第二十五話 エピローグ:神様からのご褒美
新学期。古都・奈良の朝は、樟脳に似た、おろしたてのノートの匂いがした。通学路の喧騒を少し外れたところで、俺の前にそいつが現れた。鹿王。朝の斜光を角に反射させ、悠然と立ち塞がるその巨躯に、俺は思わず背筋を伸ばした。
「あっ、鹿王……おはようございます」
敬礼しそうになる俺を、鹿王は一瞥した。その深い眼窩が、こちらの網膜をじっと捉えて静止する。かつて世界を救った記憶の残影をその瞳の底に認め、胸の奥がドクンと鳴った。奴はコツコツと乾いた蹄の音をアスファルトに響かせ、誘うように歩き出す。
俺はためらうことなく、導かれるままにその背中を追った。辿り着いたのは、大学構内の端。大きな楠が落とす深い緑の陰だった。そこに、一人の外国人女性が立ち尽くしていた。木漏れ日が彼女の柔らかな髪を透かし、まばゆい金色の輪を作っている。困惑した様子で周囲を見渡すその細い首筋の仕草に、俺の喉の奥がカラカラに爆ぜた。楠の湿った幹の匂いが、不意に強くなる。
「お困りですか?」
考えるより先に、声が喉を突き破っていた。
「すいません、道に迷ってしまって……ここ、どこなんでしょう?」
振り返った彼女の、柔らかく、どこか聞き覚えのある響きを持つ声。
「どこへ行かれますか? 良かったら、送りますよ。……日本語、すごくお上手ですね」
「はい。アニメで覚えました」
はにかむように細められた碧い瞳に、心臓が肋骨の内側を激しく一回だけ叩いた。
「俺は、長屋総一郎といいます。……貴女の名前、聞いてもいいですか?」
「あっ、ごめんなさい。私、アルシア・ロウランと申します。アメリカから来ました留学生です」
――世界から、音が消えた。吹き抜けた風が、楠の青い葉をさらさらと乾いた音で鳴らす。視界の端で、鹿王が静かに茂みの奥へと去っていくのが見えた。足音が遠のき、古都の闇の中へと消えていく不格好な背中。
(……今まで、導いてくれてありがとう)
心の中で、声にならない言葉を告げた。
「アルシアさん。……いい名前ですね」
無意識にこぼれた言葉のせいで、喉の奥がカッと熱くなった。
「良かったら、……へい! 彼女! お茶しない?」
一瞬の沈黙。自分でも呆れるほど、ありふれた、そして不器用な、かつて一度だけ極限状態で絞り出したのと同じナンパの台詞。だが――。
「ええ、喜んで」
彼女の目尻が優しく緩み、白く小さな歯が覗いた。俺が、あの六畳一間の片隅でずっと待ち望んでいた通りの笑顔が、そこにあった。
また、始まる。今度は、奇跡や因縁に縛られた世界を滅ぼす運命ではなく、ただの不器用な毎日として。指先から放たれる念動力も、未来を予言する冷たいタブレットも、ここにはない。
ただ、二人のスニーカーの足音が重なり、夏の終わりの陽光の下で影がひとつに溶け合う、この世界での新しい物語が。空は、どこまでも澄み渡っていた。
おしまい。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
この『考古戦士・長屋総一郎』は、「古代楼蘭の美女」「奈良・神々」「考古学・超文明」「SF超常バトル」という一見バラバラなモチーフを、一つの"物語"に織り込もうと挑んだ作品です。
主人公・総一郎は特別な血筋でも、生まれつきの英雄でもありません。ただ、大切なものを守りたくて、必死に足掻いた普通の青年です。そんな彼が、ヒヒイロカネやアルシアと出会い、強大な闇と対峙し、自分自身の未来を"選び取っていく"姿を書きたかった。
派手な戦いもあれば、静かな心の葛藤もありました。少しでも、あなたの胸に何か響くものがあったなら、これ以上の幸せはありません。この作品を好きだと思っていただけたら、感想などで応援してもらえるとすごく嬉しいです! それが、次の物語を紡ぐ力になります。
本当に、ありがとうございました! 筆者




