08 約束
『記憶がなくても約束は有効か?』って何のことだろう?
「ええと、どうしたの雅也?」
綺麗に折りたたまれた豪華なドレスにウンザリと目を細め、次の現代風エリアなら少しは大人しい服があるかな?と物色している時に、背を向けていた僕の肩に手を置き、雅也のほうへと向きを変えられたのはそんな時だった。
「約束?僕、雅也と約束してたんだ?それって大切なこと?」
「ああ、そうだな」
煌びやかな衣装ばかりを見ていて目も頭も疲れていたから、気分を変えるのに雅也と話をするのもいいかもと、単純な理由から返事をしたんだけど、雅也はいつもの淡々とした口調の中に、幾分か真剣さを帯びた瞳をしていた。
「記憶がなくても、その約束は守れるものだったら、守るけど。雅也はそれでもいいの?」
相手が真剣な話を持ちかけているんだったら、それ相応な返事を返さなきゃとは思うのだが、その大事な約束さえ忘れてしまっている。それでもいいのかな?記憶がなくても守れるようなことだったらいいんだけど。と確認をとると、
「しぃが約束を叶えてくれると言うから、僕はずっと約束を守ってきた。記憶を失いなかったことになるのなら、僕は守らなくていいと言うことになる」
内容はまだ分からないけど『叶える』だって!?守るよりハードルが高いんですけど?
僕が叶えて、雅也が守る??一体どんな約束事を交わしたんだろう?
ダルそうだった雅也の瞳が徐々に力を帯び、鋭さが生まれ始めた。掴み所がなかった陽炎の向こうに輪郭が見えた――そんな感じ。
雅也は反応を伺うよう僕の返事を待っている。憶測だが、返事しだいで大きく何かが変わりそうな雰囲気だ。
「ど、どんな約束か分からないけど、記憶が戻った時、約束を叶えられなかったと知れば、僕はもとより互いに後悔しそうだから、有効じゃない?」
雅也の刺すような瞳に耐えきれず、兎に角無難なことを口にする。問題を先送りするような卑怯な回答だけど、その約束が何なのか分からない今の返事にしては上出来だと思うんだけど、当の雅也の受け取り方はどうなんだろう。
「……そっか…」
ぼそりと呟いた雅也は力強さが消え、再びいつものスタイルへと戻っていった。ええと、それは返事的に可ということでいいんだろうか?
しかし、さっきのは何だったんだろう?
普段は飄々としてボゥとしていることが多いから分かり難いけれど、雅也って割と整った顔立ちしているから、凄むと更に際立って……怖かったかも…うん。
咄嗟に紡いだ言葉だが、紛れもない本音を言ったのが良かったのか、それか、雅也が欲しかった返事だったのか、兎に角彼は普通に戻った。
だけど何故か、本当は雅也は反対の言葉を待っていたのかもしれない…と感じてしまったのは…余りに彼が普段通りだからかもしれない。
「…で?約束が何なのか教えてくれないわけ?」
雅也に対して微かに残る不安は、約束が何なのか知らない内に返事をしてしまったからだろうと決断した僕は、雅也に聞くことにした。
「ああ、そうだった」
まるで、さっきのことはなかったかのよう。
「僕が綺麗だと感じるものを探してくれると、しぃは約束したんだ」
「綺麗…と、感じるもの…?」
なんとも変わった約束をしたんだな。
だけど、綺麗なものなんて沢山あるような気がするんだけど…
「ええと、宝石や絵画、建築物とか、あと自然?青く広がる雄大な空、優しく時には厳しい海に、包み込んでくれる緑なんて綺麗だと思うけど……そうじゃないの?」
「そんなもののどこが奇麗なんだ?」
自分が綺麗だと感じるものを一通り挙げてみたんだけど、雅也はきっぱりと撥ねつけ、逆に問い返してきた。一般的に綺麗だと感じるものを感じないとは、雅也の感覚は人並み外れているみたいだ。
これは、結構難題な約束をしたものだなぁ。いつ約束したのか知らないけど、ありふれた物だったならすぐに見つけられていただろう。
「宝石や絵画なんてただの物。壊そうと思えばすぐに壊れて儚い。建築物も人が作り出した大きい岩、もしくはゴミなどと同じだ。自然なんて論外、移ろいやすいものに対してどう感情を持てというんだ?」
うわ~、なんて冷めた見方をするんだ、雅也は。
「ああいうものを見ると、すべて無に帰してやりたくなる。意味のないものに心を奪われているのが信じられない」
「――――」
衣装に隠れて姿を見ることはできないが、いつもよりも饒舌に話す雅也は、多分、さっきと同じように刺すように鋭い雰囲気を纏っているのだろう。
見えなくても何となく、分る。雅也がいる辺りの空気が歪んでいるから。
どうして、こんな現象が見えるのか、自分ではわからない。でも、眼鏡をはずすと謙虚に歪みが見えるのだ。眼鏡をかけると殆ど見えなくなるし、それほど不自由をしているわけじゃないから、人には言っていない。それに、言ってはいけないことなんだと、頭のどこかで警告するんだ。言ったところで信じてもらえるかどうか…というのもあるんだけどね。
だけど―――眼鏡をしてここまで歪んで見えるのは初めてで、危険―――の文字が浮かび上がった。
危険なものは……雅也…なのだろうか…?
「ま…雅也?結論を急がなくても、僕とこれから探すと約束したんだろう?だから…」
「君が探してくれると言った。しかし、限界は近い」
手に持った衣装を引きちぎらんばかりに握りしめて、衣装の陰に隠れていた雅也がズイッと僕の前に立つ。
「―――っ」
ま、雅也…?
いつもの雅也に戻ったかと思えば、再び鋭い眼に豹変していた。ころころと雰囲気をまるっきり変えるのは、雅也の言った通り限界が近いから…?
だけど、その限界って何の限界…?と教えてもらっていない事柄なので、疑問に思うのが普通なのだが、なんとなく理解している自分もいた。
「限界までに見つけられなかったら、真っ先に君だよ?」
分かっている?と、妖しい微笑みを浮かべて覗き込んできた雅也は、本当にあの飄々とした掴みどころがなく、やる気のない彼と同一人物なのだろうかと疑いたくなるほど、生き生きと輝いていた。
「………」
息を吸うのをためらわれ、ゴクリと喉が鳴る。
針一つ落ちた音にでも反応しそうなほどの緊張の中、僕の思考は完全に停止していた