6/7 ちくしょおおおおおう!!
6/7 水曜日 PM7:00
「んー。ここなー……」
PCを前にして、俺の手はしばらく止まっていた。プロットを読む限りは良かったし、これいけるんじゃねぇの過去の俺さんすげぇ! と思った。けど実際小説本文に起こしてみると、どうもインパクトが弱い気がする。いや、わりと面白いとは思うけど、最高ではない。
昨日までの俺が書き繋げてきた小説『悪魔を騙す者』。
これは、『10年後に命を差し出す代償として才能と成功を与える』という契約を結んだ7人の運命が交差する物語だ。
7人は戦い、裏をかき、出し抜く。自分だけは生き延びようと、あるいは愛する者を助けようと、あるいは命など顧みず社会を変えようと、あるいは己の信念を貫こうともがく。
官僚、ミュージシャン、医者、詐欺師、高校生、大企業のCEO、銀行員。
それぞれの人生観を持つ彼らは悪魔のルールとそれぞれの才能に基づく頭脳戦を展開し、それぞれの生き様を見せる。
恋愛の要素や熱い展開、現代社会の風刺、物語後半に炸裂する叙述トリックによるどんでん返し、と俺の書きたい要素が全部ぶち込まれている。文体はなるべく簡素で客観的に、登場人物はタフでクールに、要するに現代的なハードボイルド小説として書いたつもりだ。
俺はこれまでミステリー小説、恋愛もの、SFと雑多なジャンルで本を出して、まあまあ売れてきたが、今書いているこれが一番ハマっているように思える。
「どうする……?」
このままプロット通りに書いても、それなりに面白い作品になるとは思う。俺は今日初めてこの小説を読んだわけだが、かなり引き込まれた。書いた記憶はなくても自分の小説だからと、という贔屓目があることを差し引いてもだ。
でも、これは俺のベストじゃない。けど、こんな厄介な症状を抱えていながらベストも糞もあるか。
「……いや、違うよな。こんな状態だから、こそ」
俺は俺の究極に挑まなきゃいけないんだ。
編集者の熊川さんはすでにこの企画を通してくれている、つまり書き上げればこの小説は出版され、俺には印税が入る。
けど、もしそれほど売れなければ、初版部数が適当にはけたところで終わりだ。やがて書店からは消えて、人々の記憶にも残らない。
ダメだ。これは、絶対にヒットさせる。何回も重版されて、何百万部も売れて、ドラマ化や映画化がされて、この先何年もジャバジャバ稼げなきゃダメだ。それは、記憶力を失った俺が生活していくために、そして両親を亡くした日向がこの先それで困ることがないように。
今の俺は以前にもまして遅筆だ。それは仕方がない。引継ぎ、読み込みという二工程を挟まなければ自分が昨日まで書いた小説にたどり着けないから、明日への引継ぎに時間も取られるから。
だから、俺はこれまでのようなペースでは小説を刊行できない。
だから、『悪魔を騙す者』には長年にわたって稼ぎ続けられるコンテンツになってもらわなければならない。
これが、この小説を完璧にしたい『現実的で』『打算的な』方の理由。
そして、理由はもう一つある。俺はそこまで大人じゃないし、打算だけで生きているのならそもそも小説家になんてなってない。
途中まで書けている『悪魔を騙す者』は面白かった。面白かったんだ。
俺は俺の小説の文体が、発想が、セリフ回しが、熱さが好きだ。俺らしくて、めちゃくちゃ面白い物語を書きたい、そしてそれをたくさんの人に、未来の俺に読ませてやりたい。
ネタバレ抜きで、自分の書いた自分好みの物語を読む。それはきっと、全世界で俺にしかできないことだ。だから妥協はしたくない。失ってしまう記憶の代わりに最高の物語を残したい。多くの読者に伝えたいし、未来の俺をめちゃくちゃ痺れさせてやりたいし、未来で痺れたい。
そうさ。俺はハードボイルド小説が好きだ。フィリップ・マーロウやマイク・ハマーが好きだ。俺の好きな彼らは、どんな逆境にいても、軽口を叩いて、口笛を吹いて、立ち向かっていた。強い風の中、コートの襟を立てて歩く彼らがカッコいいと思ったんだ。
だから。
「OK、アキラ。書き直しだ。プロットから練り直すぜ。ひゅー、コイツはタフな仕事になりそうだ」
誰も聞いてないのに、おどけてスカしたセリフを吐いて、口笛を吹く。完成間近な小説を大幅にリテイク。強がってみたけど正直涙目だ。ハードボイルドにはなりきれない、でもやせ我慢してみせる。
バカみたいだし実際バカなんだろうけど、俺はそんな自分が嫌いじゃない。
あああああああ、でもちくしょおおおおおお!!!