第13話「二つ目の封印」
ようやく話が通ったら、エスタは小さく背後に立って期待に顔をあげた少女に優しく言葉を掛けた。
「契約者。予定とは違うが、これなら満足してもらえるか?」
「……最高よ、あなた。ありがとう」
「フッ。そなたの言う優しさとやら、少しは理解できたやもしれん」
目に浮かんだ涙をフロレントが指先できゅっと拭ったのを見てから、エスタは「では案内を頼む」と城の地下までの道をハシスと宰相についていく。騎士たちもそのうちに目を覚ますから安心するよう言うと、彼らはホッとした表情を浮かべて、少しだけ足取りも軽くなったようだった。
「それにしても、アドワーズ皇国が攻め落とされたと聞く事になるとは……。近況が思わしくないのは耳にしていたが思っていたより早かったな」
「ええ、その、内通者がいたものですから。エスタと出会えたのは運が良かったとしか言いようがありません。偶然、封印の魔法陣を見つけて」
横でうんうんとエスタも頷く。だが、う~んとハシスは顎をさすりながらとても不思議そうに彼女たちを見つめて────。
「本当に偶然だったのかね?」
「……と言いますと?」
「いや、ほら。よく言うだろう」
彼はピンと指を立てた。
「────運命。人間というのは何かに導かれて生きている。……なんて説もある。少なくともルバルスではそう信じられてきた」
理由などは分からないが、封印の魔法陣だけは代々守り継がれてきた。ルバルスの栄光が続くかぎり誰にも委ねるべきものではないとして。
誰に頼まれたのか。いつの時代からなのか。なぜ頑なに城の地下へ隠し続けるのか。何より、なぜ壊すどころかまともに近付く事さえ出来ないのか。具体的な事はなにひとつ分からないまま今に至っている。
それをハシスは今こそがルバルスの栄光が続くか途絶えるかの別れ道なのかもしれないと考えた。でなければエスタのような存在が現れるはずがない、と。
「まあ、ともかく経緯は酷いものではあったと認めよう。しかし今からは君たちを信じさせてくれ。ここから先、都合の良い事は言わないが、少なくとも民には手を出さないでいてほしい」
当然だとばかりにフロレントもエスタも頷いてみせる。長く歩いて地下へ降りた先で固く閉ざされた分厚い鉄の扉には鍵がかかっていて、彼女たちの返事を確かめてからケルムトが袖の中から鍵束を取り出す。
「貴公。いつも持ち歩いているのか、それは?」
「……? ええ、念のためではありますが」
「では今日からは決まった場所に隠せ、身を滅ぼすぞ」
老体が持ち歩くのは危険だ。アドワーズ皇国のように内通者でもいれば、必ずと言っていいほど奪われる事になる。フロレントが悲しむのは見たくないと忠告をすれば、彼は恥ずかしそうに「それもそうですな」と自分の頼りなさを認識して情けなく笑いながら鍵を開く。
「これが済めば、儂も潮時でしょう。前国王陛下が若い頃から仕えてきて、そろそろ息子に継がせるのが良いと考えていたところです」
ハシスは少し寂しそうに「相談してくれればよかったのに」と愚痴をこぼす。まだ父親よりは頼りないかもしれないが、と。
「フフッ、ですが今話しましたよ。まあ、その件はあとでゆっくり……。まずはこちらの用件を済ませましょうぞ」
扉の先に広がる大理石の空間。広く大きな円形の床に描かれた封印の魔法陣は確かにエスタのときと同じで、怖気立つような強烈な気配があった。
『ああ、なんだ、懐かしい良い匂いがする』
男の声が反響する。ハシスたちはぞくっとして息を呑んだが、既に経験のあるフロレントは冷静に進み、魔法陣の中央へエスタと共に立った。
「あなたも会話が出来るのかしら? 初めまして、私はフロレント・クレール・フォン・アドワーズ。あなたの力を貸してほしくて封印を解きに来たの」
気配がいっそう強くなり、高笑いが部屋全体を震わせた。
『ハッハッハ! 俺の力を借りたいと言うか、小娘。ならば封印を解け、そして俺を捻じ伏せてみせろ。それ以外で応じる気などありはせん』
本当に大丈夫なのかと思わずエスタに戸惑いの視線を流す。彼女は呆れたように首を横に振って「そういう奴なんだ」と心底うんざりした顔をする。
「これを使え。血は少量でも封印を解く条件は十分に満たされる」
エスタが手の中に握った髑髏の装飾のある趣味の悪そうなナイフを受け取り、指先に押し付けた。
「────私に従いなさい、シャクラ・ヴァジュラ」
つうっ、と垂れた血が床に落ちて魔法陣が赤黒く輝き、ブクブクと液体が溢れだす。
間欠泉の如き勢いで液体の中から真っ黒い大きな球体が飛んで宙を浮く。中からずるりと産まれるように誰かが頭から床へ向かって落ちて来る。
黒い短髪に凛々しさと力強さのある顔立ち。やや細身だが引き締まった筋肉質な体。ぶかっとした足首だけを絞めた布のズボンを穿いているだけの半裸の男。一見すればただの人間だが、男は目を瞑ったまま床に垂直落下する途中、スッと腕を伸ばして、ぴんと立てた指一本で自らの体を簡単に支えてみせた。
床がひび割れる。彼の体は打ち込んだ杭もかくやのまっすぐな姿勢だ。ぱちっと目を見開き、ぐらりと倒れながら柔らかくしなやかに立ち上がった。
「ほお、懐かしいが意外な組み合わせだ。どれ、遊ぼうか」




