第一話 古都の欠片
――初夏。アスファルトを焼くセミの声が、古都・奈良の空気をじりじりと震わせる。掘り返された地面からは、発酵した土と数千年の時間が混ざり合ったような、重苦しい匂いが立ち上っていた。
「長屋くん、そこ、もう少しハケで丁寧に」
「あ、すみません」
年配の調査員に声をかけられ、俺――長屋総一郎は、シワの寄ったシャツの袖で額の汗を拭った。二十七歳、考古学者の卵。……いや、現実は大学の非常勤講師の椅子を奪い合い、発掘現場のバイトでその日暮らしを続ける、殻すら割れないヒヨコだ。
ボサボサに伸びた黒髪の隙間から、ひび割れた土の層を見つめる。要領が悪いのか、それとも運に見放されているのか。就活の最終面接で会社が倒産したり、提出した論文が郵便事故で紛失したり。そんな不運の連鎖をやり過ごすうちに、いつの間にか俺は、周囲から「何を考えているか分からない、眠そうな男」というラベルを貼られていた。
「これ、どうぞ。お疲れさまです」
隣でバテている学生に、買ってきたばかりのスポーツドリンクを無言で差し出す。
「え、いいんすか? あざっす……長屋さんは本当、マメっていうか、お人好しっすね」
お人好し、ではない。ただ、期待されるのが苦手で、少しだけ波風を立てたくないだけだ。視線を落とすと、指先に付着した乾いた土が、楼蘭の砂の色に見えた。中学の時、テレビの向こうで微笑んでいた『楼蘭の美女』。あの神秘的なミイラの微笑みに魅せられ、俺は歴史の吹き溜まりまで来てしまった。
(いつか、自分の手で……)
熱を持った想いを、喉の奥に飲み込む。今の俺は、名もなき現場の片隅でスコップを握る、その他大勢のひとりに過ぎない。
***
その日の帰り道だった。西日に照らされた古墳群の裏手。フェンスも調査看板もなく、地元民すら足を止めない小さな円墳が、影のようにそこにあった。いつも通り過ぎるはずのその場所で、俺の足が止まった。風が止み、セミの声が遠のく。
『――我が力を欲するか?』
低く、けれど脳の髄を直接指先でなぞるような声。幻聴か、あるいは熱中症か。だが、その古墳の斜面にある「くぼみ」が、獲物を待つ口のように見えて離せなくなった。俺は吸い寄せられるように、誰もいない古墳の斜面を登っていた。歴史の深淵を覗きたいという、考古学者特有の業が、足を引きずり出す。リュックから発掘用の小型スコップを取り出し、震える手でそのくぼみを掘り下げる。数分後、指先に「それ」が触れた。
「……っ?」
氷のような冷たさが、指先の皮膚を突き抜けて神経にまで届く。だが、そこには何も見えない。土を払っても、視界にはただの空隙が広がるばかりだ。なのに、手のひらには確かに、ルービックキューブほどの重みと、硬質な質感がある。
「これは……何だ? 光の屈折を無視しているのか?」
『――欲するか?』
声がさらに明瞭に響く。俺は、目に見えない無の塊を凝視した。 うだつの上がらない二十七年間。一歩引くことで守ってきた、波風の立たない人生。
「……欲しい。この、何も掴めない人生が変わるなら。……ただし、魂を差し出せとか、三つの願いだけだぞ、なんて制約は勘弁してくれよな」
独り言のように呟いた瞬間、手の中の何かが、生き物のようにうねり、形を変えた。掌の熱を吸い取り、俺の思考――深層心理にある象徴を読み取っていく。
『取引ではない。我が力は、選ばれし者に“共鳴”する』
脳内で何かが弾けた。透明だった物体が、じわりと輪郭を帯び始める。細長く、鋭く、左右に三本ずつの枝刃が伸びた、奇怪にして美しいフォルム。
「……七支刀……?」
石上神宮に伝わる、あの異形の剣。俺が最強の考古学的遺物として無意識に思い描いたその形を、不可視の金属は模倣した。
「ヤバい……これ、このまま持ち帰ったら、銃刀法違反どころじゃ……」
『落ち着け。わし、ちいさくなれるぞ。持ち運びサイズでな』
声の質が変わった。威厳に溢れていたはずの響きに、妙な愛嬌が混じる。目の前の七支刀が、するんとキーホルダーほどの大きさに縮んだ。重さはそのまだが、これならポケットに収まる。俺はそれを掴むと、逃げるように古墳の斜面を駆け下りた。
***
六畳一間のアパート。荒い呼吸を整えながら、俺はそれを安物の神棚に置いた。招き猫の置物の隣で、手のひらサイズの鉄の剣が、異様な存在感を放っている。
「お前……本当になんなんだ?」
『我か? オリハルコン、賢者の石、ミスリル……ここでは“ヒヒイロカネ”とも呼ばれたな。だが、どれも我が欠片を指す言葉に過ぎぬ』
「つまり……知性を持つ、オーパーツを超えた何か、か」
『かつては金属だった。だが今は“記憶”そのものだ。文明が興るたびに誰かに拾われ、力を与え、時に破滅ももたらしてきた』
ヒヒイロカネと名乗る存在は、無邪気な調子で、恐ろしい事実を告げる。自分の手が小さく震えていることに気づいた。これを手にした瞬間、これまでのそれなりの日常は、音を立てて崩れ去ったのだ。
『だが、お前は面白い。欲望よりも、何かを探し求める“意志”で我を掴んだ』
褒められているのかは分からない。ただ、安アパートの湿った空気の中で、俺の人生の歯車が、かつてないほど激しく噛み合い始めたことだけは分かった。始まったのは、数千年の時を越えて続く、血と祈りの物語。俺は、もうただの卵ではいられなかった。




