開戦
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
1791年9月30日。国民議会は解散した。
これは国民議会そのものが憲法制定という目的で作られていたのだから、既定路線ではある。
翌日の10月1日、例の新憲法下で立法議会が招集されたところまで含めてね。
ただ、国民議会の議員は立法議会の議員になれないという規定が設けられたとかで、ようやく手懐けたバルナーヴも議員ではなくなってしまったのが痛い。憲法制定に絡めていたのだから、その後の法律制定にも手を伸ばせそうな人材だったのに。
それでも議会の党派は変わらないということで、フイヤン派からの情報はバルナーヴづてに入ってきてはいる。それによれば、フイヤン派は立法議会でも最大多数派閥として幅を利かせているそうな。
一方、例のシャン・ド・マルスの一件でコルドリエ・クラブはフイヤン派が念入りに潰したものの、その後を継ぐように、例の共和政を言い立てるジャコバン・クラブも勢いを増したという。
そのジャコバン派が中心となった左派は少数派だが、無所属の中央派というのがフイヤン派よりも多いのが不安定要素なんだとか。
確かに、浮動票が左派に流れないようにしなければならないというのは、憲法制定にまで漕ぎ着けたところで満足している、立憲君主主義のフイヤン派にとっちゃ重要事項だろう。
国家権力を掌握しているのが王侯貴族だけという状況を打破したところで、参政権すら制限されたものだというに市民などという、連帯を示しているようでいて何も意味しない言葉で均質であるかのように見せかけることに成功したのだ。フイヤン派はこれ以上革命が進展し、さらに過激なものになることを恐れている。
彼らに取って都合のいい秩序ある革命というのは、彼らが支配権を握ることができればそれで十分だったのだから。
むしろ制限選挙から排除されてるような下層民衆を、シエイエスなんかは警戒してるみたいだし?
てか聖職者じゃなかったっけシエイエス。それも司祭かなんか、そこそこえらい役職に就いてたはず。なのに神の愛は平等じゃないんかーいと突っ込んでやりたくなるよね。
……穏便に物事を進めたいという一点においちゃ、それでも彼らの主張に同意しますともあたしゃ。とりあえずは。
なお、この右とか左とか真ん中ってのは、議会内の座席の位置からきてるんだとか。
『フランス王国は唯一にして不可分』と憲法の文言にはあるらしいが、こうも主張で四分五裂してちゃあ唯一どころのさわぎじゃないと思うのよ。
いっそのことフリーアドレス制とかぶっこんでみれば、多少は各派閥の思想の凝り固まった頭もほぐれるんではなかろうか。
……辛辣な見方をしてるのはわかってる。
だけどぶっちゃけフイヤン派自体、先は長くないだろうとあたしはみている。なぜなら憲法を制定してしまったからだ。
繰り返すようだが、もともとフイヤン派は立憲君主政を支持する人々で構成された派閥であり、彼らが求めるのは憲法下の王による統治である。
憲法が制定され、ルイくんをテュイルリー宮殿に閉じ込めたこの現状は、彼らの目標の具現にほかならない。
しかしながら、革命の動きを見てきたあたしは知っている。不平不満こそが、人間を最も激しく強く動かすものなのだと。
目標達成を終えてしまったフイヤン派には……正直、ヴェルサイユからパリまであたしたちを拉致ってきた時のような、革命を牽引する熱意と迫力はない。
それに、そもそも革命自体が『暴力という非合法手段で既存の社会秩序を破壊する』行為なのだ。
フイヤン派はシャン・ド・マルスで行われた虐殺ですら後付け正当化で口を拭ったつもりだろうが、彼らの政体の成立自体が不法である以上、そして違法行為で旧来の秩序をぶち壊した成功体験を、この国の民衆すべてが――彼らが警戒している下層市民の果てまで――得てしまっている以上、今の立法議会だって、さらなる暴力によって、いつなんどき覆されないとも限らないのだよ。
そもそもだ。最初から一枚岩じゃない革命各勢力の、あってないようなものだった結束に罅が入りまくった状態の立法議会が、なにをするかはもともと火を見るよりも明らかでしょうよ。
一般市民の不平不満を煽りたて、盛大に利用する。国民議会のやり口の踏襲だ。
煽りすぎて危機感にまで高めちゃうと、八つ当たりが煽った方にまで飛んでくるんだけどね。だけどそうなったら敵意の対象をすり替えればいいとでも考えてるんだろうな。これまでと同じように。
あたしが冷ややかに傍観していれば、情勢は勝手に変わっていく。
議会の招集から一月もしないってのに、ジャコバン派のリーダー格の一人、ブリソという人物がヨーロッパ各国に戦争をふっかけようと言い出したのだ。
あたしたちが逃亡失敗したせいで、国際圧力が高まってること、お兄さまたちが出したピルニッツ宣言が国内にも影響していることは認める。
だけど君主制の国々と戦って革命の正しさ強さを教導し、その理念を国外に広めるのだ!亡命者に支持と支援を与える諸国にダメージを与えよう!……って、なんだよその大義名分。てかそれが大義として成り立つと思っているあたりがかなりこわい。
おまけにルイくんは革命を潰そうとしている、その陰謀を暴くためにも戦争は必要である、だと。
亡命貴族たちが国外で王党派を名乗り、各国の貴族人脈を使って反革命運動を行ってるのが脅威、ってのはわかるけど。
国内外の食糧問題やら、反革命の策動やらを戦争でまとめて叩き潰そうって、乱暴すぎやしませんかね?
そもそもだ。
そりゃ革命にあたしたち王族が賛成か反対かっていえば、反対に決まってるでしょうが。誰が好き好んでこんな扱いされたがりますか。
あたしは内心けっと吐き捨てた。
よかれと思った政策も既得権益にしがみつく貴族の面々に片っ端から潰され、不満の捨て所としてあたしたちが担ぎ出されてたところへ、暴力で体制を変えられたとか。
おまけに身の危険すら感じたから逃げ出しただけだってのに、それを反革命的行為と言われたってねえ。
正義を標榜する連中にはうんざりしますともそりゃ。立法議会にたむろってる議員たちも。貴族たちにも。
けれども、ブリソの主張とは裏腹に、ルイくんは開戦にとっても前向きだった。
いやアメリカ独立戦争に首突っ込んだときのことを思い出そうよルイくん!あの時の赤字は少しも解消されてないんだってば!
……いや、ルイくんの意図もちょっと見えなくはないのだ。
戦争ともなれば、国の顔として国王は必ず表舞台に出される。国内だけを見るならば、ここで国王として議会の要望に同意をしておけば、ヴァレンヌへの逃亡でズンドコに落ちた支持も多少は回復するだろうというわけだ。
その上戦争で被害が出れば出るほど、開戦に動いた内閣や議会は叩かれ、革命各勢力は力を失う。
相対的に国王の権威が強まったところで自分が外交に立てば、王室一家の安全を求めるというオーストリアやプロイセンの主張は潰れ、物事を丸く収め、国の実権は自分の手元に戻ってくるだろう、とね。
逆にフランス軍が強ければ、それはそれで、戦争指導者でもある国王の権威回復につながるという発想。
戦略として、敵の敵を自分の戦力に加算するのはけして間違いではない。曲がりなりにも王政支持だったバルナーヴらフイヤン派がだんだん力を失いつつある今、王権廃止を謳うジロンド派やジャコバン派をどうにか抑えこみたいいう気持ちもわからなくはない。
でも、味方の味方はけしてあたしたちの絶対的な味方ではない。内憂をどうにかするのに外患を使うって愚策なんですよ。そのくらいはあたしでもわかる。
一度は生き延びるためとはいえ、国を売ることも考えた、為政者としては失格だろうあたしにでもだ。
それがルイくんにだってわからないわけがないだろうに。
――まったく、甘い夢だこと。毒のように。
なお、意外なことに――前世の記憶が記憶なもんで、情報を集めてたんだけど――ロベスピエールは開戦には反対だったらしい。
ジャコバン派に属しちゃいたものの、議員でもないから発言自体まるっと無視されてたみたいだが。
彼が発言力皆無というのは、むしろありがたい。あたしのギロチン回避のためにも、どうかそのまま権力なんて持たない有象無象で一生を終わっていただきたいものだが。
年が明け、1792年の春。
3月に成立したジロンド派――ジャコバン派の中でも比較的穏健な政治主張をしているところだ。まあ王政廃止を主張する共和主義者であることに違いはないんだけども――内閣が安定する間もなく、4月20日にルイくんは議会でオーストリアに対する宣戦布告を提案した。といっても原稿は内閣謹製のものだったらしい。なんという要望通りのお飾り。
とはいえ議会は満場一致で可決し、呉越同舟気味ながらも、事態はじたばたしながら開戦へと動き始めた。
戦争して国王として権威を回復しようという思惑は、甘すぎんじゃないのと思ってたけど、一応、ルイくんも計算はしていたらしい。
立法議会が国家戦力として期待していたフランス軍ね。
あれ、革命始めてからこっち、国民衛兵隊なんてものを作って、そっちに頼ってたせいで、革命サイドはまったく組織にも手を入れてなかったみたい。基本がヴェルサイユ期の国王軍のまんまだったんだとか。
つまりは、各地の領主や貴族の影響がめっちゃ残った、いわば旧体制派の巣窟。
そんなものが、立法議会の意のままに動くわけがないでしょうが。
やる気のないフランス軍は片っ端から連敗した。敗戦は国内にも不安を呼び、情勢不安は経済問題のいい引き金になる。アッシニア紙幣の価値はだだ下がり、ルイくんの目論見の一つは当たった。
反革命の暴動が頻発したのだ。
開戦言い出しっぺのジロンド派は、慌てて全国から2万の連盟兵を招集しようと目論んだ。
だけどルイくんてば、ほかのいろんな法令もひっくるめ、国王に認められていた拒否権を発動した。
おまけに6月に入ったところで、ロランたち、ジロンド派の大臣を罷免しちゃったのよ。
結果内閣は倒れ、代わりに組閣されたのはフイヤン派のものだ。
ようやく自分たちの手に政権が戻った、これで立憲君主政に方針修正できると、バルナーヴらは思ったかもしんない。
その計算が狂った要因は……またしても噂だった。
6月20日。あたしたちがおしこめられているテュイルリー宮殿に、パリ市民が押しかけてきた。
フランス軍の敗戦続きの原因を、彼らはあたしたち王家にあたしに求めたのだ。
こんなに負けが込むのはおかしい、国王が敵国に内通でもしてるんじゃないかというわけだ。
……正義は勝って当然とでも思ってたのかしらね。自分たちが正義だと信じ込めるなんておめでたいことで。
ま、あたしもルイくんの意向で、現世の実家に送ってましたけどね、情報。
あとあたしの手元に残ってた、ほんの少しばかりの装飾品もこまごまと送ったのは、物品疎開というか、生前の形見分け、みたいなものだ。
警備?案山子を立てといた方がマシだったかしらん。
まるでそんなものなどどこにもいなかったかのように、どんどん民衆が宮殿に土足で踏み込んできた。
その報せを聞いたルイくんはあたしや子どもたちを安全な部屋で匿うようにと指示を出し、部屋を出て行った。逃げずに国王として姿を見せるためだ。
その時のことは後から伝聞で知ったことが多い。
ルイくんはよってたかって赤いフリジア帽をかぶせられた。これは今じゃ自由の象徴と言われているらしいが、由来はそんないいものじゃない。古代ローマ期に解放奴隷にかぶせられたものだし、さらにもとはといえば、ローマ帝国の属州であるフリジア地方で使われていたものだ。
国王を解放奴隷に見立てたのか、それとも国王に自らの国の秩序を覆す革命の一員であることを強制したのか。いずれにせよ相当な侮辱ではある。だけどルイくんは耐えた。
杯をつきつけられたルイくんは、求められるがままに、国民の健康にと乾杯の言葉を発して飲んだ。
……これは、ルイくんにとってはまったく苦にもならないことだったろう。国王として、健康も含む国民の幸いを願うことは、ルイくんの中ではごく当たり前のことだったのだから。
群衆の侵入から、どのくらいの時間が立ったのかは覚えていない。ただはらはらと気を揉みながらあたしは子どもたちと共に待つしかなかった。
ようやく、いくぶん民衆が態度を軟化させたというので、あたしと子どもたちもルイくんのいる部屋へと連れて行かれた。何重にも取り囲む人の壁を通り抜け、あたしが見たのは、くんにゃりしたフリジア帽を頭に乗せ、酔いのためか、興奮のためか、顔を赤らませながらも鷹揚な王の無表情を保ったルイくんの姿だった。
あたしたちの姿を見ても、思ったより群衆の反応が悪くなかったのは、ひとえにルイくんの対応が神だったからだろう。
話はきちんと聞く。差し出された物は素直に受け入れる。だけど、国王として拒否権を行使したことについては、脅迫によって撤回することはしない。
柔らかい、しかし断固とした国王の態度に、だんだんと群衆の勢いはしぼみ、夕方過ぎには群衆たちは宮殿を去った。
すべての闖入者を見送り、部屋に戻るとあたしは椅子へと崩れ落ちた。ルイくんですら安堵の溜息らしきものをついたのだ。
しかし、内閣解散から一週間経つか経たないかといううちにこの反応。ジロンド派の煽動があったのかもしれない。
これはパリ市民との和解だとルイくんは思ったようだったが、あたしはそうは思わない。民衆の好意を信じるほど愚かなことはないとすら思う。
悲観が過ぎるかもしれないが、万歳を讃えた口で罵声を浴びせられる経験を繰り返せばそうなるってものだ。
むしろそれでも、パリ市民を懐柔できたと思えるルイくんてば、相当な脳天気……いやいや楽観が過ぎるとすら思ってしまうのだが。




