6/8 チャーシュー麺大盛り!
6/8 木曜日 PM1:15
「わたしチャーシュー麺大盛り!」
「よく食うなお前、デブるぞ」
「お兄に言われたくないよ。いつも替え玉するくせに」
午前中の『引継ぎ』とプロットの練り直しのためのアイディア出しを終えた俺は、日向と外出した。電車にのって大きい本屋に行き、流行りのラインナップを確認し、知らないうちにベストヒットになっていた曲を視聴したり、そんな些細なことだ。
それにしても、ライトノベルはいつのまにあんなに異世界物が増えたんだろう。とりあえず一冊買ってみた。そして今はその帰り道、日向の希望でラーメン屋に入っている。
「俺はいいんだ。筋トレとかしてるし、それに、別に太っても俺はかまわん」
「なんで私はかまうわけ?」
「モテなくなるぞ」
「ほー。モテなくなる、ってことは今はモテそうってことじゃん。いぇー!」
「……うるせぇな。日本語間違えただけだ」
「作家のくせに」
券売機の前でのしょうもないやり取りを済ませ、席に着く俺達。それにしても日向、中身的にも微妙に女みてぇになってんな。女子大生様はあれか、合コン三昧してやがんのかね。
まあ、別にいいんだけどよ。変な男にひっかかるほど馬鹿じぇねぇし、わりと要領いいしな、コイツ。
「ここのラーメン、ちょっと味変わった気がするな」
「そう? まあお兄が覚えてるのって二年以上前だもんね。美味しくないの?」
「いや、前より旨いわ」
ずるずるとラーメンをすする俺は、少し感動していた。この店の味は絶対変わっている。
それは、厨房にいる禿げた店長が試行錯誤して改良した結果なんだろう。時の流れは、高みを目指す人間にとっては味方のようだ。
で、そんな旨いラーメンを無言で食っていると。
「あれ? きっしー?」
俺たちのテーブルの横を通った男女混合の四人組、のなかの一人の女の子がそう声をかけてきた。
あん? たしかに俺は岸本アキラという名前だけど、きっしーなんてあだ名で呼ばれたことはないぞ。あと君みたいな知り合いもいない。
いや、ほんとはわかってるよ。この場にいる岸本は俺一人じゃないからな。
「あ、気づかなかったよー」
日向が小さく手を振って女の子に答えた。そういやここは日向が通っている大学の近くだった。多分大学の同級生とかなんだろう。やー、女の子交えたグループでラーメンか。いいねー、青春だねー。羨ましいぜ。
とか思っていると、日向の同級生らしき女の子は俺のほうを見て小さく頭を下げ、男のほうはなんだかつまらなそうな視線を向けてきた。
「きっしー、彼氏さん? いいなー」
女の子はワクワクした様子で日向に尋ねた。はっはっは、やっぱりあれだな。大学生って色恋沙汰が好きみたいだな。誰と誰が付き合ってるとか、そういう話多いよな、ビバリーヒルズ青春白書かよ。ウケるぜ。俺が日向の彼氏だってよ。
ほれ、言ってやれ日向。そう思って日向に視線を向けると。
「彼氏って……。ひひ」
日向は妙なテンションで曖昧に笑った。おいおい、なんだそれは。ちょっと照れた感じだしてんじゃねぇよ否定しろ。
誤解させてはいけないので、俺は間髪入れずに口を挟んだ。
「いえ、兄です。妹が世話になってます」
「ちょ、お兄……!」
「え? お兄さん? そうなんですか?」
女の子は心底意外そうな表情をみせ、俺の顔をまじまじと見つめた。
俺と日向は少しも顔が似ていないが、それでも兄妹は兄妹である。
「あ、邪魔してごめんなさい。じゃ、私たち行きますね。きっしー、また学校でねー」
大学生グループはラーメンを食べ終わって帰るところだったらしい。
彼女たちはラーメン屋から出ていき、俺は続きを食おうとしたのだが、向かいに座っている日向が唇を尖らせ、つまらなさそうにしているのが気になった。
こいつ、たまに意味わからないタイミングでむくれるんだよな。めんどくせぇ。
「どうかしたのか? 実はあの子たちと仲悪いとか?」
「違うし。仲良しだし」
「あー、分かった。お前、さっきの男のどっちかが好きなんだろ。けど気にすんなよ。あれ別に付き合ってるわけじゃねぇと思うぜ」
「そんなんじゃないよ。ばーか」
「さっさと食えよ、のびるぞ」
俺は日向にそう促しつつも、実は少しだけウェットな気持ちになって、箸が止まってしまった。
日向には、もうこっちでの友達がいる。大学に通って、新しい生活を送っている。友達が出来て、いろんな経験を重ねている。田舎の高校生だったコイツが、俺の彼女に見えるようになっている。その事実を突きつけられて、わかっていたはずなのに凹む。
成長した日向に比べて、俺の時間は二年前から止まったままだ。
それは修にしたって同じだ。変わっていく者と、変わらない俺。
二年程度だからさほどの差を感じずにいられるけど、それはきっとこれから大きくなっていくものなんだと思う。
俺だけが取り残されて、体だけが老いていく。そんな未来が想像できてしまう。
「……お兄? どしたの」
気が付くと、日向が心配そうに俺を見ていた。さっきまでむくれていたのに、今そんな表情を浮かべているということは、どうやら俺はけっこう長い時間、箸を持ったままボンヤリしてしまっていたらしい。
「ああ、悪い。ちょっと小説の展開考えてた」
「ダメじゃん。そーゆーの、行儀悪いよ」
考えても仕方ない。今は、店主が改良を重ねて出来上がったこの旨いラーメンに敬意を表して完食し、さらに替え玉を頼むことが大事だ。
しばらくズルズルと麺を啜っていると、日向が妙に明るい声で話しかけてきた。
「ちょっと思ったんだけどさ」
「なんだよ」
「お兄の今の状態ってさ、小説のネタになったりしないの? 実体験だと書きやすそうだし、ほら、そういう映画とかあるじゃん」
日向の言葉に俺は少し考えた。否、考えたふりをした。
「いや、それはいいわ」
「なんで? なかなかない経験じゃん」
日向の言いたいことはわかるし、こういう話題を遠慮なく振ってくれるのは助かる。たしかに俺のような症状はレアなことだし、この症状を取り扱ったフィクションは多い。それに実体験を書くのはやりやすいのは事実だ。でも、今の俺の状態はさほど面白い話になるとは思えなかった。だから答える。
「そういうのはさ、大体、切実だったり、悲劇的だったりして、恋愛絡みの感動ストーリーだったりするだろ」
「うん」
「あんまりそういうの、好きじゃねぇんだよな。それに今んとこ、俺の生活はそれほど劇的じゃないし」
冷静に考えて、俺は恵まれていると思う。あくまでも不幸中の幸いにしては、という意味だが。こうして普通に接してくれる日向や修がいて、それなりに生活もできていて、ラーメンを食べたり飲みに行ったりもしている俺の日常は、多分そんなに面白くない。
いや、ちょっと違う。この日常の中で動く『俺の気持ち』は、それほど面白くない。
小説に限らず物語なんてものは、大なり小なり、人の心の動きを描くものだと俺は思うし、そういう意味では俺の、現状維持しかできていないであろう俺の心は、きっとドラマティックじゃない。
「そういうもん?」
「そういうもん」
それで会話が終わり、俺と日向は再び無言でラーメンを啜った。
それにしても、これ、旨いな。