寄るように指示した。
恐る恐る近づく。
主人は開いている本を指して見せ、
「お前ならどちらが魅力的だ」
などと聞いた。
挿絵がある。
片方の本には、何かの根。片方には、ハチのような昆虫。
全く理解ができないエレナは、正直に、
「分かりません」
と答えた。
主人は不満そうな人を見下すような表情で、
「こちらはロエル液の元になる。こちらはトーリトルの薬になる」
「・・・はぁ」
やはり理解できなくて、エレナは曖昧な相槌しかできない。
主人は面倒そうに息を吐いてから、それでもエレナに選択を求めた。
「一瞬で息を止める方。ジワジワと気付かれず殺すもの。お前はどちらに魅力を感じる? エレナ」
エレナは驚いて息を飲んだ。
主人はその表情を興味深そうに見てから、つまらなさそうになって視線を外した。
「やはり聞いた私が愚かだったな」
「あ、あの」
エレナは動揺して聞いた。
「毒を、お作りになるのですか?」
「いいや」
「そう、ですか・・・」
「勘違いするな。それに私は、毒など使う必要はない」
「・・・はぁ」
不気味な会話にエレナの顔は蒼白になっていた。
主人はそれに気づいたらしい。
エレナの額に向けて、ピッと人差し指を立ててみせた。
エレナの額に、ポゥと暖かなものを感じた。主人は決して触れていないのに。
「ほら。私には必要ないだろう。逆も可能なのだから」
「え、あ・・・はぃ・・・」
どうやら、エレナの気分の悪さを、主人は魔法で取り除いたらしかった。
「久しぶりに話して喉が渇いた」
主人が喉を抑えるようにしたので、エレナはハッと自分の役割を思い出し、慌てて廊下に水差しをとりにでた。
なお、廊下に出してあるのは、室内に持ち込んで怒鳴られた者が過去に何人もいるからだ。
***
他の人が続かなかった世話係だが、エレナは慎重な性格ゆえか、無事に続けることができていた。
主人はとても変わり者だが、決して冷たい人では無いとエレナは思うようになっていた。
単純に、興味がただただ書物に向かっているだけだ。
長い期間を世話係として勤めているので、主人もエレナに話しかけて来る。
初めはとっつきにくいと思っていただけだったのが、だんだんと、ユーモアも持ち合わせているのだと思えるようになって、親しみが増した。
ある日、主人は古書から珍しい魔法を見つけたようで、エレナが見る前で実験を始めた。
念のため、周辺の書物を脇に退けるように指示をしながら。
エレナはパタパタと動き、主人は熱心に古書を何度も読みなぞっている。
「エレナ。見たいものは」
「え」
「見たいものを映す魔法だ。成功したらな」
「私の見たいもので宜しいのでしょうか」
「あぁ。今すぐ私は思いつかない」
「・・・では。湖というものを、見てみたいです」
「私も無いな。ではそれだ」
主人は両方の指を宙で器用に動かした。
途端、水色の光が集まり、パァと膨れ上がる。
そして水色の中に、景色が浮かぶ。
「これが湖か」
「そうなのですか」
「二人とも答えを知らないとはな」
と主人は楽しそうに笑った。
「だが、水が平原のように広がっている。これが湖だ」
「まぁ。これが」
エレナは目を輝かせたが、主人はもっと嬉しそうだった。
見た事もない、見せた事も無かっただろう笑顔をエレナに向けた。
その瞬間。エレナは主人に恋をした。
とても変わり者で気難しくて、人よりも書籍を愛する10近くも年上の貴族の人に。
***
恋心を自覚したが、何かができるものではなかった。
エレナはただ真面目に世話係を務め、主人の邪魔にならないようにする。
たまに主人の気が向き、会話になる。その短い時間がエレナの喜び。
さて一方。
屋敷の者は、主人がこれほど年齢を重ねても未だに人間に関心を示さない事を案じていた。
主人にも親はいる。違う屋敷にそれぞれ別に住んではいるが、主人にもそろそろ結婚が必要だとは案じていて、屋敷の執事長に状況報告をさせている。
もちろん、貴族の主人には貴族の奥様が相応しい。
ただし主人は全く自ら動く気が無いので、勝手に話が進められた。
そしてある日、主人とその貴族令嬢が顔合わせする事になった。
エレナたちは一生懸命に主人の世話を焼いた。
執事長たちからもエレナからも、日取りを何度も教え、家政婦長たちと相手のご令嬢のために案内する部屋の装飾に悩み、当日の主人の装いも何度も何度も検討した。
主人以外は全て一生懸命だった。
ただし、主人は結婚に否定的だったわけではない。
特に相手に興味は無いが、貴族の義務だ。結婚すればいいんだろう、という様子。
そんな、具体的には全くやる気のない主人を皆で一生懸命に盛り上げる。
これで話が決まれば、相手のご令嬢がこの館の女主人だ。皆も気に入られようと必死になる。
やっとその日が来た。
主人がきちんと対応できるのか、皆の心配はその1点に尽きた。
だが主人はそつなく顔合わせを済ませてみせた。ご令嬢のご機嫌も保たれている。
これには皆が内心驚き安堵した。
さて、エレナは主人を慕っている。だけど身分違いで叶わないものと初めから分かっている。
主人が結婚するのは当然で、それでも主人のために過ごせたらエレナはそれで十分だ。
それに、このご令嬢との縁はとても良いものだという。結婚できたなら、主人の地位はますます強くなるそうだ。
だから、エレナは二人がうまく行けば良いと願った。
周囲ともそう話をして、一致団結したのだ。
***
さて。
主人は、結婚に後ろ向きでは無い。しかし実際は、相手に興味を示さない。
エレナからも、結婚さえすれば良いのだから相手は誰でも良い、と本気で思っているように見える。
そんなだから、日が経つほどに、相手のご令嬢の当家への意欲が冷めているようだ、と情報を入手してきた執事長が頭を横に振るようにして皆に教えた。
皆も執事長のように頭を横に振る。
主人は悪い人ではない。それは屋敷にいる者は分かっている。
ただし、理解されにくい人である上に、主人自身、人に理解してもらいたいなどと願わない。
基本的に他人の機嫌を取る必要が無い人だ。自身が強い魔術師である上に、貴族の御曹司。すでに地位を築いている。
「この話をなんとしても我々でまとめて差し上げたい」
そう話す執事長の瞳には強い意志が輝いた。
執事長も、お相手が誰であろうとも主人の態度は同じだろう、と察している。
なら、今のこの縁を掴んでもらいたい。
こうして。屋敷の皆が、主人のためにと一生懸命になり続けた。
***
相手のご令嬢は、レティアーヌ様と言った。
主人を訪れてくれた日は、形ばかり出て来る主人をサポートするために、エレナが一生懸命にレティアーヌ様のご機嫌を伺った。
主人に、庭で咲いている花の美しい場所を教えても自ら動かないのだから仕方ない。エレナが任されてレティアーヌ様たちをその場所にご案内し、そして他の屋敷の者でテーブルを素早く置き、手早くハーブティなどを入れて差し上げる。
レティアーヌ様は、屋敷の者が尽くす様子に満足そうだった。
美しく、明るい。主人とは違い、自分の意志をハッキリと示す性格だった。
執事長が、レティアーヌ様に庭について語り、
「どうかこの屋敷の女主人に」
などと、主人についてではなく屋敷の美しさをアピールする。この屋敷の者たちはあなたを迎えたいという意思を示す。
皆の熱いまなざしを受けてレティアーヌ様はほがらかに笑った。
家政婦長が手作りのポプリを差し上げる。
「あら。可愛い刺繍」
とレティアーヌ様は気さくに使用人たちに声をかけた。
「それは、このエレナがしたものでございます」
家政婦長が紹介してくれたので、エレナはペコリと頭を下げ、それから微笑みを浮かべた。
「そう。器用ね」
レティアーヌ様は美しく笑った。
とても良い人だと、エレナは嬉しくなった。
***
そんな接待が何度も続いた。
主人については、結局、始めは迎えに出るものの、紅茶を少し飲み合えば、
「では、自由に過ごしてくれ」
などと言って自室に引きこもってしまう。
皆で、素晴らしい魔法使いで仕事が立て込んでおりまして、などとちょっとした嘘を交えるしかない。
ちなみに仕事ではなく、ほとんどは主人の趣味の時間だ。
この世には人間とは別種族、つまり魔族の国もあるが、今は良好な関係を保っている。万が一に備える必要は常にあり、多額の給金も国から出ているが、実際は常に暇である。
さてエレナだが、執事長たちの判断の元、主人よりレティアーヌ様を優先することになった。
主人には、世話係という名の整理整頓係は必要ではあるが、基本的に一人で微動だにせず書物を読み続ける人である。レティアーヌ様の訪問中は放っておいても何の支障もないだろう。
そしてレティアーヌ様は高貴な身分のご令嬢でありながら、使用人にも親しく声をかけてくれる性格だった。
レティアーヌ様は、普段誰がどんな役割をしているのかも聞いてくださった。
使用人たちはますますレティアーヌ様に女主人になっていただきたいと熱を上げた。
ある日。
「ねぇエレナ。あなたたちは、私がこの家に来ることを、喜んでくれるのかしら?」
優雅にハーブティを口にして、レティアーヌ様は尋ねた。エレナに声がかけられたのは、丁度近くにいたからだろう。
「勿論でございます。レティアーヌ様」
「そう」
面白そうにレティアーヌ様はエレナを、そして周囲に並ぶこの屋敷の使用人たちを見る。
「私ね。正直なところ、アルフレッド様についてはあまり興味が持てないの。いつも、私の事など放っておくのですもの。私には興味がないのだと丸わかりね」
「本当に、申し訳ありません。けれど、ご主人様は」
エレナが一生懸命にフォローしようとするのを、レティアーヌ様は優しくクスリと笑った。
「大丈夫よ。十分にあなたたちから聞かされているわ。お仕事熱心な方で、そちらにご興味がついいってしまう。アルフレッド様のご両親も同じ。そのようなお家なのよね」
レティアーヌ様はふと肩をすくめるようにしてから、庭で本日一番見事に咲き誇っている花々を見た。
「私も同じね。きっと、私も、アルフレッド様よりも刺繍が好きだもの」
澄んだ空に溶けるような小さな、けれど真実のような呟きだった。
「ねぇ。でも」
レティアーヌ様はいたずらっ子のように笑って見せ、使用人たちを眺めてみせた。
そして、最後にエレナを見て視線を止めた。
「私。あなたが欲しいわ。アルフレッド様ではなく、私の部屋付きになってくれる? アルフレッド様はそれを許可してくださるかしら」
執事長が嬉しそうに驚いて目を輝かせた。
皆の顔が喜びでパァと赤くなる。
「勿論ですとも! すぐにアルフレッド様にお伝えいたしましょう! きっとお心に沿うことができるでしょう!」
「楽しみにしているわ」
レティアーヌ様が執事長に答えてから、エレナに楽しそうにウィンクをした。
驚いた使用人たちに気づいて、レティアーヌ様は軽く驚いて、それから笑った。
「まぁ、勘違いしないで頂戴。私、刺繍の上手くて可愛いエレナを手元に置きたいの。愛人になんて、そんな趣味では無いわよ」
貴族には同性の愛人を作るものも多いと聞いていた。
否定されて、エレナを含めて皆がちょっと安堵した。
だけれど、やはりエレナは動揺していた。
動揺したという事実に、動揺していたのだ。




