第九話:山中の露天風呂
真っ赤なトマトと、瑞々しいきゅうり。
シーカの植物魔法によって生み出された野菜たちを堪能した俺たちは、夕暮れの心地いい風に吹かれながら、その場に実った残りの野菜たちを丁寧に収穫していった。
「リョウー、これ、潰さないように持てばいいの?」
「ああ、ペネロ、ありがうな。トマトは皮が柔らかいから、そっとカゴに入れてくれ」
畑を耕していた際の大きな手足の爪は器用に引っ込められており、野菜をせっせと収穫してはカゴへ詰めていくペネロ。
その隣では、シーカが収穫し終えたばかりのトマトらを愛おしそうに見つめていた。
「ふふっ……新種の野菜、それもこれだけの数を一度に収穫できるなんて夢のようです……この野菜たちで作られるリョウさんのお料理も楽しみです」
「はははっ、ああ、任せてくれ。よし、じゃあ暗くなる前に宿へ戻ろう。」
畑をあまり大きくしなくて良かった。持って帰れずに獣に荒らされてはもったいない。
全ての野菜の収穫を終えると、おー!と元気よく拳を挙げるペネロと、深く頷くシーカ。
俺たちは空の色が濃いオレンジ色へと染まり始めたと同時に、山道を賑やかな足取りで引き返していった。
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開拓中の温泉宿、その中心となる木造の母屋へと戻ってきた頃には、山の端に太陽が完全に隠れ、美しい夜の帳が下り始めていた。
「ふぃ〜……!今日もたくさん動いたね〜、ボクお腹と背中がくっつきそうだよ〜〜!」
「ふふ、ペネロさん、さっきおやつに野菜ををたくさん食べたばかりなのに、もうお腹が空いてしまったのですか?」
荷物を下ろし、母屋の板間に腰掛けた二人は、充実感に満ちた顔で足をぶらぶらと揺らしながら談笑している。
だが、さすがに一日中、山道の整備や畑の開墾で動き回っただけあって、その衣服や肌には土汚れが目立ち、疲労の色も隠せていない。
温泉宿の主としては、このタイミングで極上の癒やしを提供できなくてどうする、という話だ。
(……本格的な大浴場はまだだけど、簡易的な浴槽なら、俺の『材料加工』スキルを使えば今すぐにでも作れるな)
俺は二人に「ちょっと待っててくれ」と言い残し、母屋の裏手にある源泉の湧き出る岩壁へと向かった。
岩壁の隙間からは、今日もこんこんと透明で熱いお湯が湧き出している。
これまでは足湯としてしか利用していなかったが、ここからお湯を引っ張れば、今夜にでも全身で浸かれる風呂ができるはずだ。
「よし、そうと決まれば………!」
俺は近くにストックしておいた太い丸木に手を当て、脳内で理想の形をイメージしながらスキルを発動させた。
パキパキパキ、と小気味いい音を響かせながら固い木肌が切り取られていき、緩いカーブを描いた木材へと変わっていく。
そして、『研磨』で表面を丁寧に磨き、『接合』で切り取った木材同士を隙間なく繋げると、肌触りの良い立派な木の浴槽へと変貌を遂げた。
急拵えのため一つの浴槽だけしかないが、大きさは、女の子二人なら十分に並んで入れるほどのゆったりとしたサイズである。
次に必要となるのが、源泉からこの浴槽までお湯を絶え間なく、かつ風情たっぷりに注ぐための設備だ。
「源泉を汲んで、浴槽に流れるように…っと」
俺は木材を薄く削り、中央を凹ませた長細い板をいくつか作成すると、それを組み合わせ、岩壁の湧出口から浴槽の真上までを繋ぐ、滑り台のような木製の水路を設置する。
温泉街などでよく見かける、お湯を効率よく、かつ温度を適度に冷ましながら運ぶための専用の流し台。
━━いわゆる『湯樋』である。
さらに、その湯樋の終着点、浴槽の真上には、箱型をしたお湯の注ぎ口である『湯口』を設置する。
すると、湯樋を伝って流れてきた熱い源泉が、湯口の箱の隙間から、滝のようにサラサラと音を立てて木の浴槽へと注がれ始めた。
湯口を通ることでお湯に適度に空気が混ざり、浴槽に溜まる頃には、肌に最も心地いい絶妙な湯加減になっていた。
お湯が溜まるにつれ、湯気と共に木の浴槽から優しい香りが辺り一面にふんわりと立ち上る。
「よし、じゃあ後は……っと」
流石に男湯と女湯を分けるようなスペースや仕切りを建築する時間はない。
俺は手際良く木枠を組み、そこに大きめの布を張った簡易な仕切りをいくつか作成すると、浴槽の周囲をぐるりと囲う。
簡単な作りではあるが、これなら外からの視線もしっかり遮ることができる。
最後に地面に床となるすのこを置けば、突貫で作り上げたものだがその空間には、吹き抜けの露天風呂として、『壺湯』が姿を現していた。
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「おーい、二人とも!ちょっとこっちに来てみてくれ!」
俺が母屋に向かって声をかけると、パタパタと小気味いい足音を立てて、ペネロとシーカが裏手へと顔を出した。
「どしたのー?……って、わぁっ!なにこれ、おっきな木のバケツ!?」
「こ、これは……?お湯が上から流れて溜まっていて、足湯に似てますが、それにしては深くて大きい……?」
湯樋を伝うお湯のせせらぎと、白く立ち上る湯気に、二人は目を丸くして不思議そうに首を傾げている。
「ああ、これが本来の『風呂』だ。2人にはまだ足湯しか経験してもらってなかったが、本来の風呂、温泉っていうのは、この溜まったお湯の中に首までどっぷりと全身を浸けるものなんだよ」
「ぜ、全身を……ですか……?」
シーカが戸惑うように小さな声を上げる。
この世界において、今まで川での行水や身体を温めた布で拭くことが基本だった彼女には、お湯の中に全身を沈めて留まるという文化自体が新鮮なのだろう。
「ああ、全身をお湯に浸けることで、水圧により温熱効果が身体の芯まで届く。そうすると、今日みたいに一日中動き回って凝り固まった筋肉がほぐれて、癒やしとリラックス効果が得られるんだ。それでもって、この湧き出る温泉を利用してこういう風呂を提供する場が、今回俺たちが作っている『温泉宿』ってことなんだ」
俺は湯気が立ち上る浴槽の縁を優しく叩きながら、これからの展望を二人に語る。
「今はまだ急拵えの小さな壺湯が一つだけだけど、これから開拓が進めば、もっと広くて開放的な露天風呂や、寝そべりながら入れる寝湯みたいに、様々な形をした風呂をこの場所にどんどん増やしていく予定なんだ。ここは、その記念すべき第一歩さ」
熱っぽく語る俺の言葉を、ペネロは耳をピンと立てて目を輝かせながら聞き、シーカはその光景を思い浮かべるかのように、じっと湯面を見つめていた。
「様々な機能のついたお風呂……想像も付かないですが、リョウさんの思い描く温泉宿、とっても見てみたいです……っ!」
「ボクもボクも!足湯もすっごく気持ちよかったし!すっごく楽しそう!」
未知の文化への戸惑いはすでに消え、二人の顔には期待と好奇心が満ち溢れていた。
そんな二人を見て、俺の胸にも宿の主としての誇りがフツフツと湧いてくる。
「よし、じゃあ御託はこれくらいにして、今日のご飯を作っている間に先に二人で入ってきてくれ。……ははっ、どうやら2人がこの宿の最初のお客さん、だな!」
「「最初のお客さん……!」」
その言葉の響きが嬉しかったのか、二人は顔を見合わせてパッと表情を綻ばせる。
「えへへ〜〜ボク、最初のお客さん、がんばるよーー!」
「ふふふっ、がんばるものではありませんよ、ペネロさん。でも、確かに私たちも温泉の魅力を知っておく必要がありますからね。では、リョウさん、お言葉に甘えて、さっそく体験させていただきます……っ!」
弾むような足取りで仕切りの向こうへと入っていく二人を見送りながら、俺は夕食の支度をするべく、満足感と共に母屋へと引き返した。
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仕切りに囲まれながら、夜空を見上げるように開かれた露天の空間には、湯口から注がれるトトト…という心地いい水の音と、白く煙る湯気が満ちていた。
浴槽と仕切りの間には、衣服をしまうための小さな木カゴが二つ並べられている。
「うわぁ……!近くで見ると、すっごくお湯がもくもくしてる!ねえシーカ、はやくはいろー!!」
「そ、そうですね……!え、えっと、リョウさんがいうには、このカゴの中に服を入れてから、身体を洗ってお湯に浸かる……とのことですが……」
いくら布一枚の仕切りがあるとはいえ、すぐ向こう側には異性ががいるのだ。
さらに、他人と同じ空間で、しかも開放的な屋外で一糸纏わぬ姿になるという状況に、シーカの心臓がハチドリのように激しく鐘を鳴らし始める。
「何してんのー?はやくはやくー!!ボクもう待ちきれないよーー!!!」
もじもじと恥じらうシーカを置き去りに、ペネロは何の躊躇もなく、衣服を脱ぎ捨てていた。
シーカの目の前に、健康的で引き締まった、人狼特有のしなやかな肢体が露わになる。
「わ、わわっ!?ぺ、ペネロさん、ちょ、ちょっと待って……も、もう少しこう、心の準備というものが……っ」
「大丈夫だよ!魔獣が来てもボクが守ってあげるから!ほら、手伝ってあげるから!はやくいこいこ!」
「そ、そういうことじゃなくて……っ!ひゃっ、ちょっ……ままままって……っ引っ張らないでください、ペネロさんっ!じ、自分でできますからっ……!」
生まれたままの姿で無邪気に身体を寄せてくるペネロに翻弄されながら、おそるおそる震える手でゆっくりとローブを脱ぎ、インナーを脱ぎ進めていく。
衣服がカゴに収まる頃には、シーカの白い肌は温泉に入る前だというのに、火照ったかのように赤く染まってしまっていた。
「ち、近くで見ると思ったより広いんですね、外だというのに、湯気のおかげで寒さもないですし……むしろちょうどいいというか……」
「ねー!それになんか落ち着くような木の匂いがする!」
お湯で濡らしたタオルでお互いに土汚れを落とした二人は、目の前でなみなみとお湯の注がれる木の浴槽に、改めて興味津々で視線を注いでいた。
「よーし、じゃあボク入っちゃうね!おっさき!」
足湯の時と同様、先に動いたのはペネロだった。
丸まった尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ザパーン!と、足先から勢いよく湯船に飛び込むと、贅沢なほどに溢れ出たお湯が、床のすのこと草むらを濡らして周囲へと広がっていく。
「………っ!ふあぁぁぁ〜〜〜……っ!な、なにこれぇぇ……すっごく気持ちいい……っ!身体が、じわじわーって、溶けちゃいそうだよ〜……」
いつもは元気いっぱいに動き回っているペネロの耳が、見たこともないほどへにょりと外側に寝ていく。
浴槽の壁にもたりかかりながら、完全に脱力した様子で、うっとりと目を細めていた。
「……っ!で、では、わたしも失礼します……っ!」
ペネロに続き、シーカも恥ずかしそうに長い銀髪を湯船に落とさないよう手で押さえながら、そっと静かにお湯へと身体を沈めていった。
ザワァ……と、彼女の身体を包み込むようにお湯が優しく溢れ出る。
「っ……~~~……っ!」
湯船に肩まで浸かった瞬間、シーカはあまりの心地よさに言葉を失い、ただただ瞳を潤ませて声にならない息を漏らした。
じわりと全身の毛穴から、今日一日の疲れがすべてお湯の中に溶け出していくような感覚。
ただ温かいだけでなく、肌に吸い付くような温泉の成分が、彼女の肌を優しく潤していくのがはっきりと分かった。
「っあぁ……っ、川で身体を洗うのとは、全然違う、体の芯から……ぽかぽかと温まってくるようです……」
「だねぇ〜………」
見上げれば、遮るもののない満天の星空が、湯気の向こう側で美しく瞬いている。
昼間の過酷な開拓作業が、まるで遠い昔のことのように思えるほど、二人の心と身体は、初めての温泉によって深く、深く癒やされていくのだった。
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二人が温泉を満喫している間、俺は母屋の横にこっそり作っていた簡易キッチンで、ささっと夕食の支度を進めていた。
2人にとっては初めての温泉体験だ。
食事も含めて最高のものを提供してやりたい。
「よし、2人が上がる頃に間に合うように、素早く仕上げるか!」
俺は村で仕入れてきた上質な麦粉を使って焼き上げた、香ばしい麦のパンを取り出し、軽く火で焦げ目をつけるように炙り焼く。
そこに合わせるのは、野鳥の卵を使った目玉焼き。 味付けはシンプルに塩だけで、黄身を半熟に仕上げる。
そしてメインは、余りの干し肉と今日シーカが実らせてくれた獲れたてのトマトをふんだんに使った『トマトシチュー』だ。
じっくりと煮込むことでトマトの濃厚な酸味と甘みが、干し肉の旨味と絶妙に溶け合い、スープ全体に深いコクを生み出す。
仕上げに緑鮮やかな香草を散らせば、彩りもバッチリだ。
これなら温泉とシチューで身体の外と中両方から温めることができ、疲れを癒してもらえるだろう。
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「リョウ〜〜っ!温泉、すっごくすっごく気持ちよかったよーー!!……って、うわー!すっごいいい匂い!」
調理開始から数十分後、仕切り壁の向こうから簡易な服に着替え、湯上がりでホカホカとした湯気をまとったペネロとシーカが戻ってきた。
二人とも、温泉のおかげで血行が良くなったのか、頬がほんのりと桜色に染まっていて、肌も心なしかツヤツヤと輝いているように見える。
「おかえり、いい湯加減だったみたいだな。こっちもちょうど準備できたぞ!夕飯にしよう」
「わぁ……!とってもいい匂いです……!」
「美味しそ〜〜〜!お腹ぺこぺこだよー!早く食べたーい!」
テーブルに並べられた料理を見て、二人の目が一斉に輝いた。
早速とテーブルを囲むように座り、いただきますの合図をするとともに、ペネロがトマトシチューを器から直接口へと運ぶ。
「熱っ、あふっ……!んんん〜〜〜……っ!すっごく美味しい!このあったかいスープが体の中にじょわーって広がって、なんだか元気が出てくるよ!」
「ふーっ……ふーっ………んっ……本当、トマトの酸味とお肉の旨味と合わさって、とても安心する味……この卵と一緒にパンに浸して食べると、また違ったまろやかな味になって、いくらでも食べられちゃいそうです……っ」
シーカも麦パンをシチューに浸しながら、幸せそうに口を動かしている。
温泉でリラックスした身体に染み渡る料理。
卓を囲む2人の幸せそうな表情から、俺の知る温泉宿の極上のリラックス体験を、今度は自分が誰かに与えることができたのだと実感できる。
心にグッと湧き出る高揚感と達成感を抱きながら、俺は2人の表情に釣られるように顔が綻ぶ。
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食事を終え、片付けを済まし二人を先に寝かせた後。
俺は静まり返った母屋の裏手の温泉へと向かった。
ザバァァ……と木の浴槽から、俺の身体の体積分の湯が溢れ出し、夜の静寂の中に心地いい音を響かせる。
「……はあぁ〜〜〜………思えば、久しぶりの温泉だな………」
肩までしっかりと温泉に浸かると、ここ数日間の道の整備や木材の加工で酷使してきた筋肉の強張りが、驚くほどの速さで解きほぐされていくのが分かった。
手足がじんわりと痺れるような、圧倒的な解放感。
静かな山の中、湯口から注がれる規則正しいお湯の音が、耳に優しく響く。
ふと空を見上げれば、吸い込まれそうなほどに美しい満天の星空が広がっていた。
(数日前までは、ただの荒れ果てた、誰も立ち入らない未開の山奥だったんだよな、ここは……)
そんな場所にたった二日で、雨風をしのげる立派な母屋と、小さいながらも立派な畑ができた。
そして、俺の夢ともいえる温泉宿を支えてくれる大切な仲間たち。
俺1人ではここまで来るのに相当の時間を費やしただろう。
まだ男湯と女湯の区別もない、ただの簡易的な壺湯だ。宿としての完成度は、一割にも満たないかもしれない。
だけど、今日確かに、俺たちの『温泉宿』は大きな一歩を踏み出したのだという確かな手応えが、この温かいお湯を通じて全身に伝わってきた。
「さて……明日は、畑の防護フェンス作りだな……皆んなで作った畑とあの美味しい野菜たちを守るためにも、頑張らなきゃな」
俺は夜空の星に、決意を語りかけるように呟く。
湯気の中に溶けていく自らの吐息を見つめながら、俺は深く、温泉の中へと身体を沈めていくのだった。
ご覧いただきありがとうございました。
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加藤カト




