10 彼女が戻ってきた アレクサンダー目線
10 彼女が戻ってきた アレクサンダー目線
魔獣討伐を終えて王都へ戻った俺は、国王陛下への報告へ向かっていた。
二十日ほど王都を離れていたが、今回の討伐では大きな被害もなく、負傷者も少ない。報告を終えれば、ゆっくり休める。
久しぶりにギルバードと遊んでやるか。
そう思いながら回廊を歩いていると、中庭から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
目を向けると、ギルバードがお茶を飲んでいる。
(相変わらず、優雅なことだ)
少しからかってやろうと思ったところで、その隣に座っている少女が目に入った。
陽の光を受け、銀色の髪が輝いている。
見間違えるはずがない。
エリシアの髪の色だった。
俺は足を止めた。
十年前から、どれほど似た色を探しただろう。銀色に近い髪の女を見かけるたびに振り返り、その顔を確かめては落胆した。
どうせ、今度も違うはずだ。
そう思いながらも、俺の足はすでに庭へ向かっていた。
近づくにつれ、二人の声がはっきりと聞こえてきた。話しているのはミルフォーク語だ。
「では、日が沈むまで競争ですね」
少女が笑いながら答えた。
その声を聞いた瞬間、息が止まった。
声の調子も、言葉を切るときのわずかな癖も覚えている。片時も忘れたことがない。間違いない。
エリシアだ。
何度も夢に見た。声をかけようと追いかけても、いつも彼女は振り返らない。ようやく肩へ手が届いたところで目が覚める。
だが、目の前にいる少女は消えなかった。
「楽しそうだね。お邪魔するよ」
努めて普段どおりに声をかけたつもりだった。
「兄様!」
ギルバードが俺を見て、うれしそうに椅子から下りた。
しかし、俺はギルバードに返事をすることさえできなかった。銀色の髪の少女だけを見つめていた。
少女がゆっくりと立ち上がり、こちらを振り向く。
その顔を見た瞬間、俺のなかで十年という歳月が消えた。
エリシアだった。
少女の手のなかでカップが傾き、受け皿に触れて音を立てた。
「……アレク?」
その喉から、かすれた声が漏れた。
俺の名を呼んだ。俺を知っている。間違いない。
「エリシア……」
ようやく、それだけを口にした。
今すぐ駆け寄って抱きしめたい。二度と逃がさないように腕のなかへ閉じ込め、そのまま誰も来ない場所へ連れていきたかった。
十年間、どこにいた。
なぜ戻ってこなかった。
怪我はないのか。つらい目には遭わなかったのか。
聞きたいことがいくらでもあった。
だが、俺は自分を押しとどめた。
エリシアは戻ってきたのだ。目の前にいる。焦る必要はない。
まずは、ゆっくり話をしなければならない。
「エリシア、俺だ。アレクだよ」
一歩、近づいた。
俺が動いた途端、ギルバードがエリシアの前へ出た。小さな身体で彼女を後ろへかばい、俺を警戒するように見上げてくる。
「兄様、待ってください。リシアが怖がっています」
「リシア?」
聞き慣れない名前だった。
「彼女の名前です。リシアといいます」
「違う。彼女はエリシアだ」
俺が言い切ると、ギルバードの表情が険しくなった。
「兄様が誰と間違えているのかは知りません。でも、彼女は僕の先生です。いきなり怖がらせないでください」
「間違えていない」
ギルバードを退かせるように一歩踏み出す。
「その声も、俺の名の呼び方も同じだ。俺がエリシアを見間違えるはずがない」
「兄様!」
ギルバードが止めたが、俺は構わずエリシアへ話しかけた。
「エリシア、俺を覚えているんだろう? 十年前、いったいどこへ消えたんだ。どうして今まで――」
エリシアは俺を見つめていた。
その瞳が大きく見開かれ、みるみる顔から血の気が引いていく。
「エリシア?」
身体がふらりと揺れた。
「リシア!」
ギルバードが叫ぶ。
俺は咄嗟に手を伸ばし、倒れかけたエリシアを抱き留めた。
「エリシア! しっかりしろ!」
何度呼びかけても、返事はなかった。
腕のなかの身体は、記憶にあるよりずっと小さい。このまま力を込めたら壊れてしまいそうだった。
胸の奥から恐怖が込み上げた。
ようやく戻ってきたのに、また失うのか。
「医者を呼べ!」
「医務室へ運んだほうが早いです!」
ギルバードの声を聞くより先に、俺はエリシアを抱き上げて走りだしていた。
今度こそ、守らなければならない。
診察を終えた医者は、深いため息をついた。
「貧血でございます。命に別状はありません」
「本当だな?」
「はい。ただし、患者を休ませる必要がございます。男性は出てください」
「俺はここにいる」
「出てください」
医者は一歩も引かなかった。
結局、俺だけではなく、ギルバードとオークリーも揃って診察室から追い出された。
閉められた扉の前で、ギルバードが俺を見上げた。
「兄様。説明してください。エリシアとは誰ですか?」
「あとで話す」
「リシアに何をしたのですか?」
「何もしていない」
「兄様を見て倒れました」
それを言われると反論できなかった。
オークリーが俺とギルバードを交互に見て、眉間を押さえた。
「殿下方。ここで言い争われても、解決しません」
「分かっている」
俺が答えると、ギルバードも不満そうに口を閉ざした。
本当は、このまま扉の前に居座るつもりだった。エリシアが目を覚ましたら、すぐに話を聞きたかった。
だが、俺はまだ帰還の報告をしていない。
「俺は父上と兄上に挨拶をしてくる」
「僕はここにいます」
「ギルバード殿下もお戻りください」
オークリーが厳しい声で告げた。
「嫌だ。リシアが目を覚ますまで待っている」
「部屋へお戻りください」
ギルバードは納得していなかったが、オークリーに促されて渋々その場を離れた。
俺も診察室の扉を一度振り返り、国王陛下のもとへ向かった。
父上と兄上への挨拶を済ませると、俺は自室へ戻った。
従者にうるさく言われて風呂に入ったが、入る前に命令した。
「今年、王宮へ入った見習い全員の資料を持ってこい」
俺が命じると、従者は目を瞬かせた。
「全員でございますか?」
「全員だ。所属は問わない」
「承知いたしました」
風呂からあがり、食事をとりながら資料を読み始めた。
リシアと名乗っているのなら、その名で記録があるはずだ。年齢、出身地、王宮へ入った経緯、誰の紹介を受けたのか。調べられることはすべて調べる。
十年経っているのに、姿が変わっていない。
あの頃より少し幼く見えたほどだ。
普通に考えれば、エリシア本人であるはずがない。それでも、あの声を聞き間違えるものか。
それに、彼女は俺を見て、アレクと呼んだ。
(エリシアが戻ってきた)
指先がわずかに震えた。
生きていた。
俺の知らないところで、十年ものあいだ生きていたのだ。




