第8幕 『このお嬢様をどうにかしてください!!』 1
アーラは目を何度か瞬いた。
深刻な話のあと。ミゲとカメリアが自分を護ってくれるという力強い、有難い宣言に軽い虚脱感を覚え、視線を木漏れ日へと救いを求めるように移した直後だった。
何か白いものが――。
アーラが突然席を立ち、吸い込まれるようにその方角へと足を向けた。
「アーラ?」
クレイとパイクが顔を見合わせ、ついとそれに続いた。
「…猫だ」
毛の長い猫が、体を横たえていた。純白の毛は薄汚れている。
アーラは躊躇なく、その猫の体に手を伸ばした。
冷たい――既にこと切れているかも――。
とくん。それは体に触れたアーラの手のひらに響いた小さな心音だった。
とくん、とくん。か弱い。でも動いている。しっかりと――。
「兄さん、クレイ。この猫生きてるっ!!」
アーラは無意識に、猫の体を自分の体に抱き寄せ、背後にいる2人に言った。
「すみませんっ!!猫が倒れてますっ!!」
クレイが叫び、アーラの抱いている猫の顔を覗き込んだ。
「…どれ」
キートが立ち上がる。『綺晶魔導医術師』でもあるキートは、アーラからその猫を受け取った。
「…なんだ?」
不可思議な感覚に、キートは顔を歪めた。
「……同化?いや……違うな……」
「同化?」
クレイが驚いたように声を上げた。
「いや、一瞬僕も驚いたけど違うね。この猫……なんで『神杯』の波動が感じられるのかと思ったら…この痩せ具合からみると、なんかの拍子に水晶を飲み込んだかもしれないな…。間違いなくこの猫から、『神杯』の波動を感じるから」
様子を窺っていたミゲたちは、いずれも心配そうな、それでいて怪訝な表情を崩していない。
「…で、キートさん。その猫さん、大丈夫なんですか?」
カメリアが尋ねた。
「う…ん、わからない」
「えーっ、何よそれっ!?」
「僕も『神杯』の水晶を飲み込んだかもしれない猫なんて、診るの初めてだからさぁ」
ミゲの反応に、キートの苦笑はますます困惑の度合いを深める。
「…たぶん大丈夫だよ。心臓の音がだんだん強くなってる」
「…さすがアーラ。将来のかっこいい『綺晶魔導医術師』だけある…」
ミゲはアーラのことなら、最早なんでもありらしい。
最近両肩の漬物石の重みがなかなか取れないアーラだったが、この場合そうも言っていられないので、猫の体をぐいと揺らしてみた。
「……げっ!!」
猫は急に動くと、いきなりえずいた。
「げっ、げっ」
驚くアーラから飛び降り、仕切りに何かを吐き出そうと、体を丸め、地面に向かって息苦しそうにえずいている。
「げっ!!」
やがて口から、1センチ程の球体上の透明な球が吐き出された。
「こいつを飲み込んで、窒息しかけてたか?」
キートが猫の背を触れると、
「無礼者っ!!」
その猫がいきなり叫んだ。
「……はい?!」
キートは驚いて、無意識に手を引っ込めてしまった。
「もぉぉ。驚いたわ。で…あなたたちは誰なの?名乗りなさい」
なんかいきなり『上から目線』で、猫は小さな前足を揃えて座り直すと、長い毛並みの良い尻尾をくるりと体に沿わせ、左は銀色、右は金色という珍しいオッドアイの双眸をアーラたちに向けた。
「…オレはアーラといいます。えと…あなたは?」
体は薄汚れてはいるが、漂わせる気品の高さに戸惑いながらも、アーラは猫に答えた。
「わからないわ」
「え?」
「名前がわからないの。でも私は高貴な生まれよ」
高貴ってことだけ記憶にあるのか?そう考えてしまう。
「……生まれはどこかとか、どこに居たとかもわからない?」
「えぇ、全部。でも高貴な生まれだけは確かね」
事態を整理するのに、時間を必要としそうだ。アーラは右手で自分のこめかみを押さえた。
「俺はジン。あなたがここに来た理由も一切記憶はないと?」
「…そうね。ないわ」
口調は完全にどこかのお姫様のようで、周囲の困惑はますます深まっていく。
「アーラとジンと言いましたね。私を助けた名誉として、私に名前をつけなさい。
もちろん、高貴な名前をよ」
猫に指名され、アーラとジンが互いの顔を見合わせた。
高貴な名前と言われても――という思いが滲み出ている。
「…ちょっと、猫。たかだか猫の分際で、何「上から目線」なのよ?」
「無礼者っ。私は高貴な生まれと言ったでしょう。人間の分際でその意味もわからないの?」
ミゲの挑戦も、猫は真っ向から立ち向かっている。
ミゲは体を僅かに戦慄かせながらも、怒りをなんとか抑えていた。
「…あの猫。『名前付き』の『神杯』を飲み込んだ可能性がある。
たぶん吐き出した水晶とは違うものが体に残っているだろう。
さっき一瞬触れたとき、『稲妻』という名前が頭に浮かんだから、おそらく間違いはない」
『綺晶鑑定師』の資格も持っているキートは戸惑いながらも、アーラとジンにそう伝えた。
「アステゥラビか…ちょっと長いな」
「…ならアステでいいんじゃないか?」
「そっか。それでいこう」
ジンに頷き、振り向いたアーラは猫に向うと、右手を胸に当て膝を折り、最上の敬意を表した。
「それでは『アステ』という名前はいかがでしょう?天上よりこの地上へと輝く『稲妻』よりとっています」
「良いでしょう。では今より私をアステ様とお呼びなさい」
「アステ様…高貴なお方は、そのように仕える者と壁を作ってはなりません」
「…どういう意味かしら?」
「互いを名で呼び合うというのは、一種の信頼の形です。様とつけるとそれは一気に崩れてしまうもの。誰からも「アステ」と呼ばれることは、アステ様にとっても、その者たちに信頼と愛を与えることにもなるのですから」
ジンは、ただじっとアーラを見つめた。それは兄たち3人も同様である。
『様』をつけ呼ぶ者は、それが礼儀やただの習慣のように考えているかもしれないが、それをつけられた者の思いなどには、考えが及ぶはずもない。
名前を呼び合う。それがどんなにすばらしいことなのか。アーラにはそれがわかっているのかもしれない。
「それでは気軽にアステとお呼びなさい」
「ということなら、アステぇ」
態度は一気に軟化し、アーラはアステを抱き上げた。
「いきなり慣れなれしくなくて?」
「これでいいんだよ、アステ」
「そ…そうかしら?」
戸惑う猫に、アーラは顔をすりすりと摺り寄せた。
アステとアーラの姿に面白くないのはミゲである。
「…ちょっと…離れなさいよ、猫っ!!」
「無礼者っ!!」
「いったーいっ!!」
引き離そうと手を出したミゲの手のひらを、アステは爪を立てて引っかいた。
「アーラぁ、いたーいっ!!」
「…よしよし。大丈夫か、ミゲ?」
「いたいよぉ」
アーラがミゲの頭をなでなですると、ミゲはアーラに体を摺り寄せた。
「…猫2匹」
完全に呆れているのはヴノである。
「皆さぁ。猫がしゃべってるのに、それ置いてけぼり?」
「…今思い出したんだけど、前例はあるよ。確かそれも猫だったと思う。
やっぱり水晶を飲み込んで、猫だけど『アトスポロス化』した…ということだったな」
「同化じゃなく?」
「うん、同化じゃなかったね。水晶を「飲み込んだ」んだと思った」
キートとケリーエがそんなやり取りとしてる傍から、クレイがじっと2人を見ていた。
「僕も猫は人語を話すということはそうとう驚きなんですけど…その『同化』というのも何なんですか?」
「…そうか。クレイくんとヴノくんには話してなかったっけ。いい機会かもしれないな」
「…はぁ?」
キートの独り言のような呟きに、ヴノとクレイは互いの顔を見合わせた。
◆◆◆
動物好きのカメリアは、アステがアーラに懐いても、ミゲのような嫉妬心を表すようなことはなく、アーラは胸を撫で下ろした。
むしろアステの方もカメリアには友好的な態度で望み、抱っこされても嫌がらず、されるがままになっていた。
キートの説明に動揺しているのは――ヴノとクレイだった。
「じゃ…その『同化』というのは、臨終直後の人間の体に、『ブルゾス』が入り込んでしまう現象を言うんですね」
「そう。昔から『起き上がり』とか『死者蘇生』とか言われてるのは、そのことなんだ。
だいたいは2~3日で持っていた『霊力』を使い切って、『霊体』は消滅しちゃうんだけど。中には居心地が良くて居座る『ブルゾス』が出てくる。
そうなると、その存在は『エフヒ(願望)』と呼ばれてね。
『ブルゾス』だったころの記憶などは覚えてないが、その器となった主の記憶は受け継いで、生き続けていくことになる。
だがその『エフヒ』は序々に精神を病んでいくことになる。本来死んだ人間の体に入り込んだ、ただの異物に過ぎないから。
そうして病んだ心に増大してくるのは、この世に生きる人への復讐心なんだ。
どうして自分はこの世に舞い戻ったのに、違和感を感じながら生き続けなければならないのだろう。と。どうしてこの世界に生きる者はそんな思いをわかってくれないのだろう。
と。そういう輩は再び『ブルゾス』側に戻り、その手先となって人への破壊行為を繰り返すようになる。そうして2年程度で生命活動を停止するんだ。
そんな存在を『カタフ(呪い)』と呼んでいる。
『カタフ』には共通の能力があって、必ず、異常な程高い身体能力を発揮するようになるんだ。
実はその『カタフ』は僕らでも、そうとう厄介な存在でね。
何せ、対『ブルゾス』の結界の力が効かない。
奴らを止めるには、その体を破壊するしか方法がないから。
近年、その『カタフ』の活動が活発になって、多くの『アトスポロス』が犠牲になっている」
「そんな…だったらそんな『ブルゾス』に戻る前に、見つけ出す方法はないんですか?」
「あるよ」
クレイの問いを、キートは何事もないかのように答えた。
「あるなら、見つけ出せばいいじゃん」
「全ての『エフヒ』を見つけ出す性能はないんだけど。高い確率で見つけ出すことが出来る方法は、既に随分前から実践されていて、多くの『エフヒ』を保護してる」
「…それで人として生活を……」
安心したように話しかけたクレイをキートが遮るように答えた。
「それは無理。ただ保護しただけでは、『カタフ』と同じ道を辿ってしまう。でも、ある方法でそれを止めることができる」
「それは?」
クレイとヴノがキートへを見つめた。
「『アトスポロス』の協力者となること」
「……戦いの協力をする…ということですか?」
「なんか…その補佐をするような……って」
キートから出た『キーワード』を、クレイとヴノが連想し、その視線をキートに定めた。
「そう…それは僕ら。僕らは保護されて訓練を受けた『エフヒ』なのさ。
僕らは『アスピダ(盾)』と呼ばれ、君らの『補佐』となるよう運命付けられている。
僕らは『カタフ』までいかない、能力…体の一部を変化させたり、自分じゃない誰かや物に変化したり…。クラッペのように戦いに秀でている者もいれば、僕のように調査などに向いている能力もある。ナル室長はああ見えて色んな人に化けられる。
ナル・ドータという人物も、あの人の固定の姿じゃないぐらいだ。
どう?驚いた?」
「……驚くも何も……」
クレイは俯き、じっと考え込んでしまった。
「まぁ、でも用は、クラッペさんもキートさんも俺らの仲間なんでしょ?」
「うん、そう」
そう頷いたキートの笑みは、迷いのない穏やかな笑みだった。
「…ならいいじゃんよ、クレイ。それ以上は、俺は馬鹿だから考えようがない」
ヴノは頭をぽりぽりと掻いた。
戸惑いや動揺しているとき、ヴノはこうしてその状況をやり過ごしている。
最近それがよくわかるようになったクレイは、はぁとため息をついた。
「そうか。なら僕も。最近君に感化されて、深く考えることをしなくなってしまったよ」
「俺のせいか?」
「そうだね。アーラとジンは思慮深いけど、ヴノのいいとこは、そういう切り替えの早さだから。僕も見習いたいんだよ」
「…丸め込まれたような……。いいや。褒め言葉としてもらっとくわ」
「そうしてくれ」
クレイは親友とのこうしたやり取りで、気持ちを落ち着ける方法を見つけ出した。
「…ありがとう」
キートは呟くような声で、ヴノとクレイに頭を下げた。
「礼なんかいらないですよ。色々やってもらってるのは俺らの方なんですから。それより話してもらった方が嬉しいです。でも…隠し事はもうこれでないですよね?」
「今のところはね」
念押ししたヴノに、苦笑いをしながらキートは一言呟いた。
アーラたちがアステに夢中となり、ヴノとクレイがキートから話を訊いていたとき、ジンはクーゼに呼ばれ、皆とは少し離れた木の影へと誘われた。
「悪いな」
「いいえ…」
ジンは軽く首を左右に振った。
「ロイド王国とテバイ王国の状況は知っているな?」
「……はい」
そう話すクーゼの表情は穏やかでさほどの変化はないが、聞いているジンの面立ちは自然と険しさを増していた。
「君も予想がつくだろうが、俺たちはイオの街から離れられなくなるか、場合によっては戦いに赴くことになるだろう」
「……っ」
「そして先ほどの話でもある。君たち自身の身の危険も…な。
君にそう言える立場でもないが…。アーラを頼む」
クーゼのまっすぐな視線に、ジンは息を飲む。そして一呼吸置いたのち。
「はい。護ります…必ずっ」
と、ジンは力強く頷いた。
「…君ならそう言ってくれると思ったが…。君はアーラの大事な親友でもあるんだ。自分の身も、妹さんの身も護る必要があるんだぞ。いいな」
「心得ました」
苦笑まじりの返事。ジンはつくづくクーゼには敵わないと感じさせられた。
「…それから」
「はい」
「君はアーラと住んでいるようだが…」
あくまでさりげないクーゼの指摘。
ジンは血の気の引く思いで、完全に言葉を詰まらせた。
「…パイクやケリーエには黙っているが、ほどほどにうまくやれよ。それだけだ」
唖然としているジンの頭をぽんぽんと、クーゼは親しみを込めて軽く叩いた。
「ありがとうございます…クーゼさん」
「アーラに手を出したら、ただじゃおかないがな」
「…当然です」
「なら、いい」
本当にこの人には敵わない。早く追いつきたいと考えているのに――。
クーゼの大きな背中を見つめ、ジンはそっと苦笑いを浮かべた。
◆◆◆
実技場に、銀髪に碧眼の少女と、金髪で赤い瞳の、長身で細身の男が立っていた。
人はまだ疎ら。2人の姿はそれなりに目立っている。
「…いよいよだね」
「はい。でも、彼は私に相応しい相手となるでしょうか?
イサリ師匠がわざわざ紹介してくださった相手なのですが……」
少女――テミスは、長身の男――師匠であるイサリの顔を、親しみを込めた瞳で見つめていた。
ブレウラ門で、アーラたちを睨んでいた態度とは、雲泥の差と言える。
「君より年下なのが心配ではあるけどね。でもほとんど問題はないだろう。
きっと彼なら、君の兄上に代わり、グリスィナ家を、エリュシオン王国最強の騎士家に導いてくれる…そんな気がするよ」
「はい、イサリ師匠。きっと彼とは運命の出会いですわ」
「…そうだね。君と彼は、紅い糸が導いてくれた、素敵な出会いになるだろう」
イサリはテミスの髪を右手で触れ、優しく語り、熱い視線を向ける彼女の額にキスをした。
「行っておいで。私のテミス……」
「はい、イサリ師匠」
テミスはしっかりと頷いた。




