第二話 エレナとヴィート
エレナは、主人に怒られた。執事長と共に。
「私が主人だ。なぜエレナを勝手に変える」
「アルフレッド様。レティアーヌ様のご希望でございます。ですから、アルフレッド様に許可をとこのように・・・」
執事長が珍しくうろたえている。まさか主人が配置換えを受け付けないとは思ってもいなかったからだ。
エレナも驚いた。
そして、同時に、エレナは密やかに喜びを感じている自分に気づいていた。
主人が、自分を手元に置きたがっている。
嬉しい。
エレナも同じだ。
レティアーヌ様は好きで、ぜひこの屋敷の女主人となって欲しいと願っている。
だけど、レティアーヌ様の言葉があってエレナは自分の望みに気が付いた。
主人が結婚しても、エレナは変わらず主人と過ごしたかった。そのつもりだったのだ。
ご結婚されたなら、それが叶わなくなるなど思いもしなかった。だからレティアーヌ様の希望に動揺した。動揺した自分に驚いた。
私はきっと、主人が他の人に関心を持たないと知っていて、ご結婚されても何も変わらないのだと思っていたのだ。
「駄目だ」
主人は怒っていた。声は低く部屋に響いた。
怒りの矛先は、執事長からエレナに向いた。
「エレナの場所はここだ。良いな」
「しかし、アルフレッド様。どうかお聞き分けください。エレナを解雇するわけではございません」
「駄目だ!」
主人は怒りを深くした。顔色がどす黒くなっている。
「エレナ。お前は、ここを離れたいのか」
急に怒りの矛先が自分に向いて、エレナはとっさに答えられない。
それに、正直にここにいたい、と言っていいのか分からない。レティアーヌ様は素敵な方だ。屋敷の皆がレティアーヌ様を迎えたいと一生懸命だ。なのに。
ブルブルと主人が震えたのを見た。
両手を強く握りしめて震えている。エレナを強く睨んでいる。
窓がビシと音を出した。
「いけません」
執事長が慌てた。
そして頭を下げた。
「申し訳ありません。けれど、せめて。どうか、エレナの希望を叶えてやってはいただけませんか」
「なに」
執事長もレティアーヌ様をと強く望んでいる。加えて主人の幼少時より仕えており、主人に年長者として苦言を呈する立場にいる人間だ。執事長は怒れる主人に対してなおも粘った。
「エレナにも希望はありましょう。エレナがこちらにと望めばそのように、エレナが向こうにと望めば、彼女の願いを叶えてやってはいかがでしょう」
そんな、とエレナは蒼白になった。
震えたいのはこちらの方だ。身じろぎ一つできないが。
主人の元にいたい。だけど。きっと、レティアーヌ様のところにいくのが、正解だ。
執事長は頭を下げて主人に対して判断を乞うている。
主人は執事長の頭部を見つめ、それからまたじっとエレナを見た。
観察されている心地がする。強くて大きな瞳。慕う人の視線。
だけど、この選択にどう答えれば良い。
どうしたら良いの。
ふっと、部屋の明かりが明るく灯った。だから今まで、部屋が暗くなっていたとエレナは知った。
思わず壁の明かりに目をやったエレナの額に、暖かなものが触れた。
この感覚は、以前にも。
主人に目を遣ると、主人は怒りを収めてエレナに笑んだ。
そして言った。
「迷わず、ここに居れば良い」
エレナは今度はぶるりと震えた。ふとした安堵で涙が滲みそうになった。
素直に言いたい。
でも。
駄目。だって。
答えが、出せそうに思えない。
***
部屋を退出して、別の部屋に執事長に連れられて移動する。
「さぁ。希望を言いなさい」
すぐに迫られた。
「私は」
と口に出して、エレナはついに涙ぐんだ。
皆の望む答えは分かっている。だけど。
執事長がため息をついた。
「落ち着いて。数日待とう。その間に答えを決めなさい」
執事長の言葉に、エレナは頷きながら、
「はい」
と答えた。
「全く」
と小さく呆れたような宥めるような。執事長が呟いた。
***
屋敷の者に相談すれば、きっと説得されるだけだろう。
迷うエレナは、相談相手を探した。
エレナは、元は料理の手伝いに雇われた。つまり、元はもっと屋敷の外にも出ていたのだ。
困り果てて、エレナはほぼ1年ぶりに、屋敷の外に向かった。
タイミングさえあえば、友人となった者に会える場所。
庭のはずれ。
魔術師である主人に教えを乞おうとやってきた何人もの魔術師未満のものたちが、そこに住むことを許されていた。
本当に久しぶりに訪れたが、さすがは魔術師の卵らしく、エレナが来たのを察知したらしい。
しばらくウロウロ人影を探していたところ、
「どうしたんだ」
と驚きながら同年代の青年、ヴィートがやって来てくれた。
エレナが来ることは分かったようだが、その理由までは分からないようだ。
エレナの様子に、ヴィートは心配した。
「泣きそうだ。苛められた? 大丈夫か?」
エレナは首を横に振った。
「困ってるの」
訴えると、ボロリと涙が落ちてしまった。
ヴィートは息を飲むように驚いてから、
「そう、みたいだ」
と答えた。
「どうした」
「私ー・・・」
「待ってくれ、長い話になるなら、座ろう」
ヴィートは慌てたように辺りを見て、すぐ近くの倒木を指差した。
***
エレナは、ヴィートに事の次第を話した。
主人を慕っている事。ご結婚相手として、レティアーヌ様は素敵な人だという事。
だけど、レティアーヌ様はエレナを傍に望み、主人はそれを怒り、執事長がエレナの希望の通りにするとエレナに判断を求めた事。
「エレナは?」
「私は」
どこか困った気のないような口調でヴィートが尋ねる。
迷惑をかけてしまっているが、今、屋敷についても分かり、しかし屋敷の中の人ではない相手はヴィートしか思いつかない。
「私ね、ご主人様のところに、いたかったの。でも、そうしたら、レティアーヌ様はご主人様とご結婚してくださらないかもしれない。皆、レティアーヌ様が好きで、女主人になっていただきたいのに。私もよ」
「・・・」
ヴィートは聞きながらも頷きも返さない。
ボロボロと涙が出るエレナだったが、やっと収まってきたので隣に座るヴィートの様子をおずおずと見る。
ヴィートは呆れているのか。
実りのない身分違いの想いを優先することは、どう考えても愚かな事だ。
エレナが恐々と様子を見てくるのに気が付いたヴィートは、はぁ、と息を吐いた。
それから、真顔でエレナを向いた。
「エレナはさ」
「ぅん」
「アルフレッド様が好きだ」
「うん」
答えるだけで、エレナの涙腺は緩んでしまう。
「でもさ」
ヴィートは言った。少し視線を外して、気まずそうに。
「エレナは、アルフレッド様と結婚なんてできない」
「ぅん」
その通りだ。ギュッと心臓が苦しくなる。
分かっている事だけど、はっきりと人からそう言われたことは初めてだ。人に主人への想いを相談したことも初めてだが。
「もし、アルフレッド様が、例え、エレナを気に入っていたとしても。エレナは、愛人にしかなれない」
「・・・」
エレナは涙を湛えた目でじっとヴィートを見つめた。
愛人なんて。無い。だって。それは、ない。それは不幸にしかなれない。
「エレナがアルフレッド様のところにいても、良い事はない。素敵な奥様との縁も無くなる」
視線を逸らしながらもハッキリとヴィートは言って、言ってからまたエレナを見つめた。
「でも。私」
「分かってるだろ、レティアーヌ様を選ぶのが正しいって」
でも、とエレナは思った。
だけど、その後が自分でもよく掴めない。
でも、でも、でも。
そう。
でも。そうしたら、エレナは主人に嫌われる。
違う。主人に、エレナが、主人よりレティアーヌ様が好きだと思われる。
それは嫌だ。我儘だと分かっているけれど。
「なんで泣いてるんだよ」
苦り切ったようにヴィートが言った。
「レティアーヌ様のところに行くのがそんなに嫌なのか? 良い人なんだろ」
「だって。私。ずっと、ご主人様のところに、いたいの」
「諦めるしかないだろ。アルフレッド様は貴族で、こっちは町民だ。愛人になりたいか? そしたら、素敵な奥様にも疎まれるぞ。幸せになれない。そんなのが良いのか」
「え、いやだ。そんなの嫌」
指摘に驚いて、伏せていた顔を上げる。
ヴィートが呆れた。頬杖ついてどこか面倒くさそうにしていた。
一方のエレナの心は晴れない。
アドバイスを素直に飲み込めない。
グズグズと涙を流し続けるエレナを持て余したらしい、ヴィートがため息をついてローブから杖を取り出した。
くるくるピッ
と杖を振る。
その度に、シュバ、シュパ、と音がしてごくわずかな煙が出る。
何をしているんだろう。
練習?
しばらく無言で二人で座り、ヴィートの杖の軌跡を見つめる。
そのうち、ヴィートの杖の軌跡が変わった。
シュ
シュ
たまにパチッと火花が散る。
「それは何?」
「練習」
「成功?」
「全然」
「どうして今?」
ひょっとして元気づけようなんて考えてくれた?
「いや、別に」
ごめんなさい。困らせている。
「気は晴れたか? あのさぁ。俺だって、隣で女の子が本気で泣いたらどうしていいのか分からない。ものすごく、扱いに困る」
「ごめん、なさい」
「良いけど」
良いの?
「聞いてくれて、ありがとう」
「ちょっとは気が晴れたか」
「ごめんなさい」
「・・・なんだよ」
バーカ、と小さな呟きながら罵られた。クスリとエレナは笑ってしまった。馬鹿。その通りだなと思ったからだ。
「・・・エレナさ。別に良いだろ。レティアーヌ様のところにいってさ。ちゃんと幸せになれる相手と、幸せになりゃ、良いだろ」
ポツポツと、ヴィートが話す。
たまに、杖から光が出るようになった。
綺麗だ。
ちなみに、主人は杖を使わない。杖が無くても大丈夫だそうだ。
杖を使わなくても良いから、主人は一度にたくさんの魔術を使う事だってできる。
一度、気まぐれにエレナに実演して見せてくれた。小鳥が、小さな道化師が、バイオリンが、主人の指先から生まれるのを見せてくれた。
「あぁ、うまくいかないー練習が必要だー」
ヴィートはやけになったように妙な調子をつけて大きな声を出した。
驚いて瞬いたエレナを置いて、座っていた倒木から急に立ち上がり、ずんずん、と歩いていってしまう。
え、ヴィート、帰るの?
挨拶もなく突然で、しかもまだ涙は枯れていなくてエレナは声も上げずに見るしかなかった。
ずんずん、と小さくなってから、やっぱり帰るのだと判断できたエレナは慌てて、御礼と別れの言葉を叫ぼうとして、また口をつぐんだ。
ヴィートがうずくまり、それからすぐに立ち上がってまたこちらに向かってきたのだから。
「ん」
戻って来たヴィートは、エレナにずいと手を突きだした。
驚いて見つめる。
ヴィートの右手に、白い花が握られていた。
「あげる。元気出せよ」
「え。ありがと、う・・・」
勢いのまま、エレナが受け取る。
ドスン、とどこかぶっきらぼうな態度のまま、ヴィートはまた倒木に腰かけた。
帰ってしまったのかと思った、とエレナが言おうと口を開いたら、先にヴィートが声を出した。
「俺、考えたんだけどさ」
その言葉に、エレナはヴィートを見つめた。
解決策を、くれるだろうか。そう期待した。
「アルフレッド様は貴族だろ。エレナは町民だろ。それで俺も町民だ」
その通りだ。
エレナはヴィートを見つめ続ける。その先を聞きたくて。解決策を。
手にヴィートからもらった花を軽く握りながら。
ヴィートは急にバッとエレナに向き直り、焦るように、花を持つエレナの手を両手で包むように掴んだ。
思ってもみない動きで、エレナはビクリと驚いた。
「俺、あの、エレナ」
「俺、あの、なぁ、俺は!?」
え。
という言葉はエレナの心の中で。
ヴィートが口説いた。
「俺と幸せになろう。な!? ほら、町民同士だろ!? な、それで、そう、だから、俺が稼いでやるから、だから、そう、お屋敷のお勤め辞めてしまえよ。そしたら、アルフレッド様なんてどうでも良くなる。だって貴族だろ。なぁ、俺たち、幸せになろうよ」
最後、懇願のように泣き落としのようになっていたのは、エレナがあまりにあっけに取られていたからだろうか。
「現実的な選択だよ、なぁ、俺だってこれだって町民にしたら良い給金貰えてるから、ちゃんと」
「ヴィート」
「辛い思いしなくていいだろ、屋敷にいるから悩むんだろ、なぁ、俺、初めて見た時からエレナのこと好きで、頼むから、俺にチャンスを」
「ヴィート」
「お願い、お願いです。本当にお願いします」
「あ、の」
ヴィートの勢いに押されてろくに発言できないエレナにやっと気づいたヴィートはふと真顔になってエレナを見つめた。
そっと手を外して、少し離れる。うぅん、とわざとらしく咳ばらいをした。
「えっと。あの」
とヴィートが言った。
なお、相談結果さらに混乱を与えられたエレナの涙は、事態を飲み込めずに止まっている。
ヴィートは照れた様子で己の口元を手で押さえ、少しウー、と唸ってから、真っ赤になった顔でエレナを見た。
「これ、俺が考えた、解決策。俺の希望が盛り込んであるけど。で、どう」
「・・・ありがとう」
と、エレナは答えた。悲しみはなぜか消えていて、エレナは微笑みを浮かべられた。
「・・・あの、少し、考えても、良い?」
エレナの言葉に、コクリとヴィートが頷いて答えた。
「あ、うん。明日、とか」
「明日・・・」
そんなに早く、答えを決められるだろうか。
「あ、じゃあさ、明日また、相談し合おう。俺、待ってるから」
「うん・・・」
「絶対な」
ヴィートの目は縋るような、それでいて真剣な強い眼差しで。
エレナはふと視線を外して、屋敷の方を見やり。
あぁ。確かにそれが、自分にとっての現実的なところなのだろうと、思ったのだ。




