私の休日について(夜その1)。
なんだかもう心の中がぐちゃぐちゃだった。
殿下が怖くて先生に泣きついたのは私だ。
それを思えば、お父様や義弟の物言いに文句を言える立場じゃない。
わかってるけど、私は、……日本でいた数少ない友達を、父親に悪く言われて怒って蹴られた。
あの頃からやっぱり私は変わってなくて、殿下を友達だと勝手に思い始めていた私は、お父様と義弟のあの態度が嫌だった。
だけど自分が原因だ。
二人は悪くな――いこともないかもしれないが、少なくとも私が言えた立場じゃないのはわかってる。
わかってるけど、……モヤモヤする。
夕食もバックれてやろうか、と思うくらいに。まるっきり反抗期の子供じみていて、我ながらどうかと思う。
それに、考えないようにしてた。だって私のキャパは本当に笑っちゃうくらい小さくて。殿下とのお出かけを成功させるためには、考えたらダメだって、都合の良い方に逃げた。
護衛その2は、怒ってないように見えたけど、でも怪我した事実が消えるわけじゃない。
以前、護衛をしてくれてた時は、部屋の中まで入ってきていた護衛その2は、今は部屋の外にいる。
昔と違って私が年頃になったからだというけれど、怒ってるからじゃないのだろうか。
夕食に行けば護衛その2もついてくる。大切な先生を傷つけたのに、私を許してくれるわけない。ヒロインを傷つけた私を許さなかったのと同じ。
私だって私が許せないよ。
護衛その2は大人で、子供の私の気持ちを軽くするために、自分を笑い者にした人だ。だったら怒っていても笑顔で隠すくらいする。
先生が何て言ったにしたって、……友達の悪口言われれば普段しない反論をして蹴られるくらい、私だって腹が立つのだから、親友の顔に傷をつけられたら、殺したいくらい怒ったっておかしくない。
一人で浴室に閉じこもって浴槽に沈みながら、そんなことをぐるぐる思っていた。
この感じは久しぶりすぎる。
……私、本当に、あの時間が好きだったんだな。
殿下に話を聞いてもらうあの時間が。
いわゆる取り巻きのような人たちも今世では出来ず、一人だけ突然別のクラスに放り込まれた理由が不明なのもあって現クラスでは遠巻きにされて、同級生との会話はほとんどない。
慣れていたはずだったけど、寂しかったのだろうか。
だから、そのことばっかり考えてたのかもしれない。ぐるぐる考えるいつもの癖が、ここ数週間消えていたことに今気づいた。
根暗性悪メンヘラ気質のメンヘラが全開に出てる。
やめろやめろ。
ただでさえ、ヒロインから先生を引き離してイエローカードなんだから。
殿下に対して独占欲じみたもの出し始めたら一発KO待ったなし。
……友達を独り占めしたいという気持ちだと言い張って、認められるのって何歳まで?
多分この年齢だとアウト。中身だったら完全にアウト。
私が実際に恋も愛もわからないと言う真実は関係ないのだ。
……まずは関心があの時間に一点集中してるのを分散させないと。
義弟が傷つけたあの子供は、まだオペラに関心があるのだろうか。
ちゃんと全部覚えてきた。
頭の中に楽譜を写し取れない私だけど、音程の曖昧さを許容してくれるのであれば、覚えたいと思った歌は一度聞けば再現できる。
オペラなだけあって、かなりメロディアスな曲ばかりだったからありがたい。
善は急げだ。
お風呂から出て、髪を乾かしていると、お母様が部屋を訪ねてきた。
慌てて身支度を整えながら、部屋へ戻ると、メイドがお母様へお茶を出してくれていた。
お母様は先に髪を乾かして、と言ってくれたので、言葉に甘える。風邪をひいて体調を崩したらやばい。あんまり心配かけると、今度は本当にスクールを辞めさせられてしまうかもしれない。
待たせたことを謝りながらお母様の前の椅子へ座る。
「ねぇ、マリー」
「……はい」
「今日は、楽しかった?」
「楽しかったです。本当に。殿下は色々、配慮してくれて……だから」
「そうね。ならきっと、あなたはお父様とアベルに怒ってる。そうでしょう?」
「……」
「良いのよ。それで良いの。あなたの気持ちは間違ってないわ」
……怒りって、ダメなものじゃないの?
「そして、お父様とアベルも、勿論お母様も。あなたをとても心配していたの。あなたは外に出るのが好きではないと思っていたから」
それは実際そう。外は疲れる。
「私たちの気持ちは間違いだと思うかしら?」
「……いえ」
「ありがとう。わかってもらえて嬉しいわ」
「……すみません」
「謝らなくて良いのよ。あなたの気持ちだって間違っていないもの。お母様は受け取るわ。あなたに、大切に思える人ができたことを嬉しく思うわ」
……この人って、本当に出来た人だ。
人間としての格が違い過ぎる。
「あの二人はね、お母様と違って、殿下と同じ男だから、心配もあるけど、悔しいのよ」
「――え?」
「二人とも、できることならあなたのエスコートを、したいってずっと思っていたから」
「あ」
そうだ。義弟はそれで、駄々をこねた。喧嘩もした。
「だから、殿下に妬いてるの。それであんな態度になってしまうのよ。許してあげてとは言わないわ。特にお父様は、あんな子供に対して大人気ないんだから、もう」
呆れたように笑う。でも、滲むのは愛情。お母様も、見た目も心も本当に綺麗な人だ。
「でももし――あなたが罪悪感を抱く必要は全くないけれど、あの二人をマリーも大切に思ってくれているのなら、そんな気持ちもあると言うことだけ、心に留めておいて」
私は頷く。こんなに優しい綺麗な人が、理不尽な目に遭わないように。私は頑張らなくちゃいけない。絶対に、今度こそ。
頷いた私に、お母様は茶目っ気のある笑顔に変わった。
「でも、覚えておいてね、マリー。お母様はいつだってあなたの味方よ。だから、お父様とアベルのことは後で叱っておくわ」
「あ、あの……義弟も、まだ子供なので、その……あ、あまりキツくは……叱らないであげてください」
あれだけ駄々を捏ねた義弟の前で、扇子まで投げつけた義弟の前で、多分あの時、私は笑顔で殿下のエスコートを受けた。
罪悪感が半端なくてお母様にそういうと、お母様は羞月閉花の笑顔になった。
「マリーは本当に天使ね。なんて可愛いの」
……いや、それは、お母様のことだと思う。
「お母様もちょっぴり妬いてるのよ」
「え」
「こんなに可愛いマリーを抱きしめることもできないんだから。マリーの初めてのオペラを殿下に奪われてしまったし」
「……ごめんなさい」
「良いのよ。ちょっと希望も持ってるの。ルディがエスコートしたんだもの。私もいつか男装してみようかしら」
「……それは、ちょっと見てみたいです」
お母様は私と違って背が高い。男装も似合うと思う。
「本当? ……まずは胸ね。ダイエットしたら萎むかしら?」
「やっぱりやめてください。お父様に恨まれそうです」
漫画みたいにはいかないか。お母様は実に女性的な体つきをしているので、確かにそのサイズを紳士服に納めるのは無理かもしれない。
「お父様があなたを恨めるわけないわ」
……それもそうか。私の巻き添えで死ぬのに、一回も文句言わなかった人だ。
「あなたは私たちの大切な大切な一人娘よ。あなたに恨まれたくないから、今日もあの程度の嫌味で済ませたのよ?」
……あれで? あの傲岸不遜の代名詞のようなあの態度で?
「あなたが殿下に向かって『楽しかった』と言わなかったら、今頃殿下はお星様になってるわ」
……あの、子供向けにオブラートに言ってますけど、言ってること物騒すぎませんか。
え、これ冗談なの? 笑うところ?
「だから、マリーは殿下を救ったのよ。あなたが手へのキスを振り払ったから、ちょっとだけ溜飲が下がったのもあるわね。受け入れていたら真っ赤な雨が降っていたかも」
……だいぶスプラッタなこと言ってますよね? 待って? お父様ってそんな危険人物だった?
あんなに普段優しそうなのに? お母様の前ではむしろ気弱そうというか……
あ、惚れた弱み?
そういえば、あの漫画のヒーローもそうだったな。誰よりも強いのに、奥さんと幼馴染のビンタは絶対避けなくて。
平手打ちされては「いってー!!」って涙目になってたっけ。
そういう所も大好きだった。
……うん、大丈夫だ。もう。
「一緒に食事、してくれるかしら?」
私は苦笑した。逆立ちしたって、こんなに立派な母親にはなれないよ。
「……お父様と義弟が嫌がりませんか」
「あら。お父様はあなたに会いたくて、寸暇を惜しんで仕事する人よ? アベルだって、あなたとのお茶の時間のために、一生懸命お勉強しているのよ。集中力がすごいって、どの先生からも評判なの」
……だからあいつ、この前あんなに青白い顔してたのか。やめさせなきゃ。体か心か、どっちか壊してしまう。
もし睡眠時間削ってるなら絶対やめさせないと。若い頃は体力だけはあるから、平気で徹夜とか出来ちゃうけど、あれは寿命の前借りだ。体は平気でも心を壊すし、大人になればあっという間に体にガタがくる。
「それに。もし二人が嫌がったりなんかしたら、お母様二人とも離縁しちゃうわ」
……綺麗な笑顔で怖いこといわないでください。
私は頬が引き攣った。
「だから、ね?」
「わかりました」
差し出された手に、本当ならこのまま手を乗せたい。
でも、……私は、無理だ。
やっぱり。どうしても。
母親に気持ち悪い、普通じゃない、汚いと、何回も手を振り払われた。お母様はきっとそんなことしない。頭ではわかってる。
なのに怖い。
母親が私に手を向ける時、そこにあるのは愛情ではなくいつでも暴力だった。
……いつか。手を掴んで、手を繋いで、……歩けたら。
昔読んだ漫画のワンシーンのように。
幸せな家族の後ろ姿。
見るだけだったそれを、自分でもできるようになりたい。
いつ、できるようになるのだろうか。生きられるのは、後どれくらいなのだろう。
泣きそうな顔を見られないように俯いて一人で立ち上がる。
お母様はいつものように、手を戻して、なんてことないみたいに笑ってくれる。
優しくて綺麗で、自慢のお母様。
絵空事でしかなかったはずのその言葉が、今は私の現実なのに。
このいつまでも頑是ない私の心はいつになったら現実だとわかってくれるのだろうか。
お母様は私が身支度を整える間に宣言通り二人を叱りつけたみたいだった。
多分、私の顔色はそれほどまだよくないらしい。お風呂上がりでももう一度薄く化粧をする必要があった。メイドに促されたら従うしかない。お母様にはお風呂上がりでそのまま素顔を見られたが、お風呂で血行が良くなっていたはず。
それに、まぁ貴族にとっては、私室はともかく、相手が家族だけだろうと、一歩でも出れば家の中でも公的な場になる。
食事の席に着くと、お父様は「ごめんね」と、いつもの見慣れたどこか気弱な感じの表情で謝ってくれた。
義弟は私の若干苦手なあの媚びるような笑顔を浮かべて「許してくれる?」と言ってきたので、うっかりお前は死んでも許さん、とか言いそうなのをなんとか飲み込んで頷いた。
……普通ならきっと誰でも許してあげたくなるのだろうあの顔が、どうして私はここまで嫌いなんだろうか。
有り体にいえば虫唾が走る。
今日は義弟にあの子供と話をつけるように頼まないといけないんだから、切り替えろ。
お母様が水を向けてくれたので、私は初めてのオペラが楽しかったことを中心に話をして、あんまり殿下のことを口にしないようにした。二人は殿下に妬いてるらしいから。
それから、義弟に頼み事をすると、なんだか異様に瞳を輝かせて喜んでいた。
……だめだこいつ、やっぱり日前の私みたいになってる。
早いとこなんとかしてやらないと、絶対心を壊す。
家族に頼み事されると、頼られてると思ってめちゃくちゃ嬉しくて、どうせ感謝なんてされもしないのに、無理して頑張って。
そうしないと捨てられると思っているから。
……あぁ、だから、心が壊れて、捨てられる側から殺す側に回るのか。
義弟がヒロインに救われる心の傷は、きっとこれだ。
……愛されるべき幼少期に必要な愛情を受け取れないと、人間は捻じ曲がる。外国の小説だと、だからカウンセリングが必要なんだと説得してる場面なんかもあった。
日本と海外だと全然違う。日本ではカウンセリングを受けること自体がとても難しい。
――そしてこの世界には、カウンセリングという概念がない。
大学でほんの少しだけ心理学を学んだ。自分のこの歪み切った心と、普通の親と全く違う親、健常とは言い難い弟、その全てを知りたくて。
だけど学べたのはほんの初歩だけだ。専門的な領域へ入る前に大学を辞めることになった。
だから私にカウンセリングの心得なんて殆どない。
そんな私に義弟を救えるとは思えない。それはヒロインの役目だろう。
だけどだからってそのまま放置していいとは思えない。
ヒロインにできなくて私にできること。それは家族というアドバンテージを最大限に活かすことくらいだ。
生活の基盤を整えてあげること。残念ながら、私もやっぱり、家族としての愛情を与える側に回ることはできないけれど。




