第8幕 3
ペルのお告げのショックもそこそこに、何故か近くにはずっとテミスの姿があり、ジンの隣をキープしている。
と、そのジンはアーラの隣をキープしている。
そしてあとから駆けつけたミゲの殺気う含む視線が、そんな3人の背をじーっと撫で回している。
「なんなの?あの町娘は?」
「…俺の妹だ」
「私には負けるけど、なかなか可愛い方ね。でも、躾がなってないわ。
私に任せてくだされば…」
「断るっ」
2人の会話がアーラの耳にも入ってくる。
噴出したい気持ちに駆られるが、ジンの機嫌は最高に悪いはずだ。
「アーラ。この図々しい女はなんなの?ジンに纏わりついて離れないけど…」
柵の前に両手を置き、その上に顎を乗せる形で講義を見ているアーラに、柵伝いにアステが歩いてきた。
「…テミスさん。ジンに一目ぼれしたらしいよ」
「あら。私の下僕にいい度胸だわ」
こちらにもお嬢様はいたな。アーラがそんな感想を抱いていると、とんっとアステがアーラの肩に飛び乗った。
「…テミスというのね。離れなさい。あなたがその下僕に近づくには百年早くてよ」
アーラがはっと我に帰った。そう言えば――アステは猫だった。
猫が流暢な人語を話せば周囲がどうなるか――。
「なっ、なっななななっ……!!」
案の定、テミスの狼狽しきった態度と言葉を、光の速さでジンとアーラが口と肩を押さえ込み、テミスのこれ以上の声と動きを同時に押さえた。
アーラの肩からひょいと、サリッサがアステを抱きかかえた。
「アステ。普通、猫はどんなに人の言葉が話せても、人前では、控えるものよ。
高貴な猫はみんなそうしてるわ」
「あら…それは私が無作法だったわ。迷惑をかけてしまったようね」
ナイスっ、サリッサ義理姉さんっ!!アーラは心の中で叫んだ。
「あの猫は特別なんだっ。人の言葉を話すことができるが、とりあえず秘密にしている。
協力しろっ」
ジンが慌てふためくテミスの耳元で、小声で囁いた。
「そんな…ダーリン。こんな一般庶民の前で…気が早いわ」
ジンが離れると、頬を紅潮させ、何故か息使いが荒いテミスがジンを直視せず呟いた。
「…ふざけるなぁーっ!!」
ジンの怒号が実技場に響き渡った。
「ふざけてはいないんだけどなー」
しっかりとエルピスの耳に届いたらしい。
アーラ、ジン、テミスの体が瞬時に石化――したようにヴノたちには見えた。
「すんごい珍しい光景が、目の前で展開してるようなぁ…」
とのヴノの呟きに、
「僕もそう思うよ…」
クレイもしみじみと共感した。
「これはまずいか…」
さすがのクーゼからも、ため息交じりの言葉が漏れた。
「そんなに退屈かな?」
エルピスが足取り軽く、アーラたちの前へと歩いてくる。
が、その表情はけして怒っている様子はない。
「つくづくアーくんたちは、トラブルメーカーなのね。『此処』では…」
サリッサの同情した声がアーラの耳に届いた。悲しいかな。それを否定する術も言葉も、アーラは持ちえていなかった。
と。ここでエルピスの瞳が、困った様子のクーゼを映した。
(あれは…!!じゃぁ、ここの中に…『フォス』がいるのかな?)
何かを看破したエルピスは、ひとつの行動を思いついた。
「そんなに退屈なら、私と手合わせをしてみない?」
どうしてそうなるかぁっ!!アーラは絶叫したい気持ちになった。
「どうせならやってみたらどうだ?俺からスフェラ師匠には話しておくぞ」
クーゼからも促される。それがこの状況を打破する一番の解決方法なのか?
「俺がいく。さっきのは俺が完全に悪い…」
ジンがアーラに話した。
確かに、ジンの叫びのせいではあるが、あの状況では、アーラも恐らく叫んでいたに違いない。
「…ダーリン…なんて男らしい。ならば私も行くわ」
「お前は少し黙ってろっ!!」
テミスのジンへの呼び名が変わってるじゃん…。アーラは頭を抱えたい気分になるが、エルピスを待たせていると、事態は余計悪い方へと進みかねない。
「はいっ。オレやりますっ!!」
ぴっとアーラは手を上げた。
「おいっ」
ジンの声を無視して、アーラは3メートル近い高さのある柵をなんなく飛び降りた。
「晩めしに、あのスープ頼むわ」
ジンに向かってにっこりと微笑むと、アーラは前へと向き直った。
「先ほどは大変申し訳ありませんでした。友だちとの悪ふざけが過ぎました。
でも、ヘベ様と手合わせできる機会に恵まれるなら、これ以上の幸運はないかもしれません」
「…言うね。君の名前は?」
「アーラ・ケラヴノス・アンテニー」
少しも動じてない少年の態度とその名に、エルピスの口元が緩んだ。
「そっかぁ。君があの『入学と同時にティミ持ち』になった5人のうちの1人ね。
それじゃぁ、そのふてぶてしい態度も納得いくぞ」
わざと怒って見せるが、口調も表情も穏やかなままだ。
しかし場を盛り上げるため、アーラへ挑発してみせる。
「胸をお借りします。ヘベ様」
「残念ながら貸すほど大きくは無いけど…。手加減なしで相手をしてあげようじゃないの」
観衆からどっと笑いが起こる。だが、後半の言葉は、相手をしなければならないアーラからは、けして笑える内容じゃない。
しかしアーラは――ふてぶてしいほどに、不敵に笑った。
「…上等です」
(この人とは、一度こうしてみたかった…)
アーラの中で燻る微かな苦い思い出。それを払拭できる唯一の機会かもしれない。
「アー……」
柵を飛び降りようとしたジンの肩を、クーゼが掴んだ。
「ここはあれに任せとけ。そんな軟な育て方はしてない……」
「…すみません…俺が…クーゼさんに……」
沈んだ表情で顔を俯けるジンの頭に、クーゼの右手が優しく乗った。
「…そう落ち込むな。これはかなり…その。仕方ないことだ。それよりあのお嬢様をどうにかしないと…だな」
クーゼもこればかりは、言葉を選んだ。
ジンの真後ろに立ち、熱い視線を送るお嬢様――テミスにさすがのクーゼも困惑を隠せない。
ジンが踵を返し、背後のテミスに顔を向けた。
「去れ」
「…ジンっ」
ジンの怒りは頂点に達している。例えクーゼの前でも、テミスを許す気にはなれない。
そこへサリッサがペルを抱き、テミスの肩をぽんと叩いた。
「テミスさん。あなたはしてはならないことをしたのよ?わかる?」
「……私が?私は何も……」
自分には落ち度は無い。そう。何も悪いことはしていない。テミスにはサリッサの言葉の意味がわかるはずもなかった。
「…あなたは、あなたの好きな男性の…殿方に恥を掻かせたのよ?」
「はっ?私がダーリンの?あり得ないわ?!」
「そう?ではあなたのダーリンとやらの顔をよく御覧なさい」
サリッサに促され、テミスはジンの顔をじっと見つめた。
勇ましい面立ち。自分が惚れただけあって――その表情には怒りに満たされていた。
「…何故、ダーリン?何故そんなに怒っているの?」
「……いい加減にしろ…」
呆気に取られた様子のテミスに、ジンはふるふると体が震えさせている。
「あんた…兄さんの大親友を……あんたのせいで、アーラがヘベ様の相手をすることになったのよっ!!」
「お黙りなさいっ。私はジンと話しているのよ。兄上の話の腰を折るような真似は慎みなさい。私は将来あなたの義理の姉になるのよ。私の言うことを…」
ミゲの言葉を、強い口調でテミスが制止した。が。
「それは未来永劫あり得ない……」
ジンはテミスを睨みつけた。テミスが言葉を飲み込んだ――というより、その気迫に恐れを感じ、声を失った。という方が合っているだろう。
「俺はお前を許さない。許せない…。今すぐここから去れ。二度と俺の前に姿を見せるな。
次は命の保障はない……」
「…ジンくん、それ言いすぎよ」
サリッサが穏やかな声でやんわりと突っ込んだ。
そのおかげで、凍りつきかけた場の雰囲気が一気に緩和される。
「お前は怒ると見境なくなるなっ」
こつんとクーゼがジンの頭を殴る。
「…すみません……」
左手で頭を摩りながら、ジンは俯いたまま謝った。
「でも…わかったでしょ?これだけあなたはジンくんを怒らせていたのよ。
本当に好きなら、その人がどうしたら喜ぶか、学ぶべきだわ。
とにかく今は帰りなさい。ね。ジンくんの怒りが収まるまで、あなたも少しは自分の行動を省みるべきよ」
今にも泣き出しそうな顔を――テミスはけして見せようともせず、ジンの――皆の前から無言で駆け出し、一度も振り返ることはしなかった。
ミゲはそんなテミスの後ろ姿をじっと見つめる。
(…本当に好きなら、その人がどうしたら喜ぶか、学ぶべき…か)
サリッサの言葉を心の中で反芻する。
ジンは一切テミスの姿を見ようともせず、実技場の――アーラをじっと見つめていた。




