表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想旅遊記  作者: エニシ
9/25

第八章  覚醒の時

 来た道を引き返す。

 木の根に幾度足を取られ躓く礼二は、途中転ぶことすらどうでもいいように、転んでは立ち上がり、立ち上がっては転んでいた。思考はあちらこちらに錯綜し、足は機械のように動いて止まらず、気付くと追っ手の篝火がすでに見える場所まで来てしまっている。

 霧島と別れたあの場所から、礼二はもう振り向くことをしなかった。だからあの後、霧島がどうなったのかわからない。礼二を追いかけては来なかったのだから、恐らく坂を上って逃げたのだろう。普通はそうする。そうすれば、安全に逃げられるのだから。


 いや、どうでもいいか。もう霧島のことは、僕には関係ない。考えなくても、いいじゃないか。


 どうでもいい、どうでもいいさ、と礼二は思考を打ち消した。


 森へ向かってくる篝火は、予想通りさほど多くはない。マレットさんの側にいた村人たちの士気は期待通りにどうやら下がったようで、ひい、ふう、みい………。多分、十ほど。数からして、追ってきたのは村長たちか。

 そっと制服の下に手を差し入れ、礼二は台所から拝借したナイフを取り出す。それをどう使うかは決めていない。だけど、きっとまた傷つけるのだろう。自分を守るために。今ここで取り出す刃物の使い方は、ただ二つだけしかない。人を、斬るか刺すか。下手したら、殺すかもしれないけど。


 だけど、生きるためには仕方がないじゃないか。

 仕方がない、と心の中で礼二は繰り返した。


 坂道を下ったのも、別に考えてのことじゃなかった。

 上れば、簡単に逃げられる。それは分かっていたけれど。

 分かっていたけど。




「罰のつもりかい?」




 ふと、右手の暗闇から声が聞こえた。

 どこまでも透き通る明瞭な声。風鈴が鳴るように、綺麗な音色。

 礼二が虚ろな眼差しのままに声がしたほうへと顔を向けると、海と空の青を敷き詰めたような綺麗な男が、木に凭れ掛かるように立っていた。優しげな目元。口元に湛えた微笑。清潔感漂う、賢者が纏うような長くて緩やかな外衣は、虹のように角度によって色を変える。


 いっそ幻想的なまでのその男に、しかし礼二はこの上のなく不快なものを感じた。虚ろだった目には警戒という名の理性が灯る。何だ、こいつは。

 無表情を保ちながら一挙一動見逃すことなく男を観察する。冷静さを演じながらも、その蒼の男に礼二は尋ねた。


「誰? 村の人?」


 ふふ、と溢される笑み。にっこりと、男は口角を引き上げた。


「時間を無駄にしたくはないんだ。思っていないことを口にして確かめるのは、止めにしてくれないか」


 その答えに、礼二の目は細まった。自暴自棄だった気持ちも薄まり、目の前の男に対しての違和感と、言いようもない苛立ちと嫌悪が胸を巣食う。

 そんな礼二に気付いているのかいないのか、男は礼二の態度などお構いなしにまたも笑った。快活な中にも、上品さを感じさせる笑みだ。淑女の皆さまなら「まあ、素敵」とため息を落とすような笑い方が、やはり礼二には虫唾の這うぐらいの嫌悪感を覚えさせる。


「罰を求めるか。君は以外に、脆いな」

「………何のことか分からないんだけど」


 男は礼二の言葉を無視して、嘆くように首を振る。


「罪を感じるな。罪とは、人の心の中にしかない。罪とは、弱さでしかない。罪を背負う人間は、罰を施す人間には勝てないものだ。罪を感じず生きることが強さだと、私は思うがね」

「…………」

「あまり、私をがっかりさせるなよ。ああ、ところで。もう一つばかり聞きたいことがあったのだ」


 男は礼二の言葉を待たずに、探るような眼差しで礼二を見つめる。


「彼女の隣は、居心地が良かったのかい?」


 唾を飲み込んだ礼二を満足に見つめ、頷き、男は再び語る。


「良かったのだろうなあ、悲しみという名の感情を覚えるほどに。拒絶が悲しかったのだろう? 彼女のために、君は頑張った。頑張ったとも。私は見ていたから、よくわかるよ。ああ、だが想いは通じることがない。理性の聞かぬ感情が、君も彼女も傷つける。何と言う悲劇だろうか」

「人の話を、聞けよ。ねえ。あんたさ――」

「せっかく、偽りのない関係を築けたのになあ」



 手に持ったナイフを男の胸に向けて飛び掛ろうとした礼二の身体を、男はまるで舞踏会のステップのような動作で優雅に避けた。顔から地面に突っ込んだ礼二に、男は笑いをついには潜めて驚いたような表情を浮かべた。泥だらけのまま目をかつてないほどに血走らせ、礼二は立ち上がる。


「驚いた。躊躇いのない動きもそうだが、へえ。まさかあの君が、そこまで感情的になるなんて」

「うるさい、うるさい、うるさい。黙れよ。黙れ! 誰だよ、あんたは。誰なんだよ!」




「神だよ」




 君たちを、ここまで運んだ、神だ。


 髪をかき上げ、だるそうに男は答える。


「か、み?」


 顔についた砂や泥を払いながら礼二が聞くと、ああ、と男は頷いた。その男の顔には微笑はなく、誇るようなものもなく。気だるげな、本当につまらなそうなことのように呟いた。


「そう、神だ。君たちが全知全能と、崇め、恨み、恐れる神だ。君は私を、気狂いだと思うだろうが――」

「いや」


 なるほど納得だ、と唾を吐き捨てるように言う礼二に、男は不意をつかれたような顔をした後、興味深そうに礼二を見た。子供のような好奇心を隠さず、目は爛々と光っている。


「ほお。それはちなみに何でだい?」

「あんたへの嫌悪感の、説明がつく」


 その答えにぽかんと口を開けた男は、優雅な笑いを取り払い、天に顔を上げて大きく笑った。


「ははははっ。なるほど、いや、まったく期待通りだ! 君を選んでよかったよ」

「…………」


 演技がかった男のセリフにも動作にも、礼二はうんざりしていた。だが、男は自分に酔ったように言葉を捲くし立てる。


「退屈な日々。単調な時間。変化のない世界! 惰性というのはまったく厭うべきものだな! 退屈は、神をも殺す。まさしく、死にそうな毎日だ。それが永劫続くというのなら、尚更のこと。これがもし私一人だったらと思うと、思わず背筋が冷たくなるよ。幸いにして、私には最愛の弟がいてくれたがね。いや、しかし、つまらなかった。何せ、私たちには余興が少ない。毎日盤上の遊戯をするぐらいだ」

「それで、僕たちを」

「遊びだよ。全ては、遊戯なんだ」


 これも。


 トン、と男は礼二の額をついた。

 声も出せずに、礼二は息を止めてしまう。先ほど居た場所から男は忽然と姿を消し、瞬きの間に目の前に現れたのだから、それも当然。男との距離は一歩で埋まるような距離ではなかったはずなのに。

 鮮烈な男の笑みは、拳一つ入らない近距離にある。

 驚嘆から立ち直り、男を払いのけようと礼二は手を伸ばした。けれど。その前に。




 ―――――世界が、変わった。




 ぐるん、と反転する世界。

 蒼の世界。

 そよぐ波風。白波を立てる海。母なる海。原初の胎内。空の色を映したはずのその色は、蒼く青くアオクあおく。空はパレットに絵の具を垂らして伸ばしたように壮快な色で、青く。太陽が霞むほどに美しい。湖に浮かぶ月は同じように、されど海も空も敵わぬほどに尚青い。湖上の月は満ち欠け、満月は新月へ移り、紅い月は重なり、青く染まる。全ての万物は蒼い月の観察物。世界は果てなく蒼い、蒼く。青く。蒼、青、青、蒼、蒼、蒼、青、青、あお、あお、アオ、アオ、アオ、アオ、アオ、アオアオアオアオアオアオアオアオアオアアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオアオ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


「君にぴったりの力を与えよう。『幻想』だ。この世界に来たときに、君の中にはもう植え込んである。ほら、そんな無粋な玩具など握らずに、目を覚ませ。君は、誰よりも愚かで賢く、偽善的で残酷だ。君の優しさは脆弱さであり、君の冷酷さは掛け替えのない宝物。だが、まだ足りない。足りないとも。さあ、強さを手に入れろ。君が望む、『ここ』じゃない場所を手に入れるために」


 礼二の額に浮かぶ光の羅列。

 蒼の紋章。

 それは生き物のように這い回り、礼二という存在を壊し、再構築する。


 神と名乗った男は、まるで恋人に囁く睦言のように礼二へと顔を寄せて、囁いた。








「ほら、解き放て」







長いシリアスも一旦終わり。足りなかったコメディ部分は次に期待してください。

とりあえず、第一部はこれにて終了。次から第二部に入ります。

あと感想などを送ってくださると作者のやる気があがりますので、なにとぞよろしくお願いします。ペコリ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ