第一話 頼朝の重さ
頼朝が逝き、年が明けた一月。
京は、雪に覆われていた。
関白・二条晴良の陣頭指揮のもと、
頼朝は内大臣として、東福寺にて大々的な法要が執り行われる。
その雪の中、義経は、一人呟いた。
「ここにいるものは、誰一人として兄上を鬼などと思うておらぬ……
その”鬼”は――拙者が引き継ぐ」
天正十八年(1590年)一月。
京は雪に覆われていた。
経が、寸分の狂いもなく多くの僧より発せられ、御所、二条城、京の町並みを震わせるかのごとくに響いていた。
関白二条晴良の取り計らいで、九条家の菩提寺・東福寺にて、源頼朝の鎮魂の儀が執り行われた。
朝廷が取り仕切り、旧頼朝軍団の将兵たちも参列した。
晴良が勅使の宣命として、弔辞を述べる。
武家の棟梁ではなく、内大臣・源頼朝として、朝廷の公式な法要であった。
雪は朝から止むことなく、ひっきりなしに境内に降り続けていた。
読経の声に、雪の落ちる音が静かに混じる。
火を焚く音が雪と触れて、ぱちり、と小さく弾けては消えていった。
雪の降る真冬の法要であるにも関わらず、山城の民も列をつくり、故・頼朝に祈りを捧げていた。
若くして未亡人となった篠――冬の冷え込みにも、悲しみにも凍える様子を見せず、参列者ひとりひとりと目を合わせ、丁寧に頭を下げていた。
参列する諸将の肩にも、雪は静かに積もっていく。
羽柴秀長は、位牌を見据えたまま、わずかに肩を震わせていた。
あの饒舌な参謀が、終始一言も発しなかった。
北条早雲は黙したまま、深く一礼をしたきり、顔を上げなかった。
源桜は膝を折ったまま、いつまでも動かなかった。
夫・上杉景虎が、そっとその肩に手を添えていた。
赤井輝子も、珍しく静かに立ち尽くしていた。
猛将の眼が、わずかに潤んでいる。
そして――源頼光は、義経のほうを、じっと見つめていた。
源宝は、ただただ、雪に紛れて涙を流していた。
そして、大きな籠がゆっくりと境内に運ばれる。
厳かな冠を揺らしながら、老人が籠から姿を現すと、公家も武家も民も、静まり返る。
法要の経と、火を焚く音だけが東福寺を包んでいた。
正親町天皇はゆっくりと歩を進め、頼朝の位牌の前で目を閉じ、深く祈りを捧げた。
目を開き、傍らの篠のもとに歩を進め、その手を取った。
帝の言葉は無かった。
帝の皺だらけの手が、篠の手をぎゅっと握りしめる。
その瞬間、篠の頬に、一筋の温いものが流れた。
帝はしばらく篠に手を添えて、静かに頷いていた。
篠の手をゆっくりと放し、義経に目を向ける。
軽く頭を下げ、籠に戻っていった。
義経はその眼差しに、覚悟を問われているのか、憐れまれているのか、わからなかった。
義経はその籠をどこまでも追いかけていた。
「兄上……ここにいるものは、誰一人として兄上を鬼などと思うておらぬ。
一人芝居も、大概にされるが良かろう……」
大きく白い息を吐いた。
「……それを、拙者は知っておったのか」
義経の拳が、わずかに震えた。
「その”鬼”は――拙者が引き継ぐ」
一人呟いたその声は、雪に吸い込まれて消えた。
法要を終え、義経は一人、通天橋を渡って境内を後にした。
橋の下に広がる渓谷は、雪で白く埋まっていた。
紅葉の名所と聞いていたが、今そこにあるのは、ただ一面の白。
色を失った景色の中を、義経は一歩ずつ歩を進めていった。
広大な領を持ちながら、敵対する武家と国境を接していない。
旧頼朝軍の多くの軍団長、城代、上級官吏も、参列することができた。
しかし、そこに出雲阿国の姿は無かった。
***
頼朝軍の軍団長、城代はじめ、重臣たちは、その後二条城に集まった。
あらたな軍団の長として、義経は諸将の前に立つ。
しかし、言葉は少なかった。
「兄・頼朝の遺志を継ぐ」
それだけだった。
続けて太田牛一が前に立った。
「沙汰があるまで、それぞれの領国を万全とせよ。
……頼朝様のお気持ちは、いずれ義経様より、直接お伝えがあろう」
牛一の言葉に、諸将は深く頭を下げた。
源頼光だけは、ゆっくりと顔を上げ、義経をじっと見つめていた。
その口は、何かを言いかけて、結局は閉じられた。
「今宵は酒と食事を用意してござる。
皆で頼朝様の、冥福を祈りながら、話そうではないか……」
静かに、評定が終わった。
***
それから数日後、義経は家康を呼んだ。
「家康殿。
約束通り、そなたの領はそのままお返しいたす。
戻って、戦の準備でもするが良い」
家康は頭をあげ、訝しげに義経を見る。
「悪いご冗談を……」
義経は口の端を片方だけ上げ、ニヤリとする。
「いや、戯言ではない。
織田が無き今、甲相越のよしみの名分も失われた……」
「なるほど、義経様のお言葉、腹に落ち申した」
義経は家康の近くに進み、声をひそめた。
「我らが蒲原で対峙している時、武田は富士川の岩淵まで南下していた。
梓が乗り込み、事なきを得たが……聞いておられたか」
「いや、初耳でござる……
義経様の奥方は、確か勝頼殿の娘では……」
「武田は身内じゃ。
だが、梓は富士川を渡ろうとする武田軍に鉄砲を放った。
……そのような対応も必要かもしれぬ」
義経の話を耳にして、家康は少し意地悪く笑みを浮かべる。
「我らから守られた武田が――今や義経様の悩みの種とは」
義経は肩をすくめながら、言葉を出した。
「その武田に、今度は家康殿に対応を託しておる……」
義経の乾いた笑いに、家康も合わせて口の端を上げた。
そして、あらためて姿勢を正して、義経に平伏する。
「万事、この家康めにお任せを」
家康の肩を、二三回軽くたたき、もとの上座に戻った。
「ところで、お市の方は、しばらく二条城に残したいと思うておる。
よろしいか、家康殿……」
「信長公の事でござるか」
全てを家康には見抜かれている、そのように感じる眼差しだった。
「義経様。
信長公を保護された。
無理に家臣とせずともよろしいかと存ずる。
……義経様の下でおとなしくする……
そのような姿を、なかなか想像できぬのです……」
「そう思われるか……
わしも牢ではじめて顔を合わせた際、言葉が見つからなかったのだ」
「その、義経様の持たれた感覚こそ、正しき感覚と存ずる……」
一息ついた。
「拙者ごときの下では、納まらぬであろう……」
「いえ、義経様、そこは違いますぞ。
ただ――型にはまらぬのです、信長公とは」
義経はおもむろに遠くに目を移す。
「まあ、良い。
得難き武士であることには変わらぬ。
兄のために力を尽くしてもらえるのであれば、ありがたい」
家康は義経をじっと見つめた。
そして少し前に身体を動かした。
「何を仰せになられるのか。
義経様のため、そうではござらぬか」
義経は、家康の顔を見られなかった。
(……兄上のため、ではないのか)
その問いが、胸の奥で小さく揺れる。
兄のため、と言われれば、迷わず受け取れた。
しかし「義経様のため」という言葉は――どう受け取れば良いのか、わからなかった。
「いずれにせよ、お市殿には力を尽くしていただくのがよろしいかと存ずる」
家康の言葉に、義経はようやく顔を上げた。
「かたじけない。
では、東国の事は、お願い申し上げる」
「ははっ」
家康は一礼して、部屋を去った。
城内を進む家康のもとに、お市がどこからともなく現れた。
「お市殿、しばらくお支えいただけぬか」
「義経様のことでございますか」
家康は、静かに頷く。
「頼朝殿が亡くなられたことを受け止める間もなく、進まねばならぬ。
しかし、何か心に秘めておるようじゃ……」
お市は、わずかに目を伏せた。
「かしこまりました……」
「すまぬな、お市殿」
家康に頭を下げ、お市の方は家康と異なる廊下に向かった。
家康は少ない供回りと京を経つため、城門を出る。
外に馬が数頭用意されていた。
家康の馬を引いていたのは、源宝であった。
「い、家康様……!こちらの馬を」
「軍師殿が、このような雪の中で何をなされておる」
宝は照れたように口を開く。
「私は馬に乗れないのです……
せめて、家康様の馬のお世話だけでもできないかと……」
恥ずかしそうに下を向く。
家康は、自らを叩きのめした大軍師の頭を撫でた。
馬にまたがり、宝に顔を向けた。
「義経軍団の軍師様。
このような事をせず、しっかり義経様をお支えせよ」
宝はぺこりと頭を下げて、相変わらず照れたような顔で家康を見上げた。
馬にむち打ち、家康一行は二条城を後にした。
頼朝の死をまだ受け止められないかの如く、二条城は静かに雪の中でたたずんでいた。
お読みいただきありがとうございます。
覚悟を決め、義経は兄の志を継ぎました。
しかし、自らが長となり、初めてその重さを目の当たりにします。
「兄上のため」と言われれば、迷わず受け取れた。
されど「義経様のため」という家康の言葉を、義経はどう受け取れば良いのか――。
法要の場に姿を見せなかった、出雲阿国。
頼朝の遺志を継ぐ兄弟の物語は、静かに動き始めます。
新しい義経の物語、引き続きお付き合いいただけたら幸いです。




