11/1→11/2 俺は生きている
11/1 火曜日 AM7:23
空が明るくなってきた。もう少しで夜が明ける。知らないうちに年を取ったせいか、徹夜は思ったよりも堪えた。
でも、そのかいあって私小説はもうすぐ終わる。さすがに書きやすかった。なにしろ、プロットはもう完全にあるのだから。
記録から書かれた小説は、記憶のような想像なのか、想像のような記憶なのか。
フィクションと事実の間を揺蕩うようにして、書き続けた。おかげで眠っていないので、まだ記憶を失っていない。
いくつかだけ、たしかなことがある。俺がその日に飲んだ酒はラフロイグで、それはスモーキーで美味しかった。修といったサウナでアイディアが閃いたとき、俺は踊りだしたいほど嬉しかった。新作がダメになったとき、俺は死んでしまいそうだった。
たしかなことを、書いていく。
ぜんぶ、覚えてなくても、それでも積み重ねてきた。
結果ダメになった新作だって、二年前の俺には書けなかった。日向が大学に受かったことを嬉しく思ったし、少し大人になった修は成長を伝えてくれた。新しい出会いとそれによる変化もあった。
生きている。
生きている。
俺は、生きている!
この指先が紡ぐ文章が、そう叫んでいる。ほかの人と、きっとすべての人と同じように、たくさんの昨日が今日に伝わり、明日へと続いていく。
私小説は、今日に追いついた。11/1 あとは最後の部分を、今の俺の気持ちを書いて……よし、終わりだ。
「……ふう。やれば出来るな俺。二日で101306文字とは超人的だぜ」
文字数だけでいえばたしかに言葉通り。でも、俺がこんなペースで書ける小説は生涯これ一つだけだろう。
印刷して渡すのももどかしい。俺は、完成した私小説を編集の熊川さんよりも先に、彼女に、翼さんに送った。
なんだか、すげー満足感だ。脳のどこかが熱に浮かされて踊っているみたいだ。そのダンスは激しくて、靄を吹き飛ばしかねない勢いだ。
でもとりあえず限界。寝る。
11/2 木曜日 PM7:15
日向が昼間やってきたので、帝国ホテルのランチをおごってやった。たまには気前のいい兄なのである。まあ世話になってるし、今朝起きた瞬間、自分の脳みそに起きていた変化にも気付いて、気分もよかったしな。
家に帰ってきて、私小説を読み返した。やっぱりよく書けてる。いつもの俺の文体とは違って、ライトノベルかと思うくらい率直で簡潔で、そのわりには抒情性が強い文章だ。これはこれで悪くない。岸本瑛の新境地だ。どうだ見たか増田先生よー。感謝しろよ。登場人物全部偽名でよかったなおい。
とか思っていると、スマホが振動した。メッセージの着信だ。
鈴村 翼〈全部、読んだよ。送ってくれてありがとう〉
読むの早いな。送ったの昨日じゃねぇの? とか思っていると新しいメッセージが着信。
鈴村 翼〈それでね〉
俺はその短文を読むと急いで返信を打った。感想だとか彼女の考えとか、なにか言われる前に言いたかった。私小説を読めばわかったかもしれないけど、伝えたかった。本当は会ってとかのほうがいいのかもしれないけど、サラリと伝えるのもこれはこれで現代的かつ都会的で、ハードボイルドなロマンチシズムがある。俺はカッコつけだからな。
〈ちょっと待て。その前に俺の言いたいこといっていい?〉
〈いいよ〉
俺は一度深呼吸し、指の骨を鳴らしてからメッセージを打った。
〈俺、君のことが好きだよ〉




