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第六十二話 老将の眼差し

これもまた、顕如の企ての一つであったのか。


頼朝軍最強の部隊は、甲斐の雪に閉じ込められていた。


雪解けの迫るなか、古参の老臣たちが言葉を交わす。


故あって、この戦国の世に集うた者たち。


彼らの目に、いまの世はどう映っているのか。

そして――その決意とは。

「何か、分かったか」


雪も、溶け始めていた。


本格的に軍を動かすには早い。

それでも、伝令は届くようになっている。


「二条城は落城寸前であったようですが……

梓様は、ご無事とのこと」


「それは何よりじゃ!」


雪深い躑躅ヶ崎館で顔を突き合わせているのは、源頼光と太田道灌であった。


挿絵(By みてみん)


「急襲され、落城寸前であった二条城へ軍を進め、梓様をお救いしたのが誰か。

頼光殿は、いかが思われる」


「京を守るのは、安土の桜殿や早雲殿の役目であろう。

なれど、急襲されたとあらば……」


「あの、信長でござった」


道灌が、静かに言う。


「その信長は、武装を整えておきながら、義経様とともに四国へ出陣することは断ったとも聞きまする」


「……備えていた、ということか」


「拙者も、そのように考えておりました。


顕如に憎まれる信長だからこそ、顕如という男をよく知るのかもしれませぬな」


頼光は、苦笑を浮かべた。


「助けたその信長を、頼朝殿は空からどのように見ておられるかの。


あの男の命ひとつで、日ノ本がこれほどまでに火だるまじゃ。

……頼朝殿が力を尽くし、安寧の世が近づいたと思うたがの」


道灌も苦笑しながら、頷く。


「ただ、頼光殿。


長宗我部の救援に向かわれた義経様が、いまだ土佐に閉じ込められておられるようです」


「……本願寺顕如とは、恐ろしき男よ」


愛妻の父。

その男の言葉ひとつで、日ノ本が動く。


愛妻は、自らに毒を盛った。

義経の妻・梓の命が狙われた。

武田は、内から瓦解した。

多くの武家が一斉に動き、気がつけば義経は土佐に閉じ込められている。


頼光の息は、深かった。


「あの名軍師や、義興殿をもってしても……

顕如が黒幕とは、読み切れなんだか。


義経殿も、軍師殿も、無事であろうか」


「まだ何とも……。


なれど、伊勢の猫殿が大船団を率いて土佐へ向かわれたとのこと」


「猫殿か……!」


頼光が、思わず膝を打った。


「あの者たちであれば、義経殿も大事あるまい。

……あの女官たちには、頭が上がらぬな」


「誠に。


我が軍は、常に米と軍資金に悩まされておりました。

あの者たちなくば、いまだ美濃に閉じ込められておりましたでしょう。


いや……信長の家臣となっておったやもしれませぬ」


頼光はすぐには答えず、雪深い甲府の山々へ目を移した。


ゆっくりと立ち上がり、窓辺へ近づく。


「民を守る信仰が、武家を滅ぼす。

民を守る武家が、民を虐げる。


……皆、守ろうとしておるのじゃがな」


道灌は、言葉を待った。


「悠が語った、顕如の守るべき民。


……武家とは、本来、民を守るためにあるはずじゃ。

少なくとも、頼朝殿はそうであった。

信長とて、そうであったのやもしれぬ。


わしも、そのために生きて参った」


頼光は、大きく息を吐いた。


「道灌殿。


我らのような老いたる者は、別の世ですでに命を燃やしておる。

残された短い時を頼朝殿に捧げようと、ここへ集うた」


「拙者などは、拾うた命にござる」


頼光は道灌へ顔を向け、軽く微笑んだ。


「わしなどより、道灌殿こそ思うところはござろう。


……浮世に、正しき道などというものはない」


「……誠に」


主家のために一生を捧げ、その主家に殺された太田道灌である。

その口の端にも、笑みが浮かんだ。


「わしは、何もかも分からなくなったのじゃ」


頼光の声が、低くなる。


「誰よりも大切であった悠に、毒を盛られた。


なれど、悠の父・顕如の民への思いは、本物でもあった。


敵として戦うた信長や家康に助けられ、さらには、その者たちに未来を託さねばならぬ」


「……」


「この老体には、もう十分じゃ」


「言葉もございませぬ、頼光殿。

……お察し申し上げる」


「だからこそじゃ、道灌殿」


頼光が、ゆっくりと歩み寄った。


「わしは、これまで信じてきたものを、これからも信じることとする。


頼朝殿の目指した世を目指し、突然、大業を継ぐこととなった義経殿をお支えする。


武家は……

民の敵では、ない」


道灌が、その肩に手を置く。


挿絵(By みてみん)


「頼光殿。

まだ、頼朝様の志は死んでおりませぬ。


正しきことなど分からぬからこそ、信じるのでござる。

我らが信じるのは、頼朝様の志」


そして、懐から書面を取り出した。


「頼光殿。

伝令が持参した書にござる。


……誰が書いたものか、ご覧あれ」


頼光は、目を通す。


甲斐の駐屯に要する兵糧の手配。

雪解けの後、いつ軍を動かせるかの問い合わせ。

そして、頼光の容態を気遣う一文。


結びに記された名を見て、苦笑ばかりしていた頼光の顔が、ふっとほころんだ。


「……実朝殿、ではないか」


挿絵(By みてみん)


道灌も、頷く。


「義経様に代わり、このような書も含め、源氏をなんとか繋ぎ止めてくださっております。


頼朝様の志も、血も、絶えておりませぬ。

我らは、それをお守りする。


……なんとも贅沢な、武士の余生ではござらぬか」


頼光は書を丁寧に畳み、道灌へ返した。


「……道灌殿。

いつでも軍を動かせるようにしておこうぞ」


道灌は微笑みながら、実朝の書を懐へしまった。


***


道灌が一礼し、襖へ手をかけようとした。


その足音を聞き取ったのか――

手が触れるより先に、襖が開いた。


冷えきった廊下に、一人の女が平伏している。


「……御免」


道灌が声をかけた。


女は、顔を上げない。

そして、答えもしない。


本願寺悠であった。


頼光の妻としてではなく、城中の女中として働いている。

本人の願いであると、道灌は聞いていた。


何とか命を助けようとした頼光であったが――

悠は、自らの舌を噛み切った。


それでも命は落とさず、言葉だけを失った。


道灌は、それ以上何も言わず、廊下へ出る。


その背後で、襖が静かに閉められた。


***


上杉弓が、部屋の外で待っていた。


閉じられた襖を、睨みつけている。


「弓殿。

出陣の支度はいかがか」


「……いつでも、下知があれば動けまする」


弓は、ようやく目を離した。


「上杉では、これしきの雪であれば軍を動かします」


「戦国の上杉の軍は違うのう。


拙者の主家とは、名こそ同じじゃがの」


道灌は愉快そうに笑い、弓を連れて先を急いだ。


挿絵(By みてみん)

お読みいただきありがとうございました。


太田道灌は、扇谷(おうぎがやつ)上杉家の筆頭家老でした。


三十数戦無敗と謳われた軍略で大乱を次々に鎮め、江戸城をはじめ多くの城を築き。

その威名と実力は、主君である上杉定正を完全に凌いでいました。


やがて、周囲の嫉妬と離間の策が繰り返されます。


そして最後は、主君の呼び出しに応じ――

入浴中に襲われ、命を落としました。


源頼光は、先の世では清和源氏の当主にして、摂津源氏の祖。

この時代では、頼朝軍最強の騎馬隊を率い、軍団の中核を担ってきました。


年老いて迎えた妻・本願寺悠は、戦場でも片時も離れず頼光を支え、頼光もまた、悠を何よりも大切にしていました。


主君・頼朝が逝き、残された時を悠とともに義経へ捧げようとした矢先――

その悠に、毒を盛られます。


動けぬ雪のなかで、老臣たちは、多くを見てきた目であらためて世を見つめ直しました。

そして、自らの決意を問い直したのです。


正しさなど、星の数ほどある。


だからこそ、信じられるものに出会えたことは、幸い。


太田道灌が語りたかったのは、そういうことだったのだと思います。


この後の展開も、お付き合いいただけたら幸いです。

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