28.ひどい顔だねえ
デシーカは自宅に帰らず、馴染みの安宿に腰を据えた。
硬いベッドがあるだけの薄汚れた狭い部屋で、備えつけのシャワーはお湯が出るのか怪しかったし、ドアノブを力任せにひねれば鍵が外れるような有様だった。
だが、身を隠す分には信頼できる。それに――イオにどんな顔で会えばいいのかわからなかったし、なにを話せばいいのかもわからなかった。
床を走るゴキブリを踏み潰し、デシーカはベッドに腰掛けて深い嘆息をもらした。
これが本当に最後だ、と彼女は何度も胸中でつぶやいた。まるで念じるようにして。
ほとんど眠れないままに夜が明け、デシーカは冷たいシャワーを浴びてから、一晩のうちに灰皿に山盛りになった吸い殻を律儀にゴミ箱に捨てた。
最寄駅の売店で新聞を買うと、通勤客に混じって地下鉄に乗り込む。
官庁や大企業のビルが集まる中央区のアヴァロン中央駅に向かう地下鉄は足が浮きそうなほどに混雑していたが、デシーカは新聞をうまく折り畳んで目をとおした。
昨日の高速道路での出来事は数台を巻き込んだ玉突き事故として報道されていたが、それだけだった。ロクサーナの後始末は完璧だ。
アヴァロン中央駅で降り、彼女は指定されたコインロッカーから茶封筒に入った故買屋のリストを回収した。中身を確認すると数枚のコピー用紙と一緒に可愛い丸字のメモが添付されており、「肋骨折れたやつに徹夜させよってボケ!」とだけ書かれていた。
リストにはざっと見ただけでも数十の店と個人の名前があり、押収品を横流ししている警察内のどういったグループとつながっているのかが網羅されていた。
ロクサーナは金を受け取ったからにはきっちりと仕事をする女だ。
いままで彼女が収集してきたすべての情報だと思って間違いなかった。
デシーカはその足で迷宮アパートのスイ・シーの元に向かい、
「ひどい顔だねえ、デシーカ」
こちらの顔を見るなり闇医者は咥えた煙草をひこひこ揺らしながら言ってきた。
「睡眠不足だし、あとは食事もまともに取っていないだろ?」
「シー女士、ならいいサプリでももらえますか?」
「お高いけども、お望みなら出してあげるよ。睡眠薬も出そうか?」
スイ・シーはこちらの事情に深入りするつもりはないようで、それでも少し呆れたようにして肩をすくめた。
「殺し屋に健康診断もないだろうけど。まあ医者にかかりたいならうちをよろしく」
「でもお高いんでしょう?」
「もちろんだねえ」
二人は顔を見合わせると、どちらもなく苦笑した。
「ロレッタは別の部屋に移したよ。迷宮アパートは素人にゃ難しい。ここにいる分には警察も黒社会の連中もそうは見つけ出せやしないさ。もちろん賞金首もねえ」
「感謝します」
「感謝するのはこの騒ぎを生き延びてからにするといい」
スイ・シーが投げてよこした部屋の鍵を受け取り、デシーカは複雑怪奇な迷宮アパートの奥に足を踏み入れた。階段をのぼってくだり、青空が見える場所をとおり、なぜか屋根のうえを歩き、また階段の踊り場に出る。すでに何階にいるのかわからなかったが、デシーカにしてみれば〈課堂〉に渡る前によく訪れた勝手知ったる場所だった。
「ロレッタ、私だ」
目的の部屋に辿り着くと、デシーカは鍵を開けて静かに足を踏み入れた。




