私とヒロインの帰り道について。その2
……可愛い。瞳がキラキラしてる。馬車の中には灯りがある。橙色の柔らかな光に包まれた彼女は、走り出した馬車に歓声を上げた。
現代日本で馬車に乗る機会なんて殆どないし、転生してなくても平民なら馴染みがないかもしれない。辻馬車と貴族向けの馬車は違うし。
「あっ、じゃなくて、マリー様、ありがとうございます」
「いえ。……女の子の一人歩きは危ないですから」
斜向かいに座っているとはいえ、やっぱちょっと近いから怖さがある。加えてすぐに逃げられない馬車という閉鎖空間。意識してないと浅く速くなりがちな呼吸を深くゆっくりするよう心の中でカウントする。
「やばーメロ~マリー様男だったら良かったのに~」
笑みを含んだ声にそちらを向けば、なんというか、含み笑いみたいな感じの笑顔でこちらを見ていた。
攻略対象じゃないのに余計なことすんなっていう皮肉だろうか。
でもあのほら、さっきあの二人、いや護衛入れて3人か、明らかあなたを送るつもりがなかったから! 邪魔をする意図は全くなくて! なんならあなたを送ってくれって言って説教喰らったよ!
あと私の名前の前なんて言ったか聞き取れない。何語ですか?
心の中で言い訳を並べ立てていると、ヒロインは一度笑顔を深くしてから、窓へ視線を向ける。
視線の移し方が自然だ。私がやると目を逸らしたと受け取られかねないそんな仕草も、純粋に外が気になっただけなんだとわかる。
外を見て「速、すぐ着きそう」と呟いた。
「私、マリー様に訊きたいことがあって」
車窓からこちらへ視線を転じながら、ヒロインはそう言った。まるで映画のワンシーンのようだ。流石乙女ゲームのヒロインは、どこを切り取っても絵になる。
って見惚れてる場合じゃない。こんな使用人だらけのところでまさか転生とか前世とか言われても何も答えられませんが!?
「前邪魔されちゃいましたけど、アイザック先生に貰ったもの、身につけてますよね?」
——セキュアさんの視線が痛い。
睨むまではいかない。流石は殿下の従者と言ったところか。でも不快感は伝わる。
誤解が非常にあると思う。なんか身につけるっていうとほら、装身具的なものを想起させるし、それはええと一応婚約者的な立場でないとあんまり歓迎されない。
だからほら、先生が私にくれたものにそういったものは一切無い。
予想と違ったけど予想より悪いかもしれない。
前、先生に相談するのはやめた方が的な話の流れで、同じことを聞かれた。その後先生が来たから、その話はそこで終わった。でも邪魔されたって攻略対象に使う述語じゃないでしょ。私に向けるべきでは?
セキュアさんへの弁解を考えるうち、余計なことに思考が枝分かれしていく。これ現実逃避始めてるぞ。やめろこら。
「貸してください」
いつも持ち歩いている扇子を右手に握り締め、添えるふりしてさっき渡されたばかりのハンドクーラーを左手で隠すように握り込む。
馬車に乗ってから気づいたのだけど、多分これは、私がまた自分の肌に爪を立てることのないようにという予防策。
畢竟、どうあっても今は貸せない。
渡してくれるものと疑いもしないヒロインは、笑顔でこっちに手を延べている。
「キャロル嬢」
刺々しいセキュアさんの声は、私じゃなくてヒロインを呼んだ。
「はーい?」
ヒロインが可愛らしく隣のセキュアさんへ顔を向ける。
ちなみに馬車の進行方向を向いてメイドと護衛その1が私を挟んで座り、対面のドア側、護衛その1の正面にヒロインが、その隣にセキュアさんが座っている。
セキュアさんがガチで有言実行しようとしたら簡単にできそうな配置である。
ヒロインが乗ることに難色を示した護衛その1がドアを開ける→セキュアさんが突き落とす。
行程2つで済む。なので私的にはヒロインが敬語を忘れないようにと心の底から祈っていた。
自転車から転げ落ちた経験のある私は、疾走中の馬車から落とされたらどんな大怪我をするか痛みを持って想像できる。
「公爵令嬢の私物を貸せとは、耳を疑います」
平民の分際で、と言う副音声が聞こえる。
ヒロインはてへぺろみたいな感じで失敗しちゃった的な表情を浮かべ、「ごめんなさい。今の無しで」と軽やかに謝罪した。
私は頷く。比喩的な意味で空気が悪くて馬車酔いしそう。
御者も困惑していたのは建前で、実際は嫌だったらしく、私が経験したことないくらいの速度が出ているので尚更だ。
大事な預かり物に必要以上に力を込めてしまっている気がしてそれも心配。
これって弁償して済むものなのだろうか?
「心配でつい」
——心配? ええと……私が悪役令嬢なのを考えると、無理に贈らせたとか思ってる? カツアゲ的な?
確かにクリスマスプレゼントはうっかりねだったけれどもあれはちょっとおかしくなってたからで!
基本、物は……大切にしなければ、と思うし執着してしまうから、正直言えばあんまり貰いたくない。壊されるのも壊すのも嫌で、だったらいっそ貰わなければ良かったとか、そう思ってしまう面倒な性質。
もしかして、私が何か先生から奪ったり取り上げた物があるとか思ってる? だからそれを取り返そうとしてる、とか。
冤罪だ。私は何もとってない。ちゃんと私のことを考えて選んだ物を贈ったって言ってくれた。今左手にあるこれは違うけども、これは借りた物だし後でちゃんと返すよ! 手紙と一緒に届けてもらう。
「それはどう言う意味ですか」
聞いたのはセキュアさん。
ヒロインはにっこり笑って、「そのままの意味ですよ?」と砂糖菓子みたいな声を出す。
……あれ、セキュアさんも攻略対象? いやでも断罪の場には居なかった。
「マリー様、今日はちょっとだけ調子良さそうでしたね」
そうかな、なんか今はちょっと……気分はあんまりなんだけども。
こっちを見て微笑んだヒロインに言われて、薄く笑う。
「……昨日はよく眠れましたので……合同授業で疲れたのが、却って良かったのかもしれません」
「ああ! 大丈夫でした?」
……よく眠れたって言ったのに心配されてしまった。なんで?
「アーサー様、怖かったでしょ」
一応憚る意図はあるのか、セキュアさん側の手を口元に添えてるけど、ぶっちゃけ私よりセキュアさんとの方が近いから無意味だと思う。
あと、あの時周りにヒロインはいなかったはずだけど……
「さっきもなんか言われてませんでした? 大丈夫? 痛いとこない?」
……心配はありがたいのだが、殿下へのDV疑惑はまだ解けてないらしい。隣のセキュアさんの顔がありえないことになってる。
「いえ……殿下も先生も、立場上お送りすることができない、と。お送りするのが私で申し訳ありません」
とりあえず無難に纏めると、ヒロインから一瞬、表情が抜け落ちる。
地雷踏んだ?
どうしようか、と、手に力が籠る。殿下の人選は正解で、セキュアさんは私の死に関わりがないから怖くない。でも何と言うかこう、あの、今は無性に元護衛のあの人好きのする笑顔が恋しかった。
乙前では元護衛は勿論ヒロインの絶対的な味方である。私がどこへどう逃げても、護衛時代に知り得た私の性格や行動範囲から簡単に割り出して騎士を差し向ける。ヒロインの不機嫌をすぐ察して笑顔と冗談と行動力で簡単にヒロインの憂いを払い彼女の明るさを取り戻す。
ヒロインの不機嫌が怖すぎて、その特技でヒロインの機嫌を直してくれないだろうかと矛盾しまくった願いを抱いてしまった。それつまり私を殺せってことだよ頼むからもうちょっと考えようか私。
頼む誰か助けてくれ。
果たして願いが通じたのか、ヒロインは機嫌を——フリかもしれないが直してくれた。
にっこり微笑んで、謝るのはおかしいし送ってもらえて嬉しい、感謝してると言ってくれた。
「さっき会った時、ちょっと変だった……から。それで心配だったの——です」
……いや、あれは。自分の仇のツーショットにビビり散らかしてただけで。
その心配と、先生から貰った物と、どう繋がるんだろう。
「ねぇマリー様」
「はい」
「ユウレンってわかります?」
幽霊?
「あ、知らないんだ。——ですね。そっかぁそんな気もしてたけど……」
ちなみに語尾があれなのは多分、メイドの舌打ちとセキュアさんの咳払いが交互に入ってるからだと思う。
「じゃあやっぱり……」
何だかちょっと影のある感じで顔を伏せる。
乙女ゲームをやったことのない私のヒロインのイメージは、どっちかっていうと明朗快活。だけどなんか今はミステリアスな美少女という感じだった。
その後程なく、馬車は目的地に着き、停車した。
それまで他にもいくつか話をしたけど、正直もう苦手な人物代表のヒロインと狭い馬車にいるという状況に私の精神は限界だったらしく、記憶は酷く曖昧だった。
ヒロインの押しが強くて、気づけばランチを一緒に摂る約束をさせられていたことくらいしか覚えてない。
あと地味にセキュアさんとヒロインが一緒にいるのがストレス。セキュアさんは私がやった思考実験の令嬢Aがヒロインだって知ってるから、セキュアさん側からヒロインに変なこと言わないか、その逆もないか気が気じゃなかった。
「また話そーね! じゃなくて話しましょうね。お弁当持ってくから、忘れないでくださいね!」
「はい」
ヒロインはもう一回お礼を言ってくれて、セキュアさんがエスコートして馬車を降りた。セキュアさんにもお礼を言って、それから、元気な声で御者にもお礼を言ってた。
きっとヒロインは、バスから降りる時もお礼を言う人だったんじゃないかな。私も言ってたけど、ヒロインはきっと、あの明るい笑顔で、運転手さんの心も明るくしただろう。
こちらへ振り返って大きく手を振るヒロインへ、扇子を膝の上に置き小さく手を振り返しながら、異常な汗をかいていることに気づいた。
窓のカーテンを護衛その1が閉めてくれたので、手を下ろして扇子を開く。ちょっと顔を隠したかった。
取り繕った笑顔のせいか、顔の筋肉が不随意運動を起こしてる。
「お嬢様……」
メイドの心配そうな声に、「大丈夫です」と返した。
セキュアさんがなかなか馬車に戻ってこない。
もしかしたら、送って行ったことでヒロインのご両親に問い詰められているのかもしれない。
馬車には公爵家の家紋が入ってるけど、王家の紋章は別として、平民が知ってるかは疑問。
貴族の男がうちの娘を揶揄ってるんじゃないかとか、遊びで手を出すつもりじゃないかとか、ご両親からしたら不安だろう。
いや、もしかしたら、玉の輿かと大騒ぎしてるのかもしれない。
どちらにしろセキュアさんに申し訳ないかも。
ここは私が顔を出して事情を説明した方が良いか?
と、腰を浮かせかけたところで、仏頂面のセキュアさんが戻ってきた。
「あの……?」
思わず声を掛けると、いつもの表情に戻る。
「遅くなりまして申し訳ありません」
「いえ、……何か、ありました?」
「問題ありません。弁えるよう忠告致しました」
「……あのくらいの年齢の子なら、多少敬語が不安定でも私は気にしません」
元より私は年下からのタメ口に慣れている。
「婚約者様のご友人としては問題がありすぎます」
「……スクールの、いえ、一年生の間は、大目に見ていただけませんか。彼女は平民ですし、スクール内ではあまり会話を、していないようですから。きっと卒業までには慣れて、敬語も自然になりますわ」
セキュアさんは少し困ったように微笑んだ。
「婚約者様は寛大でいらっしゃる」
嫌味かな?
「殿下のあの態度を、容認してくださり感謝しております」
頭を下げるセキュアさんを慌てて制止する。
「ですが、……私は、いいえ、私共は、それによって婚約者様が軽んじられることに……慣れて欲しくはないのです」
——あ。
昔。日前の、担任の先生が。私の手当をしてくれた先生が、毎日のように悪口を言われている私を気にしてくれて、ある日、声をかけてくれた。
家で言われていることに比べれば、同級生の悪口なんて大したことなかった。
慣れてるから大丈夫と答えた私に、「慣れてしまうことが怖いの」と。
人間の、尊厳というものを教えてくれたのはあの先生だった。
「主を諌められない私の言葉など一顧だにする価値もないでしょうが」
「いえ、あの、セキュ、いえ! その、いつも……私が、傷つかないように配慮ある言葉を伝えてくださって、感謝しています」
やばいうっかりセキュアさんて口にしそうになった。覚えてないんだよ名前、ノートンだっけカスペルスキーだっけマカフィーだっけ?
焦った私に対して、セキュアさんは目を見開き、それからふっと笑った。
「恭悦にございます」
……私にそんな畏まらなくても。
「が」
が?
「——勘違いする者が出てこないとも限りません。従者にそのようなお言葉をかけるのはお控えください」
……これはあれかな、ヒロインに対してこの人を従者と言ったことの当て擦りだろうか。お前の従者じゃねーよという。
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