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僕は僕の書いた小説を知らない  作者: Q7/喜友名トト


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31/35

10/31 今度はきっと

10/31 火曜日 PM1:11


 昨日書き始めたらしい小説。これの早く続きを書かなければならない。だが、そのために必要なことがある。


 そう考えた俺は、カフェ『BLUE』に入店していた。理由は、翼なる人物を見るためだ。


 この小説は、いわば私小説のようなものだと思う。ただしまるっきり覚えていない私小説である。引継ぎはあるが、これは印象的な出来事がごく簡単な箇条書きで記されているだけなので、細かいところはわからない。主要登場人物であろう『翼』をみて、できれば話もしたかった、が。残念ながら目論見は外れたようだ。


「ああ、いつもありがとうございます。どうぞごゆっくり」


 俺を迎えた人物は豊かな髭を蓄えた温厚そうな紳士で、この人がマスターなのだろう。そして今日は女性店員がいないようだった。


「……そりゃ、休みもあるか……」


 しかしせっかく外出したのにこのまま帰るのもアホらしいし、第一マスターに失礼だ。俺はコーヒーを頼んだ。今日はコナという品種だが、コナブレンドではなく、コナ100%なのが違いとのことだそうだ。


俺はコナコーヒーを待ちつつ席に着いた。そしておもむろにノートPCを取り出す。普段の俺は出先で小説を書くことはあまりないが、今日は空いているようだし、今は少しでも時間が惜しかった。


 翼さんと会うことはできなかったが、それはそれ。行けるところまで行こう。

 昨日書き始めた冒頭は、4/27からの描写だった。そのくらいからのほうが俺の状態が分かりやすいと思う。


 コナコーヒーが給された。香りがいい。味は結構酸味が強いような気がするけど、嫌な感じではなく、フルーティな風味と合わさって心地が良かった。


「さて」


 引継ぎを読み返しながら、文章に起こしていく。一冊の本にすることを想定している以上、すべての記録をそうすることはできないので、大事なところだけを選び出し、今の俺に繋がる一つのストーリーとしていく。


 どこが大事な日なのか、何が重要なことなのか、それを吟味するのは手間だが、俺の指先は予想より軽快だった。


 久しぶりに会ったとしか認識できない日向の成長や、相変わらずイケメンのまま大人になっていく修との会話、遅筆ながら少しずつ進めてきた前作、昨日の記憶を失ってしまうことに脅え、嘆き、それでもあがく俺自身の姿。


 ほんの一行二行しか書かれていない記録を頼りに、そのときの出来事や心情を想像し、膨らませていく。


 ああ、そうだな。もし日向がいきなり大学生で、しかも結構美人になってたら相当驚いただろうな。それにしても美人か……。こんな感じか?


 修と飲みに行ったのか。ってことは多分ワインが旨い系の店だな。俺は何を飲んだんだろう。ハイボールならありえそうだ。


 ブルーマウンテンナンバー1というコーヒーが旨かったらしい。今飲んでるこのコナもかなり旨いんだけど、そっちはどんな味なんだろう? ……こう、もう少し甘い感じだろうか。


 書かれているのは端的な事実だけ。だから今俺が書いているこれは、事実なのかどうかは本当はわからない。一口に『日向は美人になっていた』と言っても、モデルみたいな感じなのかもしれないし、アイドルみたいな感じなのかもしれないし、サブカルっぽい癖のある感じかもしれない。要するに系統がどうなのかってことまではわからない。せめて女性ファッション誌でいえばこれ、というくらい書いてあれば別だが、そこまで引継ぎは親切丁寧ではなかった。


だから、今の俺が直感したまま、日向の姿を書く。


コーヒーの味の違いもわからない。コナ100%とブルーマウンテンナンバー1のどっちの酸味が強いかもわからないし、香りの違いも知らない。ネットで調べればすぐにわかることなんだろうけど、あえてそれはしない。味覚なんてしょせん人それぞれのものだし、大事なのは俺が旨いと感じたという事実だ。


ゆえに、今の俺が想像するまま、コーヒーを描く。


 前向性健忘を患っても、俺はよく酒を飲んでいたらしいしバーにもいっていたらしい。

少し笑ってしまうが、どこか納得もできる。ああ、俺ならそうだろうな。実は、それほど以前の生活スタイルとは変わっていなかったんじゃないかと思う。


きっと、ラフロイグを頼んで、田中さんはあいよ、と答えて。

けど一人の夜が来たらやっぱり眠れないこともあって。

無茶苦茶な筋トレなんかもやったりして。

時には二日酔いにもなって。

キャッチボールをしたようだけど、その時にはこんなふざけたやりとりをして。


――不思議な感覚だった。


引継ぎに書かれている箇条書き、そのモノクロな情報を小説に直していくと、まるでその出来事を経験したかのように錯覚してしまう。


もちろん、経験自体はしているはずだ。でも記憶はしていないシーン。モノクロだったそこに、色がついていく。



「おかわりはいるかい?」


 不意に、マスターの言葉に意識がゆり戻された。


「あ、はい。いただきます。すいません、長居してしまって」

「ああ、かまわないよ。今日は暇だし、頑張っている若者はいいものだ」


マスターがいたずらっぽく笑った。口髭から覗く唇は茶目っ気たっぷりで、安心する。


 二杯目のコーヒーを啜り、一息。うん、やっぱりここのコーヒーは旨いな。多分豆とか焙煎とかにこだわってんだな。インスタントコーヒーとは全然違うぜ。


 さて、引継ぎに目を戻す。ここから先は、一気に書くのは難しそうだから、もう一度熟読して、イメージを膨らませよう。


 なぜ難しいのか。それは、日向や修とは違うまったく知らない人物が登場するからだ。果たしてスムーズに続きが書けるだろうか。


 翼さん。というその人はこの店の店員で、ショートカットが似合う美人らしい。健康的で清潔感のある感じで、パティシエール見習い、とだけ書いてあるが、服の感じや声の調子、仕草や話し方なんかはどうなんだろう。そのあたりが断片的にしかか書かれていない。


 俺と彼女が出会ったのはもちろんここ。そしてしばらくしてボーディーズで偶然出くわして互いの名前を知る。まあ、あの店は若い女性ファンが多いから、翼さんを連れてきた友達もそうだったんだろう。


 カフェとバーで何度か会話し、編集者にやりこめられる俺にデザートをくれたそうだ。

 そして、俺は彼女をデートに誘っている。

 ここからがよくわからないのだが、何故、世界爬虫類展になんか行っているのだろうか。しかもそのあとは焼き鳥屋。彼女がちょっと変わった感じなのは引継ぎにも書かれているが、いくらなんでもちょっとおかしいのではないだろうか。


 そのあとも俺たちは何度かデートらしきことをしていて、猫猫飯店にも4回目のときに行っている。麻婆豆腐を食べたらしい。


 あんな小汚い店に何故? そして俺は基本的には女と話すのは好きではないはずなのに、何故やってもいない女と何度も出かけているのか。


 これは彼女の人物像を捉えて小説にするのには相当かかりそうだ。

 一度目を瞑り、考えてみる。こう何度も俺と会っているのだから、彼女にもわりと好かれていると考えるのが妥当であるように思う。それはいわゆる恋愛感情というやつなのだろうか。


 しかし過去の俺は何故か彼女を口説いたりはしていないようだ。もしかしたら、性別を感じさせないタイプで、友人関係がなりたっていたのか?


 いや、なんかしっくりこない。


 さらに引継ぎを読み返す。俺が二年かけて書いた前作は盗作疑惑でボツになったからだそうだ。これは、相当キツイと思う。そんな俺がこうしてもう一度筆をとっているのは、その前作を読んだからで、前作を読んだのは翼さんの言葉があったからだそうだ。ここのところは彼女のセリフまで書いてある。


 読んであげなきゃ、可哀そうだよ。


 俺は多分、こう答えたはずだ。小さく口に出してみた。


「……わかったよ。読むだけは読んでみる」


『うん。約束』


 声が、聞こえた。鈴の音を思わせる、小さな、小さな声が、たしかに聞こえた。

朗らかで透明で、確実にその人の声だとわかる音。

聞いた記憶がないはずの声。でも聞き覚えのある響き。


 鳥肌が立った。鳥肌ってさ、気持ちが悪い時や怖い時にだけ立つものじゃないんだよ。


 それともこれも錯覚なのか。声のほかに漠然と浮き上がったこの姿も、靄のかかった俺の海馬がみせる幻想なのか。


俺は混乱しつつも引継ぎが表示されているモニタから目を離し、勢いよく顔を上げた。そこには。

「わ! びっくりした」


 彼女は、レモンと氷の入った水差しを落とさないように胸のあたりで抱えてた。俯いていた俺が急に深刻な表情で顔を上げたのに驚いたようだ。


 びっくりしたのは、俺の方だ。


「……ごめん」

「え? いいよ。そんな真剣に謝らなくても。あ、お水注ぐね」


 いつの間にか空になっていた水のグラスにおかわりが注がれる。彼女の細くて白い手や、ネイルをしていない指先に視線が行ってしまう。


「……今、ホールに入った?」

「うん。今日は遅出なんだ。さっきまで面接でさ」

「面接?」

「そうそう。今ね、ホテルの最終まで残ってるんだよ」


 面接といえば就職活動で、就職先の希望がホテル。ホテルにはレストランがつきものだし、そこにはデザートが出る。それにウェディングなんかのイベントでも、デザートはつきものだ。つまりこの人はそういう仕事をしている。


 それにショートカットで、たしかに美人だ。情報から考慮すると……。いや違う。そんなことをするまでもなく俺は、見た瞬間に彼女が誰だか、わかっていた。覚えていないはずの、彼女との出会いややり取りが、浮かんだ気がして。


わかったんだ。


「アキラくん、もしかして、小説書いてるの?」


 彼女は、口元に手を当てて小さな声で問いかけてきた。どこか嬉しそうに見える。


 俺はああ、とだけ答えた。


「そっか」


 彼女は胸のあたりに手をあて、優しく目を伏せて呟いた。


 この人の口からは、前にも「そっか」という言葉を聞いた気がする。でも、その時は全然違うトーンだった気がする。俺は引継ぎに書いてあった海でのやり取りを思い出し、答えた。


「前言を撤回するのはハードボイルドじゃないけど、逃げるのはもっとハードボイルドじゃねぇからな」


 冗談めかして、あえてバカみたいにキザな台詞でおどけて見せる。でも、本心だ。きっと、誰かのおかげで生まれたものだけど。


「うん。きっと、今度は書けるよ」

「おう」


 俺はなんだか恥ずかしくなって、今注がれた水を一気飲みした。コーヒーはもう飲み終わっているので、会計をお願いする。


「もう帰るの?」

「ああ、家で集中するわ」

「ん。あ、そうだ。今度来たときさ、アプリコットチーズタルト、食べてみてよ」


 レジでお釣りを渡しつつ、彼女はそんなことを言った。アプリコットっていうのはたしか杏子のことだったと思うが、彼女が作るのだろうか。


「おススメなのか?」

「そう。最近やっと納得できた、超自信作!」


 いぇーい、とピースサインを出してくる彼女。いくらほかに客がいないとはいえ、なかなかフランクな態度だ。マスターはあえてなのか、見て見ぬふりをしている。

 それにしても自信作か。やっと納得できた、ってことは色々試行錯誤したわけだ。そりゃ素晴らしい。それに今から言おうとしていたことの前振りにもちょうどいい。


 俺は答えた。


「ああ。食う。……そしたらさ、代わりに俺が今書いてる小説、書き終わったら読んでみてくれねぇか」


 こんなことを女性に言うのは初めてだった。でも、決めたことだ。俺は、色々なことがわかったから。覚えていなくても、わかったから。


 彼女は俺の言葉に、ちょっとだけ『えっ』と意外そうな表情を浮かべ、でもすぐに眩しいくらいの、少なくとも俺にとっては極上の笑顔で頷いてくれた。


「うん。待ってる」


 あぶねぇ、危うく大輪の花が彼女の背景に見えそうだった。


 彼女は、俺の前向性健忘について全く知らないから、読んだら驚くと思う。この関係性は変わるかもしれない。いやきっと変わる。でも読んでほしい。


 きっと、記憶の無い作家の書く私小説はそれで完成するから。


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