第15幕 4
周囲の心配をよそに、ジンは腹部の痛みを我慢しながら、キッチンに立っていた。
「オレがやるって……」
「これは俺の仕事だ」
相変わらず強情な性格のジンに、アーラは傍で小さいため息をついた。
「……う」
大丈夫と言いながら、レガーメの一発は相当きいたらしい。
ジンは時々痛みに顔を顰めながら、下ごしらえを進めていく。
アーラはそれを手伝いながら、ジンの腹に視線をやった。
「…なんだよ?」
「ん。見せてみろよ」
怪訝な表情のジンに、
「オレはそこまでひどい性格じゃない。怪我を診てやるって言ってんの」
アーラが余計に怪我をひどくさせようとしていると、ジンが考えている――と思ったアーラはそんなことを言った。
「……ほら」
ジンがシャツを上げる。腹筋が美しく引き締まった腹部に――拳のあとがくっきりとついていた。
アーラは屈んでいたが、笑いが堪えられずに膝を床について腹を抱えた。
「…てめぇ」
ジンがそんなアーラを睨んでいる。
「ごめ…んんんっ」
顔を上げれば、ジンが構わず唇を奪う。
「お前……こんなときにまで」
「うるさい…今日は夜、ミゲと一緒のつもりだろうが」
「はぁ?嫉妬してんの?」
「…して悪いか?!」
壁にアーラを押し付け、ジンはその体制をとる。
「馬鹿。本当に……誰か入ってきたら……」
「見せてやればいいだろ?」
「ここじゃヤダっ」
「俺がしたい」
アーラの文句など聞いていない。ジンは黙々とことを進めていく。
「いい加減に……」
「夜はミゲにお前をやる。だが、今は俺のものだ」
そう言われて、アーラはこれ以上の反論も出来ず――夕食の準備は半刻(30分)ほどいつもより遅れた。
◆◆◆
夕食を済ませたあとの自由時間。ジンは早々に自分の部屋に篭ってしまった。
ミゲがアーラの部屋に訪れた。
ひどく緊張して――でも何かに興奮気味で。
「そんなに緊張することか?」
アーラは落ち着いてる自分に驚きながら、ミゲを迎えていた。
「……夜一緒にいるのは…初めてだもん」
「そうか。そう言えば、そうだな」
「そうだよ」
ぷぅと頬を膨らますミゲの可愛さに笑みを浮かべながら、アーラはじっと見つめていた。
「ねぇ、アーラ…あの話は本当なの?」
今度は――真剣にアーラを心配する表情に変わった。
急なミゲの変化に、アーラは一瞬ついていくことが出来なかった。
「あの話?」
「……3年後……」
ここで初めてアーラの顔が――辛く沈んだものへと変わる。
「スフェラ師匠に聞いたのか?」
「…うん。アーラが眠っていたときに……」
と、言うことは皆知っているということ。アーラが深いため息をついた。
「本当だ。旧『イディア』の街――現在の『タルタロス』の結界はあと3年以内に消滅するといわれてる。
そうなる前に『タルタロス』を浄化出来るのは、オレと兄さんたちだけなんだ。
たぶん…生きて戻ることは出来ない……だから…その間に…」
「嫌っ!!絶対に嫌っ!!」
ミゲの薄紅色の双眸は、すぐに涙で一杯になる。
「…もう…泣かないんじゃなかったのか?!」
アーラは優しく、ミゲの深紅の髪に触れた。
「そんなことさせない。私はずっとアーラと一緒にいる…兄さんだってそう。
アーラは『タルタロス』のことがわかっていながら、私を選んでくれた。
だから……今度は私が、アーラが生き続ける未来を選ぶことに協力するっ!!」
「……ミゲ…」
「アーラは生きる。ずっと生きる…だから、『タルタロス』浄化の犠牲にはさせない。
だから…私たちがここにいるっ!!」
「ミゲ…どういうことだ?」
アーラがミゲの両肩を掴んだ。
「師匠が言ってた。私たちだけじゃない。今、『アカデメイア』の他に、『キュノサルゲス』や『リュケイオン』という『綺晶魔導師養成学宮』でも、有力な『アトスポロス』たちが見つかってるって。
きっと『タルタロス』浄化に向けて、『ガイア』も、アーラたちを失うことがないよう、強力な『アトスポロス』たちを誕生させてるのだろうって。
アーラは死なない。私が…私たちが死なせない。
パイク…アエラスさんも、フロガさんも、ネロさんも私たちが護る。絶対護るっ!!
だから…私たちを信じてアーラは先を見て。自分の未来を信じて。
私はその未来をアーラとずっと一緒にいるために生まれたの。
私たちは…そのために出会って…こうしてここにいる。
私たちだけじゃない。兄さんも、ヴノもクレイも、カメリアも、カリディアも、エペさんもプリムラさんも……皆、皆そう信じてる。皆の未来はずっと先に続いてるって」
アーラは何も言えず、ただミゲを抱きしめた。
「……オレがミゲを好きになった理由ってこれだったのかもしれない…。
生きる輝きに満ちたお前にオレは惹かれた。
大丈夫…オレもお前と別れたくない…皆とどこまでも一緒にいたい…だから、先を見て、
悲観した未来を…もう考えない。生きて皆と一緒にいる。そう信じてやっていく」
「…うんっ!!」
ミゲはぎゅっとアーラを強く抱きしめた。
アーラもそれに応えて、腕の力を更に込めた。
◆◆◆
「おう、俺だ、ジンっ」
コンコンコンと忙しないノックの音の直後、ヴノの声が聞こえた。
ジンがドアを開けると、「よっ」とヴノが笑顔で立っていた。
「…入れよ」
「悪いな……」
ヴノはジンの部屋に入った。
「アーラは…今はミゲと一緒か?」
「まぁな。それをわざわざ俺に言いに来たのか?」
「アホ。ちゃうわ。慰めにな……」
「出て行っていいぞ」
「嘘、嘘」
テンポよく馬鹿な会話をしたあと、急にヴノの表情が真剣になった。
「…ミゲに任せたのか。アーラの…『タルタロス浄化』の話」
ジンは一瞬沈黙したが、嘆息し、「ああ」と短い返事を返した。
「俺さ。前にミゲから、お前が『フォス』のことをずっと好きだったっていうことを聞いたんだ。お前……前にもどこかでアーラと会っていたんだろう?」
これにはジンは何も答えない。
「……だんまりか。でも…そのことをアーラは覚えているのか?」
「覚えてる…でもそれが「俺」だとは気がついていない」
ヴノはふぅと大きく息を吐き出した。
「それで察しろ」というジンの答えであることを、ヴノはわかっていた。
「俺はアーラを今まで通り、「男」として接していく。だけどさ。今回のようなことがこれからも起きないとは限らない…お前はどう考えてる?」
「そうはさせない。俺がそうさせない。アーラにもそう言ってある…お前も変な気を回すな、ヴノ」
ここでジンがようやく微笑んだ。
「わかった…それを確認しに来たんだ……邪魔して悪かったな。これで落ち着いて祭りを楽しめるよ」
ヴノは座っていた椅子から立ち上がり、ドアに向かった。
「ヴノ」
ジンが呼び止めた。
「なんだよ?」
「…お前とクレイとは、長い付き合いになる。今みたく、気になっていることは腹に溜めずに、話していこう……俺にはヴノは大事な親友なんだ」
どこか照れ気味に話すジンに、ヴノは大きく目を見張った。
いつもならここで冗談の一発でもかましたいところだが、まったく言葉が浮かばなかった。
「よろしく頼む…」
ジンが右手を差し出した。
「…おう」
機械的だったが――ヴノは素直に握手に応じた。
「…らしくないことをするなよ……驚くだろう?」
「大事な親友に変わらないんだ。たまにはこういうのもらしくなくていいだろう?」
まったく。こいつは本当に素直じゃない。ヴノは苦笑した。
「先は長いからな。また話を訊いてくれ…」
「…ああ」
ジンのはにかんだ顔が――ヴノにはこそばゆくて――とても嬉しく切なく感じていた。




