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4/20→4/22 無茶言うなよ

 ※※

〈ここからは端的に書く。キシモトアキラには、時間がないからだ。本当はここに至るまで相当の葛藤やら決意やら努力やらあったんだけど、それを細かく書いていると読んでいるだけで一日が終わりかねない。そうなったらマズイのはわかるだろ? まずは前向性健忘になった俺が何故、一人暮らしをしていて、今のような生活をしているかというところについて説明する。


 事故にあった直後、俺は当然病院で目覚めた。そしてその後しばらく入院していたらしい。なんで『らしい』なんていう表現をするかというと、これを書いている俺も、そのときの記憶がないからだ。


 意識が戻り、怪我が癒えていったそうだが、そのときの俺……わかりにくいな。仮に『病院俺』とする。


 『病院俺』にも、昨日の記憶がなかったそうだ。毎朝目が覚めるたびに、どうして病院にいるのか、なぜ怪我をしたのか、俺は横浜のカプセルホテルに泊まったはずではなかったのか、と質問をしていた。そこで、俺の前向性健忘が発覚した。


 しばらくはそのまま入院していたらしい。だが、体が完治しても、記憶力の方は全く治る気配はなかった。そんなある日、医者は『病院俺』に言った。


「このまま入院していても、治る見込みはないでしょう」


 医者から見れば何日も入院している患者だが、『病院俺』からすれば目覚めた初日にそれだ。まあショックだったと思う。もしかしたら医者にわめいたりしたのかもな。


 しかし医者は続けた。


「少ない症例ですが、回復した例もまれにあります。これはあくまで一説に過ぎないのですが、新鮮な経験や、強い感動など、心への刺激が回復に繋がるのかもしれません」



 それを聞いた『病院俺』はそのとき考えたことを書いて、明日の自分へ向けて保存した。そして翌日の『病院俺』はそれを読んで、さらに考えて、また明日の自分に残した。これが、今につながるスタートだったと思ってくれ。


 考えることには時間がかかる。でも、考えた結論を読むのは一瞬だろ?

 今日の結論はこれ。それを踏まえてさらに考える。


 なにしろ、自分が考えたことなんだから、ある意味では信用できる。


 そうやって、当時の『病院俺』は思考を突き詰めていき、ある日結論を出した。


 つまり、退院して、普通に暮らす。ということをだ。


 理由を書く。


 まず、現実問題としていつまでも入院してはいられない。デビュー作がそこそこ売れたときの印税や、両親が残した財産、それから事故のために受け取った慰謝料なんかで当面の金はあったけど、それだって無限じゃない。妹の進学のことやこれからの生活のこともある。


だから、金は稼がなければならない

 つぎに……。抽象的な言い方だけど『意味』。


 考えてみろ。毎朝起きるたびに記憶がリセットされ、ひたすら入院している。記憶がない以上、毎日同じような行動をして、眠りにつくのだろう。なにも生み出すこともなく誰かに影響を与えることもなく。


『病院俺』は無くなってしまう記憶の代わりに、なにかしたかったんだと思う。そしてそれは俺も一緒だし、お前もそう思うはずだ。

 

 ではどうするか? 推測はできるよな。


 そう、アキラは、それまで通り、小説家をしていやっていくことにした。

 というか、それしかできない。


 考えたらわかると思うけど、普通に就職するなんて絶対に無理だ。バイトも厳しい。なにしろ、新しいことを記憶できないんだから、技術も身につかないし人間関係も築けない。


 けど、小説なら、いけるかもしれない。そう考えたらしい。


 俺は前向性健忘を発症する前から小説家だったから、書くスキルを失ったわけじゃない。昨日のことを忘れていても、昨日書いた文章は残っている。それを読んで、毎日続きを書く。そうすれば、いつかは小説が完成する。



 無茶苦茶言ってるようだけど、これは案外うまくいってるぜ。あとで読むことになると思うけど、最初の俺は思いつき程度のメモを書いて、それから少しあとの俺はメモからプロットを書き始めて、さらにあとの俺はプロットを完成させて、次の日の俺はプロットを確認して本文を書き始めて……。


 そして、今では書きかけの原稿を編集者に送って直しを入れてもらったり打ち合わせしたりできるレベルまで達している。


 ちょっと信じがたいことだと思う。でも本当だ。原稿を読めばわかる。


 俺は小説一冊読むのに、大体2時間くらいだろ? で、書くときは千文字あたり1時間前後。こんな状態だからもう少しかかるときもあるみたいだけど、なんとかなる。


 ここまでをまとめる。


 おまえは、一人暮らしをしていて、過去の自分が書いた、覚えてすらいない小説を読み、その続きを毎日書く生活を送っている。OK?


※※


4/22 土曜日 7:15


「OK?……じゃねぇよ!! なんだそれは!!」


 俺はらしくもなく声を上げてしまった。それも、過去の自分に対してだ。

 と、いうか。


 ふと、思った。


 このテキストは、なにも昨日の俺が書いたものではないだろう。もう少し前のはずだ。もちろん、その後の俺が最初の文章から多少は改稿とかしてるのかもしれないけど。


 と、いうことは、もしかしたら昨日の俺も、一昨日の俺も、ここまで読んで大声をあげてしまったのかもしれない。同じ人間が同じ文章を同じ状況で読んだら、同じ反応をするはずだ。


 わー。この状況でそんなことを冷静に考えられる俺ってクールー……。


 などと思いつつ、俺はさらに過去の俺からのメッセージを読みすすめた。


「……なるほど。そういうことか」


 どうやら、俺には毎日やらなければならないことがあるらしい。

 それは、今この生活を最低限続けていき、そして少しでも先に進むためのいくつかのルールだ。


 ルール1『過去の自分からのメッセージをすべて読む』


 これは起きてすぐに行う必要がある。そうしなければまず状況がさっぱりわからない。

 まあこれは、記憶がない状況でバスルームに行けば自然と行うことだし、なにより今日、今の俺自身が行ったことなのでこれから先も行われるだろう。問題は次のルールからだ。


 ルール2『今日得た経験を簡潔なテキストにしてまとめておく』


 こんな状況でも、外出するなり映画をみるなり本を読むなりはしてもいい、というかしたほうがいい。脳への新しい刺激は症状の改善につながる可能性があるそうだし、小説を書くうえでもインプットは大事だ。


 ただし、俺は新しい経験や知識を得ても、明日には覚えていない。だから、それをメモにして残していかなければならない。映画を見たならストーリーやポイントをまとめ、実際に視聴するよりもはるかに短時間で理解できるようにしなければならない。なにしろ一日は短く、今の俺にとって、時間は貴重だからだ。


 ものによっては、タイトルと『つまんねぇし意味ねぇ』の一言だけ残すべき映画もあるだろうし、叙述トリックのネタだけ残す小説もあるだろう。前者はその映画を二度と見ないために、後者は読む時間を節約して必要なエッセンスだけを取り込むためにだ。


あるいは、容姿の特徴を事細かに残しておくべく女の子との出会いもあるかもしれない。取った写真を画像として残しておく必要もあるだろうし、編集者とのやりとりの記録も必要だ。外出するときはいつでも手帳を携帯し、体験によって得た情報を書き込む、そして家に戻ったらその内容をPCに保存しておく。大学時代によくやったみたいに、外出先のトイレに手帳を忘れたりしないように注意だ。


 ルール3『自分の書いたプロットと、それに基づく書きかけの小説を読む』

 つまりこれが、PCのデスクトップ上に保存されていた別ファイルだろう。当然、まったく記憶にない。他人が書いたもののように思えるのだろうか?


 ルール4『ルール1~3をふまえ、小説の続きを書く』


 これが一番大事らしい。少なくとも過去の俺が残したテキストにはそう記されている。

 最後にはこうも書かれている。


 諦めるものか。負けるものか。


「……無茶言うなよな……」


 俺はまたしても独り言をつぶやいてしまった。独り言多すぎだろ、と思う人もいるかもしれないが、俺と同じ状態になってみたらきっとソイツも独り言増えるって、ぜったい。


 そもそも俺は、まだ起きてから1時間程度しか経っていないのだ。それでこんな状況を説明され、そのうえでなにかやれって? こんなの、一日中途方に暮れてもまったくおかしくないだろ。


 ……ゾクッ。


 内心で愚痴った俺は、その意味に気づき、震えた。

背中が冷たい。


 そう、たしかに、一日中途方に暮れてもまったくおかしくない状態ではある。しかしその場合俺は、何一つ新しいことを残さないまま一日を終えることになる。そして明日の俺はそのことすら忘れている。何一つ残さないまま、ただ時間だけが過ぎる。


 一日くらいいいだろう、では済まされない。一日を無為に過ごした記憶すらない明日以降の俺は、反省も後悔もすることなく、同じことを繰り返してしまうのではないだろうか。


 恐ろしすぎる。

 

 例えば今俺が読んでいるこのテキストが、実は一年前に書かれたものだとしたらどうだろう? それから一年の間、俺は毎日絶望し、途方に暮れて、それを忘れてなにも積み上げてきていないのだとしたら?


 なにやってんだよ俺、ふざけんなよ、状況わかってんのか、と思う。そりゃあ思う。


 そしてそう思うからには、今の俺もなにもしないわけにはいかない。

 

 じゃあ、どうすればいい?

 

 俺は、読みかけの『俺へ』ファイルをいったん最小化し、他のフォルダ、つまりは昨日までの俺が書きかけているはずの小説のファイルを開いてみた。


「はは……書き出し、俺っぽいな。でもなんも覚えてねーや……」


 ディスプレイに表示されていく文字の海に不思議な感覚を覚える。そして、もう一つ、大事なことに気づいた。ディスプレイ左下、ワードソフトを使って書いているため、そこにはこの小説の文字数とページ数が記されている。



「54,538文字……!」


 文庫本一冊はたいてい10万文字前後。そのなかでの5万文字超え。


それは、遅筆だとよく言われる俺が、さらにこんな状態の俺が一日で書ききれるような文字数ではない。


 と、いうことは……。


 54538文字。というただの数字の羅列、だがそこには、熱が宿っている様に思えた。


「それにこの小説……もしかして……」


 少しだけ読み進めた俺は、今朝起きてから初めてかもしれない感情を覚える。


 いわゆる、希望ってやつだ。

 諦めるものか、負けるもんか、過去の俺さんがそう仰るなら、わかったよ。やるだけやってみるさ。




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