第15幕 11
「アンジェ…いいかい?」
「はい」
路地裏。シエルが命ずるままに、アンジェはシエルに右手を伸ばした。
アンジェの右手を自分の左手で握ると、シエルは静かに瞳を閉じた。
「……確かシエルさんの能力は『視野拡張』だったよね?」
じっと見つめるミューズに、シエルの集中の妨げにならないよう、アーラは小声で質問した。
「はい。360度。シエルさんの見たい場所の景色を見ることが出来ます」
「でも…アステは「気配を感じる」と言っただけで……」
ミューズはアーラににこりと微笑むと、その肩にいるアステにその顔を向けた。
「アステ様。シエルさんにそのお手を……」
「そうね。構わなくてよ」
あっ、とアーラは思った。
昨日アステは、自分は高貴な生まれの猫だから、それ相応の対応をしろとかなんとか言ってたような――だから「アステ様」なのか。
真面目なミューズのそれ相応の対応に、満足そうにアステはミューズに抱っこされると、その右前足をシエルに差し出した。
「シエルさん。アステ様のお手です」
激しい違和感をアーラは覚えたが、シエルは集中しているので、そこは受け流していた。
「ありがとう」
と、シエルは瞳を閉じたまま、アステの前足の位置を間違えずに握った。
(もうここから見えているのか……)
アーラは驚きを隠せない。
「見てみますか?」
もう1体、その現場を見守るロウから声を掛けられた。
「…えっ?見る!?う……うん」
「では」
ロウが差し出す右手を、アーラは呆然としながら握った。
ロウはそのまま左手でシエルの右肩に触れた。
「……っ!!」
アーラの眼前は、突如――この路地裏の屋根の――はるか上から下を見下ろす景色が広がっていた。
「これはシエルさんが見ている「俯瞰」の景色です」
落ち着き払ったロウの声が聞こえる。が、彼女の姿は見えない。
そして次の瞬間、視界はすごいスピードで移動した。
アーラは自分が自分の意思で動かしている訳ではない「視界」に、一瞬、気持ち悪さを覚える。が、路地裏からさほど離れていない露店の並ぶ通りの人ごみの中に、その視点は移された。
「これは……?」
「アステ様が感じた気配の元だと思われます……」
一面灰色以外、色のない周囲の風景と人々。なのに、その男だけの「色」だけが、くっきりとアーラの目に飛び込んだ。
「これが…?!」
が、また視界が移動する。慣れない動きに、アーラの思考は対応が遅れ気味だ。
「……?!」
今度はその「色」のある男を見守る――もう1人の「色」のある男。
それは屋根の上。祭りの出し物を上から見るためのものではない。
たった1人。何故か屋根にいる男――それはアーラの目にも不自然だった。
「どうやら…この男が一番気配の強い「大元」のようだ」
今度はシエルの声がした。やはりその姿は見えないままだ。
不意に眼前の俯瞰の景色は消え、アーラの視界はあの路地裏に戻っていた。
それはシエルが能力を解除したからだった。
「アンジェ、ロウ。あの男を確保して。そして人ごみにいる男も」
「了解です」
「行ってきまーす」
確実な返事と軽い返事。ここまで違いがあると、ある意味、アンジェにはあの明るさを失わないで、そのまま突っ走ってほしい気もしてくる。アーラは変な思いにとらわれた。
アンジェとロウはすでに路地裏から飛び出し、シエルの指示を受けた男たちの確保に向かっていた。
「屋根の上の男はいいとして、通りを歩いている男を確保って…大変じゃ?」
「大丈夫です。シエルさんの能力はまだ続いています。
アンジェとロウには、シエルさんと同じ視界が見えているのです」
確かビルケ専師が言ってた「能力を共有出来る」ってこのことか。
見たこともない能力の使い方に、アーラは驚かされることばかりだった。
「これはアーラさんだから打ち明けますが、シエルさんの能力は、私たちの能力の源であり、私たちが使用する能力は、シエルさんから供給されます」
ミューズの説明に、アーラは目を見張る。
「それ…すぐ疲れてしまうだろう?」
「いいえ。シエルさんの潜在能力は…アーラさん。あなたと同じ『第1級 (ブロスト)』クラスです」
「……っ!!」
知っていたのかっ!!アーラは声を失う。
「ですが、シエルさんはそれを『ブルゾス浄化』に、ご自分では発現することが出来ないのです。そのために私たちは目覚めることが出来ました。
それは私たちの前のマスター、ロードとまったく同じだからです」
「……だから」
「はい。その代わり、シエルさんはどの『浄化者』にもない能力を身につけました。
距離など関係ありません。シエルさんが望む場所、人、物……それを全方向から見渡せる能力『神の眼』。シエルさんの『神杯』の名は『ウラヌス(神の眼、もしくは天空)』なのです……」
神の王に名を連ねる神の名を持つ――『神杯』。
この――とことん人が良さそうな、高所恐怖症の青年が、とんでもない能力の持ち主だなんて――。
アーラは呆然とシエルを見つめるしか方法がなかった。
そんなとき。
「見つけたぜっ!!」
上から声が降ってきた。悪戯坊主のような、嬉しそうなこの声は――。
「ワルドっ!!」
アーラが上を向いてそう叫ぶと、ワルドが路地裏へと飛び降りてきた。
「キートさんが突然うちに来てさ。聞いたぜ。『カタフ』絡みのややこしいことがおきそうなんだって?」
キートさん――なんだって一番巻き込んじゃいけない奴に声をかけたんだろう?
そうか。人海戦術って奴か――。アーラは思った。
「今、その犯人らしい奴らの尻尾が掴めそうなんだっ」
「さっき女の子が羽出して飛んでたけど…んじゃ、俺も手伝ってくるぜっ!!」
とんっとひと飛び。ワルドはアーラたちでも出来ないジャンプ力で、空へと跳ね上がった。
「あの方は?」
ミューズがアーラにワルドの素性を訊いた。
「…仲間。あれが彼の能力なんだ……」
任せるか。そう考え――アーラは嘆息した。




