第6幕 『エルピス(希望)』
エルピス。それは『希望』。
それの言葉が彼女の名前になったのは、『ニキティス家』では実に200年ぶりに生まれた『女児』にして『アトスポロス』だったからである。
『ニキティス家』の始祖は女性。名をリスィ・ラピ・ラズリ。
旧世界を滅ばした大洪水のあと、荒廃し、『ブルゾス』に苦しめられていた人々を助けた救世主でもある。
彼女はやがて、小さいながらも『エリュシオン』という国を作ることになっていく。
それは当然、今日の世界最大の大国『エリュシオン王国』の『創国』のプロローグだが、彼女には、双子の弟、『イデア・アガピ』という存在がいた。
彼の活躍もあって、リスィの『救世主』としての神話は紡がれていくが、この双子が愛し合っていたことは、歴史の闇に埋もれている。
彼女の双子の弟『イデア』は、のちに『エリュシオン国』の『王』となる。が、リスィと結ばれることはなかった。
それぞれ異なる相手と結ばれ、リスィの子孫は『ニキティス(勝者)』と名乗り、エリュシオン王国最大、最強の騎士家となり、最強の『アトスポロス』を排出する家柄となる。
イデアの子孫は『アフトクラトラス(皇帝)』と名乗り、今日のエリュシオン王国を治める王家として、その血筋を脈々と受け継ぎ、守り続けていた。
そして彼の名は、旧王都『イディア』の名に残されている。が、それはのちに最大の悲劇を引き起こす『カタストロフィ』の舞台となっていく。
◆◆◆
話を戻すことにしよう。
エルピスが誕生したのは、ニキティス家三大分家のひとつ『メスィ・ニキティス(中央のニキティス)』と呼ばれる『アグノス家』だった。
分家とはいえ、本家のような強力な能力を持つ、『アトスポロス』を生み出し続ける血筋の濃さは保っていない。が、それ以外の場――騎士などや政治の方面など、それなりに優秀な人物を排出している。
そんな『アグノス家』で、エルピスは生まれる前から、『先視師』より、「最強の女性アトスポロスが誕生する」と予言されていた。
親の期待を裏切ることなく、待望の『女児』が誕生。『エルピス(希望)』と名づけられ、大事に育てられることになった。
エルピスがその能力を開花させたのは5歳のとき。
綺晶鑑定師が持ってきた『神杯』の中から、『ヘベ』という女神の名を持つ『名持ち』の神杯を選び出した。
そして『アトスポロス』としてのその能力は、『第2級』レベルと言われたのである。
一族の期待を一身に受け、エルピスは厳しく育てられた。
一時は『リスィの再来』とまで噂され、その名声は彼女の知らぬところで、『アトスポロス』を知る貴族たちに瞬く間に広がっていった。
だが、その名声が覆ったのは、彼女が8歳のとき。
本家で、『フォス』という名の、女の子の存在が明らかにされたことだった。
その能力は唯一無二とされる『第1級』。
何故これほど『ニキティス』家で『女の子』の『アトスポロス』が望まれるのか。
それは『ニキティスの呪い』とまで言われる、始祖の『リスィ』以後、女児の誕生率が極端に低く、誕生しても、ほとんどがアトスポロスとしての能力を持たないことが災いしている。別にそれはなんの支障も齎さないのだが、能力を持った女の子が誕生すると、全員が『第2級』以上の強力な能力者となるため、ニキティスの血を引く女の子の誕生が望まれるゆえんであった。
生真面目な性格のエルピスは、親の期待を裏切ってしまったのかと悩んだ時期もあったが、こればかりは彼女のせいではなかった。
しかし、あれほど彼女を持てはやした貴族たちは手のひらを返したように、本家への関係を求め、家族や親戚の期待も目に見えて落ちていった。
その後エルピスは、噂の『フォス』と顔を合わせないまま、15歳まで過ごし、自分磨きに躍起になった。
親は無理しないでいいと、自分が幼いころから考えると信じられないぐらいに、優しい言葉をなげかけてくれるようになった。が。
煮え切らない複雑な思いを抱える一方で、過剰の期待は自分を締め付けるだけだと、なんとなくエルピスはわかる年頃になっていた。
しかし、『フォス』に対して偏った――あるいは歪んだというのか。そんな思いがないわけでもない。
あれほど期待を受けていた自分の環境を、たった1日でがらりと変化させてしまった『フォス』という少女がどんな存在なのか――知らないのだから。
16歳のとき、とうとうその機会が訪れた。
白金色の髪に、緋色の瞳。
人智を超えた美しさは、エルピスをも魅了した。
「これが『フォス』」
ひと目で敵わないとわからせてくれた。これでは勝てるはずもない。
万人の目にも、自分と彼女の差は歴然だろう。
女神と人とでは、もともと比べることすら可笑しいのだから――。
「エルピスさまっ!!初めましてっ!!」
そんな自分の勝手な思い込みを打ち砕いたのはその『フォス』の方だった。
エルピスの姿を見るなり、彼女の方から近づいて来てくれたのだ。
嬉しそうに、頬を紅潮させ、笑みを浮かべて。
しかしエルピスはそれを跳ね除けてしまう。自分が惨めになるだけだから――。
「お会いできて光栄でございます。『暁の姫君』…」
礼儀正しく、最上級の敬意とほんの少しの嫌味を込めて。エルピスは挨拶をした。
次の瞬間、フォスの笑顔は消え、その表情は凍りついた。が、気丈にも、フォスはエルピスに対して、淑女としての挨拶を返した。
「私もお会いできることを、とても楽しみにしておりました。エルピス・ヘベ・ブロイ・アグノス様」
そんな一連の行動も、13歳の少女の可憐さは、人を魅了してしまう。
まったく。エルピスは苦笑を浮かべ、小さなため息をついた。
だが。そんな彼女のエメラルド色の双眸に映ったのは、悲しい表情を浮かべたフォスの『人』として、『少女』としての姿だった。
それ以後、フォスとは出会う機会があっても、エルピスは避けてしまった。
フォスは女神であり、けして自分と同列の『人』ではないのだと。
ただ認めたくなかっただけかもしれない。
エルピスは現在18歳となった。
そして彼女はその価値観を大きく変化させる出会いをすることになる――。




