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6/5 パスタ民とスパゲッティ民の間には深く暗い溝があるのだ

6/5 月曜日 AM10:35


何故だか異常に眠いなか、なんとか『引継ぎ』を読み終えて事態を把握した。

それにしても、なんでこんなに眠いんだろう。まるで何日かよく眠れてないみたいだ。


おかげで、目覚ましが鳴っているのに30分近く寝過ごしてしまい、朝飯を食う時間がなかった。


 なんで睡眠不足なのかもわからない。梅雨に入って寝苦しかったりしていたのだろうか。

 できれば二度寝してしまいたいが、それはやめておいたほうがよさそうだ。もし、昼寝でも記憶を失ってしまうのなら、また一からやり直しとなってしまう。


 そう考えた俺は、コーヒーを飲みに行くことにした。キッチンの棚にはおそらく日向と買いに行ったであろうインスタントコーヒーがあるが、入れるのも面倒だし、腹減ってるし、早めの昼飯も取りたいしな。


 外に出た俺は海沿いの道を歩き、『引継ぎ』に書いてあったカフェ『BLUE』に向かった。

 なんでも、ブルーマウンテンナンバー1とかいう豆が旨いんだそうだ。


 うわ、思ったよりオシャレ臭いカフェだな。オーシャンビューのテラス席に白を基調とした店内。平日昼間だからすいてるけど、これ休みの日だったら女の子かカップルか、あるいは修みたいなイケメンくらいしかいないんじゃねぇの。なんで過去の俺は一人でこんな店に入ったんだろう。謎だ。


「あ! いらっしゃいませー!」


 店内に入ると、ショートカットのウェイトレスさんが弾んだ声をかけてくれた。やたら笑顔が眩しい。ちょっとだけ首をかしげて、こう、きゅるん! とした女の子らしい感じが大変素晴らしい。俺と同い年くらいだろうか。


「あ、どうも」

「お好きな席にどうぞ!」


 それにしてもこのウェイトレスさん、二回目の来店の客に対してやたら愛嬌があるというか、愛想がいいな。接客にうるさい店なのかな。ってかまあ、こんだけ可愛ければこの人を目当てに来る客もいそうだし、その効果を倍増させる戦略か。マスターはかなりのヤリ手と見たぜ。


「えーっと、ブルーマウンテンナンバー1……? をください」


「はい。今日の『本日のコーヒー』はブラジルなので、ちょっと高いですけど、いいですか?」

「? ああ、はい。大丈夫です」


 一瞬わからなかったが、多分この店は『日替わりコーヒー』があって、それがブルーマウンテンの日はお得ということなんだろう、と納得する。


「わかりました。ふふ、コーヒー、お好きなんですねー?」


 日替わりではなくあえて高い豆を頼んだから、ということだろうか。だって仕方ねぇだろ、引継ぎに書いてあったんだから。


「あー、どうなんでしょうね。たぶん、そうなんだろうと思います」


 俺が曖昧な、しかしそうとしか言えないことを言うと、ウェイトレスさん一瞬だけきょとんとして、それから俺の目をみつめた。


「お客さんって、なんだかちょっと変わってますね」


 ウェイトレスさんは、他に客がいなくて暇なせいか、いちいち反応してくれている。

 まあ、可愛い女の子と話すのは、嫌いじゃないさ。


 でもあんまりじっと見られるとモゾモゾするからやめてほしいぞ。


「あと、このミートソー……じゃなくて、ボロネーゼもください。大盛ってできます?」


 ふっ。俺は知っているぜ、オシャレ民はミートソースのことをボロネーゼと呼ぶんだ。スパゲッティはパスタで、チョッキはジレだ。スパゲッティーニがパスタの一種であることはこの際関係がないのだ。


 とか思っていると、ウェイトレスさんは意外そうな表情を浮かべていた。なんだってんだ、俺がボロネーゼって単語を知ってるのがそんなに意外か、メニューにも書いてあんだろ。


「えっと、……なにか……?」


「あ、すいません。今日はご飯も食べるんだー、って。かしこまりました! じゃあコーヒーは食後にしますね。うちのパスタ、美味しいですよ」


 なんだそれは。そりゃメシくらい食うぞ。俺は宇宙漂流船団に住んでて光合成が出来る新人類じゃねぇんだ。このパスタ民め。


 とかはちょっとだけ思いつつ、俺は下がっていく彼女の後姿、おもにケツと腰のラインを凝視して楽しんだ。


 …と、さて、スパゲッティがくるまで、アイディアを手帳にまとめるとするか。


 かきかき。ふむ。

 かきかきかき。あー、この台詞いいかも。

 かきかきかきかき。げ、今のプロットの矛盾を見つけてしまった。直さないと。

 かきかきかきかきかき。


「あのー……」

「はい?」


 呼びかけられて顔を上げると、さきほどのウェイトレスさんは湯気の立つ皿を抱えて横に立っていた。


 あれ、もう出来たのか。速いな。っていうか。……いつのまにそこに!?


「! す、すいません。えっと、じゃあここに置いてください」


 俺は若干焦りつつ、ノートを片付けた。気障な台詞や人の死に方とかを書きなぐっているノートは、あまり人に見せたいものじゃない。いや嘘浮いた。超見せたくない。しかもかわいい子にはなおさら、だって怪しい奴と思われたくないし。


「あ、いえ! わたしこそごめんなさい。なんだかすごく集中してたから、声かけちゃダメかな、って思ったんですけど、冷めちゃうといけないかなって」


「大丈夫です全然大丈夫です。ただ暇つぶししてただけなので、普段はこういうことしないんですけど、さっきボールペン買ったんで書き心地を確かめようかと思って」

 

「? 普段は……、ですか?」

「はいそうなのです」


 ほらみら。やっぱりなんか不思議そうにされたじゃねぇか。しかも今、書いてたのは台詞で、クライマックスで使おうと思ってたから『計画的な、だけど明日に繋がる自殺さ』なんて、重そうなセリフをデカく書いていた。見られたらかなり痛い。いや、小説の流れで読むと多分いい言葉なんだぜほんとだぜ。


「んー」


 ウェイトレスさんは形のいい顎に細い指をあて、なにやら思案顔を見せた。


「いただきます!」


 微妙に気まずく、俺はスパゲッティに取り掛かった。それを見て彼女はふっと柔らかい笑顔を見せて、ごゆっくりどうぞ、と去っていった。


 うーむ。これはあれだ。変な奴に思われたかもしれん。せっかく今日はたくさんあるライダースのなかでも一番高いのを着てたし、ショートブーツとジーンズも俺の中ではカッコいいのを履いていたのに。


 けっ、まあいいさ。あんな可愛い子だし、これから俺とどうこうなる可能性はどうせ限りなくゼロだ。俺は別に際立ってモテないわけじゃないけど、ああいうタイプに好かれたことはない。


あっちから話しかけてきたのも、多分、珍しいタイプの客が来たからなんだろうし。


そうさ。パスタ民とスパゲッティ民の間には深く暗い溝があるのだ。


とか思いつつも、俺は別のことも考えていた。新しい刺激や強い感情が記憶力の回復に繋がる、という話があって、俺は小説のなかにそれを見出せるのではとの希望を持ってるけど、他には……、たとえばいわゆる『恋』ってやつはどうなんだろう。


……まあ、こんな状況でそんなことが出来るとは、全然思えないけどさ。



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