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第二十五話 家康の心

義経の心の重石は、少しずつ軽くなっていた。

梓の心も、子を授かったことで持ち直し始めていた。


そこに、予想外の家康の登場。

素直に歓迎する義経と、静かに家康を眺める梓……

街を囲む葉の色は、緑に黄色や紅の彩りが少しずつ混ざりはじめた。

義経は梓とともに、二条城天守で茶を口にしながら、夕日に照らされた街並みを眺めていた。


空に目をうつすと、空を赤く燃やす雲が、いつの間にか天高く上がっている。

義経と梓は、京に近づく秋の足音を、感じ取っていた。


「義興殿が二条城に来てくれてからというもの、こうやって梓と景色を楽しめる時間が増えた……」


義経が梓に微笑みかける。


挿絵(By みてみん)


「秀長様、阿国様、お市様が二条城を去られ、牛一様が一手に全てを引き受けておりました。

義経様も、牛一様には何かとつらく当たられておりましたし……」


梓がわずかに意地悪く義経に笑いかけた。


「まことに……拙者の不徳のいたすところ。

しかし梓……そのように軽口をたたけるようになって、安心した」


義経の言葉に、梓も穏やかに微笑む。

そして、梓は義経の手を取り、自分のお腹にその手を当てた。


「……この子に助けられました……」


義経は梓のお腹をそっとさする。


挿絵(By みてみん)


「皆……梓の身体のことも気にかけてくれておる」


梓から手をゆっくり離し、義経は夕日に焼けた空に目を向けた。


「何としても、長宗我部殿にご納得いただきたいものじゃ……

梓は残り、大事にせよ」


しかし、梓は首を横に振る。


「いえ、わたくしも参りまする。

宝様に全てを背負わせるのは不憫でなりませぬ」


「それは心配じゃ……」


「義経様。

この子は、軍神義経様と武辺ものの私の血が流れております。

多少のことではびくともいたしませぬ」


「横にいてもらいたいのは山々じゃが……」


義経が困り果てた顔をする。



そこに、侍女が天守の部屋の入口に現れ、膝をついた。


「徳川家康様が京に参られております。

義経様、梓様にお目通りを願われておりますが、いかがいたしましょう」


「それは是非もない!

通してくれぬか!」


「かしこまりました」


侍女の足音が小さくなるのと入れ替わって、大きな足音が近づいてくる。

神妙な面持ちの家康が入口に現れた。

家康はすぐに部屋に入らずに、その場で跪いた。


義経は嬉しそうに家康に顔を向けていたが、梓は無表情に静かに家康を眺めていた。


「突然の事にて申し訳ござらぬ。

急ぎ梓様にお詫びとお見舞いをさせていただくべく、馳せ参じた次第。


しかし、道中にてめでたき話も伺い申した」


家康は丁寧に頭を下げた。


挿絵(By みてみん)


「家康殿、そのようなところで跪く事はない。

近くに参られよ」


「は!では、お言葉に甘えて、失礼いたしまする」


家康は腰を低くしたまま部屋に入り、少し離れたところで改めて跪いた。

義経は手招きをする。


「何をしておる家康殿。

そなたは家臣では無いのだ。

近くに参られよ」


「いえ、義経様、そして梓様……


此度は――

この家康、目と鼻の先におりながら、何もできず、慙愧の念に堪えませぬ。

また、梓様のお悲しみはとうてい某の想像の及ぶものではございますまい。

……まずはお悔み申し上げまする」


頭を下げたまま、家康は動かなかった。

じっと家康を見ていた梓が口を開いた。


「そのためにわざわざ……恐れ入ります。

私は大丈夫です。

大いなる悲しみの果てに、何物にも代えがたい宝を授かりました」


家康は、ゆっくりと頭を上げた。


「それを伺い、少し安心いたしました。

しかし、大きな悲しみも、すぐには癒えませぬ。

くれぐれも、大事にしてくだされ」


「この子は、父からの言葉を届けに、私のところに来てくれました……

”源氏の妻の本分を忘れるでない”、と。

……そう思えてなりませぬ」


家康は頭を深く下げた。


「そのご立派なるお気持ち、この家康感服いたした」


家康は義経に顔を向けた。


「義経様。

ご立派な奥方でござるな」


「まことに……

恥ずかしながら、ここまでどれほど助けられたことか……」


家康の神妙な面持ちが少しだけ緩む。


「よき君主には、賢妻と優れた家臣がなくてはなりませぬ。

義経様は、まことに恵まれておる!」


「家康殿の申される通りじゃ。

しかし、優れた妻と家臣がおれば、君主など誰でも良かろう……」


義経が苦笑いをする。


家康は、ふと、正信が指摘していたことを思い出した。

――義経は梓無しでは立ち行かない。

しかし、すぐに打ち消した。


「義経様……

某がどれだけ臆病か、家臣で知らぬものなどおりませぬ。

かつての絶世の美女・お市も迎えることができ申した。

義経様が申される通り、主君など、誰でも良いのかもしれませぬな!」


家康はそう言うと、声を上げて笑った。

義経も表情が和らぐ。


「臆病者、と呼ばれておるのか、家康殿は……

兄上の志を継ぐものとは、人望無きものと、臆病者であったか!

それは良い!」


「まことに」


挿絵(By みてみん)


義経も家康も愉快そうに言葉を交わした。

微笑みながら、梓は口を挟んだ。


「でも家康様、お市様のことを”かつて”の美女とは、失礼ではございませぬか?」


家康は頭に手を当てながら、口を開く。


「これは、参りました。

義経様が、梓様に頭が上がらないのが、良く分かり申した!」


「その通りじゃ、家康殿!」


家康は義経が笑っているのを確認して、自らも声を上げて笑う。


しかし、すぐに梓が無表情になる。

それを目にして、家康も笑いを抑えた。


そして、梓は静かに、家康に言葉を投げる。


「ところで家康様。

岐阜にて、家康様の忍びの骸があったとのこと。

家康様は――何か、ご存じですか」


それまで笑っていた義経の顔が真顔になり、梓を見た。


挿絵(By みてみん)


夕暮れ時に鳴くヒグラシの声が、急に二条城内に響く。

お読みいただきありがとうございました。


家康を信じたい義経と、

自らに降りかかった悲劇の真相を、見極めようとする梓。


穏やかな再会の最後に、梓が放った、静かな問い。

それに、家康はどう答えるのか――


この後の展開も、是非お付き合いくださいませ。

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