第8幕 4
「『ケラヴノス(雷)』か…相性は最悪ね」
エルピスの『神杯』は『ヘベ』。その能力は空気を操ることにある。が、空気は水分を含む。水は雷をよく通す。その空気を操り、霧を発生させ、視界を遮るとしても、自分のダメージも考慮しなければならない。
だが、エルピスにはそれを軽く凌げるだけの――周囲には隠した切り札を持ち合わせている。
それはアーラにもよくわかっていた。
互いに『神杯』を剣化させ、スピードにものをいわせて、互いの出方を探っている状態だ。しかし観客は、その剣技に、その速さに、感嘆の声を漏らし、人を超えた実技に魅入られていた。
(この剣技…これは『ニキティス』本家の…っ!!)
アーラの剣筋に、エルピスは覚えがあった。
そしてエルピスの中にひとつの答えが浮かび、これまでの経緯と結ばれた。
(…この子……こんな面白い明るい子だったんだ…)
アーラとの鬩ぎ合いの中で、エルピスは笑いを堪えられなかった。
今日は何て日だろう。幸運なのは私の方じゃなかったのだろうか――と。
2度、3度。轟音が響く。周囲に稲光が走り、音が響いたときは、エルピスとアーラは次の攻撃をかわし、攻めていた。
「…このぉっ!!」
もう形振り構っていられない。相手がそうだとわかれば、エルピスの勝ち目はそうとう薄い。
エルピスの奥の手。それは『結界』。神杯名、『アイギス』。だからこそ、普段は伏せている『陰名神杯』。
半透明の空間を作り出す。その中に相手を閉じ込めるか、自身の身を護るか。
エルピスは後者を得意としているが、このときはアーラを閉じ込めた。
とにかくこの厄介な雷だけでも封印しないといけない。だが。
アーラは涼しい顔で、結界を真っ二つに切り裂いた。
まるで紙切れでも切り裂くかのように、それは気持ちよく――。
「あなたの『結界』なんてオレには通用しない。だってあなたの『盾』は、自分の心が傷つかないように、人と自分を隔てるだけの代物だから……」
この子っ!!アーラの台詞に、エルピスは一気に逆上し、我を忘れた。
何度も何度もアーラの周囲に結界を張る。が、アーラは何度もそれを切り裂いていく。
フォスを恐れ、惨めに逃げ回っていた自分の心を、見透かされていたかのように――。
それをフォス自身に突きつけられているかのように――。
「いい加減にしてくださいっ!!こんな結界、オレには通じないって言ってるでしょうっ!!」
ついにアーラが声を荒げた。エルピスが自分を取り戻す。
エルピスが自分の剣を空高く掲げた。
「…そうこなくっちゃ…」
アーラも再度、自分の打刀を構えなおした。
「はぁぁっ!!」
エルピスは声を出し、自分の萎みかけた勇気に鞭を打った。
◆◆◆
「決着がついたようですね…」
大観衆の声が一段とわきあがった。
円形実技場が一望できる、ここは『アカデメイア』の学長室――。
「エルピスも自分の心の整理がついたのでしょうかね?」
30代前半程度の年齢の女性が2人、親しそうに小さなテーブルを囲む姿があった。
「ニキティスの血筋の女性というだけで、世間は何かと過大な期待を寄せてしまう。
エルピスもフォスも…その犠牲となっていると言えるのかもしれませんね」
本来ならば50代…その姿は貴族のものだが、漂う雰囲気は気高さと凛々しさを併せ持つ、神々しさすら秘めた女性が口を開いた。
「マルガリタリ女王陛下。こんな辺境の地まで…本当に申し訳ございません」
もう1人の女性は、すでに40代の後半に差し掛かっているはずの、この『アカデメイア』学長、ナギ・スリング。
この女性もまた外見年齢に似合わず、穏やかさの中にあるものは、窓辺に立つ女性に負けないほどの指導的立場にある者の風格だった。
そんなナギに微笑みかける女性――エリュシオン王国女王マルガリタリの微笑みは、親しい友人に向ける暖かさを含んでいる。
「今はそんな仰々しい呼び名は止めてくださいな。マリガリタリと呼び捨てで構いませんよ。それと…ブレウラ門はやりすぎです。今日はエルピスが来たから良かったものの、なんでもない日に、あれは何事かとなりますからね」
「申し訳ありません。今日突然にお越しになるとわかって、気が動転していたものですから…」
「あなたが…ですが?」
「…まぁ…ひどい言い様」
2人はくすくすと笑い出した。
「いつぞやあなたが私に、何かお願いしたいことがあると言っていたことを思い出したのですよ。そろそろその頃合ではないか…と思いましてね」
マルガリタリの微笑みは、まるで少女のような可憐さを漂わせた。
「…この『アカデメイア』に専属の『騎士団』を…と考えていたのです。
それも自警団のようなものではなく、エリュシオン王国から正式に認められた騎士団を」
「創ればいいでしょう?私は止めませんよ。ちゃんと認めますし……」
ナギが呆気に取られるほど、マルガリタリの対応は素っ気ない。
「…マルガリタリ…もう少し考えて……」
「いいじゃありませんか。面白ければ」
「もうっ。あなたはいい加減過ぎますっ。何も考えず、『面白いから』と、たった1人の娘は気前良く、ニキティス家の長男に嫁がせてしまうし…大騒ぎになったのを覚えているでしょう?」
ナギはさすがに声を荒げた。
マルガリタリの豪胆すぎる性格は熟知しているつもりだが、これでは、この大国の女王にしては、あまりに軽率すぎる行動だと思わざるを得ない。
「それでも…あれはミカのおなかには、すでにグルナがいたのですよ?認めない訳にいかないでしょう?愛する2人を引き裂く訳にはいかないですし……」
「そうですけど……」
「おかげで今では、可愛い孫が2人もいるし……。王位継承権もフロガを脅して、グルナに第2位を授けましたし……」
「もう少し言い方に、気をつけてくださいましっ」
「…いいではありませんか……」
拗ね方もまるで少女のようで可愛いものではあるが――。
ナギは頭を抱えたくなった。が、再度気を持ち直す。
「騎士は准士の『綺晶魔導騎士』の中から選びたいと考えております。そのときは女王陛下より、騎士称号の授与をお願いしたいのですが…」
「えぇ。お安い御用……」
「マルガリタリっ」
「…えぇ。考えておきましょう」
ナギに一喝され、マルガリタリは言い直した。
「もう…あなたは固くていけません…」
「あなたが柔らかすぎるのですっ」
再度喝を入れられ、マルガリタリがしゅんと大人しくなった。
「ですが……『ガイア』は私たちに何を求めているのでしょうね?」
マルガリタリが話題を逸らしにかかる。それでもその内容は、ナギには重いものであるため、誠意を込めて言葉を返した。
「神の意思は…いつでも人智の及ばぬところです。それでも私たちは……」
「なんかこれ…すごくそれっぽくていい感じですね。あなたとはこういう会話もできるから……」
「マルガリタリぃっ!!」
頭ごなしに女王を叱り付ける学長の声が、部屋の外にも響き渡った。
◆◆◆
勝負は引き分け。
アーラの刀の切っ先は、エルピスの喉もとを。エルピスの剣先は、アーラの心臓を。
それぞれの剣は、互いの急所をしっかりと捉えていた。
「ありがとうございました…ヘベ様っ」
アーラが頭を下げた。
大観衆の歓声の中、エルピスが笑顔で右手をアーラに差し出した。
「エルピス…って呼んでくれるかな、アーラくん」
アーラは肩の力を抜き、エルピスに満面の笑みを向けた。
「はい、エルピスさん」
「うん。私もありがとう、アーラくん」
しっかりと握り合う2人の手。いつぞやに果たせなかった思いを――密かに乗せて。
ジンがほうとため息をついた。
「…だから言っただろう?そんなに軟な育て方はしていないと。それにあの2人には、会話が必要だったんだよ。これが良い機会になったようだ」
クーゼの話に、ジンは小首を傾げた。
「…?そうですか…」
「しかしジン。お前、女性にはもう少し優しくしろよ」
「…考えておきます……」
「惚れた相手には、一途なのにな」
「…すみません……」
クーゼに痛いところを突かれ、ジンは何一つ言い返せない。
「グルスィナ家のご令嬢か…少し調べておくか。それまで、あまり過激な言動は控えろよ」
「気をつけます…」
「あまり待たせはしない。あと2日ぐらいは俺もここにいられるから、それまでは、な」
「…はい」
「…まったく、手のかかる弟がもう1人増えたようだよ」
ぽんぽんと頭を叩き、クーゼは笑顔で、頭の上がらないジンに言い聞かせた。
「すみません…」
ジンはもう一度クーゼに謝るしかなかった。
「アーラ兄ちゃんすごいぜっ!!」
親指を立てて、クーゼの長男アシエが席に戻ってきたアーラを出迎えた。
「へへっ」
アーラも得意げにそれに答え、同じポーズをとった。
「おかえりーっ」
ペルがアーラに両手を広げて迎えた。
「ただいまーっ」
アーラもそれに答える。
◆◆◆
特別講義は終了の時間を向かえ、満足げのエルピスが閉めの言葉を口にしていた。
「…収穫はあったようだな」
「はい、かなり」
アーラの笑顔を見て、クーゼはうんと小さく頷いた。
アーラはそのまま浮かない顔をしているジンに視線を向けた。
「…あれ?テミスさんは……?」
「…ちょっとな……」
ヴノがクレイとアーラを労いにやってきたと同時に、ばつが悪そうに答えた。
「…そっか」
なんとなく察したアーラは、一言だけ答えた。
「で…ジン、今日はあのスープ頼むぞっ」
「……ああっ」
落ち込んでいるであろうジンに、アーラは笑顔で催促を送り、ジンもようやく笑顔を取り戻した。
「…好きな人の喜ぶこと…か」
ミゲはそんなアーラと兄ジンのやり取りを見て、小さく呟いた。




